◇7.魔王との邂逅
部屋に誰もいないのをいいことに「ふはは……」と高笑いし、気合を入れて転送魔法陣に足を踏み入れる。
途端、足元から吹き上がる風、目を開けていられないほどの強い光、浮遊感。
それらは数秒のことで、風と光が止むと同時に、とんと軽く着地する感覚があった。
さっきまでいた王城の一室より、少し寒い。そっと目を開ける。
私が立っているのは魔界だった。
もちろん魔界に来たのはこれが初めてなのに、なぜここがそうだと断定できたかというと、そうとしか言えない雰囲気だったからである。
ゴロゴロと響く雷鳴。頻繁に稲妻が走る黒い雲に覆われた暗い空。ギャアギャアと鳴きながら飛ぶ黒い怪鳥の群れ。広がる地面は赤黒い土。左右に広がる荒涼な風景。遠くに連なるのは峻険な山。
総合的におどろおどろしい雰囲気で、普通の令嬢なら卒倒しているかもしれない。
しかし普通の令嬢のように繊細な神経は持っていない私にとっては、「いっそ親切なほどに魔界だな……」と、思わず感心してしまう風景だった。
目の前には黒々した立派な城がそびえ立っている。終末的な景観と相まって、いかにも魔王が君臨していそうな城だ。看板はないがこれが魔王城だろう。
やはり感心しながら城を見上げ、視線を徐々に下げて。
城門だけ様子が異なっていることに気が付いた。
この殺伐とした世界観の中で、急にそこだけパステルカラーだった。
城門の周囲には色とりどりの花が咲き乱れ、黒い鉄格子には折り紙で作ったと思しき輪っかを連ねた飾り付け、きらきら素材の吹き流し、ハート型の風船まで括りつけられ、全体的に妙に可愛い空間と化している。
恐ろしげな空間に突然の可愛い。
むしろ怖い。
なんらかの罠感がすごい。
しかし門前でまごまごしているわけにもいかないので、警戒しつつ謎に可愛い城門に近づく。
すると、ギコォ……と重厚な音を響かせて、ひとりでに門が左右に開き始めた。可愛さを演出したいのか恐怖を演出したいのか路線を統一して欲しい。
ハラハラしながら門が全開になるのを見届ける。
開ききった門の向こうには、果たして、ひとりの青年が立っていた。
すらりとした長身に、腰まで届く漆黒の髪。一見すると普通の人間と変わらない。
否、水晶のように輝く紫色の二本の角がすぐ目に入るので、一目で魔族と分かる。
それに「普通の」と表現するのも不適切で、その顔立ちは並み外れて整っていた。それこそ人外めいた魔性の美貌である。
魔族の青年は無表情で目を伏せ、ネクタイの位置を調整していた。私が目の前にいることに気が付いていない様子なので、どうやら門が動いたのは私が近づいたからではなく、訪問の時間になったから開いただけのようだ。
国王が来客に際して玄関先へ出てこないとの同じで、魔王がわざわさ門まで私を出迎えに来るわけがないから、この青年はきっと使用人的な立場の魔族なのだろう。
それにしてはかなり立派な服装だけれど。タダ者ではない感が凄まじいのだけれど。うーん、魔王の従者とかだろうか。
しかし自分で言うのも何だが、他国の王族を出迎えるのに使用人がたったひとりだけとは、通常なら考えられないお粗末な応対である。
もしや魔界側は、今回の婚約を全く歓迎していない……?
などと考えつつの観察を一秒で終え、再び魔族の青年の顔を見て。
初めてお互いの目が合った。
――その瞬間、身体にぞくりと恐怖が走る。
その一瞥で理解させられた。
彼こそが魔王なのだと。
それくらいに絶対的な威圧感に呑まれた。
存在の格が違うと叩き込まれるような、あちらが支配者なのだと思い知らされるような、言われずとも平伏したくなるような。
魔王は背が高いため、小柄な私を必然的に見下ろす形になる。
だから物理的な高低差の圧はもちろんあるけれど、きっと背の高さが同じだったとしても、遥か高みから見下ろされていると感じただろう。
許可なく目を逸らすことさえ恐ろしくてできず、カタカタと震えながら、魔王の紫色の瞳を見つめ続ける。路傍の石ころを見る眼差しの方がまだ温かみがあるような、絶対零度の視線。私の存在など全く歓迎していないことが、ひしひしと伝わってくる。
怖い。逃げたい。
王命も野心も矜持も全部投げ出してこの場から走り去りたい、という衝動に駆られたところで、魔王が口を開いた。
「やっぴー、トレイシア」
ん?
「余がこの魔界の王、魔王だよん」




