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ボッチの僕、イケメンの俺  作者: リディア


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第31話 掴んだのは、服の裾

 ショッピングモールの中は、休日特有の騒がしさと、甘いポップコーンのような匂いが混ざり合っている。


「……白石くん。あのお店、入ってもいい?」

「……ああ、もちろん」


 橘さんが指差したのは、清潔感のある白を基調としたレディースショップだった。


 俺にとって、ここはもはや「敵陣」に近い。


 並んでいる服はどれも繊細そうで、触れるのさえ躊躇われる。


 橘さんは棚に並ぶ服を、慈しむように指先で辿る。


「これ、可愛いかも」

「……ああ。橘さんに、似合いそうだ」

「ふふ、本当? 嬉しい」


 橘さんが、いたずらっぽく笑う。


 俺といえば、さっきから彼女の横顔を直視できず、適当なシャツのタグをじっと眺めることしかできなかった。


「ねえ、白石くん。これ、ちょっと試着してきてもいい?」

「……うん。外で待ってる」


 橘さんは一着のワンピースを抱え、試着室へ向かった。


 バサッ、とカーテンが閉まる音。


 俺はその少し前で、壁に背中を預けた。


 とりあえずスマホを取り出して画面をスクロールしてみるが、文字が滑って全く頭に入ってこない。


 ――今、カーテンの向こうで、橘さんが着替えている。


 そう意識した瞬間、耳の奥でドクンと心臓が跳ねた。


 衣類が擦れる微かな音。

 ローファーを脱ぐ音。


 薄い布一枚の向こう側に彼女がいると思うと、ここが公共の場であることを忘れそうになる。


「……白石くん、聞こえる?」


 カーテン越しに、少しこもった声がした。


「……え、あ、うん。聞こえてるよ」

「あのね……ちょっと、変じゃないかな?」

「いや、見てないからわからないよ」

「……だよね。じゃあ、開けるね。……あんまり、じっと見ないでよ?」


 ゆっくりと、カーテンが開く。

 そこには、俺の想像を遥かに超えた光景があった。


「――っ」


 息を吸うのを、忘れた。


 淡いブルーのワンピース。

 いつもより少しだけ開いた襟元。


 柔らかな生地が、彼女の体のラインを優しくなぞっている。


  鏡の前に立つ彼女は、まるで光を纏っているみたいに眩しかった。


「……どうかな。……変?」

「…………綺麗、だ」


 反射的に、本音が漏れた。

 自分でも驚くほど、掠れた声。


「えっ……?」

「あ、いや、似合ってる! すごく、いいと思う。本当だ」


 慌てて言い直すが、時すでに遅し。 橘さんは頬を林檎のように赤く染め、もじもじと裾を弄った。


「……そんなにストレートに言われると、困る」


 そう言いながらも、彼女は俺の方へ一歩、近づいてきた。


  香水のせいか、柔軟剤のせいか。

  彼女特有の甘い匂いが、俺の鼻腔をくすぐる。


「……本当に? 本当に、似合ってる?」


 見上げるような、潤んだ瞳。


 あまりの近さに、彼女の鎖骨のくぼみや、細い肩のラインまで鮮明に見えてしまう。


 俺は逃げ場を失い、喉を鳴らした。


「……本当に。……似合いすぎてて、困るくらいだ」

「……白石くん、さっきから顔、真っ赤だよ?」


 橘さんが、楽しそうにクスクスと笑う。 細い指先が、俺の頬を掠めるように伸びてきた。


「……気のせいだろ」

「嘘。お耳まで赤いもん。ふふ、白石くん、可愛い」


 満足そうに笑うと、彼女は「これ、買っちゃおうかな」と呟いて、再びカーテンの中へ消えていった。


 残された俺は、熱を持った自分の顔を両手で覆い、深呼吸を繰り返した。


  ――ダメだ。


 さっきの笑顔と、あのワンピースの姿。


 一生、頭から離れそうにない。






 試着を終えて、橘さんが服を買った。


 店を出ると——人が、一気に増えていた。


「すごい人……」


 店を出た瞬間、押し寄せる熱気と喧騒に橘さんが小さく身を竦めた。


 休日の午後。モール内は家族連れやカップルで溢れ返り、真っ直ぐ歩くことさえ難しい。


「……はぐれないようにしないと」

「大丈夫。すぐ近くにいるから」


 俺はそう言って、彼女を庇うように半歩前へ出た。

 人波を縫うように歩き出す。


 だが、数歩進んだところで、不意に右側の制服が「ぐいっ」と引かれた。



「……えっ?」



 足を止め、肩越しに振り返る。


 そこには、俺のジャケットの裾を、両手でぎゅっと握りしめた橘さんがいた。


「あ……」


