第十話 決定的な亀裂
静かな教室にカリカリと、鉛筆で文字を書く音だけが響いている。
不意に周囲を見渡したメロンが声を上げた。
「あれ、せんせー」
「なぁにー?」
「そういえば帽子の子、戻ってきてなくないですかー?」
メロンが不思議そうに呟く。
授業内容とは全く関係はないが、そういえばルドー達が戻ってきた時点で、教室にはエリンジのみで、クロノはいなかった気がした。
くたくたになった身体を引きずってきたので、授業開始時間ギリギリだった。
その為ルドーより後から来た人もいなかったはずだ。
メロンに言われて、他の生徒も顔を上げて周囲を確認してみていたが、あの目立つ帽子が見当たらなかった。
「んー? ありゃ? ほほう、初日からサボりですか」
ネルテ先生が指摘されてバインダーに視線を移すと、一瞬スッと目が据わった。
ルドーは一瞬、エリンジのように先に終わらせて無言で立ち去ったのかとも考えたが、ネルテ先生の反応から、どうやら座学の最初から教室に来ていなかったらしい。
「あいつが教室に一人居座ってたから、戻るに戻れなかったんじゃあ……」
昨夜の校庭での騒ぎを知っていたルドーは、面倒事は避けそうなクロノの様子から、何となく擁護する意見を言う。
「あぁーそれもあるかなぁ。うーん、あれ? 位置情報探索出来ない……」
流石に昨日の今日で頭を悩ませているのか、ポリポリと頭をかきながらバインダーをとんとん叩いていたネルテ先生が、ボソッと呟く。
どうやらあのバインダーは魔道具になっているようで、生徒の出席や現在地が分かる優れ物らしい。
「まぁ学内にはいるっぽいな、学習本も渡してるから大丈夫大丈夫」
学内の別の場所で、学習本を使って座学をやっている分には、問題ないという事だろうか。
ほら分かったら集中しなさいとネルテ先生に言われて、何人か顔を見合わせたが、生徒達は視線を下に落とした。
学習本に並ぶ文字の羅列に、ルドーは頭がおかしくなりそうだが、仕方ないので黙々と書取から始めることにした。
「お兄ちゃん、言われてた文字の勉強、やっぱりサボってたんだね」
「うるせぇ、てかなんでリリは文字読めるんだよ」
「私は家にあった本読んでたもん」
「あぁなんか恋愛小説とか色々言ってた……」
『あぁー? つまんねぇ授業の方は終わったのかぁー?』
ルドーが恋愛小説とこぼした瞬間、顔を真っ赤にしたリリアにまたパアンとひっぱたかれた。解せぬ。
食事をとるタイミングは各自自由なので、ルドーは書き取りをとりあえずきりのいいところまで終わらせたら、もう昼をとっくに過ぎていた。
慌てて食堂に行き料理を注文していると、食後の一息で談笑していたリリアから小言を言われたのだ。
ちなみに聖剣は勉強にはまるで興味がないので、座学中はずっと寝ていたらしい。
おしゃべりで邪魔されない分マシなの、でルドーも放置していた。
「ところで、なんでそいつが仲良さそうに隣座ってんだ?」
「うえっ!?」
リリアの反対隣りに座っていたメガネ君。
ルドーが一睨みすると、慌てた様子で両手をばたばた動かし始めた。
あわあわなんとか言い訳を口にしようとしたら、リリアが割って入ってくる。
「お兄ちゃん、そいつじゃなくてトラストくんだよ。トラストくん、エリンジくんの次に座学終わらせたんだよ! だからちょっと話聞いてみようと思ったら、凄い博識でね」
どうやらメガネ君、もといトラストは、自分から近付いた訳ではなく、どちらかというとリリアの方から歩み寄ったらしい。
リリアの方は完全に他意がない顔で、純粋な学習意欲で話している感じだ。
褒められたためか赤い顔で頭をかきながら、なにやらもじもじとしているトラストに、少し感心するルドー。
