04
所変わって、王宮の別室。密談のための場で、陛下は頭より尻を高く上げて、ひれ伏している。
この国のトップにあるまじき情けない姿を、私はクリスと共に静かに見下ろしていた。
あの後、第三王子とプリシラ嬢は騎士たちに引っ立てられ出て行った。
「兄さんの時は大丈夫だったじゃないか! なんで俺が農業なんてしなきゃならないんだ」と王子が文句を言ったので、「農業ではなく畑を作るための開墾作業です」と告げたら、彼は言葉を失い、プリシラ嬢は青くなって泣き始めていた。
開墾作業はキツイ。貴族令嬢に耐えられるだろうか。しかし、殿下の真実の愛がきっと彼女を救ってくれるはずだ。
平民になった彼らもいずれ綿花畑を耕すことになるが、妹のマーシュリーだって日頃、庭師のロイと一緒にこなしていることなのだ。この国の多くが農民として慎ましく暮らしているというのに、農業をバカにするにも程がある。
ちなみにチヨ姉さんとの婚約を破棄した第二王子は、王子のままである。
だから大丈夫だと第三王子は考えたのだろう。だが、あの時は断罪はなかったし、王子でいることが男色のあの男にとっては罰になるので、敢えてそれを科したのだ。
臣に下れば、一生独身でいることも好いた相手と添うことも可能だが、王子ともなればそうはいかない。
愛しい男を側近として傍らに置きながら、彼の目の前で妻を娶り、子を成すことを強要されるだろう。王子妃には、他国の王女があてがわれる予定であり、断ることも妃を冷遇することも決して許されない。そういう相手だ。
私は隣のクリスをチラリと見る。彼が頷いたのを確認し、「ま、いいでしょう」と声を掛けると、陛下がやっと顔を上げた。
「本当に申し訳ない。マーシュリー嬢の縁談はこちらで――」
「いえ、結構です」
陛下が妹の縁談の面倒を見ようとするのを即座に断る。
婚約破棄は女性にとって不名誉であり、縁談の妨げになるので配慮したのだろうが、我が家の天使を他所に嫁に出す気はないので要らぬお節介である。
「そ、そうか……」
「婚約破棄と冤罪については、スメラギ家は王家の正式な謝罪を受け入れることといたします。ですが、公の場でマーシュリーをさらし者にし、デビュタントを台無しにした罪は別ですわよ、陛下?」
私が一瞥すると陛下は額の汗をハンカチで拭い、いっそう小さくなった。
「も、もちろんだとも。デビュタントのやり直しのほか、要望があれば叶えよう」
今日の陛下は気前が良いようだ。隣にクリスがいるからだろう。
私は心の中でほくそ笑む。
「我々は、マーシュリーの新たな婚約者を早急に決めるつもりです。相手は、王子との婚約前に候補だった者になるでしょう。その者にも義兄イアンと同じ対応をお願いしたいのです」
暗に相手が平民であることと、『お前の我が儘で二人は引き裂かれたんだぞ』と匂わせると、陛下は良心の呵責を感じたのか、伏し目がちになりながらも頷いた。
なお、平民だったイアンは結婚祝いに伯爵位が授けられている。
「あいわかった。イアン殿と同じ伯爵位を授与しよう。領地の希望はあるか?」
「出来ましたら、スメラギ領に隣接した南側を」
「あそこか――王家の直轄地になっているゆえ、問題はないだろう。承知した」
私は満足して微笑んだ。これで祖父母の機嫌も直るだろう。頭の痛かった問題が解決し、ようやく胸のつかえが下りた。
「くれぐれも妹のデビュタントでは侮られぬようお願いします。 彼女は祖父母の大のお気に入りです。次に何かあれば、わたくしでも取り成しは出来かねますから」
最後に念を押されると陛下は神妙に頷いた。そして、クリスに声を掛ける。
「愚息のために、クリスティアーノ殿下のお手を煩わせることになり、申し訳ない」
「いいえ、私は彼女のエスコートをしていただけですから。ねえ、サラ?」
クリスは私の手を取り、にっこりと笑う。
それを見た陛下が、ソワソワと言いづらそうに口を開いた。
「その……やはり、お二人は、そういう事なんだろうか? サラ嬢に国を出られるとこの国としては痛いが、お相手がクリスティアーノ殿下では如何ともしがたいというか、なんと言うか…………」
はて、そういう事とはどういう事だろうか? 私が国を出る? 国どころかスメラギ領を出る予定すらない。
私は首を傾げた。陛下の真意を率直に尋ねようと言葉を発する前に、クリスがグイと私の腰を引き寄せる。
