第三十八話 リリアの胸中
物心がついたころからずっとその背中を追いかけ続けていた。
同じ年のはずなのに兄と呼ぶのはなぜか、知っている限りずっとそう呼んでいたかのような朧気な記憶がそうさせたのだろうか。
生まれた時からずっと一緒で、いつか成長して離れてしまう事になるとしても、今は一緒に居たいと思うのはそんなに我儘な事なのだろうか。
人の心配ばかりする優しい人だった。
困っている時にいつだって駆けつけて自分の怪我も気にせず喧嘩してばかりで。
だからいつも危険が伴う肝心な時は遠ざけられてばかりいる。
出来る事といったら嫌だと言って拒否するくらいだが、それでも力では敵わないのでいざとなると強引に遠ざけられた。
もっと強くなれば、自分の事は二の次で傷付いてばかりの兄の隣で、傷付かない様に隣に立って守ることが出来るだろうか。
聖女として力を授かって、それが出来るのならば、私はもっと強くなりたい。
空中に投げ出されて遠のいていく兄を見つめて手を伸ばしながら、リリアはそんなことを考えていた。
地面で何回か弾んだ後弾けた魔法で怪我はなかったが、こんな時にもキシアの様に咄嗟に動けなかった自分が歯痒くて悔しい。
すっと正面を見上げれば、恐ろしい量の魔物が今も聳え立つ塔の遥か高い天辺の瘴気から噴き出してきていた。
こういったときの為に私は聖女になったんじゃないのか。
あのどす黒い瘴気を浄化して消滅させられれば簡単に解決するのに、湧き出し続ける魔物に近付くことさえもできない。
悔しさに唇を噛み締めながら、リリアは迫ってきている魔物の黒い大きな影を見つめていた。
「じっと見てるだけで何もしないつもりか」
横を見れば虹魔法で次々と飛翔している大型翼竜魔物を撃ち落としているエリンジがいた。
まだここまで魔物は到達していないのに、遥か彼方の魔物を的確に狙っては次々と撃ち落として霧散させている彼は入学してからずっとずば抜けていて流石だ。
余計惨めな気持ちが押し寄せてくる。思わず石畳に視線を落としてしまった。
「出来ない理由を探すな」
吐き捨てるように言うエリンジの言葉は辛辣だが正しい。
悔しさを噛み締める様に立ち上がって迫ってきていた魔物に向かってリリアは浄化魔法を放出する。
やはりまだ力が足りないのか、霧散しない。
ダメージこそ与えているものの、致命傷に至ってないのですぐに粘土が捏ね上げられるように再生していく。
小規模魔物と違って大規模魔物は致命傷を与えないと倒せない。この翼竜大型魔物も大規模魔物に相当した。
大きく口を開いてその凶暴な牙をのぞかせながら、さらに爪で切り付けようと激しく腕を振り回している。
浄化魔法を放出し続けているお陰でなんとか接近こそ止められているものの、それだけでリリアの目の前で暴れ回っていた。
浄化で上手く倒せずに歯を食いしばって耐えているリリアに、エリンジはさらに辛辣に言葉を投げかけてくる。
「一回失敗した程度で諦めるのか!」
「あぁ五月蠅いなぁもう!!」
いくら言っていることが正しくても、言われ続ければ腹が立つ。
エリンジは相変わらず正面の遠くにいる翼竜魔物に攻撃しているだけで、リリアの目の前で暴れる魔物を倒して手助けしようとはしていない。
自分で何とかしろと言われているようで、それでいてお前は弱いから出来ないだろうと言われた気がして無性に腹が立った。
苛立ちをぶつけるように浄化魔法をさらに放出する。やはり暴れるだけで霧散しない。
力み続けて自然とリリアの口から声が漏れる。
「お前が目指しているのはその程度か、そこで終わりなのか」
次々と魔物を撃ち落としながら掛けてくるエリンジの言葉に、つい兄の背中を連想した。
何を言うでもなく当たり前のように前に出て守ってくれる、その背中が。
リリアに攻撃が当たらない様にと、全く避けようともしないで全身で攻撃を受けて傷付いていく姿が。
回復を掛けて全快にしても、その痛みが消えるわけでもないのに。
なんでもない様に終わった後にはにかんで笑うその笑顔が逆に辛くていつも叩いてばかりなのに。
なんでそんなに傷付いてまで私を守るの。同じ双子なのに情けないよ。
もう傷付かないで。その隣に立ちたい。置いて行かないで。私にも守らせて。
「ああああああああ!!!!」
全身で大声をあげながら、今までの限界を超える量の浄化魔法が両手から放出され、暴れ回っていた翼竜魔物の首を焼き切った。
そのまま霧散していく魔物をリリアは両手を上げたままの状態で呆然と見ながら肩で息をする。
倒せた。大規模魔物を初めて倒せた。自分一人の力で。
「全力を出せばいいと思っているのか、出力に無駄が多いぞ、まだまだ改善がいるな」
「……エリンジくん、嫌い」
無表情で事実だけを告げてくるエリンジに、思わずリリアはジト目で睨み付けた。
無表情の瞳が見開いて驚いたように見える。想定外の事でも言われたと驚いているのだろうか、あれだけ辛辣に言葉を並べ続けて嫌われて当然だろうに、その可能性を考慮していない。
