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後編

 豪華絢爛、という言葉がぴったりの会場に足を踏み入れた瞬間、ざわめきが一瞬止まったのは気のせいではないだろう。

 ―――アレが、

 ―――趣味が変わられた?

 口さがない言葉は、覚悟してはいたがあまり気分のいいものではなかった。

 あまり派手なものにはしたくないという双方の意見が一致して、結婚式は身内だけの質素なものになった。

 由緒正しいエルフォード家嫡男の結婚式がそれでいいのかと批判もあったにはあったが、それはすべてウィルスが対処した。

 だから、このパーティーには私がまだ会ったことのない貴族の人間が大勢いる。

 つまり、

「ウィルス!元気だった?」

 このような人にも出会ってしまうわけで。

 豊満な体を強調するようなドレスに身を包み、派手な化粧をした一人の女性がそう言ってウィルスに近づく。

 横にいる私を無いものとして振る舞うその姿からは、ウィルスから漂ってきたあの香水の匂いがした。

「あぁ、久しぶり」

 愛想良く返事をしたウィルスに気を良くしたのか、私の反対側に回り込み腕を絡ませる。

 うわぁ、凄いわー。仮にも横に嫁さんがいる人間に。

 お邪魔なようだから離れようか、と思っていたら、やんわりと女性の腕を外したウィルスが逃げる態勢に入っていた私の腕を取る。

「そういえば、紹介したことなかったね。妻のアレシアだ」

 変わらず愛想のいい顔のまま、女性からすれば酷い仕打ちになるであろう言葉をわざとぶつける。

 妻、という部分をほんの少し強調して。

「アレシア、こちらマクミラン伯爵令嬢のシェリル」

 どうも、と厭味ったらしい口調で告げる相手にこちらも返事をすると、

「ウィルスとは昔から仲良くさせてもらってるの」

 ニコリと口角を上げてはいるが、目が全く笑ってない。怖いわー。

 そんなに欲しいなら上げますよ。というか、もう貴女のものでしょ。

 同じベッドに寝てても欠片も興味を持たれない私なんか、威嚇する必要ないでしょうに。

 そんな考えが頭を過ぎるが、それを馬鹿正直に口に出していい筈もない。

 こういった場合どう返事をするのが正解なのか、修羅場チックな場面に遭遇したことのない人間にはサッパリ分からない。

 無難に主人がお世話になってます、とか?いやいや、そこまで偉そうに出られないわよ私。それにウィルスのこと、主人ってサラッと言える気がしない。

 それとも、そうなんですか。とだけ返す?いやいや、そんな失礼な態度を男爵家の娘如きが伯爵令嬢にしていいわけがない。

 そう考えているアレシア自身、すでに侯爵家の人間なのだが、そんなところには思考は回らない。

 とりあえず、黙ったままなのが一番悪い、と口を開きかけたとき、

「アレシアさんには、色々と訊きたいことがあるのだけれど、お時間よろしいかしら?」

 と、返事を待たずに向こうからの申し出があった。

 嫌味を浴びせられるであろうことは容易に想像がついたし、それはウィルスも同様であるはずなのに、主催者に挨拶をしてくるからと、私を置いてさっさと行ってしまった。

 一緒にいるようにと言ったのはどこの誰だ。

 恨めしく後ろ姿を睨むが、秀麗な顔がこちらを振りかえることはなかった。



 テラスに出ようと言われ、大人しく着いて言った途端さっきまではギリギリ保っていた温和な雰囲気が一変した。

「全く、こんな女のどこが良かったのかしら」

 いきなりそれですか。美人に睨まれると怖いなー。

 にしても変わり過ぎじゃないかと思うのは私だけだろうか。

「まさか、私とウィルスがただの友人だなんて思ってないわよね?」

「あー、まぁ」

 むしろただの友人だと思う方に無理があるというか。

「ウィルスとは、一体いつから付き合ってるの?」

「…は?」

「は?じゃないわよ。訊いてるんだから答えてくれる?」

 突拍子もない質問に、間抜けな声を出すと益々眉間の皺を深くして睨まれる。

 てっきり別れろとか、そんな類のことを言われるとばかり思っていたのだが。

 にしてもなんて答えるべきか。付き合った期間なんて0だし。

 答えない私に苛立ったのか、チクチクと棘のある声で喋り始めた。

「私はもう3年以上になるの。多分もっと長い人もいるわ。なのに彼はずっと誰とも結婚しなかったし、特定の人も作らなかった。そこに出てきたのが貴女よ。今まで貴女のことなんて、話に出てきたこともないのに。不満を持ってるのも私だけじゃない。貴女からしたら今こうやって私に詰られることも理不尽なんでしょうけど、でも私だって同じぐらい悔しさを感じてるの」

