第四十九話 目指していた最強
「エリンジくんの言ってる最強の魔導士ってどんな魔導士?」
不意に告げられたリリアのその言葉はエリンジの心を深く刺した。
最強の魔導士になれ、そう言われ続けたエリンジは生まれた時からただひたすらに研鑽を磨いた。
最強の魔導士になれ、その為にどんな努力も惜しんでこなかった。
皆同じだと思っていた。
だから手を抜いている連中に腹が立ったし、力が及ばない連中がなぜ必死に努力しようとしないかわからなかった。
いつも何を言われても答えられるように学んできたはずなのに、リリアが発したその言葉にだけは息が詰まって返答できなかった。
いったい今まで目指していたものはなんだったのだろうか。
最後に見た光景は、あたり一帯の空間を埋め尽くすような光の極太い柱だった。
どれくらい長い間それが続いただろうか、轟音と衝撃でその場にいた全員が余波を浴びて動けない中、光の中心にいたはずのルドーとあの男、そしてその近くにあったカプセルの様子は何もわからなかった。
吹き飛ばされないようにその場にしがみ付くので全員精一杯だった。
誰も何もできず、ただ収まるのを待つしかできない。
光の柱が出現したのと同じように、唐突にそれは終わる。
突如として弾けてなくなった光の柱、そこには男も、カプセルも、そしてルドーもいなかった。
「おにいちゃん? おにいちゃん!?」
「は? ちょっと待て、どういう事だよおい!!!」
リリアとカイムの悲鳴が聞こえる。
いなくなった身内を探して周囲を見渡し必死に声を上げていた。
エリンジは光を見ていてなんとなくわかった。転移魔法の暴走だ。
リリアはあの状況でも意地でもルドーを生かそうと、使ったこともない転移魔法を組み合わせて不安定な状態で使いながら回復し続けていた。
その不安定な転移魔法が、あの光の柱と混ざってしまったのをエリンジは見た。
転移魔法の暴走は危険だ。
着地も出来ないような遥か彼方の上空に飛ばされたり、見たこともないような浮上も叶わない深海に放り込まれたり、果ては地面の遥か下に生き埋めにされたり。
転移魔法の難易度が魔法の中で一番高いのはこれが由来している。
多少のミスでも身体が千切れる可能性があるのだ、それがあの規模の魔法と合わさってしまったらもうどうなるか、エリンジにですら皆目見当がつかなかった。
ルドーもあのカプセルも、もうどこに飛んでしまったかすら分からない。
絶叫が聞こえる。
既に満身創痍のカイムが涙を流しながら錯乱していた。
周辺の木々や地面、辺り構わず髪の刃で切り刻み続けている。
あのカプセルには少女が入っていた。
アシュでの映像で見た少女と同じだ。
ルドーによるとこのカイムと言う少年の身内らしいことは分かっている。
助けられなかった、目の前にいたのに。
最強の魔導士を目指していたのにこんなことがあっていいのだろうか。
目指していた最強の魔導士とは何なのか。
咽び叫び続けているカイムに、クロノが手を伸ばして恐る恐る近付いているのが見える。
錯乱しているカイムに近寄るのは危険だと、止めなければならなかった。
何が起きたのかわからずに呆然としている場合ではなかった。
嫌な時に嫌なことはいつも重なる。
「……カイム――――――――あれ」
錯乱したカイムが掛けられた声に無意識に反応してクロノに髪の刃を突き立てた。
古代魔道具の魔力とリリアの回復で辛うじて命をつないでいた状態だったルドーの光景が頭を過る。
今まで化け物のような光景ばかり見ていたから、エリンジの数々の虹魔法も、ルドーの古代魔道具の雷魔法さえ素手で弾き落としていたから、攻撃が通るなんて微塵も考えていなかった。
だから呆気ないほどあっさりと髪の刃に貫かれてしまう光景を見るなんて思いもよらなかった。
髪の刃に大きく腹から背中まで貫かれて、引き抜かれる刃にそのまま仰向けに倒れていく様子がやたらとゆっくり視界に映る。
どさりと倒れる音と、ペチペチと血が小さく跳ねる音が聞こえる。
広がっていく赤い水溜まりに、目の前の光景が信じられなかった。
「……は? えっ? まっ……まてまてまて! いやちがう! ちがうちがう! そんなつもりじゃ……そんなつもりじゃ!」
カイムが一拍置いて何をしてしまったのか気付いた。
荒い息使いで震えながら真っ赤に染まった髪を見て、大慌てで血まみれで倒れているクロノに駆け寄っていくカイムを見てようやく我に返ったエリンジは、同じく呆然と見ていたリリアに大声で声を掛けた。
「回復魔法だ、急げ!」
いなくなった兄を探して周囲を見渡し呆然としていたリリアは、エリンジの声にはっとして息を飲みながら急いでクロノの傍に座り込んだ。
しかしリリアが手をかざしてクロノに回復魔法を掛けるが、彼女の思ったように傷が治ることはなかった。
「……なにこれ、魔法が全然、通らない……」
呆然とするリリアに言われてエリンジも急いで回復魔法を追加する。
回復魔法を掛けているはずなのに、全身が黒焦げになろうともリリアならばいつもすぐに塞がっていく傷は、制服ではない旅人のような服装がどんどん赤く塗れていく中、エリンジとリリア、そしてカイムの三人掛かりでもなぜか傷口が全く動かない。
血だまりがどんどん広がり、なんとか出血を止めようと服越しに傷口を押さえた手が、足りずに赤く染まっていく。
