第15話「ヒリの花」‐①
朝日が昇る。だんだんと輪郭を露わにしていく山の端から、光が一筋伸びてくる。
じっとそれに見入っていた青年は、ぐっと体を伸ばして、気持ちを仕切り直す。あれから一日。しっかり休んだ二人に対し、魔女タネは改めて引っ越しの詳細を話してくれた。
どうやら少しやり方を変えるらしく、新しく綻びができたからそちらを守ってほしいとのことだった。一度そちらの修復をした後に、空間を切り離して、別の場所に接続し直す……などと、難しい話をされた。オウは理解している風だったが、タイハクはいまいちピンとこなかった。後で説明を求めれば、彼女曰く「玄関を作り直すだけ」とのことだったが、繋がる先は変わるのだとか。
とにもかくにも、タイハクたちは小さな綻びから誰も入って来れないようにするのが仕事だ。
「命がけだもの。だからこれは私からの依頼ということで、ね。これはお礼に渡すつもりのものなのだけど」
そう言って彼女が見せたのは見覚えのある小瓶だった。タネ曰く、昔砂丘で拾ったものなのだという。
「あの時はなんなのか分からなかったけど……オウの力を封印したものなのね。私に開けられるわけがないわ」
どこか納得した様子で魔女は小瓶を仕舞って、頭を下げた。
昨夜のやり取りを思い返しつつ、タイハクは装備品を確認する。弾薬もまだ数はあるが、砂丘を抜けるには心もとなくなってきた。
「……タイハク、それ使うの?」
横から降ってきた問いに顔を上げる。
「状況による。相手次第だけど……極力使わない。弾薬ももったいないし」
「高そうだもんねソレ」
「オウは……人は殺せないって言ってたよな」
「覚えてたんだ。そうだね。今も変わんないけど。私が殺すのは女神だけだよ」
「理由を聞いてもいいか。どうしてそうしようと思うんだ。あの、トリベノみたいに責めたいわけじゃないんだけどさ」
慌てて付け加えた言葉を聞いて、魔法使いは目を丸くした。
「そういえばそんなことあったなぁ。あのね、約束したのよ。この力を貰ったときに『人のために使うこと、排除のために使ってはならない』ってね。たぶん、姉か妹ね。これもあの瓶を開けたら思い出せるのかしら」
「きょうだいがいたんだな」
「血は繋がってないと思うわよ。タイハクは? いるの?」
「俺も血は繋がってないけど、兄弟みたいに優しくしてくれた人が……五人くらいいるな」
「多いわね」
「元気にしてるといいな」
見上げた空で、煌々と漁星が二人を見下ろしている。朝日に紛れて、消えていってしまうそれを見送って、二人は呼吸を整え直した。
木々の間からこちらの様子を伺う何者かが数人。
投げられた石をタイハクは叩き落とし、突っ込んできた殺意と刃を軽くいなす。次々と襲い来る凶器を持った町人たちを、青年は素手で殴って足元を掬って転ばせる。下げた頭を狙ってきた凶器の先を逸らして、手首を捻って無力化する。一定の呼吸を乱すことなく、少年兵は無秩序に襲い来る人々を丁寧に一人ずつ無力化していく。時折すり抜けてくる町人は魔法使いが杖で殴って気絶させる。小さな悲鳴と呻き声が短く聞こえた。
戦闘不能になった人の数が増えていくごとに、襲い掛かって来る人の数も減る。一人、涙をのんで駆け出してきた青年を蹴り転ばせて、タイハクは取り押さえにかかる。
「これは……どういうつもりだ?」
「……お、お願いだ」
「……え?」
「自分たちも、どうしようもないんだよ。おタネさんに会わせてほしい」
苦し気に、要求をするシーガに息を飲む。
「まさか、怪我人でもいるのか?」
「いない……」
「じゃあ、なんで──」
さらに問い詰めようとして、思わず手に力が入る。青年は小さく呻き声を上げた。それにはっとして、タイハクは手を緩める。その隙を突いて、彼は拘束から抜け出してしまう。再び対峙したタイハクとシーガだったが、彼は一歩も前へ踏み出そうとはしなかった。
