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第十二話 透視能力者グリモルド

「目的は移住ですか。」

ガーディアンが書類をめくりながら尋ねる。

「ええ、田舎はどこも不景気でしてね。いっそ、出て来たらどうだって友人が誘ってくれたんですよ。」

「ご友人・・・この身許引受人のジョナサン・アップダイクさんですか?」

そう言いながら、ガーディアンは書類から目を上げる。

「ええ、そうです。子供の頃からの友人でしてね。」

再び書類に視線を落とす。

「勤務先は・・・キャピタル運輸ですか。貴方もこちらへ?」

「はい。ジョンの紹介でそちらにお世話になる予定です。」

その時、男の背後で声がした。

「よう、ケイ。今帰ってきたのか?」

その瞬間に目の前の男が肩を軽く震わせたが、ガーディアンは書類に目を通していて気付かなかった。

「ああ、今カナダから帰って来た所だ。サーリム。こいつは保安局のパット・オコーナーだ。パット、こいつは俺の弟子のサーリム・マンスールだ。」

男は振り返らない様に自制しながら、背後の会話に耳をそばだてる。

「はい、結構です。」

そう言いながらガーディアンが書類を差し出したが、男は気付かなかった。

「どうしました?スミスさん。」

一瞬の遅れがあり、自分の名が呼ばれた事に気付いた男は、その場を取り繕う様に愛想笑いを浮かべて書類を受け取る。

「失礼しました。ちょっと考え事をしていたもんで。」

「後は、1ヶ月以内にキャピタル運輸から在住許可申請の手続きを出して貰って下さい。」

「判りました。」

そう言って書類を鞄にしまうと、軽い会釈をして歩き出した。

はやくこの名前に慣れなければ、ちょっとしたへまで襤褸を出してしまいかねない。

いずれにしても、当面の課題はこの町に溶け込む事だ。

ケンジントンの一住民リチャード・スミスになりきってからでないと、次のステップには移れない。

そのための準備期間は、年単位となるであろう。


ケイはケンジントン中央駅の改札を抜けると、サーリムに言った。

「俺は局に顔を出して来るから、先に帰っていろ。」

「うん、判った。」

そして二手に別れて歩き出したが、少し歩いた所でケイは振り返り、サーリムが官舎とは違う方向に向かっているのを見て、ニヤリとした。

あっちは、禁書館である。


サーリムは、荷物をぶら下げたまま禁書館に入った。

エントランスで一旦荷物を降ろし、何処へ探しに行こうかと思案し始めたとき、その手間が省けた。

「あら、サーリム。お帰りなさい。」

「や、やあ、マギー。みんな元気かい?」

マーガレットは、苦笑気味に答える。

「ええ、みんな元気よ。」

何しろサーリム達が出発したのは、ほんの一週間前なのだ。

サーリムはぎこちない笑顔を保ったまま、必死に話の継ぎ穂を探そうと頭を絞っていた。

なぜか(本当の理由は薄々判っているが、少女は敢えて気が付かない振りをしている)マーガレットを訪ねてくる監査官見習い達は、彼女の前では殊更にさりげなく振る舞おうとして、却ってぎこちなくなる。

彼等は概して知的に早熟なので、まだ13の子供(そう思って見下ろしている彼女自身が15歳でしか無いのだが)だからといって、年相応に無邪気ではいられないのだ。

その様子を見かねたマーガレットは、歳上らしく自分から話を振った。

「今度は、カナダだったっけ?」

「うん。」

「どんな所だった?」

「向こうは、もう雪が積もってた。綺麗だったよ。」

ようやく、話題が見付かったサーリムは、堰を切った様に自然や街の様子を語り出した。

マーガレットは、微笑みながら相槌を打っていた。

一頻り語り終えたところで、サーリムは言った。

「あ、そうだ。」

そうして、いかにも今思い出した風にさりげなく(と思っているのは本人だけであるが)荷物を開き、一番上に水平に乗せられている布の塊を取り上げると、その塊(どうやら布はアンダーシャツのようだ)を丁寧に開き、平たい紙包みをそっと取り出した。

「はい、これ。」

「あら、何かしら?」

そう言いながら、満更でも無い様子で、包みを丁寧に開きはじめた。

監査官見習い達が出張する度に争う様に土産を買ってくるものだから、もうマーガレットの部屋のクローゼットは一杯になっている。

父親のサムは面白くは無いようだがそれでも苦笑しながら見守っており、時折「こりゃ、収蔵庫に『マギーへの土産物』コーナーを作った方が良いかも知れんな。」と冗談を飛ばしている。

マーガレット本人もいい加減食傷気味ではあるが、それをおくびにも出さずその都度嬉しそうにして見せる。

結局、みんなマーガレットの笑顔を見たいのである。

「適当に突っ込んだから、壊れてなきゃ良いけど。」

と素っ気ない様子で言ったが、今の荷物の様子はとても『適当に』入れた状態ではなかったので、マーガレットは吹き出しそうになった。

中身は、薄茶色の半透明な板で、森を背景にしたトナカイのレリーフの様である。

「まあ、綺麗。」

「カエデ糖だよ。良かったら食べて。」

少年は、あくまでさりげない風を保とうとしている。

マーガレットの事情を理解した上で、綺麗だが後に残らない物を選んでいるのだ。

13歳にしては、大した気の廻し様ではある。

「有り難う。でも食べるのが勿体ないわね。まあ夏までは持ちそうに無いから、しばらく飾ってから食べる事にするわ。」

マーガレットの笑顔を見たサーリムは、今度は本当に笑った。

そこへ、同じく官見習いであるチャンとベル、フィンの三人が入ってきた。

「マギー、ランチに行かないか?」

どうやらサーリムは緊張していたので、正午の鐘に気付かなかった様だ。

マーガレットはサーリムに訊ねた。

「サーリム、お昼は?」

「いや、まだだけど。」

「じゃあ、五人で行きましょうか。」

そこで、始めてチャン達はサーリムの存在に気付いた振りをして、その肩を叩きながら、口々にお帰りを言った。

隙あらば抜け駆けをしようと考えているのはみんな同じなので、怒るわけにはいかない事は全員が理解しているのだ。


ケイとサーリムは、まだ午後も早かったがホテルのクロークでチェックインしようとしていた。

秋も深まっているというのに今日は珍しく日射しが強い中、ケイは敢えて駅を出てすぐのホテルを素通りし、かなり歩いた末にようやくこのホテルにたどり着いたので、サーリムは喉がからからであった。