 詰ってるって自覚があるんだ、とか、やっぱり大勢女の人がいるんだな、とか、段々私を糾弾する声が震え始めてることとか。

 何が原因でなのか分からないけど、とりあえず胸が苦しかった。

 だけど一つだけ。

 何であの男はこんなに想ってくれてる人がいるのに、話にも挙がらなかった私を選んだのか。

 それだけはやっぱりうやむやには出来ないと、堪え切れなくて俯く美女を見ながら思った。

 


 あの後、テラスにいた私たちを見つけたウィルスにこのパーティーの主催者のところに連れて行かれ、当たり障りのない挨拶をした後、適当に時間を潰し帰路についた。

 肩を震わす彼女を確認したはずなのに、そのことに触れることは一切なく私をあの場から連れ出した。

 おまけに、挨拶が終わった後私はまた放置状態だった。

 自分だけ親しい人のところに行って、こんな場所に縁のない私は一人寂しく料理を摘まんでいた。

 そして、好奇と嘲笑の視線の中でうんざりするほどの囁き声を聞いたのだ。

 それを考えると、シェリルさんはまともだったなと思う。

 コソコソと話すのではなくて、正面から私に文句をつけたのだから。

 とはいえ、必要以上の悪意の中にいたことで私は心身ともに疲れ切っていたらしく、家に着くまですっかり寝入っていた。

 目が覚めたのは、ベッドに下ろされてから。どうやらウィルスが私を抱えて部屋まで来たようだった。

「随分ぐっすり寝てたからね」

 起こすのが忍びなかったと言って、ウィルスは笑った。

 その笑顔に、プツン、と何かが切れる音が聞こえた気がした。

 きっとこの時の私はどこかおかしかったのだ。

 謂れのない中傷を短くない時間受け続け、その間元凶は素知らぬ顔で談笑中。

 一体人をなんだと思っているのかと、心が悲鳴を上げたのだ。

「あんたは、何考えてんの?」

 寝ぼけた声ではあったけれど、涙声だということが分かる声音にウィルスが眉を顰めたのが気配で分かった。

「ずっと訊かなきゃいけないと思ってて、でも訊くタイミングが掴めなくて、なあなあにしてた」

「一体何の話だ?」

 要領を得ない私に、苛立っているのが分かる。

 でも、一杯一杯だった私は支離滅裂であろうとも、口を動かすことを止めることはできなかった。

「何であんたは、私と結婚したの」

 言った瞬間、ウィルスの顔が強張った。

「何で、私だったの。あんたならいくらでも相手がいたでしょう。貧乏で、出仕も禁じられてる男爵家の人間じゃなくたって、良かったでしょう」

 何で、何で、何で。後に続く言葉は様々だったけど、必ず初めに“何で”がついた。

 何で私だったの。口煩くしない人間が良かったのかと思ったけど、今日私を睨んでた様々な人間の中に、性格は悪くとも煩くしないタイプがいなかったとは言わせない。

 大体、私は口煩いし。女性関係には黙っていたけど、他のことに関しては噛みついてばかりだった気がする。

 嗚咽が混じりながらも、何でと言うことを止めない私にウィルスはため息を一つ吐いた。

「今俺が君の質問に答えたところで、君はまともに聞いてくれないだろう。今日はとりあえずもう休んで、明日気の済むまで君の何でに付き合うよ」

 そう言って私の頭を撫でて部屋を出ていったウィルスは、どこまでも冷静で、やっぱり嫌な奴だと思った。



 次の日、目を覚ました私の瞼はものの見事に腫れていて、起こしに来たマリアを大層驚かせた。

「一体どうしたんですか?」

 濡れた冷たいタオルを私の目に宛がいながら、尋ねるマリアに苦笑する。

「ウィルスは?」

 質問には答えずに、ウィルスがどうしているかを尋ねた私に、特に気分を害した様子もなくマリアは答えてくれた。

「朝早くにお出かけになりましたよ。行先は仰いませんでしたけど、エドと二人だけで出て行かれましたから、お帰りは遅くなるかもしれませんねぇ」