「なんでタネさんに会いたいんだ。不平等な約束を取り付けられるのに、ここまでして……」
その言葉に青年は口を閉ざす。
「言って。時と場合によっては、こちらも譲歩するから」
「望月の支所へ連れてこいと言われてしまっ……て……」
「な……」
走った嫌な予感は最悪の展開を引き寄せた。
「あんたたち、タネさんに……」
「教えて、どうしてこんなことができるの。タネに助けられて、眷属化されたにしても──っ」
タイハクの言葉を遮って、オウのよく通る声が糾弾する。聞きなれない言葉に、一同と青年は目を丸くした。
「け、眷属……?」
「たぶん……タネは人を助けるのに、タネの血を使ってる。単なる約束じゃなくて、契約をしてるんだ」
「血を、使って?」
「そうよ。魔法使いの血は特別なの。本来はそう何度も人に使えるものじゃないの。魔女は……血を使って少しずつ、自分の力を与えた眷属を作れるの。タネは、すごく体を整えるのが得意なんだ。だから、血の力を何度でも使えたんだね。怪我をした人は薬を使った後でもしばらく調子がいい。けど……限りはある」
「そうか……身を削ることになるもんな」
「自分の近くにいないと意味が無いしね。だから、タネは自分の住処を荒らされる覚悟をして、町の人を助ける覚悟をしたんだと思う。それなのに──」
じとり、と黄金の瞳は地に伏せる人々を見やる。
「分からないとはいえ、こうも馬鹿な行動に出るなんて」
「自分たちだって、こんなのは望んでない! おタネさんが居なきゃ、どうしようもなかったことくらい分かってる!」
「じゃあ、なんで!」
「水稲省のやつらが来て『魔女の居場所を割り出せば来年の月下種の下賜量を増やしてやる』って! 逆に、協力しなければ減らす、と言われた……」
「そんな……助けてもらった恩義とかは無いわけ!?」
「ある、あるよ! けど、イーショで月下種以外の作物はもう育たない! 月下種が貰えなくなったら、自分たちは、おれらは……どう生きればいい……、黙って死ねとでも言うのか……」
青年の訴えを聞いたタイハクは瞳を伏せる。
(そうか……月下種は元々生えていた草花を駆逐してしまう。しばらくは、野草ですら生えなくなる、そういうものだった)
そうともすれば、人々は月下種を手放すわけにはいかなくなる。生きていくには、もはや月下種に縋って生きていくしかない。元より砂丘によって枯れつつある土地だ。主食が芋だけ、菜物は軒並み育たない。動物を狩ろうにも、音無水母を筆頭に恐ろしい怪物のいる砂丘に出なければならない。
「それは……」
言葉を詰まらせたタイハクを見、オウは一瞬目を細めた。
「そ、れでも……それは怒る先が違う。それは私たちに向けるべきでも、タネに向けるべきでもない、でしょう」
「そんなの分からねえよ! じゃあ水稲省に歯向かえと!?」
「……ッ、なにもそんな」
「そういうことになるんだよ! 魔女一人と、家族と自分を選べと言われても、自分は……!」
短剣を拾えぬ手は乾いた土を握り締める。意地の悪い日差しが一同を照り付ける。
「従うしかないと……」
オウは顔を歪める。タイハクも思わず抑え込んでいたその手を緩めた。青年は再び襲い掛かってくるわけでもなく、ただその場で俯いて土を握り締めている。
「────?」
ふと、走った予感にオウは顔を上げる。
「どうした……?」
「……知ってる気配だ。望月が来た」
「陽動か! しまった……!」
「タネは予測してるから大丈夫って言ってたけど……嫌な予感がする」
オウの言葉にシーガも町の人々も顔を上げる。誰もが不安を浮かべて後ずさる。それを一瞥して魔法使いは表情を固めた。
「結界は?」
「大丈夫。ぶち破れる。どうせ消すからって許可は貰ってるし」
「いつの間に……」
「ちゃんと怒られたのよ」
少女は静かに木の洞に手を当てる。涼やかな風が、水の香りが辺りに広がっていく。開かれた世界と視界に、陽炎花が咲き乱れる。




