白魔女の庭園
第三階層には、第二階層以下との相違があった。
土くれの情景に緑が生える。それは苔だった。伴って植物の姿を認めた。大概は枯れてしまっているが自然の息吹を感じた。
だがそれは新鮮さを俺に与えてはくれず、気分転換にもなりはしない。
松明は地面に落ちて、煌々と辺りを照らしている。光はまだ強い。しばらくは気にする必要はないだろう。
「キィキィ!」
甲高い鳴き声だがリュウではない。
バサバサと羽音をけたたましく鳴らし、頭上を飛んでいる。それは俺が知っている動物ではあったが、凶暴性が増していた。
白と黒の肌が特徴的なことから『斑コウモリ』と名付けた。
メジャーな動物でありながら実際に目の当たりにする機会は多くない。
体長およそ三十センチ程度。時折、超音波のような悲鳴を上げるため、思わず委縮してしまう。反響しているため余計に聴覚を刺激する。
「キィィィィ!」
「うるせぇんだよ、くっ!」
敵は三体。天井にぶら下がって様子を見ている一体、飛び回る一体に、牽制しながら叫ぶ一体。よくわからないフォーメーションで俺を弄んでいる。
小剣のように短い得物であれば扱いやすいが、長剣のように一メートルを超える長物だと技術が必要だ。
当然、小剣も技術が必要ではあるが、あくまで扱いやすさだと短い方が有利だった。素人の俺にとって、斬るという行為は難しい。小剣なら突きを主体に攻撃ができるため助かっていた。
対して、長剣は攻撃範囲は広がるが、突きの難易度が上がる。斬ることも難しく、真っ直ぐ刃を立てて振るっているのに、当たってもまともに斬れない場合が多い。
対象に向かい、直線に力を入れて振ることが肝要だが、まだ慣れなかった。小剣だと多少は斬ることはできていたが、長剣となるとまた違った感覚だ。ちょっと長くなっただけなんだが。
小剣に武器を変更してもいいが、それではいつになっても長剣を使えないため、俺は敢えてそのまま携えていた。握力を相当使うので鈍麻してきたけれど。これは明日、また筋肉痛だな。大なり小なり、最近ずっとそうだ。
俺は中々当たらないことに業を煮やして、感情のままに無闇に剣を振っていた。やがて体力が尽きてしまう。
「ちょ、ちょっと休憩」
「キィ!」
だめっ! とばかりに好戦的な斑コウモリが滑空し、口腔を開いた。
俺は寸前で横っ飛びし、なんとか回避。しかし、無理な態勢だったため、たたらを踏んでしまう。
なんとか転倒はしなかったが、再び構えるのに時間を有した。しかし、他の二体は休憩している様子で、遠くで傍観してる。
馬鹿にされている。
プライドが傷つき憤りかけるが、感情のままに戦っても勝てない。
ゴブリンは俊敏性がなかった。こちらを見下し、直線的な攻撃が多く、躱して突くという動作ができれば勝てた。筋肉が邪魔をして抜けなくなることがあっても、ナイフがあるし、いざとなれば拳銃があったので問題はなかった。
敏捷度の高いコウモリ相手では刺突は不利。攻撃に合わせて斬るか払うかしなければ倒すことは難しいだろう。
俺は記憶の中にある剣術の、正眼の構えをとり、斑コウモリと対峙した。
右手は添えるだけ、左手を支点に邪魔しない程度に力を加える。左足は後ろ、右足は前。袈裟切りの際には下ろす方向の足は後ろ。地面を蹴ると同時に振り上げ、地面に足が接地した瞬間、体重移動し一閃。
多分、こんな感じだ。あとはぶっつけ。幸い斑コウモリは俊敏ではあるが、攻撃手段は噛むか叫ぶだけ。仮に噛まれても致命傷にはならないだろう。
病気持ちだったりしないよな……?