 エド、というのは嫌いから大嫌いになったあの男のことで、なんとマリアの兄だった。

 そのことを耳にした時、似てないわね、と言ったら血は繋がってませんから、と返された。

 深く訊くことはできそうにない感じだったから、追及はしなかったけど。

「そう」

 話に気の済むまで付き合うと言ったのは、その場しのぎの言葉か、と苦く思ったけれど、一方的に捲し立てていた私には、そう言うしかなかったのかもしれない。

「喧嘩でもなさいましたか?」

 目を冷やし終え、今度は髪を梳かし始めたマリアと鏡越しに目が合う。

「そう見える?」

 またもや質問に質問で返した私にマリアが笑う。

「朝お見かけしたウィルス様のお元気がないようでしたから。それにエドを連れまわすときは、機嫌の悪い時と決まってるんです」

「それで私と喧嘩?」

「違いましたか?」

 違わない、と呟いた私にやっぱりとマリアは笑う。

「早く仲直りしてくださいね。じゃないとエドの機嫌も悪くなっちゃいますから」

 梳かし終えた髪を結い始めたマリアに、そうするわ、と力なく答えた。



 マリアの言った通り、ウィルスが帰ってきたのは夜の9時を回ろうとしているときだった。

 出迎えることはせず、部屋のソファーに座ってボーっとしていた私にウィルスが近づく。

「怒ってる?」

「何に?」

「俺に関すること全て」

「分かってるなら訊かないで」

 ウィルスの声を振り切り、寝室へ向かおうと立ちあがった私の腕を掴んだウィルスに、もう一度ソファーに座らされる。

「昨日約束したからね。君の話に付き合うって」

「こんな時間から?」

「それは悪かったと思ってる。でもこっちだって腹をくくるための時間が欲しかったんだよ」

 何のために腹をくくるの。私の質問に答えることは、そんなに大変なことなの。

 そう言ってやりたかったけど、そしたらそのことについてくどくど話して昨日の質問の答えにはたどり着けないことは目に見えていたから、そのことに関して尋ねることはしなかった。

「昨日シェリルには一体何を言われた?」

 意外にも先に口を開いたのはウィルスだった。

「分からない?」

「大方の予想はつくけど、やっぱり確かなことを知っとかないとね」

 いつの間に用意したのか、グラスにウイスキーをなみなみと注ぎ始める。

「一体ウィルスとはいつから付き合ってるの、どうして貴女だったの。そう言われたわ」

 ワインに口をつけていたウィルスは、グラスを置いて私を見つめる。

「それで?君は何て答えたの」

「なにも言えるわけがないでしょう。あんな風に言ってくる彼女に対してなにが言えるの」

 段々と小さくなっていく声に、自分でも嫌になりながら、それでも言うべきこと、訊かなきゃならないことはある。

「本当に分からないの、一体あなたは何で…」

「何で君は今まで結婚しなかったんだ?」

「は?」

 こっちが真剣に訊いているにもかかわらず、突拍子もないことをウィルスは飄々とした声で訊いてくる。

 あんたは今私が言ったことを訊いてなかったのか。

「答えは簡単、そんな関係になる男がいなかったから」

 自分で訊いておきながら、自分で答える男に何が言いたいんだと睨みを利かせる。

 でも私の睨みなんて意に介さない男は言葉を続けた。

「じゃあ、何でそんな関係になる男がいなかったのか。それを君は今まで考えたことがある?」

 手首を掴んで引っ張り、私を引きよせた男はこれでもかと言うほど顔を近づける。

「何よそれ、嫌味?誰にも相手にされなかったからだって言いたいわけ?」

「まさか」

「じゃあ一体何なのよ」

 それより、私に質問に対する答えはどこに行ったのよ。

 そして顔が近い!離せ!

