第六十六話 呼ばれなくなった名前
ネルテ先生は鉄線幹部を転移魔法で移送した後、ルドーと一緒に建物から外に出た。
どうやら魔の森の中にあった昔の国の地下武器庫だったようだ。
とっくに日は暮れて、森の中は闇が支配している。
最低限周囲が見えるようにネルテ先生が右手で小さな光魔法を作った後、右肩辺りに浮遊するように追従している。
ネルテ先生が事前に示し合わせていた所定の集合場所に向かうと、同じように小さく光魔法が放たれており、そこにヘーヴ先生と共にエリンジもいた。
「――――それで校長は未だ到達せずと」
「今回ばかりは流石に看過できないよ全く……」
エリンジと共にルドーは一通り先生たちに説明する。
トラストとビタが鉄線に攫われたこと、校長に伝えた結果エリンジと共に森付近に先行するよう転移で飛ばされたこと、その先でクロノが鉄線と接触していたこと、ライアが魔法を暴発させて転移し、居合わせたノースターと合流して、二人が引き込まれた施設に侵入して救出し、一緒に捕まっていた魔人族を解放したこと、戻った後に別の事に気を取られたせいで全員鉄線の幹部と思われる人物に転移させられたこと。
「……ほんとダメだなお前は」
「うるせぇ、それよりリリ達知らねぇのか」
「知らん、探知が通らん」
「くっそ……」
血まみれに切り刻まれたルドーの制服を一通り眺めた後のエリンジの罵倒に、ルドーは苛つき気味に返す。
ルドーが対面した鉄線の幹部と同じ実力者と相対していたら、リリアは、もう。
下を向いて両手を強く握る。
「あいつはお前が思っているより強いぞ」
「……」
「もっとちゃんと見ろ」
「うるせぇ」
リリアがどこにいるか、ルドーがそればかり考えているとエリンジが急に訳の分からないことを言ってくる。
なんとなく居心地の悪さを感じたルドーは舌打ちをして目を逸らしながら小さく返して、エリンジの非難するような視線から逃げるように黙り込んだ。
鉄線の幹部たちは既に地下に潜る準備をしていたらしく、その影響で探知魔法が阻害されているそうだ。
「スペキュラーじゃないと探知阻害を突破して探せない。あとこの状況だと通信妨害も外さないといけないからマルスにも伝えないと」
「どっちにしろ二人が戻るまで動けませんね」
三年の担任の一人が、怪しい動きをしていた逃げ遅れた鉄線の構成員を捕まえ尋問して、新たな潜伏先の情報を入手した。
一週間前に突如として地下に潜るよう頭に命令され、幹部たちは一斉に荷物をまとめてその潜伏先に入ったようだ。
今他の先生たちもその新たな潜伏先に急いで向かっている。
急いでいたが通信妨害魔法も新たな場所に設置し直されていた。
エリンジがクロノに通信が送れたのはそのギリギリのタイミングだったらしい。
しかし他の先生方とは連絡が付かずいつ戻るかわからなかった。
今この集合場所に戻ってきているのは、ヘーヴ先生とネルテ先生だけだ。
『嫌な感じがする。どんどん空気が悪くなってるぞ』
「あのバケモンか?」
『いやそうじゃねぇ。だが長時間留まるな、嫌な予感がする』
森の奥に入ってから聖剣が言い続けている空気の悪さの具体的な危機感がわからず、ルドーは何か知らないかとエリンジに顔を向けるが、わからないというように首を振って返された。
しかし聖剣とルドーの会話を聞いて、ヘーヴ先生とネルテ先生が顔を見合わせる。
「バケモンってなんです? 前に言ってた剣の男ですか?」
「いや、なんか、それとはまた別のどでかいバケモンがうろついてるのを見て……」
「それに気を取られたせいで鉄線に飛ばされた。不覚だ、次はない」
ルドーとエリンジの発言を聞いたネルテ先生とヘーヴ先生が険しい表情で顔を見合わせる。
「どうやら鉄線以外にも厄介なのが複数うろついてるな」
「ですね、魔の森の中という未知の領域を軽んじていたわけではありませんが、そろそろ潮時でしょうか」
相談するような先生二人に、ルドーはただ黙って聞いていたが、エリンジが眉間に皺を寄せて口を開いた。