ネガティブな思考を除外し、俺は集中し敵の姿だけを視界に入れた。
斑コウモリが乱舞する。予備動作なく俺へと迫る。
集中していたおかげで、コウモリの攻撃を予想できた俺は瞬時に長剣を振りかぶった。
が、予想よりも敵は速かった。
剣を振り下す前に、コウモリが俺の腕に噛みつく。鋭い痛みを感じ、俺は即座にコウモリを掴み投げ捨てた。
「いっつ!」
傷は浅い。ぽっかりと四つの小さな穴が開いているが、血管や神経は無事だ。痛みと僅かな出血しかない。
力を込めると痛覚を刺激したが、構わず構えた。
今までの魔物の行動パターン、速度、俺の行動にかかる時間、動作の円滑に行う感覚の復習を常に行う。運動神経は良い方じゃない。本気で運動をしたこともないし、常に帰宅部だった。運動音痴ではないが、勘が鋭くもない。
愚直に繰り返し習得するしかない。何でも慣れだ。多分。
俺はコウモリの動きを必死で追いかける。
飛翔、滑空、反応、対応、回避、再びの飛翔。
掠りもしない。だが、次第に攻撃のタイミングは合い始めている。まるで野球だな、と思った。敵の攻撃にあわせて剣を振る。それだけのことにどれだけの要素が絡んでいるのか。
腕は何度も噛まれている。血が流れ過ぎている。袖は内側から鮮血に湿っている。貧血になりはしないが、病原菌の存在が危うい。感染していたりしなければいいが。
「キィ!」
斑コウモリは執拗に俺を襲っている。
何度目か数えるのも億劫になるほどの攻防の中、俺は疲労から力が抜けてしまう。右腕には力がほとんど入っておらず、ほとんど左手だけで長剣を下ろした。
白刃が煌めく。それは今までで最も流麗な軌跡だった。
「はっ、はぁ、は?」
荒げた呼吸の中で、俺は思わず疑問符を頭に浮かべる。
真っ二つになった斑コウモリが地面に落ちていた。ピクピクと痙攣しているが絶命しているのが見て取れた。
右手の力が抜けていたのに、剣速は一番あった。その上の滑らかな手触り、まるで大気を避けて通ったように、すっと虚空を抜けた。
刀身は重みを持たず思った通りの動きをしたのだ。偶然だとは理解している。忘れられぬ感触に、俺は思わず感嘆に震えた。
気を抜いたのは一瞬。すぐさま他のコウモリを視界に入れる。
一体目を倒したことで、二体の斑コウモリは同時に攻撃を開始した。
腕が重い。だが余計な力が入っていないということは奏功するとわかった。俺は左手に意識を集中し、右手は軽く握る程度に抑えた。
斑コウモリが同時に迫る。左斜め上と右斜め下。
瞬間的に左足を踏み出し、左上に剣を掲げる。
裂帛の気合いと共に交錯する。
綺麗な直線を描いた剣閃は、土のおかげで動きを止めた。先端は地面に埋もれている。
バタッと左右で音が聞こえた。
一翼を失った斑コウモリが苦悶に唸り、上半身を別った残り一体はすでに意識さえない。
俺は息のあるコウモリに近づくと迷いなく突き刺した。多量の血が流れ出すと、しばらく痙攣していたが、すぐに止まった。
即座に命を失ったコウモリを見下ろし、大きく深呼吸した。
「はーーー……た、倒した、か」
リュウが申し訳なさそうに項垂れて、俺の足元にすり寄って来た。
「いいんだって。飛んでる上に素早い奴だと、厳しいもんな」
リュウは小柄だし、戦う手段は爪かブレスしかない。どちらも攻撃範囲は狭い。そのため飛行型の魔物を相手にすると戦いづらい。
俺が一人で戦った方がいいと判断し、下がってもらっていたのだ。誤ってリュウを斬ってしまいかねないからな。
三階層に入ってゴブリンに二度、斑コウモリに二度遭遇した。
コウモリとの一度目の遭遇は気づかれなかったので事なきを得たが、今回はやり過ごすことができず戦った。しかし想定以上に手強かった。やはり空を飛ぶ魔物だと攻撃を当てるのが難しい。
俺は周囲の様子を窺い、その場に座り込むと鞄から包帯と消毒液を取り出した。自室にあった応急箱に入ってあったものだが、量は少ない。
あまり使いたくはないが、消毒くらいはしておかないと不安だ。
「狂犬病になったりしないよな」
コウモリが狂犬病のウイルスを持っていたという話は聞いたことがある。日本ではしばらく発症していなかったはずだけど、ここは日本ではない。杞憂で終わってくれればいいけど。
俺は上着を脱いだ。消毒し終えると包帯を巻いた。
「コウモリって食用もあるんだよな……でもなぁ……」
どうしてもコウモリは病原菌のキャリアであり、感染の元になっているというイメージがある。食用もあるはずだが、斑コウモリが問題ないかどうかはわからない。
まだ食糧難に陥ってはいない。どうしても足りない場合に考えよう。できることなら食べない方がよさそうな気もするが。
処置を終え、上着とコートを羽織る。血で汚れてしまっているが仕方がない。痛みは無視すればいい。
俺は斑コウモリの死体をそのままにその場を立ち去った。
道なりに先を進む。三階層は二階層に比べて分岐がほとんどなかった。セミアリの巣もないため大きな危険はないし、順路もわかりやすい。
苔の道を通る。土のすえた感じとは違い、少々青臭い中に水気が混じったような臭いのような。悪臭ではないが独特な臭気が嗅覚を刺激した。
松明片手に、二又を左に進んだ。
しばし歩くと、定位置にいるリュウは鼻をすんすんと動かした。
「どうかしたか?」
「キュキュイ!」
リュウは突如として飛び降り、そのまま走り去ってしまった。
