もう人間くらいしか食べる物がないこの世界で、どうして僕らは出会ったのだろう
ホラー。カニバリズムがテーマにつき、ご注意をお願いいたします。
部屋の片隅に大きな檻。
鉄格子からは、ほっそりとした白い足らしきものがはみ出している。
足の持ち主は檻の中だ。
純白の「包装服」に包まれた、女の子らしきソレ。
すんなりと伸びた白い手足。
緩やかに波打った長い金髪は、足のふくらはぎにまで絡みつく。
ノースリーブとロングスカートの包装服が、金糸で繊細に装飾をされているかのように見えた。
奥を覗く。
ソレは鉄格子にもたれかかっている。
目を瞑り、両腕を力なく落としていた。
首から上を見る。
白皙の柔らかな頬に少しだけ差す紅。
細い鼻梁は繊細に整っており、頬に掛かる、豊かな睫はとても長い。
(綺麗だな……)
思わずため息をついてしまった。
内閣が昨年閣議決定した、青少年食育教育キャンペーンのために配られたソレ。
食品に加工する前の原料である。
《原料に間近で触れて、命の大切さを学ぼう》をモットーに、抽選で当たった十五~十八歳の少年少女に配り、日々の食事の元になる命について考えさせるのだそうだ。
僕は食品工場で長らくバイトをしていた。
なので工場長は、原料の中でも特別らしいソレを僕に用意した。
原料は、一体でだいたい一週間分の食事になる。
また排泄物については、事前に局部に処置を施し、見えないところで分解されるようになっている。
とは言っても。
結局のところ、原料は早々に工場に帰すことになる。
素人の管理では、原料は栄養を摂取することをせず、劣化してしまうことが多いからだ。
だけど――――いつも檻を覗き込んでしまう。
とても不思議だ。
原料だというのに。
ソレは――――ずっと見ていたいほど、美しいのだ。
原料を部屋の隅に置いて、もう三日が経つ。
品質の劣化を考えたら、早く加工場に持っていった方が良いというのに。
「ハンバーグかな、ステーキかな。全てをきちんと食べきるなら、カルシウムが多めなミンチなのかな」
声を掛けてみる。
うっすらとソレの瞼が開いた。
可憐な外見には見合わぬ、強烈な生気を感じさせる鮮やかな緑の瞳。
――――殺気。
そして射殺さんばかりに僕の目の奥を睨み付けてきた。
ぞくり。背中に怖気が走る。
生きることを諦めないソレ。
チャンスさえあれば僕の喉元をかみ切って自由を手に入れようとするだろう。
小さなぷっくりとした赤い唇が開く。
桃色の舌を覗かせながら、小鳥のような囀りを吐いた。
『人殺し』
……………。
これから食事をする前に、少しお時間をいただきたい。
貴方はどんな時に、食事を心から「美味しい」と感じるだろうか?
愛する家族と食べる時?
贅沢なご飯を食べる時?
