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05

あと一話続きます。

 私がクリスの衣装のタイピンについて叱責しようと家令のセバスチャンに確認を取ると、彼は困ったように微笑んだ。


「あれはマーシュリー様の指示なので」


 肩をすくめ、仕方ないじゃないですかと言いたげであるこの家令は、私がこれ以上何も言えなくなるのをちゃんと見越している。


「うっ……」


 我が家では、マーシュリーに敵う者など誰もいない。

 彼女の方を見ると、楽しそうに兄とティータイムを楽しんでいる。


「だって、お友達がそうしたほうがいいことがあるって教えてくれたのだもの」


 マーシュリーに問うと、満面の笑みでそう答えた。

 第三王子と婚約を決めた時と同じセリフだ。

「どうせ結婚までには至らない、って。でも婚約しておけば、スメラギ家にとっていいことがあると言っているの」と。


「いいこと、ありましたでしょ?」


 たしかに伯爵位の授与と共に与えられる予定の領地は申し分ない。スメラギ領と隣接で、マーシュリーを遠くへやらなくて済むし、領の南に位置する場所は綿花もジャガイモも育つ。

 特に兄さんはご機嫌だ。ポテトチップスを量産するのに、原材料の確保が目下の課題だったのだが、その目途がついたからだ。


「うむ、あの土地はいい。清水も湧くので蕎麦を栽培してざる蕎麦もいいな。あれは麺を茹でて冷やすのに、旨い水が大量に必要だから」


「兄上、口元が緩みすぎ! よだれが!」


 私に指摘され、レイ兄さんは慌てて口を閉じる。

 

「それもいいですけど、サラ姉さまですよ~、よかったです。本当に」


 マーシュリーの言葉に、私の頬は赤くなる。クリスのことを言っているのだ。

 あの後、家に到着するともう夜も更けているというのに、彼はまだ起きていたレイ兄さんを捕まえて、善は急げとばかりに私との結婚の承諾を得ていた。


「ああ、やっぱりそうじゃないかと思ってたんだ。彼の目は、イアンがチヨを見る時と同じだった。だが、私はこういうことには詳しくないから、聞くのが躊躇われてしまってね」 


 兄は恋愛に疎いが、剣士のせいか人の眼光を見る目は確かだ。それでクリスを敵ではないと判断したのだろう。最初から好意的だった。

 でも、何か腑に落ちない。彼が帝国の皇子であることは知っていたはず。いくらなんでも警戒心がなさすぎだ。


「マーシュリー、あなたのお友達が彼を認めたの?」


 私は妹に聞いてみる。マーシュリーはコクンと頷く。


「サラ姉さまが幸せになれると、クリス兄さまが初めて我が家へ来た時に教えてくれました」


 なるほど、そういうわけか。

 マーシュリーは早くもクリスを兄さま扱いしている。彼は彼女に気に入られたらしい。


「なあ、さっきから意味が分からないんだけど。オレがこの家に世話になってから、マーシュリー嬢のご友人は一度も見かけていないし、茶会などに出かけていた記憶もない。それとも知らない間に誰か来ていたのだろうか?」


 キッチンでカップラーメンに湯を注いで貰い、ほわほわとした湯気を顔面に浴びながらクリスがやって来る。彼は、この異世界の麺料理がお気に入りだ。

 

「嫌ですよ~、クリス兄さま。『嬢』だなんて他人行儀な。マーシュリーって呼んでくださいな」


 妹はぷうと頬を膨らませ、やんわりとクリスを睨みつけている。その可愛らしい様子に彼はタジタジになりながら両手を振る。


「いやいや、まだ入籍してないのに気安く呼んだりしたら、マーシュリー嬢の婚約者が不快な想いをするだろう」


「大丈夫よ。ロイはそういう子じゃないから」


 私は請け合う。

 マーシュリーの新たな婚約者は、庭師のロイだ。二人は物心つく前から、ずーっと一緒で仲が良い。

 彼らはスメラギ領の屋敷のだだっ広い庭を遊び場に、様々な植物を育てている。

 途中、第三王子との婚約のため王家の監視とお妃教育が入り、庭いじりの時間は減ったが、マーシュリーはいい機会だと、領にいながら王立学園の卒業資格を手に入れてしまった。ロイも勉学に励んだ。二人の態度があまりに自然であったため、王家の監視は何も気づかず、何も言わなかった。