昼食時間の終ったばかりで、ロビーには新聞を読んでいる男が一人居るだけだった。

男は周りの目を避けるかのように、コートの襟を立て、帽子を目深に被っている。

ケイがすらすらと宿帳にペンを走らせると、クローク係の男はちらりと目をやり、訊ねる。

「アマギ様とマンスール様ですか。当地には何泊のご予定で?」

その名前を聞いた男ははっとして顔を上げたが、ケイ達にとっては背後の出来事であったため気付かれる事はなかった。

「明日の朝一番で出発するつもりです。」

「かしこまりました。」

チャージを払って手続きを終えると、ケイが気軽な調子で訊ねた。

「この近くにグリモルドさんって人が居るそうですけど、聞いた事あります?」

コートの男は、ケイの背後でびくりと体を震わせた。

「ええと、『奇跡のグリモルド』の事でしょうか?」

「そうそう、多分その人です。」

「この辺りで『奇跡のグリモルド』を聞いた事が無きゃ、もぐりですよ。」

「そんなに有名な人なんですか。それで、どんな人なんですか?」

クローク係は、警戒するように身構えた。

「奇跡のグリモルドが、どうかしたんですか?」

ケイは笑いながら両手を振る。

「いや、別にどうしたって訳でも無いんですけど、ここへ商談に行くって友人に話したら、その近くにグリモルドって人物が居るから悩み事の相談に行ってみたら良いって言われたんですよ。」

クローク係は、破顔した。

「何か悩み事があるんでしたらそれは良いアドバイスですね。私は会った事がありませんが、グリモルドと言えば、何でも見透す千里眼の持ち主でありながら、変に勿体を付けたりしないで素直にアドバイスしてくれる誠実な人だってもっぱらの評判です。」

