◇4.魔界でも猫を被って見せる
魔王。
「平穏で幸せ」から程遠い単語である。対義語と言ってもいい。
顔では微笑みながら、内心では卒倒しそうだった。
いやいやいや魔王て。魔王と婚約て。
私の結婚相手はいずれ女王陛下が決めるのだとは分かっていたが、人外の存在が選ばれるのはさすがに想定外だ。
王女の中では最も地位が低く、母方の後ろ盾もないに等しく、継承権も絶対に回ってこないだろう私である。国にとってはいなくなっても全然困らない上に、「でも王族は王族」という箔付きの、使い勝手のいい王女だという自覚はあった。
だから、辺境の貴族と政略結婚とか、功績を立てた騎士に降嫁とか、そういう嫁ぎ先を想定していたというのに、ふたを開けてみればまさかの魔界。
補足しておくと、「魔界」「人間界」と、まるで世界そのものが異なるような言い方がされているが、魔界も人間界も同じ世界に存在する、地続きの場所である。実態としては「国」という概念が正しい。
ゆえに、「他国の王に嫁ぐ」という政略結婚あるあると捉えるべきなのだけれど、それでも衝撃は大きかった。
「この婚約は、こたびの和平条約に伴う取り決めだ」
女王陛下は冷徹な表情を崩さず、淡々と語り始める。
「人間と魔族は協調することになった。その証として、最も強く豊かで大きな国である我がエスタルから姫を出し、魔王と婚姻を結ぶことが決まった」
その常に冷えた眼差しと冷徹な手腕から、「冷血の女王」という冷え冷えした二つ名で呼ばれる女王陛下だが、宮廷の情勢にも政治にも疎い「無垢な」姫と認識されている私のために、わざわざこうして背景を説明してくれる辺り、けっこう親切だ。下した王命の内容は内容だけれど。
そしてその話なら、聞かされずともすでに知っている。
膠着状態が続いていた魔界に、女王陛下は使者を出し、歴史上初の会談を行ったことも。
そして今回の和平条約が締結されたことも。
人間側の誠意が伝わるよう、魔族を束ねる王の妃に相応しいよう、「人間界で最も大きな国の、最も尊く高貴な姫」を送り出すことに決まったことも。
「そこでトレイシア、そなたの出番である」
名を呼ばれ、私はどうにか微笑みを保ったが、それでも若干引きつってしまった。
いや私、序列的には最下位なのだが。
全くそなたの出番ではない気がするのだが。
これでは国際規模の看板詐欺になってしまうのだが。
「もちろん魔界側には、そなたを最も位の高い第一王女ということにしてある。王女であることに間違いはないのだから何の問題もない。どうせ魔界の連中には人間社会の細かなことなど分かるまいしな」
いやそれ、もしも魔王にバレたら怒って殺されるやつではないだろうか。
口が滑っても第六王女だと明かせないやつではないだろうか。
「何よりそなたを選んだ決め手は、王女たちのなかでそなたが最も美しかったことだ。エスタル王国、ひいては人間の代表として送る姫なのだから、見劣りする者では各国にも魔界にも舐められてしまう。その点、そなたのような可憐な姫であれば、誰も文句は言うまい。きっと魔王も満足するだろう。寵愛を得られればなお良い」
くそっ、可愛いさを磨いたことが仇となったか……!
と、可愛くない呻きを胸中で上げてみたが、無論、女王陛下の言葉は「謙虚な」私に自信を付けさせるためのお世辞のようなものだと理解している。
もちろん容姿も大事な要素だろうけれど、決め手にはなり得ない。
私が魔王の妃に推された理由は、やはり立場だろう。
本当の第一王女は女王陛下の実の娘だし、他の王女たちも重要な貴族の血筋だ。
一般的に「恐ろしき存在」とされる魔族の国である魔界に、彼女たちを送り込めようはずもない。
何が起こるか分からない魔界で万が一のことが起こったとて、最悪死んだとて、あんまり問題にならない人材は、まあ私くらいなのだ(本当にその最悪が起きた場合は、ここぞとばかりに魔界との交渉材料として騒ぎ立てるだろうが)。
うん。万が一を想定して捨て駒枠の私を選出するあたり、和平は結んだとはいえ、女王陛下も国の偉い人たちも、全く魔界のことを信用してないのか……。
それなら、なぜ和平を結んだのだろう。
もちろん争いをなくそうという姿勢は好ましいのだけれど。争いは起こさなくていいのなら起こさないに越したことはない。戦争なんぞ資源の盛大な無駄使いの極みである。
ああ、「隣国を焼く暇があったらパンを焼けばいいじゃない」という先々々々代の王妃の格言があったなあ、いい言葉だよなあ、マジでよそのお宅を焼く時間があったらパンなりパイなり焼いてる方が遥かに生産的だよなあ、主に「政治を理解していない愚かな王妃」エピソードで引用される台詞である点が遺憾だよなあ、歴史の講義はけっこう楽しかったなあ……。
と、意識をあらぬ方向へ飛ばしてうっかり現実逃避をしていたら、女王陛下の「トレイシアよ」の呼びかけで、すぐに現実に引き戻された。
「婚約期間は一年間だ。そなたには婚約と同時に魔界に移ってもらうが、婚姻を結ぶのは一年後ということになる」
へえ、一年も婚約期間があるのか。まあ、それはそうか。
国家間の政略結婚なのだ、政治的な調整のあれこれは当然のこと、結婚式の準備だけでも相当に時間が掛かるだろう。むしろ一年は短いくらいかもしれない。
そしてまだ婚約の段階でありながら、早々に私の身を魔界に渡すのは、人質的な観点だろう。
「そなたの当面の使命は、魔王の婚約者として、魔界で恙なく過ごすこと。そなたの振る舞いが、そのままエスタル王国の品位を示すと心得よ。良いな?」
女王陛下が話をまとめに入り、ここで初めて私に発言権が回ってきた。
そして女王陛下の「良いな?」に対し、私が持ち得る返答はただ一つ。
「承知いたしました」
一切の恐れも混乱も反発も躊躇も滲まない、純粋無垢な笑みで答えた。
この場に控える宮廷の関係者各位は、誰も発言などせずお行儀よくギャラリーに徹しているが、恐ろしい魔族に嫁がされるなんてお可哀そうにという同情、まあ侍女風情から生れた姫にはお似合いよねという悪意満点の嘲笑、様々な感想を私に抱いていることは、視線と空気で分かる。
方向性の違いはあれ、誰も彼も、私が不幸になる前提でいるのだ。
いいだろう。おかげさまで腹が決まった。
ここにいる皆様はお気づきでないようだが、魔王は当たり前だが王である。
魔界という広大な国土を有する国の王である。
そして王の妃はもちろん王妃。エスタルにも匹敵する、大国の王妃。
そう。第六王女の身では望むべくもなかった地位が、勝手に転がり込んできたのだ。
大いにけっこう。不幸ではなくむしろ幸運。
魔界の王妃として、誰も邪魔する者のいない最高の地位で、平穏で幸せな人生を送ってやる!
「魔族と人間の架け橋となる役目、光栄でございます。精いっぱい頑張ります」




