3.その他の記事について
ここからは、もうざっくりにさせてもらう。
どうせ、読まれないだろうから!(まあ、書きたいから書くんだけども!)
タイトルは一部のみ記載させてもらいます。
・八幡和郎さん、『「偽リベラル」の反発』
杉田議員は、優秀なネット言論のスターであるから、新聞などのメディアはそれを恐れているのだ、だからフルボッコなのだ、という言説。
まず、私はこの件が始まるまで、杉田議員を知らなかったので、スタァなのかは知らない。
ただ、過去の話をひも解くと「いろんなところに噛みつかれて、面倒な人」だとは思っているのかなとは感じた。
NHKとぶつかったりといったやつである。
だからといって、メディア・リンチをやっていいかといえば、それはダメなのだけれども。
それでも杉田氏の主張は「おかしくない」と割とあっさり肯定してしまうところは疑問である。
まあ、前のエッセイでも書いたけれど、「一見、問題なさげに見える」ので、問題ないと読む人もでるのは致し方ないのだけど。
そんなもんかー、という感じだ。
その後は、批判があまりにもひどいということを書きつつ。
杉田議員をひたすら持ち上げている。
まともな批判の存在をあげつつも、彼らの主張については特別触れず、彼らと違って、杉田サンのいいところは『現場主義と、イデオロギーや政治的立場から生じる損得にこだわらない柔軟な発想と現実性』と述べている。
まあ、良くも悪くも「自分の直感と、主観に素直である人」であることには間違いはないのだろうと思う。
それが今回は「素直に悪い方にだけ出た」のだろう。
少なくともLGBTのあの文章に、現実性はまったくなかったし、それは前のエッセイで嫌になるくらいに書いた。
むろん「LGBTを切り捨てる前提」で話を進めれば、「全部が現実的」になるのだから、あながち間違いでもないのか? いや、詭弁か。
しかし、柔軟な発想といえばいいけれど、「他人の意見を聞かない自分本位の人」とも言い換えることができるようにも思う。
崇拝してるか、批判してるか、だけで見え方が変わるといういい例のような気がする。
さて、ラストにもう一度「杉田氏TUEEE! だから、みんなは恐れてるんだ!!」が来て終了です。
フットワークが軽いのはわかったけれども、そこまで持ち上げなくてもと、ちょっと引いた。
これもLGBTの話からは離れていて、杉田氏がいかに素晴らしい人間かを書いただけのものになった。
これこそが、「伝わらない何か」の正体なのかもしれない。
不正をしている人をたたくことと、LGBTをたたくことは、別問題なわけなのだけど。そもそも「たたいてるって思ってない」ということが、やばいと思う。
問題が可視化されてない、という問題。
小川氏みたいに「もとから、きれぇだよ、あんな奴ら」って態度なら、はいはいそうですね、わかりますと言えるのだけど。
ほぼほぼ無関心な人が、「無関心なまま」、あの寄稿を受け止めてしまうのが、ぞわぞわする。
確かにLGBTに関わってる人は、利権関係なく「あの文章に否定的」だった人が多かったわけでしょう?