「ほう、そんな良い人なんですか。」

「ええ、隣街のクエルモで教団を運営していらっしゃいますが、誰にでも気軽にお会いするそうですし、謝礼もそんなに高い事は言わないと聞きました。」

「隣街でしたか。寄る暇があるかな?」

「まあ、お悩みでしたら、少々無理をしてでも会いに行く値打ちはあるようですよ。」

「ありがとうございます。」

ケイは礼を行って鍵を受け取り、部屋へ向かった。

勿論グリモルドの住むクエルモが隣街である事は、はじめから判っている。

近くの街で下車してそれとなく噂話を集めるという、いつもの手なのである。


部屋に入ったケイは、荷物からグリモルドの申請書を引っ張り出した。

申請対象となる奇跡は『千里眼』であり、証明手段の一つとして『蓋を閉じたまま懐中時計の針を読み取る』とあった。

二人は部屋を出ると、クロークで古道具屋の所在を訊ね、ホテルを出た。


古道具屋を訪ねたケイは、世間話の風を装ってグリモルドの評判を聞き出しつつ品定めをした末に、壊れた懐中時計とびっくり箱を買った。

金を払いながら、ケイは訊ねた。

「この辺りで、小麦粉が買える店はありますか?」

店主は、意図が判らず首を捻りながら答えた。

「さあ、多分はす向かいの雑貨屋ならあると思いますが。」

「ありがとう。」


二人がホテルに一旦戻った時、コートの男はまだロビーに座っていた。

二人は、部屋に戻ると何やら熱心に作業をしていたが、夕方になり作業が一段落すると、再びクロークに寄った。

「食事したいんですが、この辺で食べながら一杯飲れる店はありませんか?」

「それでしたら、1ブロック向こうの春風亭という店が評判が良いですよ。」

「ありがとう。」

二人がホテルを出てドアが閉まると、コートの男はようやく立ち上がった。


夕食の時間としては少々早目だったが、春風亭はもう大いに賑わっていた。

テーブルも少し空きがあったが、ケイとサーリムはカウンターに座った。

サーリムには定食を頼み、ケイはビールとスナックを注文した。

しばらくしてコートの男が入ってくると。一番隅のテーブルについた。

ケイは、ビールをちびちびと飲りながら、周りの酔漢達の会話に耳を傾けた。

「おう、大将。見掛けねぇ顔だな。」

隣で盛大に盛り上がっている一団から、赤ら顔の男が話し掛けて来た。

「ちょっと商談でね。」

ケイは気さくに応じる。

「この街は初めてかい?」

「ああ、活気があって良い街だね。」

男は鼻の頭を擦りながら、嬉しそうに応える。

「そうだろう、 そうだろう。ゆっくりして行けるのかい?」

ケイは苦笑いしながら答えた。

「そうしたいんだが、明日には発たなきゃならないんだ。」

「そりゃ残念だな。まあ、この店の生ハムは絶品だから、しっかり食って行ってくれ。」

ケイは、自分から話の糸口を探す手間が省けた事に感謝していた。

「とりあえず、お近づきの印に一杯奢らせて貰おうか。おい、こちらの皆さんにビールを一杯づつお出ししてくれ。あと、その絶品の生ハムってやつも頼む。」

男は舌なめずりしながら、相好を崩した。

「済まねぇな。おい、この大将が俺達にビールをご馳走して下さるとよ。」

男達は身を乗り出して、口々に礼を言った。

ケイは、サーリムが食べ終っているのを確認して言った。

「俺は、もう少し飲んで帰るから、先に戻ってろ。」

「わかりました。」

そう言って立ち上がった所へ、ケイが耳打ちした。

サーリムは頷くと、カウンターの中に向かってご馳走様と声を掛けて、店を出た。

コートの男は、その後に続いて店を出た。

男が店をでてみると、路上にサーリムの姿は見当たらない。

しばらく辺りを見回していたが、項垂れて店に戻ろうとした。

「何か用ですか?」

突然背後から声を掛けられて、男は飛び上がった。

サーリムは、すぐ横の小路の壁に張り付く様にして身を隠していたのだ。

驚いて絶句している男に、サーリムは再び声を掛けた。

「僕達に何か用があるんでしょう?」

「あ、いや、その、・・・」

不意を突かれてまごついていたが、やがて男は躊躇いを見せながら訊ねてきた。

「そ、その、君の連れは、SI局の監査官のアマギさんなのかな?」

やっぱり後を跡けていたんだ、と思いつつサーリムは答えた。

「ええ、そうですけど、何か?」

男は、人目を気にする様に小路に視線をやり、小さな声で言った。

「ちょっと話がしたいんだが。」

さしあたって、害意がありそうな様子ではないと踏んだのでついて行く事にしたが、その右手は上衣の下で、男には見えない様にしっかりとナイフの柄を握り締めている。

通りから外れると、もう足許も覚束ない程に薄暗く人通りも全くない。

それでもなお、男は人目を気にする様に周囲を見回して、間違い無く無人であることを確めてから、おずおずと切り出した。

「事情があって名乗る事が出来ないんだが、アマギさんと話がしたい。」

「何の話ですか?」

「今は言えない。」

サーリムは、ムッとした。

「何の話なのかの説明も無けりゃ、取り次ぎ様がありません。ケイはまだ店で飲んでますから、行って自分で話し掛ければ良いでしょう。」

突き放す様に言うと、男は慌てる。

「いや、待ってくれ。判った。悩み事の相談がしたいんだ。」

「どんな悩み事なんです?」

「それは・・・」

男は口ごもった。

「僕には言いたくないんですか。でもそれじゃ、やっぱり取り次げません。」

男は、大慌てで手を振る。

「違う違う。君に言えないんじゃない。ここでは言えないんだ。」

「周りには誰も居ませんよ。」

「そうは言っても、いつ誰がこっちに来ないとも限らない。この話が漏れたら、私はお仕舞いなんだ。」

声を潜めているが、それでも切迫した様子は判る。

「じゃあ、どうすれば良いんですか?」

「この街の北の外れに墓地がある。今夜12時に、そこまで来て欲しい。」

男の切迫した様子には嘘は無さそうだった。

「わかりました。必ず行くという約束は出来ませんが、ケイに伝えておきます。」


ケイがホテルに帰ったのは、11時を回る頃だった。

酒臭い息で上機嫌のケイに、サーリムは一部始終を説明した。

一通り聞き終わると、ケイは先程の上機嫌が嘘の様に真顔になって言った。

「俺は、あの男に気を付けて帰れと言ったんで、こっちから接触するような危険な真似をしろとは言ってないぞ。」

「ごめんなさい。でも、気になって、何となく悪い人じゃ無さそうな感じだったし、何だかかわいそうな感じがしたから・・・」

「この商売はどこに危険が転がっているか判らんし、見るからに人の良さそうな人物が実は本当に危険なやつだった、という例も山ほど見てきた。」

サーリムは、しゅんとして俯いた。

「とにかく、今後はこういう真似をするときは、まず俺に相談してからにしてくれ。」

「わかりました。」

サーリムは、素直に頷いた。

「で、12時だったな。もうあまり時間が無いな。」

サーリムは、顔を上げた。

「え、行くの?」

「話くらいは聞いてみよう。」

「大丈夫?」

ケイは笑いながら答えた。

「お前は、あの男が悪いやつじゃないと思ったんだろう?そういう直感は大事なんだ。それに、有用な情報を集めるためには多少の危険もやむを得ない場合がある。」

そういいながら、再び上衣に袖を通す。

「お前は、ここに残った方が良い。」

サーリムは、激しく首を振った。

「僕も行く!」

ケイは少し考えて言った。

「判った。ついて来い。」


二人が墓地の入り口が見える辺りまで来たとき、時刻は12時少し前になっていた。

ケイは物陰に隠れる様にして、墓地に近付く。

月明かりに照らされた墓地には、例の男が心許無げな風情で立ち尽くしていた。

長身の割りには痩せていると思っていたが、こうやって月明かりの元で見ると、まるで枯木の様に頼りなく見えた。

ケイは、男に見つからないように、物陰から首を伸ばして、辺りに隠れている人間がいないか確めた。

「お前は、ここに隠れて様子を見ていろ。何かあったら直ぐにホテルに戻って、従業員を叩き起こして一緒に警察に行け。」

サーリムは無言で頷いた。


ケイはゆっくりと男に近付いた。

男はケイに気付くと、走り寄って来た。

「何かご相談があるそうですね。」

ケイの問い掛けに、男は頭を下げた。

「夜分遅くにご足労頂いて、申し訳ありません。」

「いえ、こうやってお話を伺うのも、監査官の仕事ですから。」

男は再び頭を下げる。

「まず最初に、名乗る事が出来ない事をお詫びします。」

「我々とお話がしたいという方は、多かれ少なかれ何か事情がおありですからその点は理解しております。それで、どういったご相談でしょうか?」

男は何か言いかけたが、躊躇するように口ごもった。

ケイは悛巡する男を辛抱強く待った。

しばらくして、ようやく決意した様子で男は話し始めた。

「私達はずっと人々を騙して来ました。やむを得ない事情があっての事であり、騙した事で相手を苦しめた事は無いと信じていますが、それでも騙した事に変わりはありません。」

