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始動

 ――八階層。階段の間。泉前。


 芯を先頭に土と岩の通路を進み、辿り着いた先には、ゴーレムがいた部屋にもあった青蝋燭があった。部屋中央には前時代的な噴水。水が入っておらず、閑寂な印象が強い。


 奥には螺旋階段が左右から上方へ伸びている。


 芯は噴水に近寄り、周囲を探っていたが、やがて何かの仕掛けを作動させた。すると、噴水中央にある石造から水が流れ出した。泉が出来上がると、芯は中央に戻る。


 花凛は、もしかしてこの水を飲めと言うのだろうかと思ったが、芯はそのまま直立し、何も言わない。


 しばらく沈黙を守っていたため、全員が何事かと疑問を持ち始めた。


 その時、泉からバシャッと何かが勢いよく浮かび、跳ねた。


「きゃぁっ!?」


 花凛は思わず悲鳴を漏らし、芯に抱きついてしまう。


 硬く泰然とした感触を受け、花凛は思わず頭の中が沸騰した。


「大丈夫だ。敵じゃない」


 頭上から優しく言われて、さらに顔の熱が上がる。


 慌てて離れて、泉を見ると、体操選手が着地した瞬間のように、両手を広げている女の子が立っていた。顔立ちは日本人のそれではない。


 まるで人形のようだ、と月並みな言葉が浮かんだが、それ以外に形容ができないほどに、ぴったりな表現だと思った。幼く、丸みを帯びた顔の輪郭ながら、体つきは真逆。自分と比較すると、その豊満な胸とスタイルの良さに嫉妬を覚えてしまう。


 金糸が頭部から伸び、それは水に濡れ光を反射している。同性ながら美しい、そう思える情景だった。しかし、その憧憬にも近い感情は一瞬で崩れ去った。



「ふふふふっ! 見ておったぞ、小僧! この部屋に入って来る時からな! どうだ、見事な登場だったであろ!? これが妾の演出力! 思い知ったなら今後、童を馬鹿にするでないぞ!

 そして、後ろのどこの馬の骨とも知らぬ人間共、こんにちわ! 妾はエミル・フォルシウヌ・イスラ! 人間よりも高位な存在! 精霊だ! 親しみを込めエミル様と呼ぶことは許すが、敬うのだぞ! あ、こ、小僧! な、何をしておる!?」



 うわぁ、この人、色々残念系だ、と花凛は隠しもせず、苦笑を浮かべた。


 エミルが口上を述べている間、芯は達観した笑みを浮かべ、長い溜息を漏らし、それでもまだ終わらないので、泉の傍に移動し、仕掛けを作動しようとしていた。恐らく、水を止めようとしたんだと思う。表情と行動がそう言っていた。


「ま、待たんか! 妾が悪かった! ちょっと、調子に乗ってました、すんません! だからやめて! やめろというに! ぎにゃあああ!? ふむぅぅうぅ!?」


 エミルは必死の形相で贖罪した。しかし芯の心には届かなかったようだった。


 芯は仕掛けを作動しようとしたがどうやら上手くいかなかったようで、諦めたが、今度はエミルの頬を掴みぐにぐにと引っ張り始めた。中々にお冠らしい。


「しゅ、しゅまにゅ、わりゅかっちゃ、ゆるしゅひぇ!」


 芯はしばらく弄んだ後、ようやく手を離した。

 エミルはほんのり赤くなった頬をさすりながら恨みがましい視線を芯に送った。


「むぅ! ひ、久々の登場なのだ、ちょっとくらい、はっちゃけてもよかろうものを」


「エミル」


「は、ひゃい!?」


「全員、三階層に移動させたいんだけど、できるか?」


「む? うむ、できるぞ。簡易契約はもうしておるしな。泉に入るとよかろう」


 ちょいちょいとエミルが手招きをした。傍目では浅い泉に見えるが、エミルは全身を沈め、そして消えた。彼女の後に続くように、芯とレオン、リュウが水に入り、そしてまた消えた。


「これ、入れってことだよね」


 花凛が呟くと、全員が顔を見合わせる。なんというか、ちょっと怖い。


 しかし芯達が先に行った手前、ここで足踏みをしているわけにもいかない。花凛は意を決して泉に飛び込んだ。


 すると、浅いはずの泉に全身が沈み込んだ、と思ったら、次の瞬間、立ち上がっていた。目の前にはエミルと芯達が待っていた。苦しさを感じるまでもなく、息を数秒止めていただけだった。これで移動が済んだのだろうか。