親友は、真夜中の夜食のラーメンが至上だと言う。
だけど、僕は生まれつき食事に興味がなかった。
食も細い。
親に何度も心配されるほど、長年「美味しい」ということが理解出来なかった。
そんな僕が十七年間、生きてきて。
一番惨めで。
残酷で。
――――心の底から愛おしく、幸せで。
僕という人間が、初めて「美味しい」と感じることができた、一生に一度の最高の食事について……語らせてもらおうと思う。
◇◇◇◇
この世界で食べるモノは、全て食品工場で作られる。
ベルトコンベアーから流れてくるのは、湯気を上げる米、麺、パン。
完成された缶入り食品。
バウチされたレトルト食品。
不器用に詰め込まれた【お母さんの手作り】のお惣菜も。
肉汁の滴る鳥の丸焼きも。
青々とした新鮮な野菜でさえ。
全てが完成した状態で、工場の四角い出口から流れてくるのだ。
そして原料は、全て外から供給してくる。
だから自給率ゼロ。
これが昨今の日本である。
僕の家は、東京都世田谷区の西の端にある。
正々堂々、二十三区の住民だ。
就職氷河期で上場企業に入れなかった父親の見栄もあり、頑張って四十年ローンで手に入れた一戸建ては、一階が駐車場になるペンシルタイプの三階建て。
高校に進学した僕にようやく一人部屋が割り当てられた。
四畳半。一人空間が欲しい年頃には十分な広さだ。
これで裸になってうろついても母親に怒られない。
ああ素晴らしきかな、我が城。
椅子に座って見渡すと、パイプベッドとクローゼット。
参考書以外は漫画と携帯ゲーム機しか積んでいない机。
当然、自分だけのテレビも要求した。
が、教育費のためにパートに勤しむ母親に「国公立に受かってくれれば考えても良いけどねえ」と法案はあえなく却下される。
我が家の権力者に逆えるものは、父・兄・僕、誰一人として居ない。
そして檻。
白い足。
ソレ。
学校のブレザーに着替えて、僕はソレに声を掛けた。
「行ってきます」
『ここの鍵を出せ』
「今日は工場に行くから遅くなるよ。バイトなんだ」
『私を出せ。この人食い怪物』
「君は全然、栄養剤を摂取してくれないよね。これ以上痩せたら兄貴に馬鹿にされるよ。お前は原料を枯らすことしかできないのかって」
『お前らは狂気の沙汰じゃない。私の仲間をこれ以上喰うな!』
「あ、鈴木にゲームソフト返さなきゃ。あいつ貸し借りだけはうるさいからな」
『ここから出せえー!』
小鳥の囀りが激しくなった。
細い白い指が鉄格子を掴み、揺さぶる。
『死に絶えろ! 滅んでしまえ! ツキト! 私が少しでもお前の首を掴めたら、くびり殺してやれるのに!』
僕の名前を呼んだ!
喜んで振り返る。
今日も命を激しく燃やすような、鮮緑の双眸に見惚れ、思わず踵を返そうとして――――――。
「原料なんかいじってないで、早く学校に行きなさい! 私は病院へおばあちゃんのお見舞いに行ってくるから、戻ったらきちんとソレの世話をするのよ!」
権力者の一声。
僕は慌てて学校に向かうことにした。
◇◇◇◇
【1.自然食と感謝の心】
家を出ると、今日も空は青かった。
乱立する電柱と、アンテナがごちゃごちゃした青空の下を歩く。
今日は、細い住宅街の道を裏道にして走り抜ける車が少ないようだ。
冷たい風が吹く。
思わずBARBERRYの赤マフラーを巻き直した。
「よう、宇佐木」
「鈴木。はよ」
コンビニを越えた辺りで、親友の鈴木に声を掛けられた。
TOMMI HILFIGERの青マフラーを翻して自転車から降り、転がしてくる。
店で買った肉まんをほおばりながら、鈴木はコークを流し込む。
「昨日の月九見た?」
「おう、見た見た。絵里ちゃん小さいけど胸あって可愛かったなあ」
「うちの原料の方が可愛いけどね」
「……お前ってさ、つくづく悪趣味だな」
「そうかな」
「……まあいいか。人の趣味に口は出さねーよ。で、ブーの宿題はやってきたか? 食育DVDの感想」
「あー……忘れた」
「安心しろ。俺も忘れた!」