ケイは相槌を打つだけで、何も言おうとはしなかった。

「逆に、私達に騙される事で救われた人は沢山います。そして、今後も私達に騙されに来る人達は続くでしょう。」

吐き出す様に男は言って、そのまま沈黙した。

ケイは穏やかに続きを促す。

「私は、こうやって人々を騙し続ける事に耐えられなくなって来ています。それでも、私達の嘘に救いを求める人達の列は途切れません。みんな真剣な眼差しで私達の嘘を求めるのです。私は一体どうすれば良いんですか?」

薄暗い月明かりでも、男のすがる様な眼差しははっきりと判った。

ケイは、穏やかに切り出す。

「この質問には、答え難ければ答えなくても結構です。」

そう前置きをしてから訊ねる。

「もしかすると、貴方はグリモルドさんの関係者ですか?」

男は息を呑んだ。

無言のまま悛巡していたが、やがて言った。

「はい、お察しの通りです。」

その返事は、意外にさばさばした調子であった。

ケイは内心の驚きを表に現さない様に、努めて感情を抑えつつ語り始めた。

「世の中には罪、これは犯罪という狭い意味ではなく嘘を含む自分の良心に背く行為という意味ですが、それに対する罪悪感を持たない、サイコパスと言われる人達がいます。こういった人達を除くと、誰でも多かれ少なかれ嘘をつく事には躊躇いを覚える物だし、それがあまり長期に渡ると、精神のバランスにも悪い影響を及ぼす様になります。」

男はすがるような表情で尋ねた。

「つまり、そのサイコパスに成れば良いんですか?」

ケイは首を振った。

「私の知る限りでは、サイコパスというのは先天的な人格上の欠陥であり、サイコパスに成る方法は存在しません。」

「では、どういう・・・」

男が泣きそうな声で言いかけるのを遮って、ケイは諭す様に言う。

「サイコパスでないある意味普通の人間は、長期間に渡って継続的に嘘をつく事には耐えられない物なんです。お話を伺う限りでは、貴方は限界に近付いているようです。」

「それは、どういう意味でしょうか?」

「言葉通りの意味です。貴方は、今や自分自身を騙す事ができなくなっています。他人は騙せても自分の良心は騙せないなどとよく言われますが、実際は逆で、自分の良心を騙すのが一番簡単なんです。それができて、初めて他人を騙すだけの演技力が発揮できるんですよ。それができなくなれば、もう貴方は今までの様な説得力のある演技をする事は難しいでしょう。そして一旦演技に綻びが生じれば、それに違和感を覚えた相手は、貴方の全ての立ち居振舞いを疑惑をもって見る事になります。そのために、今までなら看過されていたような小さな矛盾も、一つ一つ疑念の目で見られる事になり、貴方は更に大きな緊張を強いられます。その緊張は、貴方の演技により悪い影響を及ぼすでしょう。その結果、更に疑惑の念が強められるという悪循環に陥ります。この悪循環は、貴方が決定的な失敗を犯すまで続くでしょう。つまり、貴方の破滅で終るという事です。」

男はケイの言葉を噛み締める様に、俯いたまま動かなかった。

ケイは、辛抱強く男の反応を待った。

やがて、男は顔を上げて訊ねた。

「では、どうすれば良いのでしょうか?」

「私が話を聞いた限りでは、グリモルドさんは誠実な方の様です。グリモルドさんに苦衷を訴えれば、貴方がこれ以上嘘をつかなくても良い様に取り計らってくれるのではないでしょうか?特に、貴方の破滅は恐らくグリモルドさんの破滅に繋がっていると想像できますから、真剣に対応して貰えると思いますよ。もしそれでも駄目な様であれば、グリモルドさんの許を去る事を考えるべきでしょう。その結果貴方の身に危険が生じる様であれば、私がSI局を代表して地方政府に貴方の保護を要請します。」

奇妙な事に、月明かりに照らされた男の顔は、泣き笑いをしているように見えた。

「わかりました。検討して見ます。」

そう言った穏やかな声は、何かを諦めた様子であった。

「お役に立てる様なアドバイスができなくて、申し訳ありません。しかし、差し迫った危険があればいつでも仰ってください。SI局は総力を挙げて、協力致します。」

男は丁寧に礼を言って、そのまま立ち去った。

ケイも引き上げる事にした。

帰り道のサーリムは考え込んでおり、一言も発しなかった。


翌朝は雨模様だった。

二人はホテルをチェックアウトした後、昼前まで待って汽車に乗り、クエルモに入った。

駅の窓口で、グリモルドの事務所の所在を訊ねた。

「それでしたら、通りに出ればすぐ判りますよ。そこの通りで一番立派な建物ですし、第一この時間なら、もう玄関くらいまで行列ができているはずです。」

通りに出ると、確かに一目で判った。

窓口で言われた『通りで一番立派な建物』という言葉に掛け値は無かった。

通りに並ぶ建物の中で、抜きん出た高さで聳え立っており、大理石を贅沢に使った外観の点でも、周囲を圧倒していた。

列柱廊を模した一階正面のファサードには、大きく『グリモルド神秘研究所』と刻まれている。

どうやらこの建物は、研究所だけで占有しているようである。

話を聞いた限りでは相談の謝礼の相場はごく安いそうなので、帰依者達からかなり潤沢な寄付があると思われる。

余程尊敬を集めているか、相当に口が上手いのか、あるいはその両方かであろう。

そして行列の話も聞いた通りで、玄関から溢れた行列が歩道に続いている。

小雨の中で、傘をさした人々は辛抱強く待っている。

二人は、行列を追い越して、玄関から入ろうとした。

その時、玄関脇に立っていたスーツ姿の男が穏やかに制止した。

「申し訳ありませんが、皆様お並びになっておられますので。」

その態度には、門番特有の威圧的な感じは全く感じられない。

「あー、その、SI局から参りました。」

そう言いながらケイはバックパックを降ろし、身分証明書を取り出した。

「これは失礼しました。こちらへどうぞ。」

男は丁寧に頭を下げ、中へと先導した。

玄関を入ると広いロビーがあったが、待合室として使用されているらしく、ずらりと並べられたソファーは人で一杯であった。

「いつもこんなに行列ができるんですか?」

「普段は玄関の屋根の下ぐらいで収まるんですが、昨日は先生が外出されていたので、その分行列が長くなっているんです。今日は生憎の雨なので、待っていただいている皆様には申し訳なく思っております。」