 全員が次々に泉から現れた。全て揃うと、芯に連れられまた通路を抜ける。途中、異形の化け物が現れたが芯達のおかげで即座に討伐された。頼もしいと思う反面、少しだけ怖かった。


 しばし松明と、エミルが生み出した、宙に浮かぶ水球から発せられる光だけが周囲を照らしていたが、やがて広い空間に出た。


「ここが俺が拠点としている場所、庭園だ」


 そこには植物、小動物、家があった。周囲は発光する鉱物に囲まれ視界は確保できている。人が住まう場所という空気が漂っていた。そこの光景は不思議と緊張をほぐし、安堵させてくれた。


「自然があるみたいだね」


「ほー、結構広いんだな。ってか家、あんじゃねぇか!」


「明るい」


「ここに竜胆は住んでるのか。思ったよりいい場所だな!」


「植物が多いせいか、空気が少し綺麗な気がしますね」


「天井があるのが、ちょっと窮屈な感じに思えるわね……」


「ウチ、ベッドね。多分、人数分ないしぃ、何人かは床って感じ? あと、お風呂あるよね? ないと死ぬ。ってかコスメどうしよ。買い換えとけばよかったわぁ」


「なんかちょっと土臭いかも。うち、こういう臭い嫌いなんだよね……」


「はあああ、遠くまで来ちゃったよぉ、先生、業務残ってるのに。終わった、何もかも終わったわ。私はただ慎ましくても幸せで平凡な結婚ができればよかったのにぃ!」


「ひ、広い」


 芯に先導され、迅達はロッジの中へと入っていった。


 花凛は光景に圧倒され、呆然と周囲を見回す。


 これが本当に迷宮内の情景なのか。植物、動物、そして家。どこか郷愁を誘い、抒情的な感傷に浸らされる。


 それはつまり、この場所で芯が生きてきたという証拠でもあり、これから花凛達も同じように生活しなければならないということでもあった。



 帰れないのかな。



 三年も迷宮で暮らしている芯がいるのだ。それはつまり、そういうことだ。

 落胆している自分に気づき、それでも前に進まなければならないということもわかっていた。


「お姉ちゃん……」


 隣に立つ妹の姿を見て、煩わしさは感じなかった。


 今まで蔑ろにしていたのに、虫が良いとは思う。自分はただ嫉妬して、醜悪な感情を包み隠さず、妹にぶつけていた。それでも悠李は自分を見捨てずにいてくれたのだ。そんな優しさを改めて感じ、罪悪感を抱いた。


 これから少しずつでも、態度を軟化させよう、そう思った。


「行こうか」


「う、うん!」


 さしあたって、出た言葉は端的なものだったが、それは花凛にとっての第一歩だった。


   ●●


 迅とめぐみ、花凛と悠李以外は、芯と離れて、各自好きに屋内を見回っていた。


 勝手にではなく、あくまで芯が許可してのことだったので、花凛は別段、口を挟む気はなかったが、案の定、萌子と夢衣は唯一の部屋である、二階の寝室を占領しようとしている。


「ウチら、ここ使うから」


 吹き抜けになっているため、二階の廊下が一階からも見える。手すりに体重をかけ、階下を見下ろしている萌子に、彰が噛みついた。


「何言ってんだ、ここは竜胆の家だろうが。なんで、おまえが一つしかない部屋使うんだよ、頭湧いてんのか、あ!?」


「はあ? 客におもてなしするのは当たり前じゃん? ってか、女子なんだし優遇されるべきだし、何? それともあんたがベッドで寝たいとか? うわ、自分が快適なところで過ごしたいだけ?」


「ふっざけんなよ! 俺は床でもいいってんだよ!」


「じゃあ、問題ないじゃん。竜胆も何も言わないし」


 大半の人間は萌子の横暴な態度に不満を表してたが、芯は泰然としているだけだった。自室を乗っ取られようとしているのに、彼は首を傾げ、口火を切る。


「別に構わねぇよ」


「ほら、家の主がそう言ってるんだし、いいじゃん」


 こうなると不満が増大するのは彰だ。彼なりの正義感の元に、しかも芯のことを思った上での発言だった。それが否定されては彼の立つ瀬がない。彰は怒りを露わにしながらも、所有者の芯に問題ないと言われては何もできない。