「その言い方、化け物以外になにかいたんですか」
エリンジの問いに、ネルテ先生とヘーヴ先生は意味深に目を合わせていたが、二人頷いた後こちらに向き直る。
「鉄線の頭をやったのは恐らく、剣の奴だ」
『……なんだと?』
「いたんすかそこに?」
「いや、姿は見てない。だが頭はグルアテリアと同じ武器で串刺し状態で発見されたんだ」
「意味が分からん」
『早く逃げろ、まだバレてねぇなら逃げようがある』
聖剣が怯えるようにピリピリ小さく弾けて震える。
森を徘徊するバケモノに、聖剣がずっと言い続けている嫌な空気、その上またあの殺せない剣の男まで出てきた。
もう対処しきれるレベルを超えている、はやくリリアを救出して森から逃げなければならない。
「他が戻ったら一旦殲滅戦は中止だ。他生徒の救出にシフトして早期離脱する」
「行ってる先に生徒達がいる可能性は高いでしょう、戻り次第離脱の算段で準備します」
従うようにと続けられたヘーヴ先生に、決定事項として二人に伝えられたルドーとエリンジは固い表情で頷く。
「……先生! ネルテ先生!」
「トラスト! それにビタも!」
こちらに向かってくる足音と大声に一同が振り返ると、息を切らせながら走ってくるメガネが割れて頭から血を流しているトラストと、その後ろにビタの姿があった。
二人はネルテ先生の前で立ち止まると、息を切らして前かがみになりながらも必至の形相で続ける。
「子どもが! 小さい男の子見かけませんでしたか!? 怪我だらけなのに物凄い勢いで森に入っていって!」
「必死に追いかけましたわ! ですがこの方足が遅すぎて見失ってしまったんですの!」
怪我をしているトラストにヘーヴ先生が瞬時に回復魔法をかける。
それすら気付かない程のトラストとビタの必死の訴えに、ネルテ先生とヘーヴ先生は硬い表情になって顔を見合わせ、瞬時に険しい顔に変わった。
「どっちの方角かわかるかい?」
ネルテ先生の言葉に、ビタは息を切らしながらあの方面だと指差す。
森の暗闇の中、瘴気がさらに濃くなっている方面。
ビタが指差したその方面から轟音が響き、小さな悲鳴が聞こえた。
「そんな……ダメです、それでは私は何も……!」
「待て! 向かうんじゃない!」
悲痛な声を上げたビタが悲鳴に反応して悲壮な表情で走り始め、ネルテ先生が咄嗟に手を振り上げて止めようとしたがそのまま悲鳴が聞こえた方向へ走り去ってしまう。
「っ、ネルテ、この人数では追うしかない! 君たち絶対に前に出ないでくださいよ!」
先生が二人しかいない今、未知の敵が複数出てくれば単独で対処できない。
悲鳴から推察される襲われている子どもの救出と、それを追うビタの身の安全、この先にその未知の敵がいたとして、離れた瞬間を狙われる可能性を考慮すると、生徒だけを置いていくことは出来ず、ルドー達を後ろに庇いながら追うしかなかった。
苦渋の選択に歯噛みしているネルテ先生とヘーヴ先生の後にルドー達は続く。
悲鳴が聞こえた方向に全員で走っていると、瘴気の覆う森の木々に、刃がぎらつく真新しい剣が一本、二本、どんどん刺さった数が増えていく。
『っ、やべぇ、これは、やべぇ、先に行くな!!!』
聖剣が怯えたようにルドーの手の中で雷を大量放出して暴れだす。
つまり、この先にいるのは。
ビタの悲鳴が前方から響いて、木が倒れる様な激しい衝撃が轟く。
走り続けた森の中が急に開けた。
「おーおーおー、なんかいっぱいゾロゾロ来たな。今取り込み中なんだが」
切り裂かれたように大量に切り落されて倒された森の木々に、広くなった森の中で夜空から輝く星が瞬いていた。
剣の男、刈り上げた黒髪に深い青目の、鷲の刺青が入ったあの男が、左腕から大きくとぐろを巻くように大量の剣を巨木から伸びる木の根のようにガチャガチャと伸ばし続けながら、褐色肌の小さい男の子を右手で首に手をかけて吊り上げていたところだった。
横を見るとビタが剣の腕で木に叩きつけられたのか、折れた木の前であちこちから血を流しながら気絶するように倒れている。