男はロビーの奥のカウンターに向かって声を掛けた。

「SI局からのお客さまです。」

カウンターの向こうに座っていた女が立ち上がり、頭を下げた。

「お待ちしておりました。」

そう言うと、二人を応接間に先導した。

「そちらにお掛けになって、お待ちください。」

そう言って出て行った。

しばらくして女は、ティーセットを乗せたトレイを手に戻って来て二人に済まなそうに告げる。

「申し訳ありませんが、先生は今ご相談をお受けしている最中ですので、もうしばらくお待ち願えますか?」

「構いませんよ。」

女はカップに紅茶を注ぐと、一礼して出ていった。

ケイは、バックパックから申請書を取り出すと、内容を再確認する。

そのまま半時間程待つと、ドアが開き先程の女を従えて別の男が入ってきた。

男は見上げる程の長身で恰幅も良く、足首までの長さの黒いビロードのガウンを羽織り、亜麻色の髪を綺麗に撫で付けたゆったりとした所作の堂々とした押し出しであったが、その表情は純白の仮面に覆われて全く窺えなかった。

「ようこそ、いらっしゃいました。パオロ・グリモルドです。」

二人は立ち上がった。

「連邦政府SI局の監査官、ケイ・アマギです。こちらは助手のサーリム・マンスールです。」

握手を交わしながらグリモルドは、まるで仮面なぞ被っていないかの様に自然に振る舞い、ケイも敢えてその理由については尋ねなかった。

仮面を被っている申請者は珍しくないのだ。

理由はそれぞれにあり、顔を晒せない過去を持っている者もいれば、仮面を被る事で自分の良心と折り合いを付けている者もおり、ただの虚仮威しのために付ける者もいる。

いずれにせよ、変わった風采という点では、仮面どころではない格好の申請者を沢山見てきた。

白い仮面程度なら、むしろ大人しい方である。

ソファーに座ると、ケイは切り出した。

「さて、監査はどのような形で進めましょうか?」

「ご覧の通り、相談を求める方々は沢山おいでですし、生憎の天気の中で傘をさしてお待ちの方々も大勢いらっしゃいます。この皆様にただお待ち頂くのも心苦しいところではありますので、皆様にお入り頂いて、その前で公開で監査をして頂く事はできませんか?」

ケイにしてみれば、証人は多い方が良い。

「勿論結構ですよ。」

グリモルドは、女の方を振り返り指示を出した。

「それでは、待合室を空けて、皆様をお入れしなさい。」

「かしこまりました。」

女が出て行き、しばらく物音が続いた後再び戻って来た。

「先生、準備が調いました。」

待合室に戻ると、ソファーは全て片付けられ、シートが拡げられた上に、ぎっしりと観客が立ち並んでいた。

グリモルドを先頭に、三人は人混みをすり抜ける様にして前に出た。

「申し訳ありませんが、後ろの方々が見えませんので、前の方はお座りください。」

グリモルドの呼び掛けに応じて前の観客が座り込んだので、どうにか全員が見える様になった。

「さて、それでは始めましょうか。」

グリモルドの声に、ケイは応えた。

「何から始めますか?」

グリモルドはもう演目を決めていた様で、ガウンのポケットから銀色の箱を取り出した。

「この箱の中身を透視しましょう。」

金属製の箱の透視も申請書に記載されていたので、ケイは予め知っていたが、一応訊ねて見る事にした。

「申請内容は『千里眼』のはずですが?」

グリモルドは、自信満々に答えた。

「私の力を持ってすれば、千里の彼方も目前の箱の中も違いはありません。しかし、今仮に私が千里の彼方の様子を正しく語って見せたところで、確認のしようが無いでしょう。」

