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第六十二話 臆病者の勇気

 勝手に覗いて気持ち悪い。


 会う人会う人に好奇心が湧いて、つい観測者を使ってしまうのは、その役職持ちの性といっても差し支えなかった。

 しかしトラストの場合、その観測者を使っていることが相手にわかる。

 了承も得ずにその内側の覗かれては誰もいい気がしないのは当然の事だった。


 幼少のトラストがそのとこに気付くまで、彼は周囲から嫌われて孤立し続けていた。


 それでも心が折れなかったのは、理解のある両親が本を渡してくれたからだ。

 平民でも古本屋に行けば気軽に本が買える。

 人ではなく物ならば、その観測者を使って相手に位置がばれても意味はない。


 トラストはいつの間にか本ばかり読みふけるようになり、また気持ち悪いと罵倒されるのを恐れて人に対して臆病になった。


「う、うぅ……なんで今にして昔の夢なんて……」


 トラストが起き上がると、傍にはビタが倒れていた。

 周囲を見渡すと、高級そうな建物の室内構造なのに、つい最近引越しでもあったのか、家具が全部持ち出された後のような殺風景な風貌をしている。


 なんとかビタを揺らし起こすと呻いている様子から、どうやら気を失っていただけのようだ。


「ルドーさん達……どこ行っちゃったんだろう」


 周囲を見渡しながら観測者を使う。

 しかし近場に見知った相手を見つけることは出来なかった。


「そんな……屋敷に戻ってきてる……?」


 ようやく意識を取り戻して起き上がったビタが真っ青な顔で呟いて、トラストはつい周囲を見渡した。


 貴族の屋敷と言われればそれらしい大きさの部屋だが、家具が何もない殺風景さのせいでどこか異質さを醸し出していた。

 さらにトラストはその部屋の床に薄ら漂うものを見て、屋敷が普通の状態でない事に気が付いて冷汗を流す。


「……ビ、ビタさん、屋敷から逃げ出す前、あれ、ありました?」


「え……?」


 トラストがそう言って指し示し、ビタも言われるがまま視線を向ける。

 薄らと部屋の床に薄い瘴気が湧いている。


「そ、そんな! 屋敷に瘴気なんて、今まで一度も……」


 そう言って恐れおののくように両手を口に当てたビタの反応から、トラストはこの瘴気はビタが屋敷から逃げた後に発生したものだと考えた。

 ルドー達から説明のあった鉄線というマフィア組織から逃げている際、ビタは恐怖から一度も言葉を発しなかったため事情が全く分からなかったが、両親の尋常ではない光景を見たという話。


 それを遡って思い出し、トラストはビタに問いかける。


「ビタさん、その、ご両親が、子どもに鞭打ってたところを見たって言ってましたよね」


 トラストが問いかければ、ビタはびくりと身体を震わせる。

 未だに怯えているのだろう、両手を胸の前に抑え込んで息が少し荒くなる。


 けれど、屋敷に戻ってきて、瘴気が発生し始めているなら。


「ごめんなさい、ど、どこで鞭打たれたました? まだ屋敷にいるなら……」


「ト、トラストさん、まさか、助けようと言うのです?」


 目を見開いてトラストを振り返ったビタに、トラストは唾を飲み込みながらもゆっくり頷いた。


「さっきの話にしては、その、すごく静かだし、ここに瘴気が湧いてて誰も騒いでないのも、変だから。ひょっとして瘴気を見つけて、逃げてるかも。慌てて逃げたなら、その子どもを連れて行ってるかわからない。僕の観測者は、初対面の人は視認しないと使えないから、探せなくて、だから、その……」


 トラストの観測者は、相手を見た瞬間ありとあらゆる情報や発動中の魔法、役職が文字の羅列となって頭に浮かんでくる。

 その代わりに相手に覗かれている感覚とトラスト本人の位置が分かる。


 一度解析すれば魔力の波長から遠くからでも観測者を使って相手の位置も把握できるが、会ったこともない相手にはそもそも解析していないので魔力の波長が分からないため場所の特定が出来ない。

 だから鞭打たれていた子どもがまだ、瘴気が発生し始めた屋敷に取り残されているならば、トラストの観測者を使って探すことは不可能だった。


 だからこそ、ビタにその居場所を聞く他なかった。


「ごめんなさい、その、怖いと思う。酷い事も言ってると、思う。でも、話に聞いてた子どもが鞭打たれた後なら、自力で脱出出来ないかもしれないから、屋敷に戻ってきたなら、その、安否は確かめたいんだ」