兄の言っていた通り色々と抜けている人みたいだ。
思わずといった形でエリンジが大声をあげた。
「力が足りてないのは事実だろ!」
「事実でも述べられたら傷付く人もいるってわかんないかな!?」
アドバイスでもしているつもりでいるのだろうか、しかし尚も正しい言葉を不躾に投げかけられてリリアは思わず同じ声量で言い返す。
やだこの人、兄は卒なくいなしているけど嫌いかもしれないとリリアは思った。
事実を言われて傷付くという可能性をエリンジは考えたこともなかったのか、初めて動揺したように無表情のまま狼狽えている。
その様子にリリアはさらに苛立ちが募った。
「その思い込みで攻撃し続けたせいでクロノさんが嫌がって逃げたのに、まだわかんないの! この正論だけの朴念仁!」
リリアが大声で叫ぶと、思ったより痛いところを突かれたのか、攻撃魔法を放っていたエリンジは虚無顔になって固まった。
そんな呆然としているエリンジを残し、リリアは町の中心から逃げてきた人たちに声を掛けて結界を張る。
魔物は倒せた。でもそれは今も発生し続けている何百、何千の内の一つに過ぎない。
まるで絨毯爆撃のように次々と襲い掛かってくる魔物をすべて倒すことも出来なければ、それで魔力切れになって倒れることも出来ない。
リリア自身の浄化魔法の練度では今この状況を打開することは出来ない。
悔しいが、それは先程の戦闘で痛いほどよくわかった。
「もうエリンジくんが倒して! 私が結界張るから!」
「お前は戦わないのか!」
「私が倒れたらだれがお兄ちゃんを治すの!!」
今はまだ力が足りない、だから兄の隣に立つことは出来ない。
それでも出来うる限りのことはしよう、置いて行かれて悔しがって泣いてばかりじゃいつまでも変わらない。
強くなるんだ。兄が隣にいても大丈夫だと安心してくれるくらい強く。
回復役が倒れたら困るのはお互い様なので、エリンジもリリアの話に渋々頷いて攻撃を再開する。
今やるべきことは魔力を消耗させることじゃない、回復特化のリリアがするべきことは、終わった後に誰も死なせない様に魔力を温存することだ。
絶対に追いついてやる。
向こう見ずな兄は人を助けようとするばかりで自分を助けようとしない。
勇者になる前からずっと見てきたからよくわかっている。何回引っ叩いてもこれだけは直らない。
だから終わった後に駆け付けて、絶対に死なない様にする。
リリアにとってルドーは何度も救われた命の恩人であると同時に、生まれてからこれからもずっと傍にいる双子なのだから。
『はーいテストテストー、どうやら街中での通信は使えるっぽいから通信しまーす。倉庫街の方に避難してくださーい。唯一拘束を逃れた魔導士の私が全力で守りまーす。エレイーネーの皆さんたちも援護お願いしまーす』
リリアが聞いたことのある声、チュニ王国魔導士長の通信魔法が入って、リリアとエリンジは顔を見合わせて目を見開いた。
リリアの結界魔法内にいた民衆たちにも聞こえたようで、リリアが倉庫街の場所を聞けば教えてくれ、結界魔法をかけたまま移動できるように調整した後援護しながら走り出す。
遠くでイシュトワール先輩のドラゴンが合流しようと、翼竜魔物に攻撃魔法を放って大量に牽制しながら三年の生徒達を誘導しつつ飛んできているのを横目に、リリアは走りながら、同じく走りつつ魔物を撃ち倒し続けているエリンジに向かって叫んだ。
「エレイーネーに戻ったら魔物の倒し方教えて!」
アドバイスを拒絶したと思ったら今度は求めて訴えたせいか、エリンジは完全に混乱しきってしまったようで、走りながら魔法で叩き落している魔物と、横で走りながら訴えたリリアの方に視線を三回ほど往復させて、聞き間違いではないのかといわんばかりに目を丸くしていた。
「き、嫌いなんじゃないのか」
「それとこれとは別問題でしょ! お兄ちゃんの傍にいても大丈夫なように、魔物を倒しても回復に問題ないくらい強くなりたいの! 一番強いんだから教えてよ!!」
民衆たちを避難させながらあらん限りの声でエリンジに訴えたリリアに、ルドーの後ろで守られるだけの奴だと思っていたエリンジは、その認識は間違っていたのだと初めて気付いてリリアを真正面から見つめた。
「……なんだかんだ双子だな」
しばらく呆けるように固まっていたエリンジは、まるでずっと見てきて分かったかのようにフンと鼻を鳴らしながら得意げに呟いた。
そんなまるでわかりきったような反応をしたエリンジの様子に、追い続けた兄を簡単にわかったような気になられて最高潮に腹が立ったリリアは、生まれて初めて兄以外の顔面を思いっきり引っ叩いた。
ルドーがリリアに対して無意識に守ろうと過保護になっているのと同じくらい、リリアもルドーを守ろうと異常なほど重い感情を持って追いかけ続けている事実に、双子でありながら転生した事からリリアに真正面から向き合う事を恐れているルドーは、まだ気付けていない。




