第六十七話 邂逅する災害、そして再会
ライアとレイルを後ろに控えたまま施設の地上入口に辿り着いたクロノは、頑丈に施錠された合鉄製の扉を蹴り飛ばして外に出た。
外はすっかり暗くなり、鬱蒼とした森の隙間からうっすら見える星灯りからかなり時間が経っている事を感じさせられる。
ガラガラと大きく音を立ててひしゃげた扉が木々にぶつかって更に大きく音を立てているのが聞こえたが、音に魔物が反応するかと思ったが全く来る気配がない。
「……まずいこれ」
施設から出た魔の森の中は空気が冷え切って張りつめている。
かなりの瘴気濃度なのに魔物が出てくる気配が微塵もない。
その前兆はレペレル辺境伯領の魔の森の中で何度も経験したクロノだからわかった。
大型魔物暴走の前触れだ。
暗闇の中周囲を見渡す。クロノがレイルと一緒に連れてこられた時と同じ入口だ。
トルポの村が近い。
今ライアとレイルを連れてそこに行ったとして、この規模の魔物暴走だと確実に魔物が森から溢れる。
まともに魔法が使えないクロノには転移魔法は使えない。
ライアとレイルを連れたまま安全圏まで逃げ切ることは難しい。
せっかく助けた二人に危害を及ぼすわけにはいかない、どうすればいい。
ルドー達はもうとっくに他の魔人族達を連れて森から脱出しただろうか。
「っ……ク、クロねぇ! ロイズ! ロイズが近くにいる!」
「えっ、ライアほんと!?」
ライアの言葉に思わず振り返ったクロノと、その横で不安そうに小さな声で叫んだレイル。
無言で顔を向けたクロノを見たライアが指差し、クロノはそこに顔を向けて気配を探る。
「っ……これは……」
その指示した方向に、走っている様な小さな子どもの気配の他に、得体の知れない大きな気配が二つ。
その上その近くにあるこのどでかい上に気色の悪い気配は――――
――――――――いる、戦祈願が。
「よりにもよって……でも近いけど離れてってる? それならまだいける?」
戦祈願は倒せない。殺せない。
なによりクロノ自身が近寄りたくない。
だが不安そうにするライアとレイルがその先に指し示す三つ子の最後の一人、ロイズがその場にいるというなら助けなければ。
ライアとレイルは置いていけない。
大型魔物暴走が控えている今、二人を置いて行けば確実に魔物にのまれる。
だが今から向かうこの先も安全だとは限らない。
得体の知れない気配が気になる。
今まで感じたことがない不気味で大きな気配、クロノでも倒せるかどうか微妙だった。
だがクロノがよくよく気配を探ってみると、一番大きい気配と戦祈願の気配は離れていくのに、一つ残っているその気配が走っている少年の方に向かっている様な気がする。
襲う気ならば気配の距離から時間がない。
「……どうしようもない。ライア、レイル、ちょっとごめん!」
クロノは二人米俵を抱えるようにその脇の下に抱え、ライアの指示した少年の気配の方向に走り出した。
突然抱えられたことに二人は各々驚いて声を上げたが、クロノがロイズの方に走っていっていると分かってしがみ付いてきた。
グルアテリアで不意に遭遇したとき、戦祈願はこちらにあまり興味を示さなかった。
今もなお興味を示していないならまだ何とかなる。
近寄るのは不安しかないが、クロノが気配を常に探り続ける限りどんどん離れていっている。
幸い戦祈願はそもそもこちらに気付いていないようだ。
大型魔物暴走も控えている、そのままどこか遠くへ行ってくれとクロノは心の底から願った。
「ロイズ!」
戦祈願の気配ばかり探っていたクロノは、ライアの叫び声で視線を前に戻した。
「……なにあれ」
人の三倍、いや五倍ほどの大きさに真っ黒な胴体。
魔物ではない、溢れるように放っているおぞましい魔力が多すぎる。
大きな身体に筋骨隆々のボコボコとした身体。
その頭部に載っている頭が横に大きく引き延ばされるかのように皺が寄って、皮膚が裂けるほどに開いた口にはボロボロの歯が無規則に並んで気持ち悪い。
魚のようにその両横に、頭の上から首元までついているおぞましいほどの大きな目が、左右別々にギョロギョロと素早く動いていて視線が定まっていない。