そこと、「問題なし」と判断した人たちの違いってなんだろうって思ってしまう。
どれだけ、当事者と触れてるかって話になっちゃうのかもしれんのだけど。
いや、でも杉田氏も同性愛者と親交があるっていうからなぁ。
ああ、問題を打ち明けるレベルでの親交があるかないか、なのかな。どうなのかな。
親交があったところで、「他人事」ってとらえることももちろんあるからなぁ。他人事なら、あの文章へは違和感はないかもしれない。
・KAZUYAさん 寛容さを求める不寛容な人々
ユーチューバーの方で杉田議員とは出演してもらったりというのがあったとのこと。
お。ああ、そうか。
会って話をしている人からすると、「杉田議員>>>>LGBT問題」であって、記事の印象というのはガラっと変わるのかもしれない。
どっちとより親しいか、によって優先順位は変わるって話なのかも。
もちろん炎上の中にはひどいものもあったというけど、それは杉田議員と会ったことがない、あの記事「どころか」、「ネットでちらっと出ただけの情報だけ」というのは、杉田議員の人となりというものを盛大に勘違いしたまま、虚像を作ったのだと思う。
「それはそっくりそのままLGBTにも言えること」なんだけれど、そこらへんはみなさんわかってるだろうか。
わかんないか。そうか……
LGBTっていう名前の虚像をみんな見てて、本人達みてなくね? っていう話なのだけれどもね。
さて、それはそうと、「こういう騒ぎかたって、LGBT腫物扱いにならん?」っていう意見は、まあ正解だろうと思う。
でも、起点である尾辻さんも同性愛者だし、LGBTがちゃんとその騒動の中にはいたのは確かなんです。
ただ、あまりにも意見が少ない。
なんで言えないかは、別の項目でも書いてるけど「それがカミングアウトにつながっちゃう」からです。
かといって、ネット掲示板とかで匿名となると、信ぴょう性ががくんと落ちるし。
そして、うまく言葉にできないという……orz
私は24条変えちゃいなヨ! って普通に前から言ってるわけだけれども。
ここらへんの発信ってあんまり見ないですよねぇ。
さて。そんなわけですがさすがにユーチューブやってるだけあって、視聴者さんからのコメントをいろいろ聞いてるそうです。
そこでは「それぞれ考えが違う」という話がありました。
「普通に静かにくらしたい」が多かった。とも書かれています。
きっと普通の立ち位置も違うんだろうな、とも思ったりしてしまう。
人によっては「後ろ指さされないのが普通」という人もいるだろうし、「異性愛者のように結婚できるのが普通」という人もいるだろうし。
普通って単語、割と変動制だよねって思います。
「ことさら特別扱いしない」というのはもちろん賛同するところだけれども、特別扱いしないために何が必要か、という議論は必要になってくると思う。
・NHK批判の話は……あっさりと。
この人NHK嫌いな人だというのが伝わってきました。
もちろん事実無根、個人攻撃はダメだとは思うけれども、言論の自由と、批判される覚悟はセットなはずだ。
今回は、規模が大きく「批判にもなってない」ようなのが混ざったから、被害者のように見えるかもしれないけれども。
批判も許さないというのであれば、それは言論の自由の封殺である。
批判も言論なのだから。
あれ。ってことは批判になってない炎上も言論の自由になる? え、さすがにそこはなぁ……ああでも「聞き流す自由」はあるから、たとえ言ったって不毛ならさすがに不毛だって思われるものかな。
しかしNHKバッシングに終始して、しかもキリスト教まで持ってきて批判するというのは、やっぱり引いた。
ユーチューバーの方にもうちょっとページを上げたほうがよかったのではないかとすら思った。
・藤岡信勝さん LGBTと「生産性」の意味
一番トップページに書いてあったけど、これではラストにしました。
だって、長くて堅そう……
まあでも、「生産性」って言葉はこういうことだったんだよ! ということで、寄稿について触れてるのはよいかと思います。
また「論自体に違和感はなかったが、反論がある人は各論点で議論すればいい」という言い分も大いに頷けた。
最初に読んでおけばよかったとちょっと反省した。ごめんなさい。
「生産性」発言は、尾辻氏の言い換えの「子供を持たない、もてない人間は生産性がない」とは杉田議員はいってませんよ、ということだった。
まあ、私もここに関しては、するっとそうですねー、でスルーしちゃったので、あんまり興味はないのだけど。
ううん、要約すると多分ゆがむから、これも本文読んでくださいになってしまうけれども。
私から言わせれば「LGBTの人たちについて、生産性がない」ということがセーフなのかどうかは、疑問だったりする。