「前に出るなと言ったはずです!」
声をあげたヘーヴ先生の方を見ると、トラストが咄嗟に倒れたビタに駆け寄ろうとしていたところだった。
剣男はそれを見逃さずにトラスト目掛けて左腕を振るう動きで大量に放出され続けている剣の巨束がねじれながら迫り、ヘーヴ先生が庇おうと動いて二人諸共剣の大束に薙ぎ払われた。
ヘーヴ先生は防御魔法で防ごうとしたが、剣の刃がそれをあっさりと切り裂いたのか、トラストを庇ったせいで直撃した全身から大量に血を流しながら木に叩き付けられて呻いている。
庇われたトラストも攻撃は掠ったのか、腕から新しく血を流して地面に叩き付けられている。
トラストはすぐ傍で倒れて動けずもがいているヘーヴ先生に向かって手を伸ばして、涙目になって何度も何度も謝りながら回復魔法をかけ始めた。
「トラスト! ヘーヴ! くっ、子どもに手を出してんじゃないよ!」
ネルテ先生が二人を見やった後、なおも吊り上げた子どもの首をギリギリと締め上げ続けている剣の男に向かって緑の拳を飛ばしたが、人間形態の右腕の上、右頭部に当たって弾けてどろりと中身が滴り見えているのに微動だにしない。
明らかに人外じみたその様相にネルテ先生は目を見開いたまま攻撃した体勢で固まる。
「うん? こいつ殺したらお前ら絶望してくれんの?」
弾けた頭が魔力もなく勝手にドロドロ治りながらぐるりと首を動かし、常軌を逸した笑顔を浮かべた男に、それを見た一同は戦慄する。
心の底から人が絶望することに歓喜している、そんな顔をしていた。
しかし男はこちらを向いた瞬間、何かに気付いたかのように表情を変えた。
『くそ、気付かれた! ダメだ、逃げろ!』
「あー! 優先順位変更だぁ、古代魔道具使い!」
そう言って手に持っていた子どもをゴミのように放り投げた次の瞬間、男はネルテ先生の背後、ルドーの目の前に現れていた。
攻撃も防御もする暇もなくその右手に喉を掴まれて吊り上げられる。
聖剣が必死に逃げろと叫び雷を男に浴びせ続けているのが見える。
しかし男は皮膚が焼けては新しく生えてを繰り返してまるで効いていなかった。
「今回はどれくらい持つと思う? なぁ、古代魔道具」
恐ろしい強さでギリギリと首を握られて、木の枝のように首が簡単に折れそうになっている現状に恐怖する。
だが今リリアの居場所も分かっていないのに気を失うわけにはいかない。
締め上げられていくことにどこか懐かしさを感じながらも必死に意識を失うまいとルドーは抵抗した。
腕を何とか振って、空中に浮かせた聖剣を男に向かって何度も突き刺し、雷閃を放ってみてもまるで意に介さないかのように焼け爛れ、切り裂かれるまま。
ネルテ先生とエリンジがその腕を放させようと攻撃しているのが光って見えるが、負傷はすれどもすぐに治って動きは全くビクともしていない。
叫び続ける聖剣の声がどんどん遠くなっていく中、首を握っている腕越しに衝撃が走ってルドーは唐突に振り落とされた。
ゲホゲホと咳込みながら身体を起こし、何が起きたか確認しようと目を開けた瞬間、目の前にギョロギョロとこちらを覗き込んでいるものを見てまた恐怖した。
あの時のバケモノと一緒にいた、背中が大きくボコボコと角張った小さな少年のようなものが、しゃがんで視点定まらない大きな目をルドーの目の前でギョロギョロと動かしている。
「あー! そう、そうきみ! 探してたんだよちょっと話聞いてくれる!?」
剣の男が目の前の何かの後ろからそう叫んでいるのが聞こえたが、ルドーの目の前にいるなにかは全く意に介していないのか反応がない。
得体の知れない恐怖にルドーは身体がすくんで動けない中、目の前のバケモノはギョロリとようやく視点をルドーに向けた後、皮膚が剥がれて爛れたような手を伸ばし、その指でゆっくりとルドーの胸に触れる。
「テ……る……キ……」
それに触れられ、目の前の何かにそう言われた瞬間、ルドーは突然金槌で強く頭を殴られたかのような強烈な痛みに駆られた。