二人で笑いながら空を見上げる。
今日も快晴だ。
そもそも雲がなくなって久しいけれど。
代わりに、果てまで埋め尽くされた住宅街での向こうには赤い山の稜線が見えた。
正しくは赤い壁。
住宅と中央街を360度囲っている分厚い円環の壁で、中は全てが食品工場だ。
今日はあそこに寄ってから帰らなければ。
そう決心するものの、高校生の友達付き合いというものは、簡単な社交辞令では終わらないものであり……。
「ウサギ。貴様のツラを貸してもらおう」
授業が終わり、工場へ向かおうとすると、熱血☆歴史実証研究会の山田副会長に捕まった。
先輩は高校生のくせに、えらく肉感的な体を保有し、それを無理矢理ブレザーに押し込んでいる。
更にはタトゥーの代わりなのだろうか。
目の横に白い濃いラインを数本引いておしゃれ?をしている。
派手な顔に、学校規定のお下げの茶髪が全く似合わない。
いつも暴力的な雰囲気を醸している彼女に、恐縮する僕。
「ウサギではなく、宇佐木です。――――今日はナンノゴヨウデゴザイマショウカ」
「貴様の協力を得たい。黙って付いてこい」
わざわざ研究会に「熱血☆」と付ける連中である。
曲者でないわけがない。
特に副会長の山田先輩は、レキジョのコスプレマニアという奴だ。
日々、はまった歴史人物の人物(主に男)になりきって生きている。
先輩の頭に飾られた大きな羽が、揺れている。
どうもあの雰囲気からして、ネイティブアメリカンの英雄のつもりのようだ。
気の毒な鈴木の目線に見送られながら(助けてよ)、引きずり込まれたのはなぜかそこは調理室。
窓には全て黒いカーテンが掛かっている。
「今日は我々の貸しきりだ。先生の許可は得てある。安心しろ」
「先輩の『安心しろ』はまったく信用できません」
僕の突っ込みを軽くスルーした先輩が、後輩に指示をする。
なぜか黒頭巾で顔を隠した一年生が、奥の準備室から、大きな皿を持ってきた。
「最近は食育キャンペーンで、原料がそのまま手に入る機会が増えた」
「そうですね」
「大昔は原料の種類が多種多様あり、豚・牛・鳥・魚、皆加工された食品ではなく、原料として生活のそばにあったそうだ。原料と生活の場を共にし、命の大切さを実感していた。今回の取り組みは一時なりともそれが出来る。実に良い施策だ」
「はあ」
「最近の若者は、原料の分からないものしか食べていない。粉にして甘味をぶち込んだだけの菓子パン。元の肉が分からないハンバーグの肉。むしろパリパリ野菜サラダの外見にまで加工しないと食べれないなどと、嘆かわしい限りではないか」
(なんとなく嫌な予感がする)
先輩は後輩に指示をして、半球の蓋がされた大皿を調理台に用意した。
どんと置かれた存在。
なぜか禍々しいオーラを放っていた。
「我々らは熱血☆歴史実証研究会。特に好物のは、群雄割拠の戦いの時代だ。過去の英雄たちは互いの信念を貫き、魂と血を掛けて戦い合った。倒した好敵手には敬意の意を現してきた。そう、彼らは敵の遺体を「では帰ります」許さん」
逃げだそうとする僕の襟首を掴み、彼女は話を続ける。
「大人は《原料》をただの加工前のモノとしか見ない。奴らは話し、考え、しかも我々と同じように二本足で立っているというのに。一方で『食べ残しを減らし、食料になってくれた命に感謝を』と啓蒙しようとする。おかしいと思わないか? スローフード・自然食・添加物フリー。どれだけ唱えようとも、人体に栄養があるのかなんて、実際は分からん。結局、そんなものはファッションにしかすぎん。本当に命に感謝するのならば」
先輩が蓋を開けると、肉の塊が湯気を立てている。
「生きていた姿をそのまま食べねば意味がないではないか」
皿の上には――――二本の手の形をした白いもの。
グロい。
正直グロい。
血の気が引いて行くのを感じる。
その一方で、ふと。
僕の脳裏に浮かんだのは、緑の双眸。
力一杯鉄格子を握った、白い柔らかな手。
(アレなら、もっと美味しそうなのに)
ん?
今なんて思った!?