「そういう事なのだが、まだ正式に決まってはいないんだ。私としては国に連れて帰りたいけど、彼女は仕事をしているだろう? それもなかなか興味深い。間もなく帝国の継承争いに決着がつく。ここだけの話だが、私が第一皇子派につくことで、彼が次の皇帝になるはずだ。そうなれば私は自由だ。この国に住むのもいいのではないかと考えている」
「本当ですかっ?」
そういう事がどういう事なのかをやっと理解した私が仰天している間に、陛下がうわずった声を上げている。
帝国の皇子と縁を持てるのが嬉しいのだ。しかも、第一皇子を皇太子へ押し上げた功労者である。
「本当だとも。その暁には、先程の……そうそうイアン殿と同じ配慮を私にもいただけるのだろうか?」
何を言い出すのだとクリスを見上げようとして、視線をずらすとサファイヤのタイピンに気づく。奇しくも私のドレスはブルーで、サファイヤの耳飾りをしている。ブルーは私と兄の瞳の色であり、クリスの瞳の色でもあった。
あ、と思う。これで勘違いされたのか。
彼の衣装を用意したのは家令のセバスチャンだ。後で注意しなくては。
「もちろんですとも」
そうこうしているうちに陛下はもうウキウキで、私が嘴を容れる間もなく話はついていた。
「では、その時はよろしくお願いします」
私は帰りの馬車の中でクリスに吠えた。彼は、ずっと私の手を離さず隣に座っている。
「ちょっとクリス、どういうことなのっ?」
「どうって……そういう事だけど」
「真面目に答えてよっ」
私は腰を浮かすと揺れる馬車にバランスを崩した。
危うく転がりそうになるのをクリスに抱きとめられ、腕の中に閉じ込められた。
「まさか君は、まだオレの気持ちに気づかないのか。学生の時からこんなに尽くして来たのに?」
「尽くして来た?」
「帝国劇団の特別公演チケットも、協奏楽団の夏の限定チケットも、ロイヤルバレエの招待券も、帝都美術館の未公開エリア鑑賞も、人気の歌姫ナタリーの十周年記念公演の最前列の席も、一流バイオリニストのマークレイを誕生日パーティーに呼んだのも…………」
まだまだ身に覚えはあるが、きりがないので私は割って入った。
「皆にしてるんだと思ってたわ。それに副社長になってからは、仕事の一環だと」
「君のために決まってるだろ」
「ごめんなさい。はっきり言われてなかったから分からなかったわ」
そう言って私は彼の腕から逃れようとするが、びくともしない。それどころか益々腕に力がこもった。
彼の胸に顔を埋めると、ベルガモットのほのかな香りが鼻をくすぐる。
「悪いけど、今世で結婚するつもりはないの」
「知ってる。前世は仕事で忙しくてすれ違いだったんだろう? 毎日頑張ってるのに労わりもせず、掃除や料理が手抜きだと文句を言ってた最低夫のことなんて忘れてしまえよ。サラは頑張ってる。仕事はいつも全力投球だし、部下への気遣いも細やかだ。家族のことも、今だって一国の王を相手に大したもんだ。そのうえ、オレを敵襲から守ってくれた。充分すぎるほど、よくやってるよ」
私は目を見開く。初めて自分を認められた気がした。
いつも時間に追われ、やってもやってもするべきことが多すぎて片付かなかった。どれも完璧には程遠く、中途半端で劣等感に苛まれる。
埃の積もったテレビ台、すぐ満杯になる洗濯カゴ、料理の後は鍋を洗う気力がない。寝不足でボロボロな肌と髪。四十路が近づき、年々衰える容姿に夫は不満げだ。「何をやらせてもだめだ」とも言われた。
鉛のように疲れた体。スーツを着て、ゴミ袋を持ってバタバタと玄関を出る。そんなオバサンがファッション誌だなんて、他人から見たらお笑い種だ。
私は複数のことを同時にこなせるほど器用じゃない。ならば今世は仕事に生きようと誓った。
「もっと肩の力を抜け。重荷があるなら分けろ、背負ってやる。オレにサラの力になる権利をくれないか」
気づけば私は泣いていた。
思えば、クリスにはずいぶん助けられた。歌姫カロリーヌ嬢のインタビューもそうだが、金の力で買収したこの出版社が、以前からの従業員の反発やゴタゴタもなく統制され、私が編集の仕事に集中できているのは彼のお陰だ。
彼のシャツに涙が滲むと、クリスは私の額に、瞳に、両側の頬にキスの雨を降らせている。
「嫌なら、お得意の結界で弾き飛ばしたってかまわないよ」
私が彼を傷つけるようなことはしないと知っているくせに意地悪だ。
それに聖女の結界は守るための力だ。弾き飛ばすためじゃない。
「そんなことできっこないじゃない」
言い終えたとたん、口づけが落とされた。
私は目を閉じ、彼の唇を受け入れた。




