【第三幕 二場】 閉演_喝采
本日三度目、同時更新の二話目です。
乳鉢に投じた薬草を細かにすり潰す。
独特の匂いが立ち上る。
「む……慣れんな、これは」
弱音を漏らすと、くすくすと鈴の音のような声で笑われた。
「だから、そっちは私がやるって言ったのに」
「しかし我が領から売り出そうという稀代の新薬だぞ? 少しは触れておかんとな」
「でも」
「――お止めください」
少女と言い合っていると、すっと横合いから乳鉢を取られた。
「閣下は、ご自身の不器用さを甘く見ていらっしゃいます」
「お前な……」
しかつめらしい顔で堅物が鉢のなかを覗き込み、眉根を寄せる。
「これは、もしや配合を間違われているのでは?」
「なんとっ!?」
「あ、見せてください。んー、ほんとですねっ! 色が違ってますよ」
「むう……」
と、豪快な笑い声が割って入る。
「おいおい。なんで手順書を見ながらやって間違うよ?」
「ぐぬ……」
振り返って脳筋を睨む。しかし意に介されない。
「そんなら俺がやったほうが、まだ上手いぜ?」
「お前以下だと……なんという屈辱」
「って、こらぁ! どういう意味だ!?」
領主が住むにしてはこぢんまりとした館の一角。薬事室である。
私たちが移住してきてから新たに作った。
調剤や研究をおこなう専用の部屋だ。
この辺境の領地。実は元から王家の直轄だった。
王国の中央から遠く、大半が荒野で覆われた、なんの旨みもない土地。
そう思われてきた。
どうやら手付かずの荒野に貴重な薬草と思われる種が自生しているらしく、ついては採取のため立ち入り許可を願いたい、と。
学園の講師に依願されたことから、表向き追放される地の候補となったのだ。
これは学園に交換留学で訪れていた隣国――帝国の留学生が薬学に詳しかったことも後押しとなった。
採取された薬草を同定してもらった結果、間違いなく原生種だったのだ。
しかも帝室に受け継がれる秘伝の調合法までをも彼から得ることができたのは、無類の僥倖というほかない。
品種改良されたものを前提としていたため、すぐには効果が出なかったが。
しかし平民の少女は薬学に関して不世出の天才だ。瞬く間に応用法を編み出してみせた。
今では栽培の目処も立っている。
公爵令嬢に言わせるなら『げぇむほせい』とやらになるだろうか。
「それにしても、量産が間に合いそうでよかったです」
少女が顔をほころばせる。
堅物も目を和ませ、脳筋も口の端を上げた。
「ああ、そうだな」
私も肯き、調査書を想起する。
公爵令嬢が前世で得た知識が記された、預言ともいえる内容を。
その『おとめげぇむ』のなかで、平民の少女は聖女となった。
卒業して数年後。太古の疫病が復活し、王国に蔓延する。
農作物と人体に甚大な害をあたえる病の、しかし少女は特効薬を開発した。
稀有な薬草の発見と、その調合法。
それを引っ提げて王国民を癒して回る彼女を、人々は聖女と呼んだのだ。
だからこそ――平民である彼女が正妃となることが認められたという。
公爵令嬢の見解では、それは特定の条件下でのみ起こる道程と顛末。
『ひろいん』が『こうりゃくたいしょう』のひとりである第一王子――つまり私を選んだ場合にだけ訪れる未来、らしい。
現実には、平民の少女は私と側仕え三人とを分け隔てせず好みを結んだ。
それを令嬢は『ぎゃくはぁるぅと』を狙っていると解釈した。
であれば、疫病の蔓延は起こりえない、と結論づけた。
放置していいわけがない。
たとえば、別の『るぅと』でも同じ事態が起きていた。しかし描写はされなかった。そのような可能性は捨てきれないだろう。
困ったことに、病の発生源や要因は特定できなかった。『げぇむ』内で明確な説明がなかったらしい。
令嬢も興味がなかったため、曖昧にしか覚えていなかったようだ。
弟もできるだけ情報を収集している。今のところ兆候はないらしい。
だが、起こってしまってからでは遅いのだ。
予防が困難であれば、対処法を究めるほかない。
隣国の帝国は、我が王国よりも薬学が進んでいる。
太古の疫病への特効薬も密かに受け継がれてきたものらしい。
その知識を首尾よく譲り受けて応用することで、対処の短縮化を図ったのだ。