血が流れて熱が逃げているのか、どんどん身体が冷たくなっていっていた。
帽子を被ったまま表情の分からない顔は血の気が引いて、指一本ピクリとも動かない。
「謝らないといけないと思ってるの。」
エリンジは今まで謝るという行為はしたことがなかった。
領地にいたのは厳しい両親と使用人だけ。
両親は口数も少なく会話もあまり長く続かないため喧嘩もしたことがない。
使用人とはそもそも伝達事項や命令だけで会話しない。
領地どころか住んでいた屋敷から出たことがなかったエリンジは人と接してこなかった。
本で学んだから謝るという行為自体は知っていたが、人と接することがなかったエリンジにとってあの時リリアが言って初めてここが謝る時だと学んだ。
「やめろ、まだお前に謝れてないんだ」
同じ魔導士を目指していながら、全く魔法を使おうとしないその態度に腹が立った。
本気を出せと多少脅して見せれば何か反応があると思った攻撃は、すべて無視するかのように放置され、挙句の果てには素手で叩き落された。
いなくなってから、実際は魔導士を目指すどころか、エレイーネー側の不手際であの場にいただけだったと知って愕然とした。
攻撃を防ぐ手段を持っていたから大事になっていなかっただけで、あれが一般人ならば今頃死んでいても可笑しくない攻撃を何度も向けていたのだ。
魔法をまともに使えないとずっと伝え続けていたのに、嫌われて逃げられるのも当然だ。
魔道具施設のテロ行為も、さっきの男の人狩りに対する口ぶりから、多分魔人族は被害者側。
犯罪組織とつるんでいるなどと腹を立てていた自分が滑稽で情けなくなる。
「いや一応話ぐらい聞いてからでもよくね?」
今になって思う、ルドーに言われた通りクロノ側の話を聞いておけばよかったと。
何故か恐ろしく固くて傷口に魔力が全く通らない。
それでも何とか魔力が通る場所を探して回復を徐々にかけていく。
リリアが今にも泣き出しそうな様子で同じく回復を掛けているが、黒焦げのルドーを即座に回復させるほどの、エリンジよりも技術が高いその回復魔法も全く効いている様子がなかった。
いつもの比ではなく、ほとんど進んでいないと錯覚しそうな程恐ろしく遅い回復速度。
貫かれた傷口も大きすぎた。即死しなかったのが奇跡なぐらいだ。
だが大量に流れ続ける血が止まらない。このままだといずれ失血死してしまう。
「ちがう、ちがう、そんなつもりじゃねぇ、そんなつもりじゃねぇ……!」
「おい! 髪が伸ばせるだろ! 巻いて止血しろ! 回復だけじゃ間に合わない!」
今この場にこの量の血を押さえられる様な包帯のようなものはない。
だからエリンジは目の前でブツブツ言っているカイムに必死で頼んだ。
呆然としながらも、エリンジに言われてカイムは髪で回復魔法をかけながら別から髪を伸ばして固く傷口に固定していく。
なんとか出血を抑えなければ、回復がこうも通らないなら危ない。
「……先生! ニン先生、重傷者です! しかも回復魔法が効かない!」
集中出来ずにそのまま声に出して通信魔法を掛ければ、ニン先生の慌てる声が通信越しに聞こえる。
巻かれた髪からもじんわりと赤い染みが滲んでくる。
カイムがそれを見て発作を起こすような荒い息遣いをしながら更に髪を上から巻き直している。
今までの飄々とした態度どころかなんの反応もないクロノは、そのまま意識を失っているようだった。
エリンジにはもうクロノを助けられる方法が思いつかない。
「カイム、おいどういう状況だこれは」
突風が吹いて大きな鳥が飛んできたと思ったら、狼男と狐目の男が下りてくる。
カイムと血まみれで倒れているクロノを見て目を見開いた後、息を飲む音が聞こえた。
「……人間が多数来る、もう戻るぞカイム」
「放っておけるかこんなの!」
「お前がやったんじゃないか!」
狐目の男の命令に抗議したカイムだが、被せて叫んだエリンジの言葉に魔人族の三人は黙り込んだ。
違う、伝えたいことはこれじゃない。
今置いていくな、回復がいるんだ。手を貸してくれ、助けてくれ。
「いや伝わりづれぇっての!! みんな嫌味にしか受け取ってねぇよ!」
「世間ではそれを突っかかってるって言うんだぞ……」
生まれてからずっとあの会話で成り立ってきていたから、伝わっていないと思っていなかった。
周りの人間と上手く会話できない事をようやく認識していく中、ずっと助けられていたのはどっちだ。
残ろうと暴れるカイムをボンブが強引に締め落とし、気絶した彼を抱えて髪を切り、二人が大きな鳥に乗っていく。
今は置いていくな、手を貸してくれ。
「……長い事勝手に連れてって悪かったね、こんな状態で本当に申し訳ないけど、お返しするわ」
「ほんとにすまねぇ」
血まみれで倒れているクロノを申し訳なさそうに一瞥した後、魔人族たちは飛び去っていってしまった。
残されたエリンジとリリアで、必死に回復魔法を掛け続ける。
「どうすればいい、俺はどうすればいいんだ、ルドー」
いない友人に語り掛ける。
リリアも兄を呼び続けながら必死に魔法を掛け続ける。
この状況でなければ彼女も錯乱していただろう。
ニン先生と他のみんなが駆け付けるまで、エリンジはただ回復魔法を掛け続けた。
 




