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「クリストフ殿下との婚約は破棄、義姉さんは晴れて傷物令嬢ですね」


 ルカの言葉には容赦がない。

 王家との婚約が破断になった今、クロエを娶ろうとする気概のある男性など存在しないに等しいだろう。


 クロエは十二歳のころ、クリストフとの婚約者となった。王家に求められての事だ。この国には三つの公爵家と十二の侯爵家があり、概ねその中から各貴族のパワーバランスも考えて、近い年頃の令嬢を王妃とするのが慣例である。今回白羽の矢が立ったのは、クロエだったというわけだ。


 十二歳の頃に初めて会ったクリストフとは、熱い愛情があったわけではなく、どちらかというと友人のような付き合いだった。嫁入り前の侯爵令嬢ということもあって、男女のふれあいというのは禁じられていて、手をつないだこともないけれど、いずれ夫婦になればそうなっていくものよね、とクロエは思っていた。


 そこでふと気が付く。

 思えば、それまでクロエにべったりだったルカが、クリストフとの婚約を境にクロエにちくちくと嫌味を言うようになったのはそのころだ。


「そうね…行き遅れの義姉がいたんじゃ、ルカの今後の婚約にも響くわね」


 御年十六歳のルカにはまだ婚約者がいない。

 この年頃の高位貴族となれば婚約者がいてもおかしくはなかったが、ルカにはその気配すらなかった。思い人はいないの?と聞いてみたこともあったけれど、あの時はルカにものすごい顔で睨まれてすごすご退散をしたのを覚えている。きっと思い人との恋の上手は難しいのだろう。下位貴族、もしくは平民が相手なのかもしれない。

 父も母も厳格で、次期侯爵として育てられているルカの婚姻相手は、きっと自由にならないのだ。


「僕は構いませんよ。義姉さんがずっとクラランス家にいてくれても」


 まるでずっとそうなることを望んでいたような声色だった。

 きっと義弟ながらの励ましに違いない。なんだかんだで、優しい子なのだ。

 クロエは沈んでいた気持ちが少しだけ浮かぶような気持だった。些細な気遣いが今はあたたかい。


「ありがとう、ルカ。でも大丈夫よ。何とかルカのお世話にはならないようにしてみせるわ」


 そう微笑むと、とたんにルカは納得のいっていないような顔になる。不思議に思っていた時、ドアをノックする音が聞こえた。


「クロエお嬢様。旦那様がお呼びです」


 ドアの向こうからは使用人の声が聞こえる。きっと今夜のパーティの話に違いなかった。


「すぐ行くわ」


 ドアの向こうに声をかけて、重たい足取りでベッドの上から立ち上がる。

 ルカにはああ言ったけれど、自分がどうなるのか、ある程度予想がついてしまってより気が重い。

こちらに身に覚えが無くても、あれだけの大衆の前で婚約破棄を言い渡され、家の名に泥を塗るような事になったのだ。きっと王都にはこのままいられない。不安がクロエの胸を覆いつくした。


「大丈夫ですよ。僕が義姉さんを悪いようにしません」


 ルカがそっとクロエの手を取る。触れた手は記憶の中よりもずいぶんと大きい。

気が付けば身長も、クロエよりも高くなっていた。


 ルカにそっと手を引かれ、侯爵である父の執務室の前にふたりで立つ。ゆっくりと息を吐いてから、意を決して扉をノックした。


「入ってくれ」


 父の荘厳な声を聴いて思わず身をすくめる。王太子妃教育を受けていたころ、厳しすぎる教育でクロエが涙を流した時も、「そんなことでは国母は務まらない。甘えるな」と叱責されたことが脳裏を蘇り、息が苦しくなった。

 そんなクロエの様子を見て、つないだ手を掲げてルカは笑った。


「僕がいますから」


 ルカの瞳は、久しぶりに見た穏やかな凪の色をしていた。

顔立ちはぐっと大人になったけれど、猫のような大きな目を細めてほほ笑んでいる姿は、幼いころの可愛いルカのままだ。


「ありがとう、ルカ」


 執務室のドアを開けて中に入ると、大きな窓の手前に立派なチョコレート色の執務机が置いてあり、それに腰かけている父の姿がすぐに見えた。

いつもきれいにセットされている髪型の、前髪の部分がすこしだけ乱れている。


「来たか、クロエ。ルカも……お前たちはそんなに仲がよかったか?」


 手をつないだままの私たちの姿をちらりと見ると、父は首元のネクタイを少しだけ緩め、乱れた前髪をかきあげる。ルカは遠縁のはずだが、父と容姿はよく似ている。父もルカも、黒髪に緋色の瞳をしていた。

 そして机に肘をつき、口元にあてるとやがて一つ大きく息を吐くと話し始めた。


「ハズバンド男爵令嬢へ嫌がらせを行っていたというのは本当か?」


 思わずルカとつないだ手に力を込めてしまう。


「…私には、身に覚えがございません」


「複数生徒からの証言もあるようだが」


「お言葉ですが父上、義姉さんにはそんなことをする暇などありませんよ。貴族学院ではしっかり5限目まで講義を受けられ、そのあとは分刻みのスケジュールで王太子妃教育があるのですから。それに義姉さんは……ハズバンド男爵令嬢と殿下が親しいこともご存じではないでしょう」


 ルカの言葉に、父がピクリと片眉を動かした。

 なぜ学年が二つも下のルカが好きではない義姉の行動をそこまで知っているのだろうと不思議に思わないでもないが、確かに貴族学院では夕刻までしっかりと講義を受け、そのあとは急ぎ足で王城に向かい講師たちとレッスンがあった。それは多岐にわたり、国の歴史や現在の世界情勢、財政状況といったような政治的なものから、お茶やダンスなどもあり、目が回るような一日である。

 おかげで殿下とは週に一度、貴族学院が休みの日に一時間程度お茶をするだけ。殿下がどういった方と親しいかは、ルカの言う通り知らなかった。


「殿下とハズバンド男爵令嬢は、特別親しい、という事か?」


「そう思いますよ。僕はハズバンド男爵令嬢と同級ですが、終礼と共に殿下が彼女を迎えに来ますから。さすがに王家の馬車に乗せるようなことはしていないようですけど」


「それが本当なら、こちらに分があるが…それは証言を取ることはできるのか?」


「当然。殿下がこのような愚行に出るのではないかと懸念しておりましたので、すでに複数の由緒ある貴族の同級生とは当該行為については手紙のやりとりをしております。ここに家名と、封には家紋入りの封蝋がされているので、殿下の証拠もないような話はいなせるかと」


 ルカの言葉を聞いて、父が安心したように姿勢を崩し眉間をそっと揉む。そして背もたれに体重をかけた。


「よくやったルカ。けれどなぜそういった懸念があることを私に報告しない?」


「頑張るねえさんに余計な心労をかけたくありませんから」


 ルカの真紅の瞳はまっすぐと父を見ている。父とルカはお互いに視線を交わし、やがて父はまた大きなため息をついた。


「クロエは少し落ち着くまで学院への登園は控えるように。ルカ、お前も難しい立場になると思うがうまく立ち回れ」


「はい」


 ルカとクロエの声が重なった。

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