プロローグ 思い出すのはいつも
いつも思い出すのは、あの一瞬の光景。
窓から差し込んだ、激しい雷光に照らされた情景が、今でも目に焼き付いている。
それまで見たこともないような、苦悶の表情で俺の首に手をかける親父。
ぼたぼたと顔中から水を滴らせ、横で寝ていた妹に手をかける母親。
バタバタと手足を動かしていたのに、次第にぐったりとしていった妹。
首に手を掛ける目の前の親父が、パクパクと口を動かして何か話していた。
激しい雷鳴にかき消されて、なにも聞き取ることが出来なかった。
なんでこんなことになっているんだっけ?
確か今日は妹の三歳の誕生日。
小さなケーキでささやかなお祝いをしていたはずだった。
貧乏生活でボロボロの、ワンルームのアパート暮らし。
四人せんべい布団に雑魚寝して、いつ以来か忘れたケーキと御馳走に、久方ぶりに腹をいっぱいにして、余韻に幸せを感じながら、明日は何をして遊ぼうと目を瞑ったはずだった。
さっきまで楽しく誕生日を一緒に祝っていたじゃないか。
おめでとうと手を叩いて、二人とも嬉しそうに妹を眺めて頭を撫でていたじゃないか。
なんでそんな表情をしているんだ。
声が聞こえない、何を言っているんだ。
なんでそんなに顔から涙を滴らせているんだ。
考えても答えがわからず、息が出来ない、苦しい、首が痛い、目が乾く。
あいつは、妹は無事なのか。
親父はなんでそんな苦しそうな顔しているんだ。
真白になっていく頭の中で、そんなことをぐるぐる考えている内に――――
――――世界は暗転した。
『ボーっとしてっとあっという間に喰われてお陀仏だぜ!』
豪快な声が頭に響いて、はっと視線を上げる。
唸る怪物、小山一つありそうな巨大な犬型の魔物が、牙だらけの口をガバリと大きく開けて、今にも食い掛ってくるところだった。
慌てて話しかけてきた、手にある聖剣に意識を集中させる。
普通の剣の倍近い太さに黒い刀身。
切っ先が波打つように枝分かれした、独特の形状のハンティングソード。
大きく振り上げて食い掛ってくる魔物の顎下にぶすりと突き刺すと、柄に付いた緑の宝石が、笑うかのようにきらりと光る。
「くたばれええええっ!!」
叫ぶと同時に、周囲を明るく照らすほどの雷撃が剣の先から放出される。
周囲に響く轟音に、目にチカチカと光る稲光。
物が焦げていく異臭が鼻腔を満たしていく。
十秒ほどその状態が続いた後、力尽きた魔物は灰のように霧散して消えていった。
『ここらで一番デカいのが今のだな、あっけねぇ、あー退屈退屈』
「何が退屈だよ、もう少し威力落としてくれ」
静電気でバチバチと髪が唸って纏まらない。
手元の聖剣を地面に突き刺して、静電気を何とかしようと体中を手で振り払うも、何とかなっている気がしない。
頭の中でゲラゲラ笑っている聖剣が、お前が弱いからだと吐き捨てる。
髪を整えるのを諦めて、少年、ルドーは聖剣を地面から引き抜いて、周囲の鬱蒼とした森を見渡した。
ルドーは国外れの田舎村の平民で、転生者だ。
転生者といっても、前世は五歳までの記憶しかない。
死因は最後に見たあの焼き付いた光景から、多分一家心中だと今なら思う。
だがそれは今関係ないので置いておくとする。
黒髪は元々の癖毛が、静電気のせいでさらにバリバリに跳ね上がっている。
農村での農作業でそれなりに鍛えた身体を付け焼刃に、聖剣をなんとか振るって。
だが目つきの悪い三白眼のせいで、村のちびっ子たちには出会い頭よく驚いて泣かれ、その後丁寧に謝られては、居たたまれない気持ちにさせられていた。