 萌子はしたり顔だったが、次に聞こえた芯の言葉を受け、表情を一変させる。


「ただ、そのベッド、俺がずっと使ってるぞ。替えのシーツもないけどいいか? ああ、洗濯はしてる。洗剤はないから、ただの水洗いだけどな」


 つまり、男が使っていたベッドに寝るということになる。


 考えれば誰でもわかることだが、彼女の中には現代で当たり前のように受けられていた恩恵が、ここでは存在しないという考えはまだない。それは萌子以外にも言えることだが、今回に至っては当事者は萌子だけだ。


 洗剤で洗っている布団とシーツ、水洗いだけの布団とシーツ。どっちがいいかは明白で、前者でも気にする人間は少なくないだろう。清潔さは問題ないが、彼女からすれば、芯の着ている服を被りながら寝るようなものだ。


 芯の言葉を受け、萌子は一気に不機嫌になり、


「……じゃあ、床でいい」


 と呟くと、荷物を持ち降り、テーブルの椅子に座った。手持無沙汰なのか、スマホを手にしている。


 彰の溜飲も下がったらしく、萌子同様に不機嫌そうだが、一応は何も言うつもりはないようだ。


「じゃあ、案内を続けるか。って言っても狭いけどな」


「いや、助かるよ。ありがとう。正直、僕もみんなもまだかなり動揺してる。薮崎とかは、多分まだ飲み込めてないんだと思うけど」


「俺も最初はそんな感じだったし、半狂乱になるよりはいいと思うぜ」


 迅と芯の会話を後ろで聞いていた花凛は、無意識の内に芯を見つめていることに気づく。彼が本当に竜胆芯なのかという疑問は消えては浮かぶ。


 言動や行動からそれは間違いないのに、記憶の中の彼と一致しない。相違点が多すぎて、納得できないのだ。


 彼も自分達と同じように、この場所に転移させられたと聞く。それも三年前に。その時は一人だったらしい。つまり、自分達のように複数で話す相手もいなかったということ。


 よほどの経験をしてきたのだろう。でなければ、彼がこんなに変わるはずがない。


 想像してみた。自分が一人、迷宮に放置され、魔物と戦い、生きるために動物を狩猟したり、植物を採取したりする。


 すべて自分で行わなければならない。それがどれほどの孤独を伴うのか。仮にリュウやエミル、レオンがいたとしても、彼が一人だった期間もあったはずだ。しかも、彼には帰る場所がある。その郷愁に襲われることもあっただろう。


 それでも彼は今、笑っている。大丈夫だと元気づけるように、花凛達を不安にさせないように、平静を保ちつつ話しているのだ。多分、無理はしていない。それが自然体なのだ。


 先の萌子との会話も、事を荒げないように配慮していたようだった。大人だ。少なくとも、花凛の知っている大人の中でも上位に入るくらいには。


 そう言えば、芯の仲間達はどこへいったのだろうか。家の中にはいない。


 聞いてみようかな、と花凛は胸中で呟いた。しかし、何だか話しかけるのが恥ずかしい。


 迅のように自然に話せればいいのに、どうしてもできない。


 その理由は花凛にはまだ判然としないが、どうやら芯に対して軽々しく接することができないようだ、とは思った。


 おろおろとしていると、悠李が芯に話しかけた。


「あの、リュウちゃん、とか他の、人? でいいのかな、あの子達はどこにいるんです? いつもここで寝ているんですか?」


「ん? ああ、リュウは家でいつも俺といる。今はレオンといるんじゃないか? レオンは大体庭にいるな。家には入らないんだ。エミルはこの庭園に入れないから、通路横にある小部屋にいる。エミルが寂しそうだったんで俺が造ったんだ。中はあんまり広くないけどな」


 思い起こしてみると、この庭園に入る手前、通路の横に扉があった。この家に比べるとかなり粗雑で手作り感が満載だったが。


「庭園に入れないというのは?」


「さあ。この迷宮メシュテリアには色々ルールがあるんだ。誰が設定したかはわからない。あるいは規範はこの迷宮じゃなくて、こちら側の世界にあるものかもしれないけど」


「なるほどー。あ、すみません案内してくれてたのに」


「気にしなくていいよ。ユウちゃんは気を遣い過ぎだ。もっと楽にしていいんだぞ」


 芯は自然な動きで、悠李の頭をぽんぽんと軽く叩き、撫でた。そのあまりの自然さに花凛は違和感を一切感じなかった。


 花凛は知らなかったが、悠李と芯には多少の交流があり、それは今の二人の距離感を作り上げたのだろう。


 悠李は人当たりが良く人気もある。友人も多いが、家に友人を連れてきたり、家で学校や友達の話をしない。花凛は、妹は他人と距離を置く傾向にあると思っていた。それが、自分への依存心を生み出している、という風にも思っていた。