これで疫病が復活しても、『おとめげぇむ』で描かれた未来より被害を減らせるだろう。
何事もなかったとしても無駄にはならない。
現代の病にも効くのだから。
「しかし上手くいったもんだよなあ」
「うむ。まあ、交渉はあれに一任したのだが」
そして一介の留学生が門外不出の情報を有していた理由は、単純に身分を隠した帝国の皇子だったからだ。
なるほど、と思わせる狸っぷりではあった。
あれは弟と同じ人種だ。
彼らが駆け引きしているところを見ると、互いに笑顔なのに、やけに寒気がした。
そんな相手から貴重な情報を引き出せたのは、運も味方したからだ。
彼は幼いころ拐かされた弟皇子を探していた。
自国で手がかりが一向に得られず、もしやと王国にも手を伸ばしてきたのだ。
王国と帝国は祖を同じくする。ゆえに一度まぎれ込んでしまえば人種の特徴でもって探し出すことは困難だ。
だが、私に心当たりがあった。
提示された情報。年齢。そして服の襟に隠れてしまうような傷痕。
偶然に見かけたのを覚えていたのだ。
知っている侍従のひとりが条件に合致しており、追って確認もとれた。
双方が公にはしない旨で合意。密かに職を辞させ、帝国へ送り出すという取り決めで落着していた。
と、慌しい足音が近づいてくる。
脳筋の誰何ののちに、泡を食って入室してきたのは軽薄だった。
心なしか青褪めている。
「ど、どーしよ、まずいよ、不味いことになったよ」
「うむ? まずは気を落ち着けろ」
目配せし、少女に茶を出してもらう。
ぐっと飲み干し、語ったことには。
「あ、姉上が……」
「うん?」
「し、寝所に間男を連れ込んで、婚約を破棄されたって」
「……」
一瞬、沈黙が下りた。
「えぇっ!?」
「はあ!?」
「まさか」
「……何かの間違いではないのか?」
僻地のことだ。
情報が届くまで時間を要する。
その間に誤謬が生じてもおかしくはない。
だが、追って入ってきた報。
それは――間男とは公爵令嬢が幼少期から懇意にしていた元奴隷であったこと。
引き込んだのか、あるいは彼が押し入ったのかは、令嬢が黙して語らないために不明であること。
そして令嬢は近く修道院へ護送される手はずとなった、ということだった。
帝国との国境にほど近い施設は、神の名のもとに貴人を終生に亘って看守する。体裁を繕った、つまりは監獄だ。
わずか数日後。
修道院への途上、護送車が賊の襲撃を受ける。
以降、令嬢は王国内での消息を絶った。
賊が帝国の領土へと逃亡し、外交上、追跡が敵わなかったためだ。
また世間には伏せられていたものの、元奴隷の侍従の身柄もいつの間にか消えていた。
世情を落ち着かせるように速やかに発表がなされる。
王太子である第二王子の新たな婚約者が、国じゅうに布告されたのだ。
「なんか手際よくねえか?」
「ええ。あらかじめ定めていたのかもしれませんね」
「あ、私に制服を呉れた子だ」
「……」
悄然としている軽薄の背を叩く。
「そう心配するな。彼女なら帝国でも上手くやるさ」
「別に心配ってわけじゃ……」
言いかけて、ため息をついた。
「まぁー、そうですね。姉上様なら、なんとでもするでしょうよ」
「ああ」
元奴隷が帝国の失われた弟皇子であったことを、彼女は知っていたのだろうか。知った上で手許に置いていたのだろうか?
今となっては確かめる術はない。
賊を装った帝国人と共に去った彼女が、かの国でどのような扱いを受けるのか。それは元奴隷であった弟皇子とのあいだに築かれた関係性から導き出されるだろう。
『おとめげぇむ』の『いべんと』は学園を卒業した時点で完了するという。
神の力――『げぇむのきょうせいりょく』は、すでに失効した。
彼女は彼女の道を。
そして私は私の道を歩む。
この先で道が交わることがあるか否か、それは誰にも分からない。
願わくば――すべての者に適正な『えんでぃんぐ』を。
THE END.
「『悪役令嬢』のデウス・エクス・マキナー!」これにて完結です。
今後、令嬢がどういう人生を送るのかは、ご想像にお任せします。
誤字等あれば、どしどしご指摘ください。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!