プロローグ 思い出すのはいつも
思い出すのはいつも、あの一瞬の光景だ。
窓から差し込んだ、激しい雷光に照らされた情景。
今でも目に焼き付いている。
それまで見たこともないような、苦悶の表情で首に手をかける親父。
ぼたぼたと顔中から水を滴らせ、横で寝ていた妹に手をかける母親。
バタバタと手足を動かしていたのに、次第にぐったりとしていった妹。
首に手を掛ける目の前の親父が、パクパクと口を動かして何か話していた。
激しい雷鳴にかき消されて、なにも聞き取ることが出来なかった。
なんでこんなことになっているんだっけ?
確か今日は、妹の三歳の誕生日。
小さなケーキで、ささやかなお祝いをしていたはずだった。
貧乏生活でボロボロの、ワンルームのアパート暮らし。
四人せんべい布団に雑魚寝して、いつ以来か忘れたケーキと御馳走に、久方ぶりに腹をいっぱいにして。
余韻に幸せを感じながら、明日は何をして遊ぼうと目を瞑ったはずだった。
さっきまで楽しく誕生日を一緒に祝っていたじゃないか。
おめでとうと手を叩いて、二人とも嬉しそうに妹を眺めて頭を撫でていたじゃないか。
なんでそんな表情をしているんだ。
声が聞こえない、何を言っているんだ。
なんでそんなに顔から涙を滴らせているんだ。
考えても答えがわからず、息が出来ない、苦しい、首が痛い、目が乾く。
あいつは、妹は無事なのか。
親父はなんでそんな苦しそうな顔しているんだ。
真白になっていく頭の中で、そんなことをぐるぐる考えている内に――――
――――世界は暗転した。
◇
『ボーっとしてっとあっという間に喰われてお陀仏だぜ!』
豪快な声が頭に響いて、はっと視線を上げる。
唸る怪物。
小山一つありそうな巨大な犬型の魔物が、牙だらけの口をガバリと大きく開けて、今にも食い掛ってくるところだった。
慌てて話しかけてきた、手にある聖剣――――レギアに意識を集中させる。
普通の剣の倍近い太さに、黒い刀身。
切っ先が波打つように枝分かれした、独特の形状のハンティングソード。
大きく振り上げて食い掛ってくる魔物の顎下に、黒く鋭い刃をぶすりと突き刺す。
柄に付いた緑の宝石が、笑うかのようにきらりと光った。
「くたばれええええっ!!」
叫ぶと同時に、周囲を明るく照らすほどの雷撃が、剣の先から放出される。
耳を貫き腹に響く轟音に、目にチカチカと光る雷光。
物が焦げていく異臭が、鼻腔を満たしていく。
十秒ほどその状態が続いた後、力尽きた魔物は灰のように霧散して消えていった。
『ここらで一番デカいのが今のだな、あっけねぇ。あー、退屈退屈』
「何が退屈だよ、もう少し威力落としてくれって……」
攻撃を放った余波の静電気で、バチバチと髪が唸って纏まらない。
手元の聖剣を地面に突き刺し、静電気を何とかしようと体中を手で振り払うも、何とかなっている気がしなかった。
頭の中でゲラゲラ笑っている聖剣が、お前が弱いからだと吐き捨てる。
髪を整えるのを諦めて、少年ルドーは聖剣レギアを地面から引き抜いて、周囲の鬱蒼とした森を見渡した。
◇
ルドーは国外れの田舎村の平民で、転生者だ。
転生者といっても、前世は五歳までの記憶しかない。
死因は最後に見たあの焼き付いた光景から、多分一家心中だと今なら思う。
だがそれは今関係ないので、置いておくとする。
黒髪は元々の癖毛が、静電気のせいでさらにバリバリに跳ね上がっている。
農村での農作業でそれなりに鍛えた身体を付け焼刃に、聖剣をなんとか振るって。
だが目つきの悪い三白眼のせいで、村のちびっ子たちには出会い頭よく驚いて泣かれ、その後丁寧に謝られては、居たたまれない気持ちにさせられていた。
なにもない長閑な農村。
この転生した世界で唯一危険だとされている、魔物が闊歩する魔の森がある。
だが山一つ程度の規模でそれほど大きくないために、国の中でも比較的安全とされてきた場所だった。
事の発端は数か月前。
