第七十八話 ウェンユーの診察
砂漠地帯が多いという気候のせいか、転移門を通り抜けた瞬間、猛烈な暑さがルドーの身体を襲った。
まるで真夏の猛暑に放り投げられたかのような、カラッとした猛烈な暑さが周辺を満たしている。
建物の中でこれなら外はもっと酷いだろう。
ルドーが改めて周囲を見渡すと、転移門の先は土で出来たようなレンガが積み上げられた、どこかこぢんまりとした建物のような中、地面に直接絨毯が敷かれている様な場所だった。
「あぁごめんねぇ、わざわざご足労頂いて」
奥の方から声が聞こえてルドーが覗き込むように首を曲げると、砂漠地帯特有の黒い布のような民族衣装に身を包んだ、顔まで布で隠している人物がわたわたとこちらに歩いて来るところだった。
その人が近付いて来る間にリリアとエリンジ、あとヘルシュとウォポンも転移門から移動してきて、周囲をきょろきょろ見渡している間にその人はルドー達の前までやってきた。
「えっと、こっちこそすんません、忙しいらしい時に」
「忙しいって言うか、みんなピリピリしてるっていうか。まぁしょうがないんだけどね、改めて、私はウェンユー、マーの聖女です。ごめんね、時間がないからちゃっちゃと診ちゃおう。えーっと三人って聞いてたけど該当するのは誰かな」
「あ、一人来なくなったんで二人です」
「あらそう? まぁ時間が早くなるならそれならそれでいいか」
そう言って該当する二人、ルドーとウォポンにこちらへどうぞと布がかぶさった腕で指し示す。
民族調の布が被せられた、木材に麻縄を使ったような簡素な椅子が三つ置いてあった。
ルドーとウォポンがそれぞれ椅子に座る中、ウェンユーはばさりとフードのように顔まで被っていた黒い布を外す。
その下から現れたのは肩まで波打つストロベリーブロンドの髪に、浅葱色の優しそうな垂れ目をした女性だった。
改めてルドー達に向き直ると、使われなかった三つ目の椅子をルドー達二人の前に持ってきてそこに座り直した。
「うーん、パッと見た感じ片方はすぐ終わりそう、問題はこっちかな」
顎に手を当てながらウォポンを一瞥した後、ルドーの方にちらりと視線を向ける。
問題と言われてルドーは思わず椅子に座ったまま身が硬くなるように緊張した。
かいた汗が暑いせいなのか緊張のせいなのかわからない。
「一気に二人行くよ。それじゃあ目を瞑ってー」
ウェンユーに言われるがまま、ルドーは目を瞑った。
手を向けられている様な気配を感じる中、膝に乗せた両手を握りしめる。
何やら胸のあたりに温かいような何かが流れ込んでくるような感覚をルドーは感じる。
「いって!!!」
しばらくして突然胸の奥から強烈な痛みが発生してそのまま仰向けになるようにルドーは倒れ込んだ。
倒れた背中の痛みと胸の痛みに悶えながら胸を押さえて起き上がっていると、両手をルドーとウォポンにそれぞれ向けるように伸ばしていたウェンユーが目に入ってくる。
その表情は驚愕に目を見開いていたが、少し溜息を吐くように険し気なものに変わる。
「……これは相当、なんというか、凄い厄介な状態だなぁ」
『なんかわかったのか?』
「えっ、今何が喋ったの?」
「あっすんません古代魔道具です……」
両手を降ろしたウェンユーが聖剣の声に驚いて困惑を浮かべたのでルドーが椅子を戻して座り直しながら謝罪すれば、どうやら初めて見るようで困惑の声を漏らしながらも、今はこちらが優先と二人に向き直って、とりあえずウォポンから説明し始めた。
「えーとまずそっちの君、名前なんだっけ?」
「ハイハイハイウォポンって言いますよ!」
「君は凄いシンプル。洗脳魔法を自分で自分にかけてるね」
「えっ!? 洗脳魔法!??」
「自分で自分に!?」
ウェンユーの説明にヘルシュが大きく声を上げ、ルドーも驚愕したように続いた。
気付いていたかとルドーは横で様子を見ていたエリンジとリリアに顔を向けるも、二人とも驚愕の表情で首を横に振っている。