 そういう意思表示を含めて手を振りほどこうとするが、ウィルスの力は緩まなかった。

「その答えも簡単、君に親しい男が出来ないように妨害してたから」

「…誰が?」

「決まってるじゃないか、俺だよ」

 一拍置いたあと、部屋に私の間抜けな声が響いた。

「…はあ!?」

 何言ってんの?

「え、何あんた、酔ってんの?ウイスキーで頭がおかしくなった?」

「そんなわけないだろ」

 確かに素面ではこんなこと白状できないから、酒の力も借りてるけど。

 そう言いながら、私の手首を掴んでいた力を緩めまたウイスキーを煽る。

 解放された私は、また大人しくソファーに座った。

「俺はね、ずっと君が好きだったよ。それこそ、他の男と君が仲良くするのを邪魔するほどに」

 思ってもみなかった告白に、知らず指先が震える。

「今までそんな素振り、見せたことなかったじゃない」

 周りに侍らせてた女の人たちは何なの。

「それはそうだろ、君はあからさまに俺を嫌ってたし。そんな相手を口説くほど、俺は強くないよ」

「…じゃあ、あのドレスは?」

「え?」

「あの青いドレスは一体何だったのよ!」

 叫んでしまった言葉に、ウィルスが首を傾げた。

「そう言えばやけに気にしてたな。青、嫌いだった?」

「覚えてないの…?」

 呆然と呟くと、ウィルスは困り顔になった。

「俺、何かした?」

 本当に分からないようで、気にしていた自分が馬鹿みたいに思えてきて力が抜けた。

 ソファーにもたれ掛かると、ウィルスが慌てた様子で顔を覗き込んでくる。

「いや、もういいわ。馬鹿らしくなってきたし」

 手を振って酒臭い顔を退かそうとするけど、ウィルスは気にせず距離を保ったままだ。

「良くない。ちゃんと言ってくれよ」

「…昔のことよ」

 ほんとに昔のことだ。アレは私がいわゆる社交界デビューというものをした時の話になるのだから、もう十年近くも前のことになる。

 九月だったこともあり、誕生石であるサファイアと同じ鮮やかなブルーのドレスを両親から贈られた。

 その頃、というより物心ついたときから着飾ることが好きではなかった私の性格を熟知している両親は、装飾の少ない、鮮やかではあるけれど落ち着いた色合いの青いドレスをくれたのだ。

 数少ない友人から聞いていたパーティーの華やかさへの少しの憧れと、いつもより高めのヒールを履いたことで少し大人になった気のする高揚感から、ハッキリ言ってその時の私は浮かれていたのだ。

