第九話 始まる学校生活
「それじゃこれから授業に入る。まずは基礎訓練なので、運動着に着替えてねー」
「えー先生、自己紹介とかはー?」
「それは休み時間にでも各自で適当にやってくださーい。ほらさっさと動けー」
翌朝、リリアと合流して、魔法科の教室で指定の席に座ったルドーは、前学期の時間割が教室に張り出されているのを目にする。
午前は七時半始業。
十時までの基礎訓練を経て小休憩。
十時半から十四時半まで、昼休憩を挟みつつ座学を経て、残りは魔法訓練からの各自解散。
昨日ネルテ先生から聞いた、自主訓練がこの魔法訓練後に自由ということなのだろう。
基礎訓練の内容は個人で違うらしく、配られた腕輪型の魔道具を、各自で確認する形だ。
起動すると空間にモニターのようなものが現れ、その個人に適した訓練方法が組まれるという。
ルドーの場合、校庭の走り込み五十周から始まり、腕立て伏五百回、腹筋五百回、懸垂五百回が最低だと記載されていた。
他の生徒達も自分の基礎訓練内容を見て、主に昨日あまり戦闘が出来ていなかった者たちを中心に、大きく悲鳴が上がっていた。
「ちょっとなによこれ! 聖女なんて瘴気の浄化だけしてればいいじゃない! なんでこんな暑苦しい筋トレメニューしないといけないのよ!」
「き、きつい……腹筋百回諸々毎日はきつい……」
「こ、これと魔法を使うことに、一体なんの関係が……」
「うーん、体力には自信あったと思ったんだけど、まだ足りないのー?」
ルドーは魔法を使用する際、聖剣を振るわなければならない。故に筋トレは必要である。
他にも剣を使って魔法を使う奴は、昨日の時点で数人いる事は把握していたのでまだわかる。
しかし魔導士と言うものは、もっとド派手に魔法を使うものだとルドーは認識していた。
それは周囲の面々の反応からも、同じような認識だと何となく会話内容で分かった。
だからこそ、魔法とは関係なさそうなこんなガチガチの筋トレをする理由が、どうにもわからなかった。
「ホラホラ文句言わなーい。魔法の使用許容量は体力に依存するんだから、スタミナなけりゃ魔法なんかまともに使えないよ」
疑問に思っていたのはルドーだけではなかった様子で、それを見ていたネルテ先生が補足してくる。
どうやら扱う魔力量には基礎体力がいるので、鍛えていないとまともに扱えないらしい。
魔力量は個人に依存するが、それを身体から放出して扱う部分が、体力勝負という事だ。
リリアがよく回復を使いすぎてぶっ倒れていたのも典型例。
制御して放出する、魔力のブレーキをかけるだけの体力が必要だったという事のようだ。
一応農村の手伝いと、三ヶ月の魔の森浄化特訓で、ある程度補えるようになったという事だろう。
もっと思ったように出来る、ファンタジーみたいな、簡単なものを想像していたルドーには寝耳に水だが、必要ならやるしかない。
「リリ、どうだ?」
「校庭の走り込みが百周だって」
「俺より多いな」
「うん、でも頑張るよ!」
こっちをキラキラした目で見ながら断言するリリア。
意気込みは充分なようで、鼻息荒くズンズンと更衣室に向かって行く。負けていられない。
ネルテ先生によれば、これでも必要最低限。
身体が慣れてきたと魔道具が判断すれば、順次内容は追加されていくそうだ。
制服と同じ色合いをした運動着に着替えて、体育館のような基礎訓練場に行ってみれば、既に何人か訓練を開始している。
例のメガネ君は早速場内を走っているものの、既に息切れしている。
腕立て伏せをしている面々は、火炎魔法で森を燃やそうとした、体格の大きい剣使い赤髪男子を筆頭に、主に剣を持っていたものが多い。
どうやら運動の順番も各自バラバラのようで、体格が小さかったり、明らかにインドア派のような容姿の連中が、身体が振るわせてひいひい言っている者もいれば、その一方で平然とした顔で、そつなくこなしている面々もいる。
舌打ち白髪のエリンジを筆頭に、ハイハイ言っていた目にハイライトのない鳶色髪の男、炎の剣使いに水を浴びせた薄オレンジ髪の少女、氷魔法での魔物退治に失敗していた薄ピンク髪の男。
この辺りが涼しい顔で走っていた。
リリアも走り出したのを見て、ルドーとまずはと走り出す。
「あー! そこの帽子の人―! ちょっといいですかー!」
「何?」
場内を走り込んでいた薄オレンジ色の髪の少女が、周囲を観察するように、水を飲みながら端の方でボーッと突っ立っていたクロノに、走りながら声をかける。
運動着でも帽子は外してないせいで、相変わらず表情が分からない。
汗もかいていない様子だが、これから始めるところだろうか。
「あ、ごめん今からだったー? 邪魔しちゃったー?」
「や、もう終わった」
「早くない!?」
走りながら話を聞いていたルドーも驚愕した。
周囲の面々も驚いた様子で、中には訓練を止めて顔を見合わせるものもいる。
しかしまぎれもなく終わっているようで、腕輪型魔道具で大きな丸と済の文字が浮かんでいるのを、周囲にわかるように水を飲みながら片手間に見せていた。
尋常ではない量の訓練内容が見えたのは気のせいか。
腕なし腕立て伏せ三十万回とか、つま先立ち片足スクワットを両足五十万回とか、他にも色々書かれていたような。
それを既に終えた。
ルドー達は今来てやり始めた所なのに、一体いつの間に。