得体の知れないなにかに一瞬気を取られたクロノは、その足元で必死に抵抗しようと倒れたまま足で蹴り上げている怪我まみれでボロボロの小さな少年を見て我に返った。
大きななにかが両手を握って振り上げている。両手に纏い始めた魔力の量が凄まじい。
当たればミンチどころでは済まない。
蹴り続けながら恐怖に泣き叫んでいる少年の元に走った。
クロノは横からその腕を振り上げているわき腹に大きく足を振って蹴撃を食らわせる。
「っ……かったい!」
なにかに放った衝撃が全て脚に戻ってきてクロノは思わず歯を食いしばった。
その周囲の空気に衝撃こそ走りはしたものの、化け物は微動だにしない。
超大型魔物でさえ一撃で屠る威力で蹴ったはず。
身体に纏っている魔力が強度の限度を超えている。
「「ロイズ!」」
ライアとレイルがクロノを振りほどいてその場に落ち、腰を抜かして動けなくなっているロイズに駆け寄って安全圏に運ぼうと二人で必死に両脇を抱えて引き摺り始め、少し距離を取ったところでロイズはライアとレイルを守ろうと手を振りほどいてその身の後ろに隠そうと腰を抜かした状態で押し留める。
なにかは蹴撃したクロノに一瞬視線を向けるように首を向けて目がギョロギョロと動いたが、まるでは虫を払うかのように腕を振って吹っ飛ばされた。
なんとか空中で身を翻して着地したが、一般人だと今の手払いだけで肉が吹き飛ぶ威力だ。
蹴撃で注意を引いたと思ったのに、クロノの方を向いていたはずのなにかは必死にお互いを守ろうとしている三つ子の方に振り向いた。
向けられる不気味な視線に三人が悲鳴を上げながら、恐怖に動かない足で必死に後ろに下がっている。
クロノは急いでその方向に走った。
「っ……ぎ、ギリギリ……」
振り上げられた握られた両拳が恐怖に泣き叫ぶ三人に直撃する前に、クロノはなんとか間に入って両手で防いだ。
衝撃で地面に両足がめり込み、風圧で三人背後に吹っ飛ばされている。
ミシミシメリメリと圧力が骨に響いて来る。
「クロねぇ!」
起き上がったライアが悲鳴を上げた。
なにかは握った拳をほどいて押さえていたクロノの両手をガシっと掴んだ。
強烈な強さで握られたその手に、クロノは久しぶりに感じる痛みに思わず大きく呻く。
不味い、こいつ放す気がない。
逃げ道を封じられた、このまま力押しで押し潰してくる気だ。
どんどん両足が地面にめり込んでいく。
ミシリと握り潰された手から血が流れて滴っていき、クロノの口からわずかに悲鳴が洩れた。
今やられたら後ろの三人はどうなる、カイムがあれだけ必死で探していたのに。
三人の無事を考えるなら、殺されるわけにはいかない。
クロノは呻き声を上げながら舌打ちした。
戦祈願がまだ近いが、奥の手を一つ使うしかない。
「ぐっ、っ、み、“右足筋力負荷解除”!」
クロノの右足全体からバチンと外れる音がする。
すかさずめり込んでいたその右足を地面から引き抜いて、目の前に迫ってきていたなにかの鳩尾ど真ん中に全力で蹴りつけた。
周囲一帯に広がる轟音があがり、一瞬にしてなにかは猛烈なスピードで吹っ飛んでいく。
大量の木を一気になぎ倒して周囲に衝撃波を発生させながら、かなり遠くにあった大岩に当たって割れ砕き、なにかは項垂れるような体勢でそのまま動かなくなる。
「ク、クロねぇ……」
「ごめんねグロくて。見ないほうがいいよ」
泣きそうなライアの声に、レイルの怯える様な小さい悲鳴、ロイズの荒い息遣いをその背に聞く。
クロノは両肩で激しく息をしながら、蹴りつけた際に握られたまま一旦捨てる判断をした引き千切られた両腕を見やる。
二の腕から下を無くして血を滴らせているそれを荒い息のまま見て時間を待った。
しばらく血をぼたぼたと滴らせていた千切れた腕は、魔力が一瞬大きく渦巻いて、メキメキと不気味に音を立てながら骨が徐々に生え、周りを筋線維が包んでいき、皮膚が被って少しずつ伸び始める。
生え戻っていく両腕の痛みにクロノは歯を食いしばって小さく呻いた。
自己再生、体力を多大に消耗するから大型魔物暴走が控えている今あまり使いたくはなかった。
「よし、さっさと逃げ……っ!?」
流石に倒せただろうと思って早く森から出ようとクロノは三つ子に声を掛けようとしたが、不意に背後からバキバキと大きな音が聞こえて戦慄しながら振り返る。