 初めての場ということもあり、みんながお世辞と分かってはいるけれど、自分の姿を褒めてくれることに悪い気はしなかった。

 まぁ、そこで初めて間近でウィルスを見たのだけど。

 そこまで言って、ウィルスが頭を抱えた。

「あ~、なんか思い出したかも」

 歯切れ悪くそう言って、あーだのうーだの唸っているウィルスを見るのは珍しくて面白かった。

「そこで、ほぼ初対面と言っていいあなたに、忘れられない衝撃的なことを言われたの」

「いや、ちょっと待って、その言い方じゃ直接言ったみたいじゃないか」

「直接だろうがそうじゃなかろうが、私を貶したことに変わりはないのよ」

 ますます追い詰められた顔をするウィルスに内心笑いつつ、でも顔は真剣な顔を崩さないまま更に追い打ちをかける。

「あれは、確かオリヴィエ家のトレヴァーだったかしら。彼が私のドレスを褒めてくれたのよね」

 ウィルスと並び、憧れの的だったトレヴァーに褒められて嬉しかったのは、舞い上がっていた私からすれば当然と呼べる反応だったと思う。

「なのに、あなたはそれを否定したのよ」


『オーウェン家の令嬢は随分大人びてるんだな。あまり公の場には顔を出さないから近くで見たのは初めてだけど、賢そうでいい女になるな、アレは』

『そうか?』

『なんだ、お前には分からないのか?ブルーのドレスが良く似合ってて、是非一度お相手願いたいものだ』

『分からないね。大体彼女にあの青いドレスは全く似合ってない』


 会場の熱気にやられて火照った顔を冷ますため、夜風に当たろうと外に出た私の耳に飛び込んできた会話。

 あまりにも冷たい声音にショックでしばらく動けなかった、と言う頃にはウィルスはすっかり項垂れていた。

 その姿があまりに可哀想で、耐えきれずに噴き出した私に恨みがましく睨んでくるウィルスにますます笑いが止まらなくなる。

「あー、可笑しい。あなたが人のことからかう理由が少し分かった気がするわ」

 目尻に涙まで浮かべ始めたアレシアに、項垂れていたウィルスは突然行動を起こした。

「っん?!」 

 突然の口付けに慌てるアレシアを気にも留めず、慣れないキスに呼吸をしようと口を開けたアレシアの口内に、ウィルスの舌が侵入する。

 縦横無尽に口の中を動き回るソレに、今までとは違う生理的な涙をアレシアが浮かべる頃にやっと解放された。

「な、何すんのよ急に!」 

 詰め寄るが、すっかりへそを曲げたらしいウィルスは答えない。

「あり得ないわー、人の質問捻じ曲げたと思ったら、今まで何もしてなかったくせに手を出すなんて」

 その態度にイラッときて、低い声でブツブツ文句を言うとやっとウィルスがアレシアと目を合わせた。

「ほんとゴメン、あの時はあんまりあいつが君のことを褒めるから、牽制のつもりだったんだけど、」

 切れ切れにウィルスの口から出てくる言葉は、余りにらしくなくてまた口の端が上がってくる。

 そしてその晩、アレシアの気が済むまでウィルスが付き合うはずが、気が付けばアレシアがウィルスの気が済むまで言い訳を聞くことになった。





「アレシア様、ウィルス様と仲直りしたんですね!」

 部屋に飛び込んでくるなり、嬉しそうにアレシアに声を掛けたのは言わずもがな、マリアである。

「そう見える?」

「はい!」

 この前と同じ返しをしたアレシアに、マリアは元気よく答える。

「随分と遅くまで起きてらっしゃったみたいですけど、もう少しお休みにならなくて大丈夫ですか?」

 部屋の明かりが付いていたから、寝る時間が遅くなったことはバレているらしい。

「大丈夫よ。ウィルスも平気そうだったでしょ?」

「えぇ、それはそれは上機嫌で出仕されましたよ」

 一体どんなお話し合いをされたんですか?としつこく訊いてくるマリアを適当にいなしながら、アレシアは昨日ウィルスから聞いた事実を頭の中で反芻する。


 驚くべきことはいくつもあったけど、一番驚いたのはシェリルさんのことよね。

 …まさかアルの恋人とは一体誰が想像できたのか。

 あいつ、ちゃっかり恋人つくってやがったのね。今度帰った時に根掘り葉掘り訊いてやるわ。

 曰く、マクミラン家とエルフォード家は昔から親しくしていて、ウィルスとシェリルさんは幼馴染なんだとか。

 私を好きだということがバレて以来、それをネタにからかわれていたらしく。

 あの時妻だということを強調したのは、長年からかわれていた悔しさからだったらしい。

 もっとも、そんなことをしたせいで今度はそれを子供だと笑われると頭を抱えていたが。

 ウィルスからシェリルさんの香水の匂いがしたのは、ウィルスのヘタレさを肴にしてお酒を楽しむために、シェリルさんと、同じく幼馴染であるトレヴァーに呼び出されていたかららしい。

 そして、あのパーティーで震えながら私を詰っていたのは、泣いていたからではなく笑いを堪えていたためだったらしく。

 …なんて演技力、すっかり騙されたわ。

 次に、私に全く手を出してこなかったことについて。

 それを言ったら逆切れされたことは、数時間たった今でも理不尽だと思う。

 そりゃ確かに、私も悪かったとは言えなくもないこともないこともないことも…。

 …あぁ認めるわよ!私のミスよ!でもまさか、あんな状況でアルに見せられた紙に、あんなことが書かれてるなんて思わないじゃない!!