混乱する僕に気がつかない先輩は、今にも動き出しそうな二本の手の蒸され具合に、とても満足したようで、上機嫌に皿に取り分けだした。
「私が割り当てられた原料で作らせてもらった蒸し料理だ。内臓は病気が多かったので加工場に送ったが、基本加工は加えていない。本物の自然食になる。生には感謝を。死には尊敬を」
「山田副会長。料理部の王部長は『原料のまま食べるなら爪はタレが染みこまず美味しくないから剥がした方が良い』と言っていますが」
「ふん。味に拘るなんてナンセンスだ。まるごと素材が一番体に良い。よし、皆で食べるぞ。手を合わせて命に感謝をしろ!」
「「いただきます」」
わいわいと、研究会のメンバーが味見をし始める。
「初めて原料のまま食べた」「珍しい」「へえ、もともとこんなに皮が厚かったんだ」「ちょっと硬くない?」「月数が古い奴らしいから」と和気藹々だ。
ボリボリと奥歯で骨を砕く先輩を横に、呆然と皿を見下ろしたまま動けない。
僕は訊ねた。
「……あの、先輩」
「山田は相変わらず小食だな」
「なんで、僕をここに呼んだのですか」
「お前も数少ない『原料貸与』を受けたと聞いてな。研究会に提供して欲しくて会を見せたんだ。特に鮮度が命の部位はなかなか手に入らない」
――――僕の、緑のアレを?
「いや、それは……誰にもあげたくないです……」
「まあ無理は言わない。せっかくの機会だ。工場には食欲がそそるような美味い料理に加工して欲しいだろう?」
「いえ、その……」
「なんだ。うじうじと反応が悪いな。うちの会長なんて原料貸与の抽選に外れたから、工場の外に自力で取りに行ったぞ」
「それは国で禁止されている行為ですよ!?」
「し。確かに原料調達部隊に所属しないと工場の壁の外には出られない。そもそもあの工場を通り抜けないと、外に行くのは不可能だ。だけどあいつは見つけたんだよ。最近工場に増えてきた『穴』をな。しかもあちこちで」
――――工場の外。
それは誰も知らない。
赤い大地が広がっているとも、黒い大地が広がっているとも言われている。
水も砂も、全てが食用不可で、空気すら毒を帯びているらしい。
基本的に移動は不可能。
国の原料調達部隊だけが荒野を駆けることができる。
荒野に点在する、とある場所に原料は、在る。
食品工場が原料として受け付けられる唯一のモノたちだ。
ある時代に、人類は滅び掛けた。
そして選択をした。
食品工場と共に生きていくと。
餓死するか?
それとも、豊かな『日常』を送るのか。
人間は選択の自由がなくなってしまえば、諦念と集団心理、そして生存本能だけで、人としての何かを、捨てることができる。
ある事実にだけ、目を瞑れば、後者を選択することが出来る。
そして、選択を、した。
――――仲間以外は原料。
それが、僕らの日常だ。
「命に感謝を」
山田副会長は感謝の念を込めながら、ナイフとフォークで、数本残った指らしきものを一本一本、厳かに切り分けた。
僕の前の白い皿にも載せられた。
左の薬指らしきもの。
付け根にくぼみが出来ている。
「……山田先輩……」
「あ? これはどうやら指輪を嵌めていたようだな。蒸し焼きにしても痕が残るくらいだから、食い込むほど長年身に付けていたのかもしれないな」
僕はもう、一ミリも手を付けることが出来なかった。
【2.料理人は禁忌の味に夢を見る】
『死ね』
「なんだろうな。あれだけ強烈な山田先輩の料理を見たのに。コレの方が美味しそうだと思ってしまうなんて」
『……死ね、死ね、死ね!』
「最近は、食欲がそそられる良い匂いもする」
『死ねー!!!』
「汗くさいのかな?」
『え!? ……私は汗臭くなんかない!』
「あ、動揺した。なんだろう、可愛い。美味そうだ」
『………やっぱり死ねー!』
工場長から借り受けて三日目。
