03
デビュタントは貴族女性の憧れである。
初めての舞踏会は、それとわかるように白いドレスを身に纏い、陛下に祝いの言葉を賜り、王妃から髪に花を挿していただいてからパートナーとダンスを踊るのが習いだ。貴族令嬢にとって、一生に一度しかない社交界デビューであり、淑女として認められる大切な記念日である。
チヨ姉さんは当時第二王子の婚約者だったが、病気だとドタキャンされたためレイ兄さんがエスコートを務め、婚約者のいない私の時も兄さんがエスコートしてくれた。
そして本日、第三王子が迎えの馬車を寄こさなかったので、またもや兄さんがマーシュリーのエスコートをしている。
突然の「幻の貴公子」の登場に、令嬢方のどよめきがさざ波のように広がっていった。
「お兄様は、人気がありますのねぇ」
マーシュリーは感心したようにのんびり呟いているが、彼女の美貌に先程から男性陣の視線が釘付けである。
本当は、兄さんのパートナーは私だったのだが、今回はクリスのエスコートを受けて出席することにした。
やはり妹の晴れ舞台は、この目に焼き付けなければ。
結局、第三王子はマーシュリーにドレスを贈ることはなく、チヨ姉さんの用意した三着の中から選んだ。
繊細なスズランの刺繍を施したドレス、細やかなレースが美しいドレス、華美な飾りはないが生地自体に光沢があるシンプルなドレス。
どれも彼女に似合っていたけれど、なかでも光沢のあるシンプルなドレスは圧巻だった。これは外国から取り寄せた最上級のシルクで、まだ市場に出回っていない。さすがチヨ姉さんだ。
マーシュリーも「友達もこれがいいと言っている」というので、そのドレスに真珠のネックレスと耳飾りを合わせることにした。まさに白い天使のようだ。
だというのに、この第三王子は!
女連れで会場に現れた挙句、マーシュリーの前までやって来るなり高らかに叫んだのだ。
「マーシュリー・スメラギ、私は真実の愛を見つけた。よってお前との婚約を破棄する!」
礼を執ろうとドレスの裾を摘まみ腰を落としかけた私は、驚きのあまり動きを止めた。
会場も水を打ったように静かになっている。
二度あることは三度ある。
公衆の面前で婚約破棄とは、第二王子、リットン元伯爵令息に続く、スメラギ家三度目の屈辱である。よりにもよって、我が家の天使マーシュリーの晴れ舞台で。
レイ兄さんは渋い顔だし、マーシュリーはポカンとしている。私は怒りがふつふつと沸きあがり、隣のクリスは「落ち着いて」と小声で必死に私を宥めていた。
「あ……」と我に返ったマーシュリーは、ふわりと笑みを浮かべ優雅にカーテシーをする。
「婚約破棄、喜んで承ります」
「喜んで」という言葉がいけなかったのか、心底嬉しそうな笑顔が癇に障ったのか、第三王子はカッと顔を赤らめると怒りを露わにし始めた。
「喜んで」も「謹んで」も文字面として大差はないのに、器の小さな男である。
「そもそも最初から気に入らなかったのだ。スメラギなんて新興の貴族と縁組するなど。その点、プリシラはれっきとした貴族だ。私は彼女を妃にする」
第三王子はそう言って、自分の腕に絡みつくストロベリーブロンドの令嬢に微笑みかけた。
なるほど、彼女が真実の愛とやらの相手らしい。
私の記憶が正しければ、プリシラ・オルセン子爵令嬢、第三王子と同じ王立学園の生徒である。たしか、オルセン子爵と平民女性との間に生まれた庶子だったはずだが、彼からするとれっきとしているのだろう。
「それからマーシュリー、お前は私の愛するプリシラに嫉妬し、数々の危害を加えたな?」
第三王子はこちらに向き直ると、ギロリと睨んでありもしない罪状を口にし始めた。
マーシュリーはずっと領地にいたというのに、この男は何を言っているのだ。
私は怒りのあまり思わず力を込めると、クリスの腕に指と爪が食い込み、彼の体がビクンと跳ねた。
「殿下、何のことでしょう?」
眉を寄せこてんと首を傾げるマーシュリーに代わって、レイ兄さんが応じた。
「とぼけるな。プリシラの教科書を破いたり、池に突き落とそうとしたり、階段から突き落とそうしたのは分かっている」
「そうですわ。わたくし本当に怖かった……。学園の階段から突き落とされそうになった時は、死ぬかと思いました」
第三王子が憤れば、プリシラ嬢も泣きながら訴える。肩を震わせ涙を流す姿は庇護欲をそそる。
そそるけれども…………頭は悪いようだ。
「フン、くだらない。マーシュリーは学園の生徒ではない。ずっと領地にいて、デビュタントのために王都へ来たばかりなのだ。このような冤罪をかけられるなど、到底受け入れられない。私たちは失礼させていただく。正式な謝罪があるまで、スメラギ家は王家と縁を切る」