 どもりながらも、助けを求めるようにトラストはビタに訴えた。


 子どもがまだ残ったまま、自分達だけ瘴気の対処も出来ずに屋敷から逃げることは、先程戦えずに殴られるまま気絶してしまった後悔から、トラストは絶対にしたくなかった。


 トラストの握ったその両手が震えている。言っておきながら情けない様子に自分が悔しくなった。

 しかしビタにはその様子が何か別のように映ったのか、怯えて揺らいでいた薄灰色の瞳がその両手をしっかりととらえていた。


「……居間の、暖炉の前でしたわ。鞭打った上に、暖炉の火で熱された火かき棒まで、押し当てて……」


「思い出さなくて、いいです。居間ですね、案内してくれませんか?」


 口を結んで絞り出すように答えて震えたビタに、トラストはその背をさする。

 震える手で指差したビタの案内に続く。


 屋敷は既に撤退された後なのか、汚れた土足が慌てたように出ていった足跡が、敷物を剥がされた板床の上に大量に残されている。


 ビタの案内する方向に廊下をゆっくり進んでいくが、進むほどに瘴気がどんどん濃くなってきている。

 おかしい、空気の淀みがあるような造りではないのに、突発的に瘴気が発生したにしても短期間で溜まり過ぎている気がする。


 ビタと二人歩いていると、空を切るような変な音が聞こえてくる。


 なにか心当たりはないかとトラストがビタの方を見て聞こうとしたが、肩を震わせて今にも倒れそうな程真っ青になっている。


 無理をして案内してもらっている手間、これ以上無理に話をさせても良くないかもしれないと考えたトラストはそのまま前を向く。


 向かっている先の両開きの扉の片方が、うっすらと開いていた。

 なにかが空を切るようなヒュッという音と共に、ビシリと重い音がして、トラストは急に冷静になった。


 まさかまだ鞭打ち続けているとでもいうのか。

 ビタと一緒に逃げ出してからもう何時間もたっているというのに。


「へへっ……へへへっ……お前のせいだ……お前のせいだろう……」


 トラストが音を立てない様に慎重に、ゆっくりと扉を開いていく。


 男が一人、こちらに背を向けた状態で、黒い鞭を振るっている。


 パチパチと火の入れられた暖炉の灯りに照らされて、少年が一人倒れていた。

 褐色肌に短い焦げ茶色の髪をした少年は、年相応のタンクトップに短パン姿でこそあるものの、その服は相当使い古されている様なボロボロ具合だ。

 さらにその薄汚れた服にさえ滲み浮かんでいるかのように、鞭打ちで負った傷が赤く開いてうっすらとあちこち滲んでいる。


「お前が目を離した隙に何かしたんだろう!」


 唐突に男が叫んで暖炉に手を伸ばしたと思ったら、赤々と熱せられた火かき棒を取り出して少年の背中に押し付け、気を失っていた様子だった少年から大きな悲鳴が上がった。


「もうやめて! やめてください!」


 弾ける様な音と共に火かき棒が真っ二つに割れてカランカランとむき出しの床板の上に転がる。


 トラストが横を見ると、ビタが肩で息をしながら手を上げて魔法で火かき棒を破壊したようだった。


 男が声に反応してゆっくりとこちらを振り向く。

 薄緑の短髪に、淡藤色の切れ長い目、知識の豊富なトラストはその容姿を見ただけで誰かわかった。


「エルムルス商会の次期商会長、ラクリダさん……」


 誰に言うでもなく呟くと、男が片眉を上げる。

 だがトラストに視線を向けたのも一瞬で、隣にいたビタに視線を向けると、乾いた笑いを上げた。


「あぁ、ビタじゃないか。戻ってきてよかった。君だけ勝ち逃げするなんてとても許せやしないから」


 その手に黒い鞭を持ったままビタを見て薄ら笑いを浮かべ続けているラクリダの言葉に、トラストはゆっくりとビタに視線を向ける。

 怯え切ったような表情が、今にも気絶しそうな程に真っ青になったまま震えていた。


「お知り合い、なんですか? それに勝ち逃げって……」


「あぁ、一応婚約者だったんだよ、ハイドランジアが潰れた今はもう元だけど」


 ラクリダの言葉にトラストは咄嗟にビタの方を向いた。


「……よく言いますわ、あくまで商会として必要だっただけの関係でしたのに……」


「それでも一々健気にせっせと世話を焼いてきた君には笑いが堪えられなかったよ、愚かだという意味でだけど。だから君だけ何の関係もありませんと逃げ切られるのは業腹だったんだよね。ほんと戻って来てくれてよかった」


