第十一話 魔法訓練は始まらない
「……あぁーっと、これ何事?」
ようやくネルテ先生がやってきた。
しかし地面は抉れているし、土煙はまだ舞っているし、挙句エリンジは気絶しているのか、遥か彼方の校舎の前で倒れてピクリともしない。
いや、あの腹が抉れたような様子から、気絶で済んでいるのかあれば。
あまりの様子に、流石のネルテ先生も困惑して片手で頭を抱え、説明を求めるかのように、ジト目で全員に視線を向けている。
そのジト目の圧に、ルドー達は関係ないのに、全員ビクッと身を震わせ冷汗をかいた。
「すみません、突っかかってきたので加減して殴って気絶させました」
誰も何も言えない中、当事者のクロノが簡潔に説明した。
ネルテ先生からの圧にも、全く臆することなく飄々と、先生相手なので比較的丁寧に話している。
その実力から、クロノはネルテ先生の圧にも全く臆していないようだ。
そして聞くところ一応クロノは、あれでエリンジに手加減していたらしい。
抉れてたけど、腹。
中型魔物も魔法を使わず平気で倒せるクロノが、全力だとどのくらいになるのか。
恐ろしさにルドーは想像もしたくない。
ネルテ先生は困惑した顔で頭をポリポリとかいた後、とりあえずといった様子で、エリンジを確認しに行く。
そういえばキシアの方はどうだったかとルドーが横を見ると、いつの間にかリリアが回復で治していた。
リリアに対してキシアが頭を下げてお礼を丁寧に言っている様子から、問題はなさそうだ。
「他に怪我人はいないね? ちょっとこいつ医務室に運んでくるから……ってちょっとクロノどこ行くの」
気絶したエリンジを雑に抱えているネルテ先生が一旦離脱しようとしたら、いつの間にか校庭から遠ざかっているクロノを見かけて待ったをかける。
明らかにもうここから立ち去るつもりの位置で、こちらに背を向けたまま振り返る。
「ちょっと気分悪いんで今日早退します」
「いや一応事情をだね」
「下手に八つ当たりする前に頭冷やしたいんで、一人にさせてください」
首だけ振り返ったクロノの、その口だけの表情はわからない。
だがかなり機嫌が悪いのか、クロノの低くなった声での訴えに、流石のネルテ先生も真顔で黙り込んだ。
静まり返った校庭で、止めるものがいなくなったのを確認し、クロノは静かに歩き去ってしまう。
確かに昨日からエリンジにずっと突っかかられていたので、機嫌が悪くなるのも仕方ない。
八つ当たりという危険があるなら、冷静にさせるために放置したほうがいいだろう。
エリンジを気絶させた様子を見て、クロノの八つ当たり被害には遭いたくない。
誰も口には出さなかったが、それはこの場の全員満場一致の意見。
ネルテ先生も少し悩んだ顔をして、立ち去っていったクロノを見ていたが、気絶したエリンジを優先して、医務室の方に行ってしまう。
校庭に残された生徒達は、今起こった事に困惑して顔を合わせるしかなかった。
「お兄ちゃん、私週末の課外補習すごく不安になってきた」
「奇遇だな、俺もだ」
『まぁ白髪の対策は今証明されたぜ、ぶっ飛ばせばいいじゃん』
「余計ややこしくすんな」
「ふはははははは! ずっと偉そうにしてたわりに情けないやられっぷりだ! あとはお前だな、この双子やろう!」
突然の大声に全員がそちらを向く。
昨日森を山火事にしようとした、体格のいい赤髪が、大きな両手剣でビシッとルドーを指している所だった。
双子やろうということで、突然の指名にルドーは混乱した。
「えっ、俺? え、何?」
「この俺様、シュミック国第三王子、フランゲル・ヴェック・シュミックより目立つなと言っただろうが!」