パートナーのヘルシュも大声で驚いているあたり知る由もなかっただろう。
ウェンユーはウォポンの前に来て指で頬を叩きながらさらに詳しく続ける。
「うーん、大分長い間自分に掛け続けてるねこれ。返事は常にイエス、みたいな」
「あのハイハイ言ってるの洗脳魔法の効果なの!?」
「ハイハイハイイエスと返事をするのはいいことですよ!」
「ほらこんな感じに」
「いや時と場合によるよ!?」
説明されたパートナーの思わぬ状態にヘルシュが混乱しつつ突っ込み続ける。
言われてみればウォポンはあまり表情も変わらず常にハイハイ言い続けている。
入学してから一緒にいるアリアやフランゲルからの無理難題にも断っているところをルドーは見たことがない。
常に全力でハイハイ言って全力で無理難題を完遂しようとしていた。
最初の方はアリアとフランゲルも遠慮も容赦もなくて、幻の宝石を取ってこいだの故郷の魚を調達しろだの、無理難題過ぎて出来ずに失敗している事もあったが。
二人とも大分マシになった今でさえ、購買で菓子パンを買って来いといい様にパシリにされていることにウォポンは気付いているのかとルドーは疑問に思っていたのだが、洗脳されていると言われれば確かに納得するような状態だ。
通りで魔力が常に消費され続けている訳だ。
だがなぜ自分で自分を無意識に洗脳しているのだろうか。
そう思っていたルドーの疑問にちょうど答えるようにウェンユーはさらに続けた。
「多分親か何かに言われたことを自分で自分に掛けちゃってこの状態なんじゃないかな」
「ハイハイハイ確かにイエスと返事するのはいいことだと父に教わりましたよ!」
「いやいやいやウォポンお前家から籍抜かれて勘当されてるって言ってなかった!?」
「ハイハイハイ養えるのは二人までなので自分で身を立ててくれと言われて返事しましたよ!」
「いい様に利用されてる!?」
「うわぁ、マジかよ」
「可哀想……」
ウォポンの話にパートナーのヘルシュは勿論、ルドーとリリアも当惑した。
どうやらウォポンは親にイエスと返事をするのはいいことだと教わった後に自身に洗脳魔法をかけ、その様子を見た家族からこれ幸いと勘当すると言われてハイハイ答えて家から追い出されたようだ。
それはあまりにも酷い。
エリンジは貴族としてはよくある事なのか平然としているが、ドン引きしているルドー達の話を聞いて、ウェンユーは思い当たることでもあるのか首を傾げて声を上げた。
「……ひょっとして君もマー出身?」
「ハイハイハイフェレシア侯爵家でした今は籍置いてません!」
「思ったより上の方の爵位じゃない!? なんで勘当されてんの!?」
「フェレシア侯爵家、あー……なるほど。仕方ないねそりゃ」
「えっ、仕方ないって、よくあることなんですか?」
「いやね、ここマーは貴族家でもかなり厳しくて。伯爵家や子爵家とか下の方は後継のみ、侯爵家とか上の方でさえ後継と予備の二人を養うので精一杯なくらいギリギリなんだ。まぁお家の事は私も詳しく言えないわね」
ウェンユーの説明は、マー国が置かれている状況がかなり厳しいことが物語られていた。
上位の貴族家でさえ切り詰めて生活していかないといけない、この国はそれほど厳しい状態だった。
だがそれは国の問題に当たるのでエレイーネーもどうしようもない。
支援こそ出来るものの国の体制問題は結局国がどうにかするしかないのだ。
ハイハイ言っているウォポンは自己洗脳されている事もあり、そんな国の状態の余波をくらって都合よく勘当されたことをどう思っているのだろうか。
ルドーがそう考えている間、ヘルシュは困り顔でハイハイ言ってるウォポンの両肩を掴んでいた。
「あの、それで、この洗脳魔法どうすれば」
「うーん、自分でかけてるから私が外してもまたかけちゃうわね多分。訓練して自力で制御できるようにするしかないと思う」
困り顔で言い切ったウェンユーに、ヘルシュはなおもハイハイ言っているウォポンを見て項垂れる。
エリンジが仕方ないというように息を吐いて援護した。