「へぇー、集中してて気付かなかったな」
「あ、あはは、役職の影響でいろんなものが見えるもので、気になって色々調べてるうちに、色々詳しくなっただけで……」
「そういう訳で、勉強を教えて欲しいなって今頼んでたの」
「あぁそういう」
「おーそういう話なら参加したいなぁ」
「何々何の話―?」
話を聞いてた連中が、ぞろぞろと連なってくる。
「あ、俺はアルスね。孤児院出身だから、勉強ちょっと不安なんだよな」
「私は今まで好きな事しか勉強してこなかったから、他分野がてんでだめなんだよね」
薄ピンク髪の青年アルスと、メロンも参加を希望してきた。
二人きりでの勉強会より安心感があるので、これ幸いとルドーも乗っかることにする。
「俺も農村出身で勉強はからきしだから、教えて欲しいもんだな」
『えぇ、また勉強かよ、そろそろ暴れようぜ?』
トラストはどうもそこまで考えてないらしく、突然の勉強会指名に、ただわたわたしているだけだった。
この様子なら変な方向には行きにくいかと、ルドーも少し安心する。
「集まって勉強会だなんて、庶民はやはりレベルが低いですね。なぜこんな人たちと一緒に勉強しないといけないのかしら」
紺色の長髪、明らかに貴族然とした動きの女性が、扇子を広げて口を隠しながら不快気に呟く。
たしかこいつは昨日の戦闘で、いの一番に結界に入ってきて、日傘をさしてたやつだったような。
トゲトゲした言い方と、庶民を蔑むような言葉に、ルドー達は思わず気まずそうに顔を見合わせる。
生活環境で仕方ない部分もあるが、勉強が足りてないのは事実、何とも言えない空気になる。
「あらハイドランジア嬢、わたくしトラストさんの斜め後ろだったので、ついうっかり見えてしまったのですが、貴族の教養と遜色ない内容、しかもかなり高度なものをしていらしたわよ。むしろ高度な教育を受けていたはずなのに、先を越されたことに恥ずべきなのでは?」
カツンと靴の音が響いたと思ったら、ばさりと開いた扇子を口に当てる。
昨日負けていられないと意気込んでいた、深緋色のよく手入れされている綺麗な長髪を翻した女性が後ろからやって来て、嗜める様に声をかけていた。
ハイドランジア嬢と呼ばれた女性は、トラストよりも座学が終わるのが遅かった事実を指摘され、一瞬悔しそうな顔をした後、足早に立ち去っていった。
その様子を見ていた深緋色の髪の女性は、溜息を吐きながら一瞥した後、貴族らしく長めの制服のスカートをひらりと翻し、扇子を仕舞いながらこちらに歩いてきた。
「あ、違いますのよ! 本当にたまたま目に入っただけでして、決して覗き見なんてはしたない真似をしていたわけではありませんのよ!」
じっと見られている事に何を勘違いしたのか、慌てて弁明をし始めた。
わたわたと顔を赤らめている様子は、先程の貴族然とした様子からは大分ギャップがある。
「私、ローゼン公爵家が長女、キシアと申しますの。それでその、皆さんで勉強を自主的にやろうという話が聞こえたもので、その、僭越ながら私も参加したいな、と……」
改めてスカートを掴んで腰を折り、貴族らしい挨拶をするキシア。
こちらの話を聞いていたらしく、最終的にもじもじと顔を赤らめて俯きながら指を弄びはじめ、女子からかわいいと声が漏れているのが聞こえた。
「いいじゃん! やろうやろう! 問題ないよね!」
「お、おぅ」
「女の子いっぱいで華やかだねー」
「同数だと思うけど……」
結局昼休憩は食事を終えたのち、そのまま教室で時間まで勉強を続ける形となった。
文字すら読めない状態のルドーは、ここで生徒の中で一番状態が悪いことが判明。
さらに精神的ダメージが入り、落ち込んで周囲から慌てて慰められた。
