■11.婚約者が可愛い
余は悩んでいた。
トレイシアが、可愛い。
「おはよう、トレイシア。昨夜はよく眠れただろうか」
「おはざす、魔王様。お心遣い痛み入り。爆睡してオリハルコン」
「うむ。よく眠れたか。それはよかった」
トレイシアが余の婚約者として魔界にやって来て、一ヶ月が経った。
一ヶ月も経てば、余もトレイシアのぎこちない(謎の流暢さはある)魔族語にも慣れてきて、聞き返すことは少なくなってきた。
それはトレイシアも同様で、こちらが話す魔族語を問題なく聞き取れるようになっており、彼女は余の返答に「レム睡眠でお目覚め」と微笑む。レム睡眠が何かは分からなかったが、よく眠れたということは伝わって嬉しい。
朝日が差し込む明るい食堂で、トレイシアとふたり、同じ朝食を囲む。彼女を魔界に迎えて以来、朝晩の食事は供にしていた。幸い魔族と人間で食生活に大した差はないので、同じ献立でも問題はない。
ただ見た目の可愛さには配慮するよう料理長には命じてある。ニンジンは花の形だったり、パンは猫型だったり。トレイシアは「魔王城の料理、ばえ」と今日も感心しながら(ばえ……?)、美味しそうに食べていて微笑ましい。
「そうだ、トレイシア。側仕えの手配は不要とのことだったが、本当にひとりで不自由はないか?」
「はいです。ソロ活で問題ねえ」
トレイシアは魔界に来て以来、彼女用に手配した部屋で、ひとりで寝起きをしていた。彼女は自国から護衛どころか、侍女の一人も連れてこなかったのだ。
「婚約者の身の回りの世話も必要な物も、全て魔界側で用意するので心配は無用」と先方に伝えていたとはいえ、まさか本当に身一つでやってくるとは思わなかったので、初日は内心で驚いたものである。
通常は王女を他国に送り出すのであれば、もっと過保護になるものなのでは……と不思議に思ったが、「着の身着のままで、わて参上」と堂々と告げるトレイシアの真摯な眼差しを見て理解した。
それだけエスタル王国側は魔界を信じている、という意思表明だったのだと。人間側も今回の婚約を以って、本気で魔族との和平を願っている……その誠意と信頼を喜ばしく思う。
当然、「全て魔界側で用意する」というこちらの言に偽りはないので、トレイシアの生活必需品はもちろんのこと、身の回りの世話をする魔族たちは手配済みだった。だが側仕えに関しては、「ソロ活で平気なる。お気遣い痛み入り」と、彼女本人から断られてしまったのだ。
やんごとない育ちの姫であれば、着替え一つとっても周りにしてもらう生活だっただろうに、苦労するのではないかと心配になったが、杞憂だった。今日もひとりできちんと身嗜みを整えて朝食に現れた様子を見るに、特に問題なく自力で身の回りのことはこなせるらしい。ゆえに、側仕えの手配を断ったのは、別に遠慮ではなく、本当にひとりでも大丈夫だからだと分かった。
「そうかそうか。トレイシアはしっかり者なのだな」
「せやな。わてのとこにはわての立場を舐め腐った人事部がわざとドジっ子メイド属性ばかり割り振ったゆえ、自然と己が力量が鍛えられた経緯。ドジっ子メイドなだけで心根健やかなるいい奴ばかりでむしろ平穏ほのぼのライフだったがな。家格と能力しか見ぬ人事部の節穴具合にへそでティータイム」
「どじっこめいど……? へそで、ティ……?」
「あっ、否、先の発言はお忘れなすって。あれだ、あー、わては自立の精神を尊び、自分のことは自分ですることを、信条に生きておま。自立大事!」
今のように、時折トレイシアの発言内容が汲み取れない時もあったが、こちらが聞き返そうか逡巡していたら、彼女はすぐに察してすかさず分かりやすく言い直してくれた。
「なるほど、自立の精神か。それは素晴らしい」
魔族語の勉強をしてきたことと言い、大国の姫でありながら自力で身支度ができる自立心と言い、彼女には感心させられることが多い。
「君が快適に暮らせているのであれば、婚約者として、魔王城の主として、これほど喜ばしいことはないぞ」
「へい。健康で文化的な最大限度の快適生活を送っておま」
トレイシアが問題なく魔界暮らしに馴染んでいることに安堵した余は、彼女と共に朝食を取りつつ、和やかに会話を楽しんだ。
初日に翻訳魔道具が不具合で使えないと知った時には心底焦ったものだが、魔族語を嗜んできてくれた彼女のおかげで、日々の会話は思いのほか成立している。
余の語りに、「さすがなる」「知らぬ存ぜぬ」「すげえな」「聖剣エクスカリバー」「そうなんやー」と、打てば響く相槌を入れるトレイシア。余は密かに感動で震えた。
た、楽しい……!
婚約者との世間話が、こんなにも楽しいものだったとは……!
ああ、人間の姫は魔王たる余に怯えてしまうのではないか、恐れて会話もしてくれないのではないか、と不安に思っていた婚約前夜が嘘のようだ。
人間と魔族の政略結婚は史上初の試みなので、正直上手くいくかどうか不安だった。だが、トレイシアのような素晴らしい姫が来てくれたのだから、きっと上手くいくだろう。
そう。トレイシアはまことに素晴らしい姫だったのだ。