「しかし、仮に貴方がこの箱の透視に成功しても、貴方が千里の彼方を見る事ができる事が証明できる訳ではありませんが、まあ、とにかく話を先に進めましょうか。」

グリモルドは、箱をケイに手渡した。

「何も仕掛が無い事を確認してください。」

受け取った箱は、意外に軽かった。

蓋を開けて、詳細に眺める。

材質はピューターらしい。

全面に細かな彫刻が施されているせいで重厚な印象だが、板自体は薄い様だ。

蓋を開け閉めし、底を押して特に仕掛らしき物が無いことを確かめると、止め金を掛けて蓋が開かない事を確認した。

次にポケットからメジャーを取り出して、寸法を測る。

高さ・奥行きは共に25ミリ、横巾は175ミリ、かなり細長い形である。

確認し終えたケイが箱を返すと、グリモルドは辺りを見回し、最前列の老女に目を留めた。

「私が後ろを向いたら、この箱に何かを入れてください。」

そう言って彼女に箱を渡し、背を向けた。

老女は、手首に掛けていたロザリオを外し、全体に見えるように掲げた後、箱に収めて止め金を掛けた。

「もう蓋を閉めましたか?」

グリモルドの問いに老女が応えた。

「ええ、もう大丈夫です。」

グリモルドは振り返ると、箱を拡げた掌で受け取り、両手の指先でその両端を支える様に持ち直した。

「ご覧の通り、私は止め金には触れておりません。」

そう言いながら、箱を額の上にかざして目を閉じた。

しばらく無言で何かを念じていたが、やがて呟く様に言った。

「琥珀色の石が連なって、十字架が付いたロザリオですね。この十字架は、銀でしょうか?」

待合室全体にどよめきが起こる。

老女は、信じられないという風情で口元に手をやる。

グリモルドは、丁寧な仕種で箱を開け中身を取り出して見せた。

割れんばかりの拍手が沸き起こる。

「いかがでしょう?」

グリモルドの問い掛けに、ケイが応じる。

「ご婦人に箱を渡す時に手首のロザリオが見えたはずだし、箱を受け取る際にはそれが無くなっている事も判ったでしょう。」

ケイが冷静に指摘する。

「なるほど、そのご指摘は一理ありますな。それでは、」

そう言って、別の中年男に箱を渡す。

「何か、今ポケットに入っている物を入れてください。」

そして、再び観客に背を向けた。

男はポケットを探ると、鍵束を取り出して先程の老女と同じ様に掲げて見せた。

グリモルドは前回と同じ仕種で箱を受け取ると、少しもたついたが、やがて額の上にかざした。

「これは、鍵の束でしょうか。沢山付いているので本数は良く判りませんが。青い石・・・いやガラスのストラップが付いていますね。」

その答えに、拍手が起こった。

グリモルドが止め金に指を掛けたとき、ケイが制止した。

「蓋を開けずに、そのままこちらへどうぞ。」

グリモルドは、軽く首を捻りながら箱を渡す。

ケイ箱を受け取ると、グリモルドがやったように、指先だけで箱の両端を保持する。

それから慎重に、指先に力を入れた。

「捻ると、蓋がずれて隙間が出来ますね。僅かな隙間ですが、中身を確認する事は、可能そうですな。」

そう言いながら、鍵を収めた男に箱を見せた。

男は隙間を確認して、失望の表情を浮かべた。

「私がそうやった、という証拠はありますか?」

グリモルドが食い下がる。

「いいえ、今言える事は、そのトリックの可能性が排除できないという事だけです。」

グリモルドは、特に苛つく様子もなく穏やかに訊ねた。

「それでは、どうすればご満足頂けるでしょうか?」

ケイは少し考えてから言った。

「私が、自分の持ち物を収めて蓋を閉めてから、この助手の手で貴方の顔の前に掲げたら、中を読み取れますか?」

ケイの挑戦的な口調に、グリモルドは鷹揚に頷いた。

「結構です。そうしましょう。」

グリモルドが背を向けると、ケイはポケットから青いペンを取り出して前の二人に倣って高く掲げた。

観客達が頷くと、箱をサーリムに渡して言った。

「蓋を開けて。」

サーリムは、ラッチを外して蓋を開ける。

ケイはペンを握った手を箱の上に持って行き、蓋を閉めて止め金を掛けた。

「さあ、グリモルドさんの額の前にかざしなさい。」

サーリムは、グリモルドがやったように、指先だけで箱の両端を支えて差し上げた。

グリモルドは、サーリムが背伸びをしなくても良い様に、背中を屈めた。

しばらく目を閉じて無言でいたが、やがて口を開いた。

「これは、ペンですね。・・・色は・・・青かな。」

耳を聾せんばかりの拍手喝采が沸き起こる。

ケイは両手を拡げて、観客を制する。

「皆さん静粛に願います。サーリム、そのまま動くな。」

そう言って、ロザリオを出した老女を招く。

「御手数ですが、助手から箱を受け取って頂けますか。サーリム、そのまま皆さんに見えるように、箱をお渡ししなさい。止め金には触らない様に。」

サーリムは恐る恐る横を向き、両端を摘まんだまま箱を老女に渡す。

「どうぞ、開けてください。」

ケイの呼び掛けに、老女が箱を開いた。

「まあ、これは、いったい・・・」

彼女はそのまま絶句する。

「中を皆さんにお見せしてください。」

老女が、無言で観客に向けて見せた箱の中身は、空だった。

「私が先程掲げて見せたペンは、ここにあります。」

そう言ってケイは、右手の袖口からペンを引っ張り出した。

「箱には、入れる真似をしただけです。」

客席は、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

「騙したのか!」

観客の間から、非難の声が上がる。

「これ自体は、一つの実験に過ぎません。」

「こんなイカサマで、何がわかるって言うんだ!」

観客の怒りを帯びた問い掛けに、ケイは穏やかに答える。

「今の実験で、グリモルドさんは箱の実際の中身ではなく、皆さんが箱に入っていると思った物を見ている、という事が確認できました。」

客席で、やや冷静さを取り戻した男が訊ねる。

「それは、つまりテレパシーで読んでいる、という事ですか?」

「そうかもしれませんし、どなたかが、サインを送ったのかもしれません。」

男は首を捻りながら言う。

「『青いペン』ってのを、どうやってサインで送るんだ?」

「色と名前を別々に送れば、特に難しくは無いでしょう。色は、服の模様や持ち物の該当する色を触れば伝わるし、名前については、ペンや時計の様な普通にありそうな物について、目立たないサイン、例えば肩を触ればペンで、腰を触れば時計と言うように決めておけば、簡単でしょう。」