「ネルテ先生に報告しろ」
「あぁうん、それしかないか……」
「まぁまぁ、ここまで自分に特化した洗脳魔法も中々ないから、使いようによっては化けるよこれ。身体強化と同じ類まで行きそう」
「剣で魔物を切る腕が高いのはそれか」
「あー、一応常に魔法使ってるの効果あったんだな」
「ハイハイハイ鍛錬頑張りますよ!」
「うん頑張ってくださいよ頼んますから……」
ウォポンが魔物を剣で切る腕は確かだったが、どうやら鍛えているだけでなく自己洗脳魔法の効果も多少含まれていたらしい。
エリンジがそれに思い至ってまじまじとウォポンの方を見ている。
確かに入学初日、魔物をバターのようにさっくり切り落してた。
あれも一応魔法の効果もあったのか。
がっくりと項垂れたヘルシュの前で、椅子に座ったままハイハイ元気よく返事するウォポン。
その様子がどこか機械染みていて、洗脳魔法の恐ろしさを如実に表しているようでルドーは身震いした。
しばらくウォポンを眺めていたウェンユーは今度はという様子で改めてルドーに向き直る。
じっと見つめられてルドーは何を言われるのかと思わず固く身構えた。
暑さか緊張か分からない汗が背中を伝う。
「そんで君の方だね、すごい状態になってる。お名前は?」
「ルドーっす、そんな不味い状態なんすか?」
「えっとね、落ち着いて聞いてね。君、魂がひび割れてる」
ルドーの思考は止まった。
「……なんて?」
長い沈黙の後、ウェンユーに告げられた言葉に何を言われたのかわからなかったルドーは混乱して聞き返した。
数刻置いてもう一度言葉を飲み込もうとしたが、やっぱり意味が分からず間抜けに口を開いていた。
横にいたエリンジとリリアも訳が分からない様にルドーとウェンユーを見比べている。
一緒に聞いていたヘルシュとウォポンも鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
魂がひび割れている。
魂ってなんだ、ひび割れるものなのか。
明らかに混乱している一同に、どう説明したものかという様子でウェンユーは頬に手を当てながら続けた。
「えーっとね、相当デカいショックで自分の魂まで傷つけちゃったのかな、そんなの滅多にないしここまで酷いのは私も初めて見るんだけど。魔力って言うのは魂に結びついててね、君の場合そのひび割れた魂を維持するために勇者の魔力が全部魂のひびに引っ込んでる」
「えっ? 勇者の魔力? 魂が傷付いててそれに引っ込んでる?」
『なんじゃそりゃ?』
「魂が傷付くほどのどでかいショックを受けて、その後勇者の役職授かったのかな。普通の一般人ならちょっと体調が悪くなったり魔力がたまに暴走するくらいなんだろうけど、なまじ魔力の多い勇者の役職授かったせいで、ひび割れた魂が勇者の役職活動に耐えられるように補完しようと魔力が割れた魂の代替品として引っ込んでる状態」
だから一見魔力が無い様に見えるとウェンユーに説明されたものの、未だに現実味がなくて今一つ理解できずルドーは混乱し続ける。
魂が傷付くほどのどでかいショックと言われてもルドーは身に覚えがない。
転生した事だろうかと一瞬ルドーは考えたが、それならリリアやヘルシュも魂がひび割れていないと説明が付かないが、ぱっと見で厄介そうだとルドーを見たウェンユーからは、リリアとヘルシュが同じような状態に見えている様な様子は見受けられない。
一体何がどうなって。ルドーの思考は意味が分からず疑問の言葉だけがグルグルと巡行する。
「……全然わかんねぇ。えぇ? 覚えねぇよ?」
「だ、大丈夫なんですかそれ!?」
困惑するルドーにリリアが飛び付くようにしながら声を上げるが、ウェンユーは悩むように顎に指をあてて上を向いた。
「うーん、今見た限り生活に支障はないだろうけど、勇者だからなぁ。それに覚えがないっていうけど、魂が傷付くほどだから多分記憶も改変が入ってると思う」
記憶の改変。