 唇を噛み締めながら言ったビタに対して、ラクリダの余りの言い分にトラストは思わず眉をしかめる。

 ラクリダの足元で倒れたままの少年を指差して、トラストは静かに言う。


「その子を、解放してください」


「ダメだよ、まだ何とかなるところが、こいつのせいでおかしくなったんだ。何をしたか吐かせるまでは解放できない。君たちもまた逃げたりできないよ」


 ラクリダが言い終わるや否や、トラストは唐突に吹っ飛ばされる。

 頭に突然ガツンと重たい何かが当たったような感触。


 体幹がないせいでそのまま仰け反って倒れ、同じような鈍い音と共にビタも悲鳴を上げて倒れる。

 ビタにも頭に衝撃が走ったのか、額に擦り傷のような跡があった。


 倒れながらもトラストは咄嗟に正面のラクリダに観測者で解析魔法を使うが、驚いて目を見開く。


 ラクリダは何の魔法も使っていなかった。


「なにこの気持ち悪い感覚、色んな目に一斉にジロジロ見られている様な。そこのメガネ君なにかしてるの?」


 そう言って手にある黒い鞭を振るってくる。

 トラストが避けられるはずもなく左顔に直撃してメガネの左側にヒビが入り、出血したのか額から液体が流れ落ちてくる感触があった。


 トラストは倒れている少年に観測者を使って解析魔法を使う。

 さっきの鞭打ちだけじゃない、長期的に暴行され続けてきたのか、負傷が激しくかなり衰弱している。


「なんとかなるって、鉄線に目を付けられて、もう終わりじゃないんですか」


「まさか。鉄線とはいいビジネスパートナーだったんだよ。お互いいい商売相手で。それなのに、急にしばらく潜るから取引を一旦やめるとか言いだしてさ。最近の利益率の高さは鉄線からの商品の恩恵が大きかったから、このままじゃ大損だ。だからあれを使おうとしたのに」


 そういったラクリダが向けた視線に倒れたままトラストとビタが追従すると、妙なものが暖炉の床に置かれている事に気が付いた。


 両手で持てるほどの小さな銀の薄い皿に、水が少し溜まっている。

 そこに切り花を生けるように、同じくらいの木の枝が置かれていた。

 木の葉が一枚も付いていない、真っすぐな枝が三本に分かれた先に、宝石のような薄黄色い球がそれぞれ三つ付いていた。


 トラストはそれを見てさらに目を見張る。

 まるで水に付けたドライアイスから煙が舞うように、その枝を生けている水から瘴気がじんわりと広がってきていた。


「古代魔道具……あの形状、確か商売繁盛を約束されるとか……」


「へぇ、知ってるんだ、その通りだよ。玉の枝さ。僕が手に入れたんだ」


 以前ルドーが古代魔道具関連書籍を借りた際、カゲツが語っていた内容が気になったトラストは、その内情を聞いていた。


 持つだけで商売繁盛を約束されるという、木の枝のような形をした古代魔道具があるという。


 商売人にとってまさに夢のようなその古代魔道具が、新規のエルムルス商会をここ数年で大手に成り上がらせた要因だった。


「面白いんだよそれ、局面で手に取って願うだけで、運がいい方にポンポン転ぶんだから。この屋敷に様子を見にきたら鉄線の奴らもいて、しかも話を聞いたら地下に潜るだ。鉄線が地下に潜るなら、代わりの組織を探さないといけない。だからそれを使って探そうと思ってたのに、ちょっと目を離したら急に瘴気が湧いててそこにガキが倒れてたんだ。おい、いい加減何をしたか吐けよ!」