「お、おい! リュウ!」
俺は焦りながらすぐにリュウの後を追った。
一体どうしたって言うんだ。こんな勝手に離れるようなことは今までなかったのに。
俺は焦燥感を抱きつつも道を進んだ。
暗澹とした細道を疾走する中、やがて大きな変化が訪れる。
「明るい?」
遠目で光が見えた。俺は逸る思いのままに、期待を持ちつつ終着点へ急いだ。
光の中に入ると、そこにあった光景に俺は息を飲んだ。
「家だ」
俺は呆然と呟く。家屋が正面に建っていた。周囲は植物が茂っており、樹木には果実が実り、小鳥は囀り、小動物が戯れている。
目的の一つだった兎の姿が見えた。複数走り回っており、俺の姿を見つけると一目散に逃げ出した。
平原の中の家だった。
広さは庭よりやや広いくらい。内壁はごつごつとした岩と水晶石だった。ここまでの道なりは地面を掘り進んだような土壌だった。しかし、ここは岩場で頑強そうだった。
中央付近には井戸がある。蓋をしているようだが、まだ使えるのだろうか。
リュウは家の近くで座っており、振り返った。小首を何度も動かし、俺の元へ走り寄って来ると肩に飛び乗った。首に巻きつく気はないらしく、腰を落とし首の後ろを足で掻いている。
「庭園、みたいだな」
民家は木造建築だった。見目はロッジに近く、近代建築の影は一切見えない。正面の壁には左右対称に小さめの窓が並んである。介在して、丁度真ん中に玄関が備えつけられている。
軒下には小さなテーブルと椅子があった。しばらく使われていないらしく土と埃を被っている。
俺は玄関のドアをノックした。
「どなたかいませんか?」
老朽化はしているが、誰かが住んでいる可能性はあった。人と会いたいという欲求はある。誰かと喋りたいという気持ちは塔に来てからずっと抱いている。人づきあいは苦手でいつも一人になりたいと思っていたのに、何とも都合のいい話だ。
何度か叩いたが返答はない。
俺はドアノブを回すとすんなり開いた。
「お邪魔しますよ……?」
恐る恐る中を覗くと、小物や家具が散乱している。
正面にはリビングがあり、奥には台所と裏庭への扉、その手前に扉が見える。やや小さめのテーブルの上にある花瓶には枯れた花の残骸があった。床は埃だらけで、本や小物が転がっている。
暖炉の横には薪が幾つか置いてあった。暖炉は煤と灰だらけですぐには使えそうにない。
床を踏みしめるとギシッと不安な声を上げた。
部屋は二階と一階の奥と手前に一つずつ、計三つあるようだ。
俺はブーツを履いたまま中へ足を踏み入れた。
最初に台所を見てみた。石造りのかまど。
天板には食器が無造作に積み重なっている。
カビと食料だったものの塊には虫の卵や虫そのものが蠢き、ともすれば年齢制限がされてしまいそうな映像だった。臭いも酷い。
ここにまともな食料があるとは思えなかった。
俺は一階奥の部屋を開けた。
どうやら書斎らしい。
近場の本棚に入っていた蔵書を手にとり中を覗くと、見たことのない文字が並んでいた。この世界の言葉は、俺の知っている言語ではなさそうだ。世界中の言語を知っているわけではないので地球上にも同じ言語があるかもしれないけれど、直感的に違うと思った。
印字は手書きだった。
本が乱雑に置かれているが、リビングや台所に比べると綺麗だ。
本を戻し、リビング手前の部屋に入った。
フラスコやビーカー、様々な形のガラス容器や圧搾に使うような網目の道具、様々な実験器具の類がテーブルに乗っている。学校の理科室を思い出した。
魔術的な印象を与える紋様や積み重なっている分厚い蔵書があった。これは錬金術というやつを研究していたんだろうか。
部屋中に甘いような臭いが漂っている。脳が蕩けそうな不快さに顔を顰めた俺は、さっさと部屋を出ることにした。
俺は二階に上がり、部屋に入った。
そこは寝室だった。大きめのベッドの周囲には衣服が散乱している。姿見は割れて、本来の用途を果たせない。クローゼットの中にあった女性物の衣服は虫に食われてしまっている。どうやら住人は女性だったようだ。
俺は一階に下り、リビングで立ち尽くした。
人が住んでいる気配はない。外観は問題なさそうに思えたが、内部は完全に人が去って長い時間が経っているという証拠をまざまざと見せつけて来た。
一通り掃除すれば住めなくもない。時間はかかりそうだが、その甲斐はありそうだ。
外に出て、井戸の蓋を外す。バケツを下ろすと水音が響いた。引っ張り上げ、水質を確認する。地下水は濁ってはおらず、問題はなさそうに見える。
気がかりな点は魔物がこの場所に侵入するか否かだ。
「試してみるか」
荷物をおろし、通路を抜けて、近場にいた斑コウモリを引きつれて庭園まで戻ってみた。この庭園には入れないようだった。入口に異界線はなかった。つまり、善次郎はここに来ていないということだろうか。
俺は自室からこの『三階層の庭園』に拠点を移すことにした。庭には魚がいるがここには、兎がいる。それに上階を目指すとなればできるだけ先に進んだ場所に住居を移した方が効率がいい。
「とはいえ、まずは掃除だな」
俺は久しぶりに強い高揚感を抱いていた。なんというか引っ越しする時の心機一転に似た気分というか、一人暮らしをしたことがないので心境はわからないんだけど、多分近しい感覚だと思う。
俺は一息入れた後、家の掃除に取り掛かった。