もちろん、そこに「子供を持たない、もてない人全部」が含まれてないといいたいのだろうけれども、じゃあLGBTが子供を持つ支援をする必要はない、ということかい? と改めて思った次第だ。
「子供を作る能力」としての「生産性」はない、当たり前だ、と私は前のエッセイで書いたけれど、子供はあきらめてください♪ しかもその生育環境も支援するきはありません、と言い切られるのはなんとも切ない。
レズビアンの人は、子供もてる可能性は十分あるんだけどねぇ。
次は、竹中久美子氏の批判を扱っておいでです。
LGBTは生産性あるんやで! という意見に対してなのだけど、これは私もわかんないかな。
同性愛の男性のオバは男性同性愛の遺伝子を持ってるって話は、わかるけど「同性愛遺伝子」ってまじであるのかね。
それとやっぱり生産性とは関係ないお話っていう話は正しいかと。
そして上野千鶴子氏の「再生産」論。
おっと、重鎮きた。ジェンダー系の人だ。
生産性という言葉そのものがケシカランという意見というのは、「なるほど人間を生産物のようにいうな」という言いぐさだろうか。
その視点がごっぽり抜け落ちてたわ……
そうか、だからみんなあんなに怒っていたのか。(変な納得をしてしまった)
さて、また出てきたマルクスさん。有名人だな。彼は人の出生を「生産」と呼んだのだとか。
そして上野さんもまた、生産と呼んだことがあるのだそうで。
でも、そんなん「デモに行った人誰もしらん」て。
改めて「そっちも糾弾しないとおかしい」って言われても、んだば、いまから上野さんちにいぐべ、とはならないよね。
ここまで話しつつ、話は「同性婚否定」へと流れ込む。
ふむ、この方はどうやら「婚姻制度というものは、子供を再生産するためのもの」であり、同性婚を認めるとそれが揺らぐ、ということを言いたいようだ。
というか「誰かを保護することはそれ以外のものを排除することだ」という言説が、ピンとこない。
日本的発想では、二択を迫られたら「いいや! どっちも救うっっ!!!」がデフォルトだと思うのだけど、どうだろうか?
同性愛者が婚姻関係になろうと、異性愛者の婚姻はそのまま変わらないのではないだろうか。
可能性として、同性婚が可能になったのなら「偽装結婚をしている夫婦」なり、「同性愛者だけど、隠れゲイの人が、離婚をする」というようなことは起こりえるかもしれない。
ただ、全く無関係のカップルまでが、それに引きずられるようにして婚姻関係を引き裂かれるというのが想定できない。
アメリカの議論だから、なのかもしれないけれども。
そして、氏は「婚姻制度の廃止」の方向に行くというようなことを言っている。
わからない。心底わからない。
宗教観から来てるものだろうか。
日本のLGBTは割と保守的だと思うし、婚姻制度ぶっこわそうなんて話にはならないと思うのだけど。
出だしがアレだっただけに、ちょっと期待したのだけど、最後がよくわからない展開になってしまいました。
どうして、論壇の人って同性愛って危険! っていうのか、本当に謎すぎます。
というか、トランスの人はもうオペ終わって戸籍変えれば結婚だってできんですよ? 実際婚姻関係結んでる人もいる。
そして、性別の移行手術ってのは、「単にぶったぎるだけ」のもので、性転換するわけじゃあない。
そっちはOKで、同性愛はダメっていう理屈がどこにあるのか。
婚姻システムの破壊は確かに脅威だけれども、「どういうメカニズムでそれが起きるのか」、詳細がわからなさすぎて、どうにも納得いかない。
総括して、私の中で見えてきた「LGBTを取り巻く問題」というのは大まかに三つ。
1.LGBT利権をめぐるなにかはあるかもしれない。
2.LGBTは穏やかに普通に生きたい。みんなの仲間に入りたい。
3.けれども同性婚を防ぐ力が働いている。
これ。
2.は特に今回感じたことなのだけど、「一般社会の中には居るけれども、その中に入ってるように見えない」ってことで。
表面上は付き合えるけど、一線は越えられないみたいな感じです。
ま、異性愛の人とは結ばれないのだから、そこだけはあきらめねばならないポイントなのだろうけれどね。
3.は上述のアレです。
なんだろう。同性愛が認められると異世界の門が開くとか、んなことはないですよねー。
RPG的な感じで、同性愛を阻害するなにか、しくみみたいなのあるんでしょうかね。
まあ、変な中傷はしないってのと、相手の話はちゃんと聞いて、それで議論しましょうって感じで。
やったー! おわったー! 読破っ。
いやぁ、なんか頭痛くなってきましたわ。
ほんとマジで、ファンタジー書きたいですって。
でもやっとこれで新潮の呪縛から逃れられるってなもんです。やたっ。
なら書くなよって感じなんだけれども、フィールドワークであるからしてですね。
はい、お付き合いいただけた方には感謝申し上げます。長々とスミマセン。