 そう叫んで子どもに足を上げたラクリダを見て、トラストは咄嗟に身体が動いた。

 子どもに覆いかぶさって、ラクリダの蹴りをそのまま受ける。


 やせ細った身体が強張ったように震えていてトラストは目を見開いた。

 気絶していたわけじゃない、目をつむって気絶したフリをしていただけだ。


 その事に気付いたトラストは猛烈に自分が情けなく感じた。


 自分よりも圧倒的に小さいこんな子どもが、暴力を受けてなおも必死に耐えている。

 それなのに攻撃魔法が使えないせいで相手にされるがままの自分が、無性に小さく感じた。


 殴り蹴られ続けている中トラストが歯を食いしばって顔を上げると、そこには少し遠くの方で顎に指をあててその様子を眺めているラクリダの姿を見て目を見開いた。

 最初の蹴りこそラクリダのものであったが、その後から続いていた攻撃はラクリダがしているものではない。


 観測者を使うも、彼は変わらず魔法をなにも使っていない。


「やめろよそれ気持ち悪い」


 トラストの目が黄色く光り、視線の大元が誰かわかったラクリダが、眉をしかめて吐き捨ててくる。

 子どもに鞭打つような男からの慣れている罵倒に、トラストは何の感慨もわかなかった。


 あんなに言われ続けるのを恐れていたのに。



「トラストくんてすっごい物知りなんだね!」


 輝くような笑顔で言われて、トラストはつい面食らったまま固まったのを覚えている。


 食堂で声を掛けられて、つい無意識に観測者を使ってしまって、せっかく好意的だったのに嫌われてしまうと慌てていた。


 弁明を聞いたリリアは、何でもないというように笑って全く気にせずそう告げた。

 医務室でかけられた言葉に感銘を受けた後、この瞬間トラストはリリアの言葉に心から救われていた。



 情けないところばっかり見せちゃダメだ。



 リリアはずっと兄のルドーばかり見ている。


 無意識にその姿を探して視線が向かっていたトラストにはよくわかっていた。

 古代魔道具を使った並外れた戦闘、その姿をずっと見続けて敵わないとわかっていても、それでも。



「持ち味を生かしなトラスト。攻撃するだけが魔導士じゃないんだ」


 魔法訓練で息切れしていた時、ネルテ先生にそう言われた。


 けらけら笑って立ち去っていった先生の言葉を理解しようと、必死にさらに勉学に励んだ。

 攻撃魔法が使えなくても、観測者だからこそできることを。



「……そこ!」



 輝く黄色い瞳がその姿を映し、瞬時に解析魔法を使う。

 観測者の強力な解析魔法とトラストの持つ知識の多さによって分析されたそれは、トラストの無意識下で解析した情報を元に相対する魔法を瞬時に行使して無効化した。


 透明化していた男が浮かび上がり、その目は驚愕に見開いていた。


 この場にいたのはラクリダだけではなかった。

 透明化魔法で姿を消していた男がずっと殴り蹴り攻撃し続けていたのだ。


「姿を消して一方的に攻撃するなんて、卑怯者!」


 現れた男を見て、一瞬呆けたビタが顔を歪ませて咄嗟に手を振り上げた。


 変化魔法を得意とする彼女によって、床の木材が大きな拳の形に変わって男を殴り上げて吹っ飛ばす。

 暖炉の薄明りの中、痩せた体型の男は大きく宙を舞って唾を吐きながら床に打ち付けられて転がっていき、数秒見悶えた後動かなくなった。


「マズミさん! お前ら何をしたかわかって……」


「けんこんいってきいいいいいい!!!」


 倒れた男を見てラクリダが慌てて鞭を振るおうとした瞬間、トラストの下で倒れていた少年が物凄い勢いで飛び出したかと思ったら、ラクリダの股間に向けて強烈な蹴りを入れた。


 顔から眼が飛び出す勢いで苦悶の表情を浮かべたラクリダは、そのまま過呼吸を起こしながら前かがみの状態でしばらく震えた後、顔中から汁を滴らせて目をむきながらその場に倒れてピクピク痙攣し始める。


「やっとだあの根暗クズ! みえないせいでどこにいるのかわかんなかった!」


「ちょ、ちょっと、酷い怪我だから、安静に……」


「やだ! 俺はカイにぃが来るまでライアとレイルを傍で守らなきゃダメなんだ!」


 トラストが慌てて落ち着かせようとして、ビタが回復魔法をかけようと手をかざすより前に、酷い怪我の状態のまま幼い少年は走り出してしまう。


 半開きのドアを体当たりするように飛び出していった少年を、ビタと共にトラストは慌てて追いかけていった。



 暖炉の傍で瘴気を出したままの古代魔道具の存在を、すっかり忘れて放置したまま。


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