◇13.魔王が可愛い
私は悩んでいた。
魔王が、可愛い。
魔王城に来て一ヶ月。
初対面から今日に至るまで、魔王が婚約者である私に笑いかけたことは一度もない。笑顔どころかほとんど表情の変化がない。
今日も今日とて、冷えた表情で悠然と朝食の席に現れた魔王は、先に着席している私を見ても、眉一つ動かさなかった。
だがそれは、それで私への態度が冷たいと判断するのは早計である。その証拠に、魔王は眉は動かさないが、口はすぐに動かした。
「おはよう、トレイシア。昨夜はよく眠れただろうか」
ネイティブな魔族語に触れ続ける日々のおかげで、私のリスニング能力はめきめきと上達を遂げた。
おかげでこの一ヶ月、翻訳魔道具に頼らずとも、なかなかスムーズに魔王と会話をすることができていた。
そして語学力の向上に伴い、最近になって判明した重要な事実がある。
それは、私との初対面の時、魔王は決して「やっぴー」等の軽薄な言葉遣いをしていたわけではない、ということだった。
今の知識を総動員して初日を思い返してみるに、おそらく魔王の本来の口調は、雰囲気通りの堅いものだと推察される。ゆえに最近では、聞き取った魔族語に脳内補正をかけることで、魔王の発言のニュアンスの正確な把握に努めている。
ちなみに先の魔王の挨拶を脳内補正せず直訳した場合、『おはっぴー、トレイシア。昨夜は熟睡できちゃった感じぃ?』になる。冷えた眼差しと発言のウキウキ具合の落差に朝から現場が混乱である。脳内補正できる程度に魔族語のリスニング能力が向上して本当によかった。
いやまあ、初日はリスニング能力が低かったからこそ上手くいったとも言えるのだが。初手やっぴーの衝撃で心乱されなければ、魔王の威圧感に委縮したまま何も言えず、歓迎されていないと思い込んで初日を終えていたと思う。怪我の功名と言ったところか。
なお、魔王の口調が思いのほか堅いものだったと発覚したことで、私が真っ先に危惧したのが、私の発言も私が思っているようなニュアンスで聞こえていないのでは、という可能性である。
私は王宮図書館にて、司書が「これが魔界で流通していたとされる恋愛小説っす。たぶん主人公が令嬢なんで、淑女の口調の参考になるはずっす!」と紹介してくれた本で、自分に相応しい話し方を勉強した。
タイトルはところどころかすれて読めなかったけれど、『カンサイ……が令嬢に転生……件』という本であり、確かに主人公は令嬢、ゆえにこの本を参考にした私の口調は、完璧に淑女のはずだと自負していた。
だけど、私的には百点満点の淑女らしさ溢れる言葉遣いのつもりが、実は魔王にはトンチキ発言に聞こえていたとしたら、目も当てられない。
だが、勇気を出して魔王本人に確認したところ、そちらは杞憂だったようだ。
この前、恐る恐る『わたくしの発言はお聞き苦しいでしょうか?』と訊ねてみたら、魔王は「とんでもない。もちろん可愛、かっ、かなり正確な魔族語に近いと評価できる可能性もないとはいえない無限の伸びしろを持った豊かな語学力だと余は思う」との回答を得られたからだ。
魔界の文化なのか少し迂遠な言い回しだったので、ちょっと聞き取りに苦労したが、「かなり正確」「豊かな言語力」という言葉は確実に拾えた。正確で豊かな語学力。ふふ。そんなお墨付きを魔王直々にもらえたのは誇っていいだろう。
それに思い返せば、当初から魔王は私の発言に眉を顰めたことも、不快感を見せたこともない。
普通なら一国の姫が、たとえば「よろしゅうおま」等の砕け切った口調で喋り出したら、正気を疑うと思う(私が魔王の正気を疑ったように)。
だが魔王は、初日から私の発言に対し真摯な対応である。
つまり、私の話し言葉には何の問題もなかったということだ。
不思議な現象だが、魔族語と人間の言葉には非常な隔たりがあるから、聞くのと話すのとで大きく乖離があったとしても頷ける話である。
というわけで、話し言葉への不安を払拭できた私は、当初通りの自信を持って、堂々と淑女らしく振る舞っている。
朝の挨拶への返しだって、ほら、この通り。
――おはようございます、魔王様。お気遣いいただきありがとうございます。もちろんよく眠れましたよ。
「おはざす、魔王様。お心遣い痛み入り。爆睡してオリハルコン」
「うむ。よく眠れたか。それはよかった」
私の挨拶が完璧に礼儀正しい証拠に、魔王はスンと澄ました無表情を崩すこともなく、深々と頷いた。
この様子からも、私の挨拶が間違っても「おはざす」等の雑なものには聞こえていないと確信が持てる。うんうん。流麗な魔族語を操る己の才覚が眩しい。さすが私だ。
「いただきます」
「いただきやんす」
本日の朝食をいただきながら、チラッと魔王の様子を盗み見る。魔王は黙々と、冷え切った顔で食事をしている。ニンジンが花の形だったりパンが猫型だったり謎に可愛い朝食とのコントラストが激しい。
この魔王の様子を見た者は、彼が相当に不機嫌だと思ってしまうだろう。自発的に跪いて許しを請いたくような重い空気だ。私も最初の頃はハラハラしていた。
だが、今は特にそうでもない。
なぜなら魔王が重々しいのは、雰囲気だけなのだと分かっているから。
その象徴となる出来事、「グリーンピース事件」を振り返ろう。
「翻訳破棄(略)」の連載を追ってくださっている皆さま、ありがとうございます!
毎話に付くリアクションで「読んでもらってるー……!」と感動しております。
いただいた感想も嚙み締めて読んでおります(トレイシア語で「聖剣エクスカリバー」が人気急上昇だなあとか、楽しませていただいております!)。
次話から投稿ペースが変わりまして、週一の更新になります。
毎週水曜の夜です。
のんびりペースになってしまいますが、年内には完結するので、最後までお付き合いいただけましたら幸いです!