レイ兄さんは怒ってしまい、「さ、行こう」とマーシュリーを伴って出口へ足を向けた。
「おい、待てっ」と第三王子が護衛騎士に合図し阻止しようとする。が、追いかけようと騎士が小走りになった途端、足が絡まり転んでしまった。その拍子に腰を打ったのか、起き上がれない。
クリスが目を丸くして私を見るが、首を横に振った。私には結界を張ることは出来きても、都合よく転倒させることは無理だ。
しかし、マーシュリーは運が良いので、こういうことはままある。今も第三王子の権限で動かせるのは、この護衛騎士だけ。他の騎士は、陛下の命令がなければ動くことはない。
レイ兄さんはこうしている間にもマーシュリーと共に去っていった。「あとは任せた」そう私に言い残して。
兄の後ろ姿に「本当に幻ですのね……」と令嬢たちは吐息する。
私は二人の前に出た。兄に任された今、スメラギ家当主代行は私であり、すべての権限を有することになる。
「殿下、スメラギ家としてこの婚約破棄を受け入れます。しかし、プリシラ子爵令嬢の件については身に覚えのない事でございます。学園の生徒でもなく、ずっと領にいた妹マーシュリーに危害を加えることなど不可能です」
毅然と言い放つと第三王子は顔を歪めた。
「だが、当の本人が証言しているのだ。彼女が嘘を吐くはずがない」
なお言い募ろうと口を開きかけると、耳元でクリスが「貸し一つね」と囁き前に出た。
「私が証言しよう。スメラギ侯爵家マーシュリー嬢は、領より王都にやって来てから、屋敷の外に出ていない。マーシュリー嬢には無理だろう。私は現在、スメラギ家に滞在している。このクリスティアーノ・サント・ディ・ロベッタの証言が信用出来ぬなら、しかるべき証拠を示してもらおう」
クリスの名乗りに会場は一瞬ザワリとし、それぞれにその場で礼を執る。
彼が身を明かしたということは、本気で貸しを作る気のようだが、こちらは命を救ったのだし貸し借りナシということでいいのではないだろうか。
などと細かいことに気を取られていると、プリシラ嬢が潤んだ瞳でクリスを見つめ、泣き落としにかかりそうな気配がしたので、いちおう釘を刺すことにする。
「プリシラ嬢、確たる証拠なくロベッタ帝国第六皇子の証言を覆し、虚偽を述べればお父上であるオルセン子爵の首が飛びますよ? 文字通り物理的に」
プリシラ嬢の涙がピタリと止まった。
分が悪いと感じたのか「あの、その………」としきりに目を泳がせている。
第三王子の妃の座を得るため、ライバルであるマーシュリーを蹴落としたかったのだろうが、残念ながら相手が悪い。
西の隣国、ロベッタ帝国は強大だ。軍事力も桁違いで、聖女の防御結界でようやっと敵の侵攻を防いでいるこの国とは格が違う。
しかも帝国は実力主義だ。六番目の皇子でも優秀なクリスが皇太子になる可能性は十分にある。つまり、この第三王子なんかよりもずっと身分は上なのだ。
さらに今、国防を担うスメラギ家当主代行と一緒にいるということは、私の気持ち一つで結界が消滅し、帝国の侵攻を許すことになる。
自国を危機に陥れている愚かな王子である自覚が、この男にあるだろうか?
「どうした、プリシラ? 嫌がらせをされたのだろう?」
プリシラ嬢がしどろもどろになると、第三王子もオロオロし始める。
それを見たクリスは「ちょろいな」と囁き、「でしょ?」と私も小声で返す。
先日まで帝位継承争いで切った張ったの命のやり取りをしていた身としては、さぞかし甘ちゃんに映るに違いない。
だがこの神輿の軽さがあるからこそ、我がスメラギ家は勝手気ままに振る舞えているともいえるのだ。
「殿下、もしまだお疑いなら王子の婚約者であるマーシュリーには、王家の監視がついています。彼らに聞いてください」
「その必要はない!」
私の訴えは、騒ぎを聞き慌てて駆けつけた陛下によって却下された。余程急いだのか息を切らし、到着するなり「あちゃ~」と言うような顔になる。
「王家は正式にスメラギ家に謝罪する。虚偽の発言をしこの場を騒がせたオルセン子爵家は平民に、第三王子は――」
「陛下」
咎められないことを承知の上で、私は恐れ多くも陛下の言葉を遮った。
「二人は真実の愛で結ばれており、離れ離れになるのはお可哀相です。 ちょうどスメラギ家では、綿花栽培を拡大すべく多くの平民を必要としております。殿下とオルセン家の方々に力を貸していただきたいのですが、いかがでしょう」
「承知した。では第三王子とオルセン家は平民として王家監視のもと、スメラギ家の綿花栽培に従事させることとする」
陛下はあっさり第三王子を見限った。