元気に囀る、檻の中のソレを眺め、僕はブレザーのネクタイを締めて学校に向かう。
放課後。
再び山田先輩に、調理室に引きずり込まれた。
そこには新しい人物がいた。
ゴミ袋を握り、両手を震わせてのぞき込んでいる黒髪ストレートの美少女だ。
「ああ……残りの手足が……骨すらも綺麗になくなっている。なぜ私に残さないの!」
「私の原料だぞ。私が好きに使って良いはずだ。なあウサギ」
山田副会長は僕に振る。
僕は死んだ目で「ソウデスネ」と答える他なかった。
「山田! あなたは馬鹿なの!? 折角の原料をあえてまずいご飯にするなんて信じられない!」
「あのな。王。お前には生命への感謝というものがないのか」
「料理というものはね! 切ればいい、焼けば良いってモンじゃ無いの! しっかり調理して料理として『仕上げる』ことが大事なの! 美味しくなってこそ、原料も喜ぶってもんでしょう!?」
「そうか? 味付けにケチ付ける原料がいるとは思えんが。だって結局は殺―――」
「うるさい! お前みたいながさつな暴力女に、『美味』の神髄が分かってたまるものですか!」
僕と研究会員たちは、姦しい口論をする女性二人の周りで、輪になって眺めている。
山田先輩に噛みついているのは、料理部の部長・王美味だ。
小柄な体。切れ長の美しい漆黒の瞳。
肩まで切りそろえたサラサラの黒髪。前髪を軽く縛り、後ろに流していた。
どこにそんな体力があるのか、いつも巨大な中華鍋を背負って歩いている、学校の有名人だった。
彼女は昨日の食事会の件を聞いて、昨日の後片付けをしていた研究会に文句を付けに来たそうだ。
なぜ料理部に、最初から調理をさせなかったのだと。
切れ長の目の端に涙を浮かべ、王部長は訴えた。
「食品工場の工場長が原料をそのまま分けてくれるなんて、かつて無かったことなんだよ!? 私の一族にはこう伝わっているの! 『子の肉は最上。骨ごと煮ると、それはそれは美味い。次にメスの肉は羊より美味く、オスの肉はたいまつよりもマシ』ってね!」
「ちょっと待て。その言い伝えはいつからだ。最終戦争が終わってまだ百年しか経っていないぞ」
「六千年前から伝わる格言よ!」
しーん。
料理の神髄を究めた《まじきち》王一族。
激動の旧大陸を包丁だけで数千年生き抜いた彼らは、机と椅子以外は、すべからく調理して美味しい料理に出来るらしい。
食品工場が出来る、ずっと前から……。
「従兄弟は抽選に当たったわ。だけど、悔しいことに割り当てられたのは、年取ったオスだったの……」
項垂れる王部長。
「本当に、料理人は原料を食材以外に見れないのだな」
「食べ物はみな平等だから。美味しいか、美味しくないか。食料とは舌と腹を満たしてこそ意味があるの」
呆れた山田先輩は、青ざめる僕をちらりと見やり、「逃げた方が良さそうだね」と調理室から追い出した。
こそこそと廊下を歩き始める。
後ろから王部長の、
『そういえば。宇佐木という子は、メスの、それも割と子供の原料をもらったと聞いたのだけど、本当?』
という声が聞こえて――――。
つま先立ちをし、必死に廊下を走りだした。
【3.効率的な禁忌】
どんな味がするのだろう。
ソレの白い手の平を舐めようとすると、檻の奥から手刀が飛んだ。
『殺す』
「うわっ」
奇跡的な反射神経で顔をそらした僕は、殺気にまみれたソレを見る。
ギラギラとした緑の瞳に、とがり始めた細い顎。
……また少し、痩せてしまったようだ。
『出せー!』
「せめて、何か食べてよ。ほら、あんパンだよ。これなら大丈夫だよね?」
『……』
僕は脇に置いた紙袋から、あんパンを取り出した。
これは原料たちの髪と爪しか使っていない。
致命的なものは入っていない……はずだ。
工場長が教えてくれたことが、正しければ。
「あの原料は曰く付きだ。とある事情でこちらの言葉が理解できる。周りの人間の『喰う』とか、『解体する』とか、まあ。物騒な単語ほどよく知っている」