「でも、今示しているのが色なのか名前なのか、どうやって区別するんだ?」

「先に触るのが色、でも良いし、右手が色で左手が品物の種類でも良いでしょう。」

それまで黙っていたグリモルドが、おもむろに言った。

「先程の結果では、ご満足頂けない様ですね。」

「残念ながら、トリックの疑いが強くなった、と言わざるを得ません。」

「では、別の方法でやってみましょう。こちらが用意した箱では、トリックの疑いを否定する事はできませんからね。」

その声には、いささかも焦りは窺えなかった。

「どなたか、蓋付きの懐中時計をお持ちの方は、いらっしゃいませんか?」

十人程が手を挙げる。

グリモルドは、ケイの方に振り向き、言った。

「こちらで用意したサクラと思われてもいけませんから、貴方が指名してください。」

ケイは、中程列の左端に座っていた初老の男を指名する。

「その時計を好きな時間にあわせて、蓋を閉めてください。」

男はチョッキのポケットから懐中時計を取り出して、蓋を開け竜頭を回すと、掌を重ねるようにしてしっかりと閉じた。

「こちらへお貸し願えますか?」

時計は観客の手を渡り、グリモルドの許へ届けられた。

グリモルドは時計を受け取ると両掌で包み込む様に持ち、肩の力を抜くようにそのまま両手を下ろして、背筋を伸ばすと天を見上げ大きく深呼吸した。

それから右手で鎖を摘み、額の上にぶら下げて目を閉じる。

しばし無言で集中したあと、重々しい口調で言った。

「3時25分です。」

おお、と時計を渡した男が声を上げる。

グリモルドは、時計をケイに渡した。

「確認してください。」

蓋を開けてみると、確かにその時間を指している。

「いかがでしょうか?」

「合っています。」

拍手が沸き起こり、ロビーは再び歓声に包まれた。

ケイは、ポケットから懐中時計を取り出す。

「私の時計でもできますか?ただし、この蓋は少々固めですが。」

ケイの挑戦的な物言いに、グリモルドは悠然と胸を張って答えた。

「結構ですよ。」

ケイは時計を見えない様に掌で包み込む様にして、時間を合わせる仕種をした。

それから、竜頭を摘んで振って見せる。

「ご覧の通り、蓋は固いですから、竜頭を強く押さない限り、開きません。」

グリモルドは、時計を受け取ると、先程と同じ仕種で腕を下ろした。

その途端に、客席が大きくどよめいた。

下ろした掌の中から、弾ける様な勢いで白い煙が拡がり、グリモルドを包み込んだのだ。

「こりゃ、入れ過ぎたな。」

ケイは、思わず呟く。

ケイが渡した時計には、指先の力では押さえきれない程の強さのバネと、小麦粉が仕込んであったのだ。

ようやく小麦粉の霧が収まると、そこには全身を仮面と同じくらい真っ白にしたグリモルドが仁王立ちしていた。

「何だこれは!」

そう言って、時計を床に叩き付ける。

「騙したな!」

そう言いながら詰め寄るグリモルドに、ケイは平然と言った。

「少々派手にやり過ぎましたが、蓋を開けなければ問題は起こらなかったはずです。それから、クリーニング代については申請していただければ、後日SI局から支払われます。」

「ふざけるな!どういうつもりだ!」

グリモルドの剣幕を意にも介さず、ケイは説明を続ける。

「時計を持った手を下げた時に、蓋を少し開いて中を覗いているのではないかと考えました。そこで、蓋を開けたらすぐに判るような仕掛をしておいたわけです。」

「汚い手を使って、嵌めた訳だな。」

少し冷静さを取り戻したグリモルドは、ケイの手口を非難する事で、問題をすり替えようとした。

「汚いかどうかは感覚的な問題ですから、ここで議論しても意味がないでしょう。それより、本当に蓋を開けずに針が読めるなら、中の仕掛が見えないはずはないと思いますが?」

ケイの指摘に、グリモルドは言葉に詰まった。

しばしの沈黙の後、苦し紛れの反論を試みた。

「まだ精神集中をする前だったからだ。ちゃんと精神を集中して透視していれば、簡単に見破れたさ。」

「そうですか。それでは、なぜ蓋を開けたんですか?」

グリモルドは、更に足掻く。

「そ、それは、その、たまたま竜頭に指が当たったら、開いてしまっただけで・・・」

自分の言い分に無理がある事は、充分に理解しているようで、語尾は消え入りそうな調子であった。

「軽く押した位では開かない程、竜頭は固かったはずです。何しろ、内側から強いスプリングが押していましたからね。」

グリモルドが、再び黙り込んだのを見た観客達は、見切りを付けたらしく無言で次々と出ていった。

がらんとしたロビーに立ち竦むグリモルドは、無言のまま仮面を取ると床に叩き付けた。

純白の仮面は、乾いた音を立てて砕け散った。

その時サーリムは、短く驚きの声を上げた。

仮面の下から現れたその顔は、昨夜の月明かりに照らされていた男の顔だったのだ。

ケイは、特に驚いた様子もなく言った。

「特に有効な反論も無い様ですね。それでは、これで監査を終了します。」

引導を渡されたグリモルドの表情は意外にも、肩の荷を下ろしてほっとしている様に見えた。


「ねえ、ケイ。」

ホテルに入り、部屋で今日の監査のメモをまとめていたケイに、サーリムが話し掛ける。

「何だ?」

ケイが顔を上げて、ペンを置いた。

帰り道からずっと何かを聞きたげな様子だったし、何を聞きたいのかもおおよそ見当は付いていたが、自分で考えさせるために、敢えて放っておいたのだ。

話し掛けて来たところを見ると、自分なりの考えがまとまったのだろう。

「結局グリモルドさんは、何がしたかったのかな?」

「昨夜の事か?」

「うん。」

「お前はどう思う?」

サーリムは、しばらく頭の中で考えを言葉にまとめてから言った。

「何か罠を仕掛けようと思ったんじゃないかな。」

「ほう、どんな罠だ?」

「例えば、自分達が一枚岩・・・って言うんだっけ、じゃ無いように見せかけて、こっちが裏取引を仕掛けるのを誘ったとか。」

「中々面白い見方だ。」

こいつも大分監査官らしい物の考え方が身に付いてきた、と感心した。

ただし、それがこの少年にとって幸せな事かどうかは判らんが、と皮肉に思った。

「それで、裏取引を仕掛けていたらどうなったと思う?」

サーリムは、再び考え込んだ。

「ピンチになった時にそれを持ち出して、こっちの信用を落とすとか、かな。」

「それなりに筋が通っている話だが、今回に限っては違うだろうな。」

サーリムは、首を捻る。

「何で?」

「昨日あの街で下車するかどうか、それに、あのホテルに泊まるかどうかも、グリモルドは予測しようが無かっただろう。覚えているか?わざわざ、駅から二軒目のホテルにしたんだぞ。どうやって待ち構えるんだ?」