「マーシュリー様、お待ちかねの方が到着しました」


 部屋の扉が少しばかり騒がしくなったかと思えば、セバスチャンがやって来ていた。後ろから、朴訥とした赤毛の青年が続く。噂をすればというやつだ。


「ロイ!」


 マーシュリーがぱあっと顔をほころばせ、走って飛びつくと、ロイは逞しい腕でしっかりと受け止めた。キラキラとした祝福のオーラが舞っていて、眩しい。


「マーシュ!」


 少し日に焼けた顔は、笑うとクシャっと人懐っこい。狡猾さの一片も感じさせない陽だまりのような雰囲気は、マーシュリーと瓜二つで心洗われる。

 運命の相手とか、真実の愛とか言うのは、きっとこんな二人のことを言うのだろうなと思う。


 ロイは照れ臭そうに、ペコリとこちらに向かって頭を下げる。


「レイ兄さま、ロイに庭を案内しても良いですか?」


 はしゃぐ妹に、レイ兄さんはやれやれと言う顔をして頷いた。


「ロイは着いたばかりで疲れているのだから程々にね。ロイ、また夕食の時に」


 マーシュリーはロイの手を引っ張り、部屋を後にする。扉が閉まると、レイ兄さんはふう~と一息ついた。


「すまないね、落ち着きがなくて」


「いえ」


 私たちはソファに落ち着くと、兄はポテチを、クリスはカップラーメンを食べ始めた。私は新しく淹れてもらったコーヒーを啜る。


「で、マーシュリーの友達のことだっけ?」


 兄はどうしたもんかと目線を私に投げてよこすが、当のマーシュリーが開けっぴろげに振る舞っているのだ。彼女とてポワンとしているが馬鹿ではないので、無闇に「友達が」などと口にしたりしない。


「私たちにも確証はないのよ。あれはたぶん、ね。兄さん?」


「ああ、あの子は恐らく――――精霊の愛し子だ」


 その瞬間、クリスがゲホッとカップラーメンを噴き出した。


「精霊の愛し子って、伝説か小説のなかの話じゃないんですかっ……ゲホッ……」


 私は「キタナイな―」と布巾を持って来て、零れたラーメンスープを拭く。


「何を今さら。異世界召喚も異世界転生もあり得るんだから、不思議じゃないでしょ? 六十年前まで魔法も魔物も存在してたんだし」


「そ、それはそうだが……」 


 精霊の愛し子。精霊に愛されし者は、彼らに守護され、大地の豊穣が約束される。ゆえに精霊の愛し子を持つ国は栄えるが、見捨てられた国は衰退する。愛し子を傷つけた者も同じ。精霊たちの報復が待っている。


「あなただって見たでしょ? 第三王子の護衛騎士がコケて立ち上がれなくなるのを。昔からあの子の周りではああいう事が頻繁に起こるの。運がいいだけでは説明できない。危険を回避したことも一度や二度じゃないわ。ねえ、兄さん?」


「そうなんだ。マーシュリーの耕す畑は、いつも他の畑より豊作だし、こうしたほうがいいと言うアドバイスや警告は必ず当たる。不思議に思って本人に聞いてみたら、『()()()が教えてくれる』と言うんだ。彼女には精霊が見えるらしい」


「舞踏会ではヒヤヒヤしたわ。兄さんがすぐにマーシュリーを連れ出してくれたけど、あれ以上断罪が続いたら、何が起こるか分からなかったもの」


 陛下の土下座と第三王子たちの平民堕ちで済んで、感謝してほしいくらいだ。

 以前、マーシュリーの出席した茶会で、彼女の可憐さに嫉妬して嫌がらせした令嬢たちはもっと悲惨だ。顔に怪我を負ったり、事故に遭ったりして、女性としての人生が台無しになった者すらいるのだ。

 悪い噂が立つ前に領地に引きこもることになったので、彼女に貴族令嬢の友人はいない。不憫に感じることもあるけれど、私たち家族やロイもいるし、常に精霊たちがいるので寂しくないらしい。まっすぐに育ってくれて本当に良かったと思う。


「彼女が敵でなくて…………良かった」


 クリスが呆然と漏らした本音に私は笑う。


「だから言ったのよ。彼女は私たちにとって()()なんだって」


「クリス君が、聖女のスキルを利用してやろうと邪な気持ちでサラに近づいていたなら、マーシュリーに気に入られることはなかっただろう。それで、どうする? 本国に報告するかい?」


ポテチを食べながら、眼光鋭くクリスを見やる兄は締まりがない。麺をズルズル啜りながら応じるクリスも同じだが。


「いや、報告の必要はないでしょう。精霊の愛し子の存在を知れば、欲しがる国は後を絶たない。だけど彼女はここを離れたがらないだろうし、攫ったり、手出しをすればどうせ返り討ちに遭うんでしょう? なのにそういう馬鹿は必ず一定数は出てくる。被害が大きくなるだけだ。黙っているに限る」


「話が早くて助かるよ。世の中、平和なほうがいいからね」


 さて、と兄はポテチの袋を空にすると、パンパンと手を払い「マーシュリーのデビュタントのやり直しのこともあるし、いろいろやる事があるから」と部屋を出て行った。


 クリスと二人きりになると、ソロソロと私の隣にやって来て手を取り、掌にキスをする。あれ以来、彼はしきりに私の手に触れたがる。


「こうするのが夢だった」


 そう言って、いつも堂々としている帝国の皇子ははにかんだ。


読んでいただき、ありがとうございます。

次で最終回です。

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