「工場長。僕だったら発狂しますよ。その状況」
「それはない。あいつは強い。特別だと言ったろう? ――――まあ、とりあえずこれでも食わせておけ」
あの時、無事に料理部の魔の手から帰還した僕。
なんとか工場に顔を出し、食品を扱うくせに無精ひげのおっさん工場長からソレの食事についてアドバイスをもらった。
チチチチチ。
小鳥の囀りのような、ベルトコンベアーの稼働する音。
ガタンと四角い出口から出てきた、ほかほかの肉まんの山を、大切そうに取り分けて、コンビニ用の箱に詰めていった。
「大事に食わせてもらうからな」
年齢不詳の工場長は、原料を誰よりも大事にしている。
ベルトコンベアーに乗せられていく原料を、感情の読めない表情で見送る背中。
いつもぶっきらぼうで優しい彼が、原料を本音ではどう思っているのかは知らない。
窓の外から、宗教の宣伝カーのスピーカー音が聞こえてくる。
《神は人のためにこの世を作られた。神は人のために原料を降らしてくださる。だから大事に食べましょう。神に感謝を》
――――神様が本当にいるとしたら。
僕とソレを、なぜ鉄格子で遮るのだろう。
あんパンを檻の中手前に置き、一歩離れる
「近づかないから」
『……』
「原料は使っている。でも利用したのは髪の毛と爪だけだ」
『……』
「……後ろ、向いているから」
檻の後ろを向いて、あぐらをかく。
ずっと静かだったけれど――――やがて、むしゃりと小さな音がした。
――――押し殺した、すすり泣く声と一緒に。
「いたたまれない。って顔をしていますね」
荒神君に指摘された。
彼はコンビニでおやつに買ったという豚串を食べている。
ここは西日の差す、生物部部室。
廃棄された実験室のような風情。元は教室だ。
部活用にわざわざ広い一室を用意するのは贅沢に思われるが、そもそも生徒は年々減っているのだ。
余る教室を有効利用しているだけだ。
赤く反射するフラスコが一列に並ぶ。
脇には、サボテンの植木鉢がちょこんと置いてあった。
最近増えた、荒神君の私物である。
言い忘れたが、僕の所属部は生物部だ。
バイトが忙しくてすでに幽霊部員だけど。
フラスコを振っていた荒神君が、作業台の上に頬杖を付いて、ぼんやりと椅子に座ったままの僕に語りかけた。
「要は結果論ですよ」
前髪で片目が隠れた荒神君は、シルバーフレームの眼鏡を、皮肉げに持ち上げる。
「大昔、豚を禁忌にした神がありました。なぜそれが禁忌になるのか? 砂漠では莫大な飼料を消費する豚はナンセンスだからです。政治家と宗教指導者が同一だった時代に、彼らは合理的に国民に理解させるすべを考えた。神話とは説得装置です。このままじゃ国は繁栄できない。だから【神】は豚を禁止にするわけです。宗教教義など、今の人生を納得させるための指示書でしかないわけです」
よく振ったフラスコを、列に戻す。
白衣を翻し、保管室から液体を取って戻り、ガラスの中に注いでいった。
「我々は原料を食べます。そうしないと生きていけないからです。昔、それは禁忌だった。だけど生きるために宗教観をねじ曲げてみせたんです。死生観と言っても良い」
フラスコの中には何かが浮かんでいる。
こぽりと、音がする。
「国は頑張りました。人口が半分になるくらい頑張りました。だから豚が食欲が失せるほど汚らわしく見えるのと同様に、我々も原料を原料としか見られなくなるわけです」
赤い西日が、部屋の片隅にまで差し込む。
フラスコの中の何かが、赤く浮かぶ。
異様のソレは、目のような、背骨のようなものを持っていて。
ソレはまるで――――胎児のようだ。
「ねえ、荒神君」
「なんですか?」
「君も食育の原料キャンペーンに当たったよね。女の子らしきものだったって聞いたけど、結局何にして食べたんだ?」