「でも、みんなで手分けして、網を張っていたかもしれない。」

中々筋が良いぞ、とおもいつつ、ケイは指摘した。

「こっちが乗るかどうかわからない、現に裏取引をしなかった訳だしな、そんな罠を仕掛けるために、クエルモだけじゃなく、周り全ての街の全てのホテルに、それもいつ来るか判らんのに網を張るとしたら、とてもコストが引き合わんよ。第一、そのためにグリモルドは何人の、それも絶対的に信用できる部下を持たにゃならん?」

サーリムは、反問する。

「じゃあ、あれは本当に偶然だったってこと?」

ケイはニヤリとした。

「でなければ、グリモルドは本当に千里眼の持ち主だったか、だな。」

サーリムは、更に食い下がった。

「あれがもし偶然だったとしても、その事と罠を仕掛けようとしたことは、背反・・・で良いのかな、じゃないんじゃない?」

ますます良いぞ、正に監査官的思考だ、ケイは内心の喜びを努めて表さないようにしながら言った。

「しかし、お前はあのときのグリモルドを、信用できると思ったんだろう?」

サーリムは言葉に詰まったが、ややあっておずおずと切り出した。

「あの時はそう思ったけど、別に証拠がある話じゃないし・・・」

ケイは諭すように話し掛ける。

「直感を無条件に信じてはいけない。だが、直感ってのは何もない所から超自然的に沸き出てくる訳じゃなく、相手の外観に滲み出る色々な情報を無意識のうちに総合的に判断して得られる物だ。今回で言えば、グリモルドの嘘をつけない性格や、意に反して詐術を繰り返さなければならなくなった事による絶望感から無意識に助けを求める様子が見えたはずだ。その辺をきちんと判断した上でなら、直感は重要な情報になる。」

「嘘をつけない性格って、どんな風に外見に出るの?」

「あの時のグリモルドの様子を思い出して見ろ。内心の恐れが一挙手一投足の自信の無さや、頬の引き攣り加減にそのまま出てたろう。だから、グリモルドは仮面を被らざるを得なかったんだ。」

「仮面を被っても、体は隠せないんじゃない?」

「そうでもないな。人間は相手の情報の半分以上を顔から得る。だから、仮面を着ければ、自分から相手の顔は見えるが、相手からは見えなくなり、互いの情報量に大きな差が出る。これだけでも遥かに有利になるし、その有利さはそのまま自信に跳ね返る。その結果、態度や細かい仕種にも嘘をつく事に対する不安が現れなくなる。だからこの場合は、仮面を被る事は、全身を覆う事に近い効果が期待できるんだ。それに昨夜と今日で、体格も違っていただろう。あの引きずる程のガウンには、体格による威圧的効果を狙ってかなりの詰め物がしてある。その分厚いガウンで全身を覆う事の心理的効果も大きいだろうな。」

サーリムはようやく納得したが、そこで最初の質問を思い出した。

「で、結局グリモルドさんは何がしたかったの?」

「今確認した情報を全て並べて検討すれば、結論は一つさ。つまり、見たまんま、だよ。」

「これからどうしたら良いかを、本気で相談しようとしたってこと?」

「少なくとも、俺はそう考えている。」

「でも、何でケイに相談したらなんとかなると思ったのかな。」

「いや、グリモルド自身も、なんとかなるとは思って無かっただろう。」

サーリムは、訳が判らなくなった。

「昔から、多くの宗教で、『告解』という制度が存在する。これは自分の罪を聖職者に告白する事で、良心の咎めを解消しようとする行為だ。そのために、多くの宗教で、聖職者は命に代えても告解の秘密を守る事が義務付けられていたし、外部から秘密を暴露するよう圧力を掛ける事も、厳に慎むべきとされていた。サイコパスでない人間にとって、自分の罪を一心に留め続ける事は、簡単な事じゃない。」

サーリムは、禁書館で読んだ本のなかで、告解について触れた物があった事を思い出した。

「カトリック教会が一大勢力として機能していた頃は、聖職者に対してその義務を守らせる事も、その外部からの圧力を跳ね返す事もそれなりに出来ていた。だが、大いなる再構築の際にカトリック教会が俗世への積極的関与を選択しなかったために分裂をきたし、その後も再分裂を重ねて弱小勢力に堕ちてしまって以降は、その徳目を守り続けられる団体は減少し、告解の内容がさまざまな思惑、例えば信者の統率のために弱味を握る事とかに利用される事を防ぐことは難しくなった。そして、告解という習慣自体が、心の救済の手段として機能しなくなったんだ。」

サーリムは、頷いた。

「例え制度としての告解ができなくなっても、それを必要とする人間の心の弱さに変わりはない。だから、どうにも耐えられなくなった人間は、告解の相手を探そうとするのさ。告解したところで、問題は何も解決しないのは判っているが、それでも苦衷を誰かに打ち明けないではいられない。そして、グリモルドは不幸にも、その告解の相手を得られない立場に立ってしまった。もう色々な意味で、限界だったんだろうな。」


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