第1話 逆さの花火
【愛】
20XX年3月
『すぐそこに、UTOPIA』
都市の大型モニターが、その言葉だけを丁寧に繰り返していた。
株式会社アイコーポ。
広告の中では、笑顔の家族が何度も再会していた。少し遅れて泣き出す子どもも、抱きしめ返す父親も、すべてが過不足なく幸福に見えた。その映像を、私は見上げる。
「……また、やってる」
誰に向けるでもない声は、風に溶けた。
横断歩道の向こうで、学生らしき三人が笑っていた。何でもない会話、何でもない帰り道。どうやら今日は卒業式だったようだ。卒業証書を三人とも持っている。
「馬鹿みたい」
吐き捨てるような言葉に、怒りはない。ただ、理解できないものを見る目だけがあった。
ザザッ——
視界の端で、広告が一瞬だけ乱れる。
白い部屋。無数の線につながれる機械。都合の良いフレーズを話す、作り物。
「……っ」
ほんの一拍だけ呼吸がずれる。作り物の声が、作り物の顔がノイズの底から浮かび上がる。
——愛ちゃん。
あぁ、本当に耳障りだ。
ザザッ——
広告は何事もなかったように続いている。理想の家族は、今日も誰かの喪失を埋めていた。私は目を細める。
「こんなの、絶対に間違ってる」
そして、もう一度だけ、広告を見上げる。
「……正さなきゃ」
【天】
二年後——
俺の体は、意思とは関係なく動き始める。音だけが、先に意識に引っかかった。まただ、と分かる前に身体が反応する。
ここは自分の部屋で、窓は少しだけ開いていて、夜の匂いが入ってくる。ベランダになんて滅多に出ないけれど、誘われるように出てしまう。変わらない街並み。ぼぉっと眺めていた。
──一瞬だった。
空気が変わる。視線の先で、影が落ちる。逆さまのまま、目が合う。落ちてくるその影は俺の良く知る人物だ。
そしてそこで、いつも目が覚める。
「…………遊。……小鳥遊! 小鳥遊天!」
「は、はい!」
大きな呼びかけに対して咄嗟に返事をする。勢い余って立ち上がってしまった。
「お前、最近寝過ぎだぞ! 学校は宿泊施設じゃないんだからな!」
くすくすと周りの生徒が笑う。
「す、すみません。気を付けます」
肩をすくめながら静かに着席する。最近、眠気がひどくて授業中に眠ることが多い。
まぶたの裏に、逆さまのあいつの顔が焼き付いて離れない。寝てもさっきの夢を反芻して見るから熟睡はできない。悪循環だ。
「じゃあ次の問題の答えを~……」
学校が終わり、帰路につく。都市の大型モニターがチカチカといつも通りアピールしてくる。
「天。この時間に歩いているなんて珍しいな」
「わ……。蓮? 久しぶり」
違う高校に通う幼馴染に声をかけられた。西園寺蓮という。短い濃紺の髪。紺色の目。黒ぶちの眼鏡をかけていて恰好通りの優等生。俺はバツが悪そうに頭をかく。
「……授業中居眠りしすぎて反省文書いてたらこの時間」
「相変わらず、非効率なことをしているんだなお前は」
やれやれと呆れたようにため息をつかれる。
うう。俺だって寝たくて寝ているわけじゃないのに。と言い訳を言ったところで、蓮に説き伏せられるからしょもしょもと肩を落とすしかない。
「広告、また変わっているな」
「え?」
「前まで『あなたと出会えて、幸せです』だったろ? 今は『出会いは、巡る』」
小さいころから蓮はこういう細かい変化によく気づく。俺の家に遊びに来た時も家具の配置とか変わっていたらすぐに気づいていた。
勉強も抜かりなくできるため高校からは進学校へ通っている。
……俺は、家から近い変哲もない高校。
「よく気付くな。数年前からずっとアイコーポが広告独占しているから気づかなかったよ」
「まぁ、変わったところでなんだという話だがな」
「蓮は最近学校どうなんだ?」
「確かに数パーセントは規格外に頭がいいなってやつがいる。だけど、その他大勢は必死に頑張っているって感じだぞ」
「みんながみんな、蓮みたいに天才ってわけじゃないんだな」
「からかうのはやめろ。僕はただ効率よく生きているだけだ」
蓮は吐き捨てるように言う。効率よく生きる、か。効率よく生きるっていうのも頭がいいからできることだと思うんだけど。
「……奏とは最近会っているか?」
逆さまの人物の顔がフラッシュバックする。
俺は一拍間をおいて……。
「いや……。奏、忙しいだろ」
平然を装って会話を続ける。
一ノ瀬奏。俺と蓮のもう一人の幼馴染。
「そうだな。高校入学と同時にアイドルデビュー。次はドームツアーと言ったか? アイコーポのCMにも奏が起用されていたな、そういえば」
「……そう。元気よく……、やってるよな」
「天?」
「奏って変わりないよな。今も、何事もなくアイドル活動しているよな」
「……? テレビをつければ必ずと言っていいほど見かけるが?」
当たり前のことを言う俺に対して怪訝そうに見る蓮。
「……ごめん。用事を思い出した。姉ちゃんに牛乳買って来いって言われてたんだった。またな」
「あ、おい」
交差点の信号がチカチカと光っている。俺は急ぎ足でその場を後にした。
夢のことは蓮に言っていない。
不謹慎だろ?
幼馴染がベランダから落ちてきて、
——グシャッ
逆さの、赤い……花火。
…………こんな夢の話、なんて。