「私メロンー! これからよろしくねー! そんで話ってのは、何か訓練する上でのコツとかなんかないかと思ってー!!」
走りながら両手をブンブン振って、大きな声でオレンジ髪の少女、メロンが呼びかける。
確かに腕力で魔物を倒し、既に基礎訓練を終えているなら、これ以上ない適役。
周囲の面々も少しでも役立てようと、期待を込めて息を潜めた。
問いかけられたクロノはと言うと、特に口元の表情も変わることもなく、少し考え込むかのように首を捻った後、肩をすくめて軽く答えた。
「何も考えずに無心でやる」
「わかったありがとー!」
何の役にも立たなさそうなアドバイスが返ってきて、周囲が落胆する様子が見て取れた。
だがメロンは笑顔で両手を振りながらお礼を言う。
と思ったら、無心、無心と呟くと、「うおおおおおお!」と雄叫びを上げながら全力疾走し始めた。
メロンの様子に一瞬困惑した面々だったが、ルドーもなるほどと思った。
基礎訓練は所謂筋トレで、周囲を気にしていたって仕方がない。
自分に力を付けたいなら、一心不乱に頑張るしかない。
「うおおおおおお!」
「うおおおおおお!」
ルドーも何も考えず全力疾走を始める。
後ろから同じようなリリアの雄叫びが聞こえた気がしたが、気にせず体力尽きるまで訓練し続けたのだった。
基礎練習が終わった頃にはルドーはくたくただった。
なんとか時間ギリギリで達成できたものの、地面に横たわって荒く息を吐き、次の座学どころではない。
クラスの約半数は、指定された基礎訓練の半分も出来てない様子で、それぞれ体力の限界を超えたのか、各々地面に這いつくばっている。
一方で、ネルテ先生の説明を聞いても手を抜いている様子の連中もちらほら見かけた。
頑張っている振りをして、時間が来るまで粘っていた様子だ。
「この程度か、本当にレベルの低い奴らばかりだ」
クロノの次に、基礎訓練を涼しい顔で終わらせたエリンジ。
基礎訓練が終わるまで、エリンジはしばらく周囲の様子を見ていたが、苛ついた様子で吐き捨てると、さっさと行ってしまった。
「ホラホラ、いつまでもばててると次遅れるよ!」
いつからそこにいたのだろうか。
ネルテ先生がバインダー片手に、けらけら笑いながらしっしと手を振って次に促した。
教室に戻っての座学。
今度は本の形の魔道具が配られた。
本は持ち主のその時の学力に合わせた学習過程が即時に組まれ、分からない部分があれば先生に聞く方式だ。
国も違えば身分も違うので、全員の基礎学力がバラバラ過ぎて、講習形式だと上手くいかないらしい。
こっちもこっちで、涼しい顔でさっさと終わらせている者もいれば、悪戦苦闘している者と様々で、ルドーは後者に入った。
転生者といっても、転生前は小学校すら行っていない。
元々が農村の庶民なので、基礎すら怪しいのだ。
書かれている内容が、まず基礎学習になっているのもそのためだろう。
十六歳になったばかりなのに、前世で言う所の小学生レベルからのスタート。
その事実にルドーは心理的ダメージが入る。
悪戦苦闘とまで言わなくても、うーんと唸っている生徒もちらほら。
大体身なりが良かった連中なので、上級者向けも難しい内容になっているという事だろうか。
「貴様ら一体何しにここに来たんだ?」
エリンジはそう吐き捨てると、学習本を畳んで教室から出ていく。
どうやら一足早くに終わらせたらしい。
「あの人一言嫌味言わないと気が済まないのですや?」
幼女のような体系、だが教室にいるので同い年らしい、短い茶髪の薄荷色の目をした少女がぼそっと呟く。
周囲も同調しているのか、学習本に取り組みながらも、こっそりと各々顔を見合わせては、不快そうに顔を顰めている様子が多い。
「おーいそこの双子、あいつと一緒に外で補習だろ、大丈夫?」
薄ピンクの髪の青年が、ひそひそと声をかけてくる。
なんでも昨日話に聞いた補習、対象者はクラス全員だった。
朝一の集まりで、ネルテ先生からその事が告げられたのだ。
それぞれの戦闘から、足りない部分をまず補うため、補修内容も場所もチームによって違う。
ルドーのチームは、協調性の無さから、それを補う郊外補習。
戦えなかったチームは校内で追加の基礎練習だったり、戦えたが一押し足りなかったチームも、郊外で見学学習だったりと、色々用意されていた。
ルドーのチームだけでなく、クラス規模での補修が実態だった為か、知らされた際エリンジはそこまで反応がなかったので、ルドーは少しだけほっとしていたところがある。
こっそり声を掛けられたルドーとリリアは、無言で顔を見合わせた後、苦笑いすることしかできなかった。
「正直滅茶苦茶不安」
「あはは……」
「だよなぁ。なんで噛み付くかなあいつ」
「こらぁー、質問以外の私語してると、基礎練習追加するよー」
ネルテ先生から指摘されて慌てて本に集中する。
これは何だろう、元の世界で言う所の国語だろうか。
ルドーは農村出身の為、作物の収穫量やらの計算はしないといけないので、算数程度ならいくらか教えられた。
両親が健在だった時は、医者夫婦だった為ある程度教えてもらっていた。
両親が亡くなってから、周囲は農村育ちの人ばかりで、そもそも教えてもらえるような人がいなかった。
たまに来る旅人についでに聞くような状態だったので、下手したらルドーは元の世界の小学生より、学力が低いかもしれない。
開かれた学習本につきつけられた現実に、ルドーは焦燥していたのだった。