 俺と目が合うと、彼女はハッとしたように自分の手を見つめた。

  顔は耳の付け根まで真っ赤に染まっている。


「……ごめん。咄嗟に、掴んじゃって」

「いや、別にいいけど。邪魔じゃないし」

「その……だって、はぐれたら、嫌だから……」


 消え入りそうな、小さな声。

 でも、周囲の雑音を掻き消すほど鮮明に、俺の耳に届いた。


 裾を掴んだままの、彼女の白い指先。


 それが、目に見えるほど微かに震えている。


 人混みが怖いからじゃない。


 俺に触れていることに、彼女自身も、俺と同じくらい動揺しているんだ。


 ――ああ。そうか。


 俺だけじゃ、なかったんだ。


「……じゃあ、このまま行こう。離さないで」

「……っ。うん……」


 俺は再び歩き出した。

  歩幅をいつもの半分に落とし、彼女がついてこられるようにゆっくりと。


 裾を掴まれている部分から、彼女の微かな体温が伝わってくる気がした。

  手を繋いでいるわけじゃない。

 指先が触れ合っているわけでもない。

 でも、布一枚を介したこの繋がりが、どんな言葉よりも重く、甘く、俺たちの境界線を溶かしていく。


 誰が見ても、今の俺たちは「ただのクラスメイト」には見えないだろう。


 人混みを抜け、ようやくベンチのある開けた広場に出た。


 橘さんが、名残惜しそうに、ゆっくりと指先を解いていく。


「……ありがとう、白石くん」

「ん? 別に、普通に歩いてただけだよ」

「ううん。そうじゃなくて」


 橘さんは、まだ熱の引かない顔で俺を見上げ、ふわりと笑った。


「……ちゃんと、私の隣にいてくれて。……離れないでいてくれて、嬉しかった」


 その真っ直ぐな言葉に、俺は喉の奥が熱くなるのを感じた。

「俺こそ」なんて、キザな台詞は言えなかったけれど。

  ただ、深く頷くことしかできなかったけれど。


 橘さんも、それ以上は何も言わない。

 でも、二人とも、肌で感じていた。


 この数センチの距離は、もう二度と、遠ざかることはないのだと。




 しばらく歩いて、ようやく桜井さんたちと合流した。

 二人はベンチに座って、いかにも「全部見てました」と言わんばかりの表情で俺等を待っていた。


「おかえりー。……なんか、二人とも顔赤くない?」


 桜井さんが隠しきれないニヤニヤを浮かべて、俺と橘さんを交互に見る。


「……気のせいだろ」

「へぇー、気のせいねぇ? ね、菜月、どう思う?」

「……完全に、事後」


 中村さんの鋭すぎる一言に、橘さんが「な、菜月っ!」と真っ赤になって抗議する。


  ――完全に、理解されている。

 でも、不思議と嫌な気分じゃなかった。


「じゃ、そろそろ帰ろっか。私たち、あっちのショップ寄ってから帰るし」


 桜井さんが中村さんに目配せをして、俺等に背を向けた。


  あからさまな気遣い。


  空気を読んだ二人が先に人混みに消えていき、残ったのは――俺と、橘さんの二人だけになった。


 モールを出ると、外はもう夕刻の光に包まれていた。 空は鮮やかなオレンジ色に染まり、アスファルトからは微かに夏の終わりの匂いがする。


「……白石くん」


 隣を歩く美咲さんが、不意に俺を呼んだ。


「ん?」

「今日……誘ってくれて、ありがとう。服、選んでくれたのも。……全部、楽しかった」


 橘さんが、夕日に照らされて少し眩しそうに目を細める。


 その笑顔があまりに綺麗で、俺は言葉を失った。


「……俺も。……橘さんと来れて、良かった」


 つい口を突いて出た、自分でも驚くほど素直な言葉。

 橘さんは一瞬、驚いたように目を見開いたけれど、すぐに幸せそうに頬を緩めた。


「……じゃあ、また明日、学校で」


 小さく手を振って、彼女が歩き出す。 数歩進んだところで、彼女はもう一度だけ振り返り、俺の目を真っ直ぐに見つめた。


「……さっきの、裾を掴んだやつ。……はぐれるのが怖かっただけじゃないから」


 それだけ言うと、彼女は今度こそ、駆け足で駅の方へ消えていった。


 俺は――夕闇が迫る街角で、立ち尽くした。


 まだ、右側のジャケットの裾に、彼女の指先の温度が残っている気がする。 あの震え。あの距離。 そして、今の、反則に近い告白もどき。


「……ああ、もう」


 天を仰ぐ。 オレンジ色の空が、視界の端で滲んだ。


 完全に、意識してる。

 ……いや、そんな言葉じゃ、もう足りない。


 掴まれた裾から伝わったあの熱が、俺の心臓の奥まで、今もずっと離れずにいた。

 本日も読んでいただきありがとうございます。

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