第5話「サンドワーム」‐③
ざわつく人波を掻き分け、オウはタイハクの姿を探す。落ち着きを取り戻した馬と、飼い主であろう男がしゃがみ込んでいるが、青年の姿はどこにもない。
(そんなに遠くには行ってないはず……!)
かなり強く壁に打ち付けられていたはずだ。早く手当てをしなければ、額に汗がにじむ。衝動的に動きかけた体を抑えて、その場に踏みとどまって思考を巡らせる。
(こんな人混みにはいられないはず、ってなったら──)
手当たり次第に近くの路地を覗き込む。馬も一緒にいたはずだ。ともすれば、彼女が通れないような道には入らない。三つ四つ、と路地を覗いて行った金の目に、薄灰色の馬が映り込む。
「い、いた! ちょっと、無事!?」
寄り添うアバニが低く唸り声を上げて、耳を後ろに引き絞る。
「待って、早くしないと手遅れになる」
言葉が通じたのかは分からないが、オウと数秒見つめ合った栗色の瞳はゆっくりと瞬きをして後ろに下がった。
オウは持っていたペンダントを青年の首にかけて、力をこめる。
「これで間に合えば、まだ……!」
気休め程度の癒しの魔法を使う。手のひらから伝わってくる鼓動が、状態を如実にオウへ語ってくれる。
(駄目だ、もっとちゃんと治さないと死んじゃう)
刹那、差し込んできた影と共に殺気が忍び込む。咄嗟に展開された魔法の障壁は鉛弾を弾いて霧散した。
もう一度魔法の障壁を張りつつそちらを睨みつければ、覆面の男が小銃を片手に路地の入口を塞いでいた。
「お前、魔法使いか」
「見りゃ分かるでしょ。いちいち魔法使いって名乗らなきゃ駄目?」
気丈に言い返すも、覆面のせいか全く動揺が見られない。
(さっきいたヤツよね……どういうつもりなのかしら)
逆立つ産毛を撫で、オウは立ち上がる。銃弾はここぞとばかりに狙いをつけてくるが、彼女は全弾撃ち落として見せた。魔力が光の粉となって宙に舞い上がる。ふわりと消えていくそれを、どんな面持ちで見ているのか。掴めない相手にオウは顔をしかめた。
「ソイツを置いて行けばそれでいい。今は魔法使いに用はない」
「…………なるほどね、私を相手する余裕はないと見た」
オウの挑発も全く意に介さぬ覆面はもう一度タイハクを引き渡すように迫った。
「悪いけどこの人は引き渡せない」
そう言いつつもオウの首筋を冷や汗が伝い落ちる。
(こいつ……なにができるのか、さっぱり分からなくて怖いんだけど)
戦闘に発展すれば分があるのはオウのはずだ。それでも向こうが引く様子が全くないのがオウは不気味で仕方がなかった。
発砲音が響く。目の前で覆面の男が膝をついて倒れるのが見えた。刹那、現れた人影が倒れこんだ人物に向かって銃口を向け──その銃口を光が弾く。跳ね上がった銃弾は遥か上の壁を抉っていった。
彼に向けたままの杖を下ろせずに、彼女は身構えたまま男を見る。銃を持った男は、顔に特徴的な傷痕があった。
「なんだ、オウちゃんかよ」
気さくな声の主は肩をすくめて表情を緩ませた。それでもその腕は下がらない。銃口は再度地に伏せった覆面に向けられた。
「ん……そこにいるのって」
「待って。近づかないで」
オウの傍らで伏せっているタイハクに気づいたのだろう。一歩踏み出そうとしたトリベノを彼女は牽制する。
「あれまあ。さっきまでコイツあんたのこと殺そうとしてたんだよ? 温情かけるのも大概にしないと。魔法使いなんだから」
「魔法使いは関係ないでしょ」
「あとで恨まれるよって言ってるの。にしても、まさかオウちゃんが伝説の魔法使いだとは思わなかったよ。まさか本気でサンドワーム止めるために女神を殺しに行くの?」
「…………だからなに? あなたは私になにを求めてるの」
棘のある声に、言葉にトリベノは目を丸くする。
「いやなに、簡単に言えば協力の申し出だよ。いくら魔法使いでも、こんなのが次々と来たらたまらないだろ? 俺らなら生活用品も用意できるし護衛だって可能だ。もちろん砂丘を越えるのだって、一人よりはずっといい」
息を飲む。
「そこのだって、きっと賛成するぜ? それにあれだろ、記憶を失ったふりなんて、ずっと続けてられるもんじゃないと思うぜ」
「記憶は本当にないんだけどね……」
オウの反論を気にも留めないのか、トリベノはすました顔で返事を待っている。どうやら彼はオウが身を隠すために記憶を失ったふりをしていると思っていたらしい。
(そこまで……悪い話じゃない、全く悪くはない。私にとって都合がよすぎるくらい、だけど)
拭いきれぬ違和感を飲み下せず、オウは頷きすらしない。少し待たされるにしても、トリベノはオウの返事を待つつもりらしい。どうするか、問いかける瞳の先で少女はただ沈黙していた。揺れる瞳は迷いを感じさせる。あと一押しか、そう思ったトリベノが口を開こうとしたその時だった。
覆面の男が指を動かした。
刹那、引き金にかかっていた指に力がこもる。二回の銃声が響いた。弾は明後日の方向へ飛ぶ。ならば、ともう一度放たれた弾丸も、近くの壁を抉る程度にしかならなかった。
「とどめは必要ないでしょ」
「言っただろ。そういうモンだよ。これから女神を殺そうってのに、どうしてそこは戸惑う?」
「その人は、ただの人でしょ……! 魔法を使って傷を治すこともできない」
「だから? その程度の覚悟で? 誰も殺せずに女神が殺せるほど、簡単な旅路だと思って?」
「思っちゃいないわよ。難しいことね。それでも、無抵抗の相手を殺すのは間違って──」
「殺しに正しいも間違ってるもあるか」
低い声は少女の主張を一蹴した。銃口が下がる。
「いいえ」
そう返しつつも彼の手にある物からオウは目が離せない。彼は覆面に銃を向けることを止め、オウへ向かって歩き始めた。
「本気か」
小さく揺れる金の瞳を見てもなお、トリベノは歩調を緩めずこちらへ向かってくる。杖を向けつつも、彼女は反撃の手はとるわけにはいかない。
(足に一発で……いや、ここで攻撃は悪手……!)
下がることしかできず、オウは歯噛みする。彼と戦う気はまるでない。彼もきっと、戦う気は一切ない。恩人でもあるトリベノに対して攻撃を加えることはもとより。
(ここで攻撃したら、いけない)
きっと彼は反撃してこない。こちらが殴り掛かった時点で、トリベノの思うつぼだ。万事休す、その距離があと数歩というところまで近づいたところで──一歩引いた背にとすん、となにかがぶつかった。