貴族のさらに上の王族が出てきて、あまりの面倒臭そうな雰囲気にルドーが顔をしかめた。
目立つなと言っておきながら、エリンジやクロノを放置していたあたり、あの二人には勝てないと踏んで鳴りを潜めていた様子から小者臭がする。
シュミック国とか聞いたことないなあと横でアルスが呟いたら、東北方にある唯一魔の森と隣接してない、島の多い小さな国だとトラストが教えていた。
通りで結構な魔力の割に、魔物と戦い慣れていないはずだ。
とりあえず指名されている以上、返事はしなければならないだろう。
ルドーは項垂れながら、渋々口を開く。
「いや、目立とうと思って目立ってねぇし」
「五月蠅い! しかも貴様も勇者だと? いいか! 勇者っていうのはな、俺様のような選ばれた人間だけがなっていい存在なんだ、間違っても農村出身などではなくてな!」
「んなこと言われても……」
「勇者の全体数で言えば、平民出身の方が圧倒的に多く、王族は数える程度しかいらっしゃいませんわ。王族を名乗るなら勉強しなおして参りなさいな」
「五月蠅い! 指図するな! 俺様より目立つな!」
いつの間にか扇子を開いて、鋭い目で指摘したキシアの反論に、ダンダンと地団太を踏むフランゲル。
大柄な体格が地団駄を踏む姿は、滑稽でしかない。
キシアの説明を聞く限り、王族の方が勇者になることの方が稀のようで、ルドーは少し安心する。
それにしても同い年のはずなのに、反論できない事実を並べた途端に暴言を吐き始めるあたり、随分と行動が幼稚で、本当に王族なのかとルドーは疑いたくなる。
しかも今の口ぶりから、フランゲルも勇者の役職持ちらしい。
こいつと同列は勘弁してほしいと思う。
どうしたものかと完全にルドーが呆れかえっている所に、聖剣が声を掛けてきた。
『なあ』
「ん? なんだよ」
『先公いねぇしうるせぇからやっちまおうぜ』
「うーん」
『向こうさんはやる気満々だぜホラ』
聖剣に言われなくとも、目の前でまた火炎魔法を展開し始めたフランゲルに、ルドーは心底面倒を感じた。
ボウボウと膨らんでいく炎に、周囲が明るく照らされ、熱気が肌を舐める。
エリンジといいこいつといい、血の気の多いやつしかいないのだろうか。
ただここは昨日のような森の中ではなく、だだっ広い校庭だ。
収まっては来たものの、未だに土煙は舞っている。
風で拡散された炎が土煙に当たって、所々霧散して消えているが、フランゲルは気付いている様子がない。
霧散して拡散している火炎魔法は、そのせいでせっかくの高威力が削がれてしまっている。
圧倒的な火炎魔法で焼き尽くそうと、気付かないまま両手剣を構え、フランゲルはルドーの方を向いてニヤリと笑った。
「さっき一人倒れたばっかりだしやめなよー!」
「魔法訓練もまだ受けておりませんのに、下手をするものじゃありませんわ」
「うるさーい! 一番目立つべき勇者は俺様だああああ!!!」
メロンやキシア、周囲の生徒も先の今で流石に止めようと、色々と声をかけるものの、フランゲルは応じる様子もない。
雄叫びを上げながら、フランゲルは両手剣に大きな炎を纏わせて振りかぶり、ルドー目掛けて襲い掛かってきた。
このままだと、横に並んだ他の生徒にも被害が及ぶ。
ルドーは大きく溜息を吐きながら肩を落として、渋々前に歩き出す。
「加減してくれ」
『おう』
背中に背負った鞘からを引き抜いた聖剣に頼みながら、ルドーも走り出した。
流石に火傷を負うのは勘弁なので、火炎魔法に当たらないように注意しつつ、ルドーが聖剣を構える。
ルドーが走り込んで大きく聖剣を横に振り上げ、小さくコツンと軽く剣を交えた瞬間、雷魔法を発生させる。