『つまんねぇ勉強は終わりだな。やぁーっと暴れられるぜ』
「最後の魔法訓練って、結局何するんだ?」
魔法訓練は運動着でも制服でも自由の為、ルドーを含め全ての生徒が、座学の時の制服のまま校庭に集まっていた。
基礎訓練と座学は、それぞれ魔道具の補助で何をするのか把握できた。
だが魔法訓練だけはそういう物も配られていないので、何をすればいいのか分からない。
「とりあえず校庭に集まれって話だったけど」
「魔法の訓練も人によって得意不得意ありますから、個人でやり方が違う気もしますが」
トラストとキシアも、なにをするのか予測するように話し始める。
とりあえず説明を聞こうと、ネルテ先生の到着を待っていた時、突然の衝撃音と共に、校庭に大きな土煙が舞って全員が驚いてそちらを向く。
「いや一旦落ち着いてって!」
「五月蠅い! 真面目にやれと言っている!」
誰かが土煙から飛び出してきたかと思ったら、スタッと少し離れた場所に着地する。
クロノがちょっと落ち着けと言わんばかりに、両手を前に出しているところだった。
しかし土煙を払うように荒い足取りで現れたエリンジは、聞く耳を持たない様子で、さらに追い打ちをかけようと、手を上げて上空に虹魔法を展開する。
「俺より潜在魔力が高いだと! ならば何故魔法を使わない! ふざけた態度もいい加減にしろ!」
「使わないんじゃなくて、まともに使えないんだって言ってんじゃん!」
虹色の複合魔法を次々と打ち出しては、クロノを狙ってバンバン撃ち続けるエリンジに、軽々と身を翻してそれをかわすクロノ。
外れた魔法が次々と地面に当たっては抉り、その度に大きな爆発と土煙が舞い上がっている。
止めようにも魔法の威力が強すぎて、衝撃が強く近付くことすら困難だ。
あまりの威力にルドー達は、恐れおののいて動けなくなった。
「ど、どうしましょう、止めたほうが良いのでしょうか」
「いやいやあんな威力の魔法どうやって止めるよ」
「昨日先生が言ってたけど、喧嘩は校則違反じゃないらしいぞ」
「えっほんとお兄ちゃん? そうなると先生来るまで何もできないんじゃない?」
『別に止めるのも校則違反じゃないんだから行こうぜ?』
後から合流してきたやつらも、なんだなんだと集まってくる。
しかしエリンジは周囲の様子を気にする素振りは一切なく、人が集まってこようが気にせず、クロノに向かって虹魔法を放ちまくる。
これはちょっとまずい。
土煙のせいで視界が悪くなってきたのもあって、誰に流れ弾が飛んでくるか分からない状況になってきている。
ルドーがちょうどそう思った瞬間、流れ弾の一つがちょうどキシアのすぐ横に当たった。
地面が爆発して悲鳴が上がり、なんとか傍にいたリリアが結界魔法を発動させて難を逃れるが、少し土塊が当たった様子でかすり傷を負っている。
「真面目にやれと言っている!」
「うっざ」
一瞬怪我をしたキシアの方に顔を向けたクロノが消えたと思ったら、魔法を打つ構えのエリンジの目の前に突如として現れて。腹目掛けて正面衝きをした。
遠くからでも背中が抉れたかと思えるほどの衝撃で、身体が突き上がっているのが見えたと思ったら、そのまま遥か彼方の校舎に、エリンジはドカンとド派手に叩きつけられて動けなくなった。
「ガキの癇癪に付き合ってられるほど、こっちも暇じゃないんだから……」
相変わらず帽子で表情は見えないままだったが、深いため息を吐きながら項垂れて額に手を当てている様子から、相当呆れているようだった。
そのままどさりと地面に倒れて動かなくなるエリンジ。
なんとか状況は収まったものの、気まずい沈黙が場を支配していた。