なにもない長閑な農村。
この転生した世界で唯一危険だとされている、魔物が闊歩する魔の森があるが、山一つ程度の規模でそれほど大きくないために、国の中でも比較的安全とされてきた場所だった。
事の発端は数か月前。
比較的安全とされてはいても、魔の森は魔の森。
魔物暴走が突如として発生した。
国外れの村は、魔の森を見張っている国の兵士こそいるものの、少数でしかない。
さらに兵士だけでは追い払うどころか、立ち向かう事すら困難な量の魔物が、突如何の前触れもなく、森から溢れ出した。
突然の事に逃げ惑った村人たち。
森から湧きだすように押し寄せてきた魔物に、逃げ道を塞がれて追い込まれ、追い立てられるように散り散りに、魔の森の中へと入っていく。
ルドー自身も例にもれず、魔物によって森に追い込まれ、森の中を走り逃げていた。
その内に一緒に逃げていた妹が、走り慣れていない森の木々の根に躓いて、足を挫いて動けなくなる。
瘴気の淀みが充満している魔の森は、薄暗く視界が悪い。
足を庇う妹を強引に背負って魔物から逃げ惑っていたルドーは、背後ばかり気に掛けて、どんどん淀みが酷くなっている場所に、魔物に追い込まれて踏み込んでいることに、気が付くことが出来なかった。
魔物を確認しようと妹を背負いつつ後ろを向きながら走っていたら、唐突に何か固いものが踝に当たった衝撃で派手に転ぶ。
なんとか妹を抱きかかえつつ下敷きに倒れ、事なきを得たと思った瞬間、辺り一帯に耳を貫くような激しい轟音が響いて、薄暗い森を照らすように激しい稲妻が走った。
追いかけてきた魔物が数匹、その大きな稲妻に当たって霧散して消えた時、地面に突き刺さっていた雷を発生させた、真っ黒い刀身の剣が目に入る。
――――それを見て、ルドーはこれしかないと思った。
妹を傍の茂みに置いたまま、更に迫ってきていた魔物を消滅させるため、無我夢中でその雷を放った剣にしがみついた。
途端に凄まじいほどの轟音と共に、あたり一帯が眩しく照らし出される。
激しい熱と痛みを超える痺れ。
手にした剣から放出される雷は、周囲の魔物は勿論、その柄を握ったルドー自身にも向けられていた。
小型の魔物が霧散するほどの威力。
当然ルドー自身も無事では済まないはずだ。
背後から妹がルドーを呼び叫んでいる声が聞こえる。
それでもルドーは激しく稲妻を放つ剣に、掌の感覚が無くなって、どんどん腕が焼け焦げていき、真っ黒になって煙を上げていっても、手を放そうとは全く思わなかった。
叫ぶ。
なにがなんでも助けると、誰一人失って溜まるものかと。
腕から次第に、全身が焼け焦げていきながらも、ルドーはそう無我夢中で絶叫し続けていた。
『へぇ、この雷を魔物退治の攻撃に使う奴なんか初めてだな』
頭にぶっきらぼうな声が響いて気が付いたら、ルドーは仰向けに倒れていた。
右手には地面から抜けた剣を握りしめたまま。
もう雷は収まっており、黒焦げになっていた右手も、火傷跡が残るような傷こそないが、少し焦げた程度にまで治っていた。
起き上がると同時に泣きじゃくる妹から、バシバシと強烈な往復ビンタをくらいはしたが、周囲どころか魔物暴走で発生した魔物すら、ほぼ駆逐出来ていたらしい。
おかげで村人の被害は軽傷で、死亡者もゼロ。
妹を助ける事だけに無我夢中だったルドーには、そこまでの規模になっていたのは予想外だった。
さらに予想外な事に、ルドーはこの聖剣に気に入られたらしい。
後に来た国の魔導士からの鑑定で、勇者の役職を新たに授かっていることが判明したのだった。