バシャァンと雷鳴が周囲に響き渡った。
フランゲルは剣を伝った雷魔法にビリビリとしびれ、その姿勢のまま一言も発さず、バタンと倒れて動かなくなった。
思ったよりもこちらの動きに反応がなく、あまりにも軽い剣の衝撃。
フランゲルの剣の腕も、体格の割にそこまでではなさそうだ。
白目をむいてピクピク痙攣しているフランゲルを見ながら、ルドーは呆れ気味に大きく溜息を吐いた。
後ろで様子を見ていた、フランゲルと一緒に来た三人から悲鳴が上がる。
「あぁっフランゲル! ちょっとあなた達運ぶの手伝いなさいよ!」
「ハイハイハイ運ぶの手伝いますよ!」
「ふぅー、やれやれ。主人公は辛いね?」
聖女がどうとか文句ばかり言っていた少女が、横に居た男子二名にビシッと指示する。
目にハイライトのない少年、あと変なポーズを常にしているナルシストっぽい言動の少年が、二人掛かりでフランゲルを運ぼうと、それぞれが肩と足を抱えて担ぎ始める。
そのままフランゲルを運びはじめた二人だが、呆れかえったジト目でその様子を見ていたルドーの前で、ナルシスト男が唐突にピタリと足を止めた。
「あぁと君、聖剣は主人公の物だよ? ほら返してくれる?」
「え?」
『こいつのもんになった覚えねぇぞ』
言われた意味が分からず、ルドーは聖剣と共に混乱する。
しかしそんなこちらの様子も気にしないで、ナルシスト男は話し続ける。
「わかんない? 君は脇役、主役は僕なわけ。本来は僕が手にするはずだった聖剣なんだよ? ほら分かったらさっさと差し出すんだ」
フランゲルを二人掛かりで担いだまま、ビシッと決め顔で指を差してくるナルシスト男。
そのまま聖剣をよこせと言わんばかりに、指差した手をこちらに向けてきた。
いったいいつフランゲルを運び出すのだろうかと、横で桃髪色の少女がじっと見つめているが、気付いていない様子。
後ろでハイハイ言ってた男が、必死に運び出そうと足を踏み鳴らしている。
何を言われているのか分からないルドーと周囲の面々は、ただただ困惑するのみ。
「ほらほら出来ないなら僕が持っていって……」
「あっ馬鹿無暗に触んな!」
『きめぇこいつ!』
ルドーが制止の声を掛けるも、ナルシスト男が聖剣を強引に奪おうと柄に手をかけた。
途端に先程手加減したフランゲルの時の比ではない、強烈な雷魔法がナルシスト男に放出される。
バリバリと激しい音と雷光に、ナルシスト男の悲鳴がしばらく続いた。
ナルシストも黒焦げになってその場にバタンと倒れて動かなくなり、桃色髪の少女が悲鳴を上げて飛びのいた。
なんとか黒焦げでもピクピク動いている様子から、ナルシスト男は一応生きていると思う、多分。
ナルシスト男が倒れ、運んでいた気絶したフランゲルもバランスを崩して一緒に倒れ、ハイライトのない目をした男だけが、うんうん唸りながら、ひたすら運ぼうとする混沌とした状況が作り出された。
誰も何もいう事が出来ず、シーンという沈黙に、うんうんハイハイ言っているハイライト男の声が響く。
「……この聖剣、現状俺以外持てねぇんだよ。無暗に触ると酷いぞ」
「もっと早く言うべきじゃないかなぁ?」
やっと絞り出したルドーの言葉に、アルスが突っ込む。
ネルテ先生が戻ってきたらどう言い訳しよう。
「……なんで負傷者が増えているのかな、君たち?」
考える間もなくネルテ先生が戻ってきてしまった。
流石に怒っているようで、ニッコリ笑顔の圧が怖い。
そのまま叱責やら校庭の現状と、全員からの事情聴取で、初日の魔法訓練の開始がかなり遅れてしまった。