比較的安全とされてはいても、魔の森は魔の森。
その森の中で、魔物暴走が突如として発生した。
国外れの村は、魔の森を見張っている国の兵士こそいるものの、少数でしかない。
さらに兵士だけでは追い払うどころか、立ち向かう事すら困難な量の魔物が、突如何の前触れもなく、森から溢れ出した。
突然のことに悲鳴をあげて逃げ惑う、顔見知った村人たち。
森から湧きだすように押し寄せてきた魔物に、逃げ道を塞がれて追い込まれ。
追い立てられるように散り散りに、魔の森の中へと入っていく。
ルドーも例にもれず、魔物によって森に追い込まれ、森の中を走り逃げていた。
その内に一緒に逃げていた妹が、走り慣れていない森の木々の根に躓いて、足を挫いて動けなくなる。
瘴気の淀みが充満している魔の森は、薄暗く視界が悪い。
足を庇う妹を強引に背負って、迫る狂暴な魔物から逃げ惑う。
そんなルドーは背後ばかり気に掛けて、後ろばかり見て走っていた。
だからどんどん淀みが酷くなっている場所に、魔物に追い込まれて踏み込んでいると、気付くことが出来なかった。
「いっでぇ!!!」
魔物を確認しようと妹を背負いつつ、後ろを向きながら走っていたら、唐突に何か固いものが踝に当たった衝撃で派手に転ぶ。
なんとか妹を抱きかかえつつ下敷きに倒れ、事なきを得たと思った瞬間。
辺り一帯に耳を貫くような激しい轟音が響いて、薄暗い森を照らすように激しい雷光が走った。
追いかけてきた魔物が数匹、その大きな雷撃に当たって霧散して消える。
地面に突き刺さっていた、雷を発生させた真っ黒い刀身の剣が、ルドーの目に入った。
――――それを見て、ルドーはこれしかないと思った。
「こっちだああああ!!!」
「お兄ちゃん!」
動けず叫ぶ妹を傍の茂みに置いたまま、魔物を引き付けるように飛び出す。
更に迫ってきていた魔物を消滅させるため、無我夢中でその雷を放った剣に、ルドーはしがみついた。
途端に凄まじいほどの轟音と共に、あたり一帯が眩しく照らし出される。
激しい熱と、痛みを超える痺れ。
手にした剣から放出される雷撃は、周囲の魔物は勿論、その柄を握ったルドー自身にも向けられていた。
小規模の魔物が一瞬で霧散するほどの凄まじい威力。
至近距離にいたルドーも、当然無事では済まなかった。
「お兄ちゃん、手を放して! そのままじゃ死んじゃう!」
背後から妹がルドーを呼び叫んでいる声が聞こえる。
それでもルドーは激しい雷撃を放つ剣を掴み続けた。
掌の感覚が無くなって、どんどん腕が焼け焦げていき、肉が真っ黒になって黒煙を上げても、ルドーは手を放そうとは全く思わなかった。
「また妹を……殺されてたまるかああああああああ!!!」
叫ぶ。
なにがなんでも助けると、誰一人失って溜まるものかと。
腕から次第に、全身が焼け焦げていきながらも、ルドーはそう無我夢中で絶叫し続けていた。
『へぇ、この雷を魔物退治の攻撃に使う奴なんか初めてだな』
頭にぶっきらぼうな声が響いて気が付いたら、ルドーは仰向けに倒れていた。
右手には、地面から抜けた剣を握りしめたまま。
もう雷は収まっていた。
黒焦げになっていた右手も、火傷跡が残るような傷こそないが、少し焦げた程度にまでいつの間にか治っていた。
「ばか! お兄ちゃんのばか!!!」
「いっでぇ!!!」
起き上がると同時に泣きじゃくる妹から、ルドーはバシバシと強烈な往復ビンタをくらう。
だが周囲を見渡せば、もう魔物の姿はそこにはなかった。
ルドーが後で聞いた話だが、この時点で周囲どころか、魔物暴走で発生した魔物すら、ほぼ駆逐出来ていたらしい。
おかげで村人の被害は軽傷で、死亡者もゼロ。
妹を助けることだけに無我夢中だったルドーには、そこまでの規模になっていたのは予想外だった。
さらに予想外なことに、ルドーはこの聖剣に気に入られたらしい。
後に来た国の魔導士の鑑定で、勇者の役職を新たに授かっていることが判明したのだった。