筋肉を鍛えるために常時付けていた負荷を外した脚で全力を使って蹴ったのに、あのなにかが立ち上がっていたのが見えた。
こちらに向かって物凄い勢いで迫ってきている。
両腕は? まだ再生してない。
脚で防ぐ? ダメだ両足の負荷を外してもあの勢いは支えきれない。
三人を逃がす? この腕じゃ時間稼ぎさえ出来ない。
後ろに怯えて動けない三人がいる、迫りくる何かをクロノが避けられるわけがなかった。
「クロノ!」
ライア、レイル、ロイズの前で、両腕から血を滴らせているクロノが見えて、カイムは大きく叫んだ。
何かよくわからない不気味で大きなものがその前に迫っている。
森の中で人間同士が戦闘している。
同胞から情報が入って人狩りの組織が何らかの形で関わっていないかと、アーゲストたちと共に上空から偵察に来たら、想像していたよりも大規模な戦闘の広がりに、カイムたち三人はそれぞれ分かれて森の中から様子を伺っていた。
アーゲストからの指示もなく随分長い間森を歩いていたら、唐突にロイズの名を呼ぶ声が聞こえて急ぎ走り、そうしてその場に出くわしたのだった。
迫っている化け物の勢いが付き過ぎていて髪で止めるのは無理だと判断したカイムは、そのなにかに背後から大量に髪を巻き付け、そいつの勢いを利用して少しだけ力を加えて進路を変えた。
恐ろしく重い。だが何とかギリギリで進路を変えたそれはクロノたちの直前で大きく曲がり、勢いのまま魔の森の木々の中に突っ込んでいく。
森の木々に突っ込みながらも進路を変えられたことで身体に髪が巻かれていることに気付かれ、後ろ手に髪を掴まれて恐ろしい勢いでぶん投げられるが、地面に叩き付けられる前に素早く髪を切り落して反対側に着地した。
「同じ轍踏むかよ」
すぐ背後に視線をやると、声にならない悲鳴を上げている三つ子の前で、カイムが見ている間にクロノの千切れた腕から手が生え伸び、どんどん伸びていってその先の指が生えている。
一瞬驚いて目を見張ったが、すぐに前方から聞こえた物音に髪を伸ばして切り替えた。
「おい、クロノてめぇ戦えるか」
「……ごめん、ちょっと今は厳しい」
指が生えてなんとか五体満足に戻ったクロノは、いつもの飄々とした様子が消えて両肩が激しく上下して、カイムも見たことがない程明らかに疲弊していた。
「チビども、頼めるか」
「……わかった」
大きく息を吐いて構えるクロノに一瞬視線を投げた後、カイムは正面にいるバケモノに改めて向き直る。
歩く災害。
カイムも噂は聞いたことがある、遭遇すれば逃げることは不可能だということも。
その被害にあった同胞の数もおびただしく、悲惨なんて言葉では言い切れない程酷い有様になる。
超大型魔物を平気で倒すクロノがこれだけ疲弊してなおも倒せていない。
走り寄る中尋常ではない戦闘音を聞いていたカイムは、目の前のそれが歩く災害であることを確定付けた。
おびただしい魔力が歩く災害から漏れ出しているが、近寄っている際魔法を使う攻撃音は聞こえなかった。
ギョロギョロと焦点の定まらない目は周囲を観察しているようで、それでいて対象を定めていないような不気味さがある。
その動きから魔法を使うような知性は感じられない、実際今の今までこれが喋っている様子はなかった。
本能的に魔力を身体に纏わせて蹂躙してくるのなら、魔法を使わない分攻撃が単調で分かりやすいかもしれない。
薙ぎ倒された木々に埋もれるように倒れていた歩く災害が起き上がってきた。
ギョロギョロと動かす目は周囲を見渡すでもなくこちらに顔を向けた様子に身構える。
先程と同じように、恐ろしい速さで突っ込んできた。
やはり考える知性がない、力任せに突進している。
「チッ突っ込んでくんなら……」
瞬時に髪に魔力を纏わせて強化し、大量に伸ばして蜘蛛の巣のように周囲に張り巡らせる。
何も考えず突っ込んできた歩く災害は、強化された髪の蜘蛛の巣に正面から突っ込んで大量に絡まりはじめる。
「っ……くっそ、おんめぇ……!」
強化した髪でさえブチブチと千切られそのまま進んでいく様子に、千切れた髪にさらに強化を追加して伸ばし巻き付け、どんどん追加する。
周囲の木々も巻き込んで大量に絡みつかせ、同時に全方向から力が加わるように動く災害に巻き付けてなんとか動きを止める。