思わず唸るような悲鳴をあげ、訳も分からず叫んで雷を迸らせている聖剣も忘れて両手で頭を抑える。
砂嵐が頭の中を駆け巡っている。
よく遊んだ近所の公園、テレビ、自分から伸ばされる小さい子どもの手。
血の赤い景色。
テるキ、テルキ、てるき、輝季。
久しく呼ばれていない、それは――――
――――――――前世の俺の名前だ。
ルドーはあらんかぎり絶叫していた。頭が割れんばかりに痛い。
今のルドーは意識もなくただただ白目を剥いて、血の涙を流しながらあらんかぎり大声で叫び散らしていた。
「なんだい、一体何が起こっているんだい!?」
ネルテ先生とエリンジは、化け物の目の前で突然魔力暴走を始めたルドーに圧倒され、余波をくらうまいと必死に身を守りながら歯を食いしばって見つめていた。
ルドーの身体中からありったけのどす黒い魔力が放たれ、その周囲の木や地面を処構わず破壊しつくし始めている。
『助けてくれ! もう意識がねぇのに暴走だけしてやがる!』
聖剣がネルテとエリンジに叫ぶように必死で訴えかける。
聖剣の魔力を介さず、ルドー自身の魔力だけで暴走していた。
勇者として覚醒した際、聖剣を持ったためにルドー本人の魔力は増えなかったとされていた。
しかし実際には違った。
ルドーも勇者としてきちんと女神から祝福され魔力も与えられている。
目の前で大量の魔力を放出させてあちこち破壊しながら暴走しているルドーを見れば、エリンジもネルテもそれを理解した。
なぜルドー本人すら気付けなかった魔力が急に暴走を始めたのか、理由がわからず二人はただただ混乱しながら余波を食らわせまいと、倒れているヘーヴ、トラスト、ビタの前に移動し防御魔法を張った。
ルドーは暴走したまま叫び続けている。
それを目の前でしゃがんで眺めていたバケモノは、またその大きな目をギョロギョロと動かしたあと、もう興味がないのかゆっくりと立ち上がって手に持った本のようなものを引き摺りながら移動し始めた。
そのバケモノを追うかのように剣の男も大きく声を掛けながら空中を浮遊して追いかけ始める。
どんどん強くなっていくルドーの暴走した魔力に当てられまいと必死に抵抗していたネルテとエリンジは、森の暗闇の中、剣の男から放り投げられた少年が、バケモノと一緒に付いてきていた別の大きな個体に追われて逃げていることに気付けなかった。
「おにいちゃあん!!!!!」
突如として上空からリリアの叫び声が響いた。
ネルテとエリンジが空を見上げると、遥か上空を飛行する魔法の鳥から飛び降りてきたリリアが、魔力暴走で全身から周囲に攻撃魔法を放ち続けているルドー目掛けて躊躇せず飛び込んできていた。
浄化魔法と回復魔法を同時に掛け合わせたリリアは、暴走を続ける兄に向かって放ち沈静化を図る。
別の甲高い悲鳴にネルテとエリンジがそちらを向くと、同じようにノースターが鳥から放り出されたところだった。
バキバキに割られたグルグルメガネから涙を流して落ちてくるノースターを、ヘーヴたちを守りながら片腕を振るい、大きな緑の拳を上空に出現させたネルテ先生が、その拳にノースターを包み込んで落下を防ぐ。
リリアがルドーのすぐ上まで落ちてきた瞬間、まるでリリアだけを受け入れて決して傷付けない様に、リリアの周囲だけ暴走が止まった。
白目を剥いて絶叫し続けるルドーにリリアは魔法を使いながら飛び付いて抱きしめる。
もう大丈夫だというように。
リリアが強く強くその身を抱きしめた。
暴走するルドーの真っ黒な魔力に、回復と浄化の白い魔力が混ざってゆっくりと沈静化していく。
防御魔法を張るエリンジとネルテ、回復魔法でようやく動けるようになったヘーヴ、意識を回復させたビタ、倒れたまま身を起こしているトラスト、地面にゆっくり下ろされたノースターは、徐々に徐々に収まっていったそれを息を止めてじっと見つめ続ける。
「……リリ?」
「もう大丈夫、お兄ちゃん」
ようやく正気を取り戻したルドーは、頭の痛みに尾を引かれながらも、無事だったリリアをしばらく呆けて見た後、その場で強く抱きしめた。