 だから、芯の行動には違和感を覚えはしなかったものの驚いた。それは花凛だけではなかった。彰でも迅でも他の面々でもない。それは悠李だった。


「あっ」


 と、悠李が、か細く声を漏らす。


 花凛の中に、芯が悠李に慣れ慣れしくしたのかという考えが浮かんだ。しかし、姉らしくしていなかった自分が口を出すのもまたおかしなことだろうと思い、閉口する。それは咄嗟の判断だったが、ある意味正解だった。


 悠李が突然泣き出したからだ。


「え、ちょ」


 驚いたのはなぜか花凛だった。狼狽したまま声を出したため、意味の通らない言葉になってしまう。


 自身の行動をきっかけとして涙を流したというのに、芯は落ち着いた所作で悠李の頭から手を離すと、申し訳なさそうにしただけだった。以前の彼なら酷く動揺していたに違いない。


 周囲の連中も、事態に気づいた。芯が悠李を泣かしているという構図ができているように見えるが、状況が読めないため、誰も何も言わない。


「ごめん、泣くほどイヤだったか?」


 芯の口調は自責と心配の念が含まれている。その言葉に、悠李は首を振って応えた。


「ご、ごめんなさい。違うんですっ、その、嬉しくて……本当は、竜胆さんがいなくなって、ずっと気にしてて、悲しくて。

 いつも優しく声をかけてくれたのに、わたしには何もできなくて……それで元気だってわかって。が、我慢してたんですけど、前に頭撫でられたこと思い出しちゃって、それで、ぶわーって……は、はは、ダメですね、わたし」


 妹が泣く姿を見るのはいつ以来だっただろうか。

 少なくとも小学生高学年以降にはなかったように思える。それは彼女がとても優しい娘だからだ。泣けば周りに心配させてしまう。


 元気な姿で居なければ心労をかける。恐らくは、そんな心情からいつも笑顔でいるのだ。それが芯が健在だったと知り、泣いている。


 妹にとって彼はそれだけ大事な存在だったらしい。花凛は知らなかった。精々、朝に挨拶する程度の間柄だと思っていた。


 悠李と若林を除いた全員は、芯のクラスメイトだ。花凛に至っては隣人でもある。それなのに、芯が無事だったとわかり、嬉しいと思ったのは悠李だけだった。花凛にも嬉しいという思いはあった。


 しかし、それよりも罪悪感の方が強かった。結局、自分のため、贖罪と重責から逃れたいという利己的な欲求によるものだ。


 悠李の純粋な言葉を受け、萌子と夢衣以外の全員が居心地の悪そうな顔をした。


 なんせ、ここに至るまで、悠李以外の誰も芯に、心配した、無事だったのか、大丈夫か、そんな言葉をかけはしなかったからだ。


 みんな自分のことだけ考え、彼の苦労も考えもせず、助けられたお礼さえおざなりにし、寝床や食料を与えられている状況だった。


「ありがとう、ユウちゃん。正直、俺は誰とも深く関わらなかったから、心配してくれるような人間は家族くらいだと思ってたんだ。だから、嬉しいよ。本当に」


 それは心の底から出た言葉なのだろう。芯の顔には穏やかでありながら強い感謝と喜色が滲んでいた。


 彼にもわかっていたらしい。誰も自分を心配していないだろうということは。


 花凛は心の中を見透かされたようで、忸怩たる思いを抱いた。


「そんな、そんなこと。わたしは以外にもいます、きっと」


「間宮妹の言う通りだ。ネコはおまえのこと心配してた。ウロボのこと楽しそうに話した後にいなくなったからよ。もしかしたらウロボ関連で巻き込まれたのかもって、そんな風にも考えてたみたいだ」


「……猫村が?」


 彰が気まずそうにしながらも補足した。


 芯は驚きを隠さずに、目を見開いた。


「ああ。色々調べてたっぽい。すまねぇ、俺はおまえのこと、気にしちゃいなかった」


「いいさ。気にすんな。話したことなんて数えるくらいだったしな。俺もそんなクラスメイトがいなくなっても、同じように思っただろうし。けど、そうか。猫村が」


 芯は難しい顔をして思案している。彼なりに思うところがあるのだろう。


「竜胆。悪いんだけど、案内の続きをお願いしていいかな。できるだけ早めに状況と環境を把握したいんだ」


「ん? ああ、悪いな。続けようか」


 芯はすぐに気を取り直して、屋内の案内を続けてくれた。 


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