「硬すぎて絞め殺せねぇ……」
動きを止めてなんとか巻き付く力を強めようとするが、全く歯が立たない。
纏っている魔力が強すぎて気を抜くとこちらの髪が全て引き千切られそうなくらいだ。
突如として上から大量の魔力の鳥が歩く災害に雨あられと降り注ぎ、爆発が大量に発生する。
かと思ったら今度は大きな唸り声と共に大きな赤黒い魔力の塊が降って歩く災害に直撃して大きく爆発した。
アーゲストとボンブが揃ってカイムの両脇に飛び降りてくる。
「悪い、遅くなったなカイム」
「なんとかなったか?」
「チッ、まだだ」
拘束した強化した髪はそのまま、歩く災害はその爆発の煙の下から先程と何も変わらず平然と突っ立っている。
二人の攻撃の余波で髪が痛んで拘束が解けない様、さらに追加で強化した髪を巻き付ける。
「……どんだけ頑丈なんだ」
「カイにぃ! おなか! おなか狙って!」
「ライア危ない! 下がってて!」
ライアが前に出て叫ぼうとしたため、クロノが背に抑え込むように腕と足で下がらせる。
「腹……?」
ライアの叫びに抑え込んでなお動こうと恐ろしい力で抵抗している歩く災害の腹部を全員が見る。
血こそ流れていないが、まるでガラスがひび割れるように、魔力の層にヒビが入っていた。
魔力の流れが見えないと分からない部分だった。
「なるほど、あそこ狙えばいけるか」
「合わせるぞアーゲスト!」
ボンブがそう叫んで赤黒い魔力を溜め始め、アーゲストも巨大な魔力の鳥を出現させる。
カイムも拘束しながら余った髪に魔力を溜めて刃を形成した。
三人が息を合わせたタイミングで、最大出力の攻撃を浴びせた。
ひび割れた魔力の層、腹部の真ん中に命中し、今まで全く反応のなかった歩く災害は初めて悲鳴のように咆哮を上げた。だがまだ足りない。
「効いてる、浴びせ続けろ!」
アーゲストの叫びに続くように、三人全力で攻撃し始める。
魔法の鳥と赤黒い魔力の塊、そして髪の刃を休む暇もなく浴びせ続けた。
魔力の層のひび割れが徐々に徐々に広がっていき、歩く災害が痛みに呻くように膝をついた。
「いい加減くたばれやあああああああああああああ!!!」
特大の髪の刃を作り上げてカイムが飛ばせば、魔力のヒビが完全に割れて破壊され、そのままその下の肉を貫通して、真っ黒な血のようなものを噴き出しながら背中を通り過ぎた。
まるで死に際の咆哮のように動物の吠え声のような叫びをあげた歩く災害が、その両手を暴れるように大きく振り回し、ブチブチと引き千切ってカイムの髪の拘束を解いた。
「ダメか!?」
「いや……みろ」
怪物はギョロギョロと動かしていた目が大きく動く。
まるで白目を剥いている様な動きをした後、痙攣するように小さく動いて大きな音と衝撃を立てて倒れ、周囲に黒い液体を流しながら動かなくなった。
「……倒せた?」
「カイにぃちゃ!!!」
動かなくなった歩く災害が、まるで焼けただれるようにボロボロと黒く崩れていく。
それを見てクロノが呟くように言った瞬間、その背後にいた三人がカイムを呼び叫んで飛び出した。
「ライア! レイル! ロイズ!」
「カイにぃちゃ!」
「こわ、怖かったよぉ!」
「遅いんだよぉ!!」
「ごめん、ごめんなぁ……」
そのままカイムは走り寄り、しゃがんで三人を両手で受け入れて強く抱きしめた。
途端に大声で泣きだした三つ子に、カイムも両腕で三人強く抱きしめながら嗚咽を漏らして泣き始める。
四人の大きな号泣が森の中に響いていた。
アーゲストは腰に手を当て、ボンブは腕を組んで、それぞれ優しい顔で見守っている。
クロノがその様子を見ながら大きく息を吐いてその場に腰を落とした。
――――その瞬間、森に包まれていた緊張が弾けた。
「っ……この音は……!」
「アーゲスト! みんな連れて上空退避して!」
「ちょっ、クロノちゃん!」
ドロドロと地面が響き始める。
クロノは立ち上がると、アーゲストたちの制止も、カイムたちが呼ぶ声も無視して走り出す。
通り過ぎた戦祈願の気配の近くにあった、まだ何も気づかず動かない集団の気配の方に向かって。
地響きが木霊するようにどんどん大きく、森が振動していく。
大型魔物暴走が始まる。