 あの時、アルにウィルスとの結婚が決まったと告げられた時に見せられた誓約書には、

・結婚するに当たり、今までの女性との関係はすべて清算すること。

・私の気持ちがきちんとウィルスに向くまでは手を出さないこと。

 まぁ、簡単にまとめてしまえばこのようなことが書かれていたらしい。

 家を出るときに父が言った『大事にしてくれる』というのは、どうもこの誓約書ありきの言葉だったようだ。

 放任主義ではあったけれど、十分すぎるほどの愛情を注いでくれていた両親は、女性関係で噂の途切れることのなかったウィルスがアレシアとの結婚の求めたときに、この二つを要求した。

 そして、何で今更私と結婚しようと思ったのか。

 これにはアルが少なからず関わっていた。いやなんかもう少なからずというか、99%アルが原因だと私は思うわ。

 私に近づこうとする人が段々減っていて、ウィルスも大分気を抜いていたらしい。

 そこへ、アルの爆弾発言。私に交際を申し込んでいる男がいると、そして私も満更ではない様子だと。

 ちょっと待て、何でアルがそんなことを知っていたんだとウィルスを問い詰めたが、知らないの一点張り。

 シェリルさんのことに加えて、このことも問いたださなければと心に決めた。

 まぁ、それで慌てたウィルスは、常々嫁を貰えと言っていたご両親に私と結婚したいという旨を伝え、その後うちの両親に打診した。

 その話を聞いて、家庭教師を辞めさせられたことに合点がいった。

 交際を申し込んできたのは、家庭教師をしていた家の息子だったからだ。

 とはいえ、私はハッキリと断っていた。浮気がバレて僅か一年で離縁された人間と誰が付き合おうと思うものか。

 だから、私が満更でもないと言ったのは、ウィルスに発破をかけるためそうするようにとシェリルさんがアルに言ったらしい。

 …どこまでもぶっ飛んだ人だな。シェリルさん。

 まぁ、一晩中話したのはこんな内容で。

 でも、どうやらウィルスが私を好きになったのは、あの社交界デビューのパーティーの時ではないらしい。

 じゃあいつ私のことを好きになったのか。それだけは答えてくれなかった。

 自分で思い出してみろと、そう言って自分の仕事は済んだとばかりに寝入ってしまったのだ。

 てか、自分で思い出せって何。あんたのことでしょ。どうやって私が思い出すのよ。

 そう思ったけれど、何杯もウイスキーを飲み酔っぱらっていたウィルスは、そのあといくら揺すっても声を掛けても目を開けることはなかったため、諦めて私も眠りについたのだった。



 夕方、庭から沈んでいく夕陽を眺めていると後ろから声が掛かった。

 振り返ると、仕事から帰って来たらしいウィルスが立っている。

「今日も出迎えはなし?」

「私以外に出迎えてくれる人は山ほどいるでしょ」

「でも俺は、君に出迎えて欲しかったんだけど?」

 一晩寝たことで復活したのか、いつも通りふてぶてしく構えているウィルスの横を素通りし部屋に戻ろうと足を進めると、後ろから苦笑の交じった声が聞こえてくる。

「全く、君はいつになったら俺を好きになってくれるんだろうね」

 その言葉を聴いて、私はウィルスに気付かれないように笑う。

 まだ当分の間は言ってなんかやらない。

 あの時、ドレスが似合わないと言われて、どうしてあんなに傷ついたのか。

 きっと他の誰かに言われたのだったら、私はあんなに気にしなかった。

 演技ではあったけど、シェリルさんに詰られた時どうして胸が苦しかったのか。本当は分かってた。

 まだ私が子供だった時、両親に連れられて街に出たのはいいが、物珍しさでウロチョロし、気付けば両親とはぐれて道に迷ったことがあった。

 周りを見ても知らない人だらけで、泣きそうになった時声を掛けてくれたのは2つか3つ年上の綺麗な顔の男の子。

 幸いその後すぐに両親は見つかったけど、その間ずっと手を繋いでくれていた。

 大人になってその人の派手な噂を聞く度に胸が軋んだ理由はもう分かってる。

 認めたくはなかったけれど、その人は私の初恋で、会うことなんてずっとなかったけどそれでも忘れられなかった。

 ―――私もずっと好きだった。

 それが言えるのは、いつになるのかしら。


お粗末さまでした。

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