ウェンユーに更に訳の分からないことを言われて身に覚えのないままのルドーは余計に混乱した。
「自己防衛で記憶が改竄されていると」
「多分そんな感じねぇ」
『だから忘れてんのか』
一方で理解したのか、記憶に関するウェンユーの説明に、エリンジと聖剣が納得するような声を出す。
あまりのスケールの話にルドーはまるで付いていけなかった。
自分自身の事なのに、まるでどこか遠くの話のようで現実味がまるでない。
心配の余りルドーに飛びついてきてあちこち触り始めたリリアを押し戻しながらもルドーは混乱したままウェンユーに説明を求めた。
「ほら、さっき痛がったでしょ? ひび割れてたところちょっと触ってみたの、ごめんね? 治せるかどうか確かめたくて。でも根深いわ、私でも無理」
さきほど急に感じた胸の痛みの原因を言われて、ルドーは混乱し続ける。
ただでさえ訳の分からない状態なのに、その道のプロであるウェンユーに無理だと断言されてルドーはどうすればいいかわからない。
リリアも絶望するような表情でそれを聞き、エリンジも呆然と佇んでいる。
『治せねぇのか?』
「私でも触っただけで痛がるから、他人では難しいわね。本人がどうにかするしかないわ」
混乱し続ける中で聖剣の質問に答えたウェンユーの言葉に、ルドーは首を傾げる。
他人には出来ない、ルドー本人がどうにかするしかないというのはどういうことだろうか。
「本人って、俺自身ならどうにかなるんですか?」
「それでも厳しいわよ、自己防衛で忘れているトラウマを思い出して、克服するってことだから」
覚えてないことを思い出して克服する。
雲をつかむよりも難しい話をされて、ルドーは何も解決策が思い浮かばない。
魂がひび割れている。
先程の胸の痛みがそうならおおよそ間違いがないのは確かだった。
つまりルドー自身が何かとんでもないことを忘れてしまっている。
混乱する頭の中ルドーはその事実だけを何とか必死に認識した。
そんな混乱し続けるルドーの横で、リリアが恐る恐る声を上げる。
「思い出したとして、治るんですか?」
「トラウマがそのままトラウマになるか、克服できるかは本人次第だからねぇ。何とも言えないわ」
「それ、思い出して大丈夫なんですか?」
「何とも言えないわね、更に魂が傷付くか、それとも克服して魂が修繕するか」
さらに魂が傷付くと言われて、リリアが恐怖するように小さく悲鳴をあげる。
しかしルドーは思い当たる節がなさ過ぎて逆に現実味が湧かずに首を捻った。
「いやでもなんかヒントとかないんすか? 身の覚えがなさ過ぎて……」
「無理に思い出す必要はない」
「ダメだよお兄ちゃん危ないよ」
「いやでもこの状態も良くねぇだろ」
エリンジとリリアが急に二人揃ってやめたほうがいいと言い始める。
しかしルドーは先程の胸の痛みもあり、魔力暴走の可能性も加味するとあまり放置したくなかった。
頭に何か引っかかっている様な、大事なことを忘れている様な嫌な感じとでもいうのだろうか。
「良くないけど、もっと悪くなる可能性もあるしねぇ。でもヒントも分からないわ、本人の記憶次第だから。ごめんなさいね、力になれなくて」
「いや、わけわからない状態が分かってありがたいっちゃありがたいっすけど……」
混乱する頭でウェンユーに礼を言うルドー。
熱で頭が回らないのか、混乱して頭が回らないのか、ルドーにはもはや判別がつかなかった。
同じように聖剣も混乱しているのか、珍しく黙ったまま両手に嵌められた腕輪と背中に背負った本体から、まるで線香花火のように小さく火花がパチパチと鳴る。
その後ウェンユーは建物の扉をトントンと叩かれて、時間が来てしまったと慌てて立ち上がりながら、ルドー達にお辞儀をした後、また黒い布を頭まで被ってパタパタと早歩きで立ち去っていってしまった。
ウェンユーが帰ってしまったのでどうにもならなくなった一同は転移門からエレイーネーに戻ったが、ルドーは言われたことが未だわからずしばらく混乱し続けていた。