彼はフラスコの中身を見つめながら、優しくサボテンを撫でた。
「このサボテンですよ」
力を込める。
サボテンの棘が、彼の手のひらの皮を容赦なく突き破った。
滴る赤い血。
その様子を嬉しそうに目を細める、荒神君。
「食品工場は、原料を食品だけ加工するだけじゃない。街路樹や観葉植物、武器にすら変質させることが出来ます。実に万能ですね。だから僕の大事な原料を残すには――――コレしか無かった」
彼は血が流れ出るままに、フラスコを握り直す。
そして西日に当てた。
蠢くピンク色のソレ。
「原料は大事に使わないといけません。だから人間だけをえり好みして食べる、食品工場が納得する代用品を用意しなければ」
「君のフラスコのソレ……生きているの?」
「――――生きている?」
荒神君は、せせら嗤う。
「生きていますよ。材料として。原料を生かすには、結局代わりに死ぬべきモノがないといけないんです。だから、人工生命を作る他ない」
「工場長は、《意思ある知的生命体》しか、食品工場は受け入れないって」
「だから生死を理解し、愛を知り、死の恐怖に怯え、人生について狂ったように思い悩む生命を作りますよ。僕の大切なモノが、これ以上失われないように。代わりの生き物を殺し続けます」
僕は何も言えず席を立った。
バイトの時間だからだ。
荒神君は明るく笑い、皿の豚串を差し出した。
「豚をどうぞ。知っています? 今は絶滅した豚ですが、その組成は人体のそれととても似ているそうです。人の臓器の代用品として、使えるくらいに」
「……いい。いらない」
「先輩。小食も良いですけど、心から美味しいと思えるものを見つけた方が良いですよ」
「そうだね」
ヨロヨロと足を乱しながら、僕は工場に向かった。
すすり泣く、金髪のソレの声を、思い返しながら。
「だって人間は勝手な生き物じゃ無いですか。自分が愛するモノを殺さないよう、誰かの愛するモノを殺すんです」
高い空の向こう。
西日がまぶしいからだろうか。
赤い壁の一部がぼやけて見えた。
【4.人を喰ったような話】
唐突に始まった食育キャンペーン。
その裏事情を工場長が教えてくれた。
「オフレコだが、国の原料調達部隊が壊滅したらしい」
「え!」
「し」
「……!……!」
口に手を当てて目を見開く僕。
工場長は無精ひげの顎をしゃくって、「来い」と中庭に誘ってきた。
そこに唯一ある、小さなベンチ。
男二人でぎりぎり座れる場所だ。
どっかりとベンチに両足を開いて座った工場長。
工場で作られた煙草に火を付けて、深く吸い込んだ。
ゆっくりと白い煙を吐く。
深い深い、ため息と一緒に。
「いつかはこうなると思っていたさ」
外部から調達するにしても、人間の繁殖力には限界がある。
刈り尽くしたらそれまでだ。
それに、向こうにだって知恵はある。
赤い大地に出る方法を身につけることが出来たなら、真っ先に荒れ地を渡って見せるだろう。
仲間を食い殺した、悪魔に復讐をするために。
それ以前に――――。
「もう、この国にメシの元はなくなる。外部で強制繁殖を試みたらしいが、それも失敗だ。俺たちが原料と呼ぶあいつらは、反旗を翻すだけの力を身につけた。技術力の有意差なんて、年数掛ければあっと言う間になくなっちまう」
それでも、食品工場はある。
『人しか喰わない』人類の生命維持装置が。
――――来週から、全国の病院に安置された遺体がなくなるらしい。
上を見上げれば、鮮やかな晴天だ。
雲は無い。雲は戻っては来ない。
工場長の吐く、白い煙だけが浮かんでいる。
「……なぜ、僕に教えてくれるのですか」
「俺はなあ、宇佐木。俺の思う『人間らしさ』ってやつを信じてる」
バイトに募集に来た学生で、お前だけが割り切れない顔をしていた。
工員たちが、一瞬の躊躇の末に、保管庫の原料をベルトコンベアーに転がした後に、食堂の定食に舌鼓を打てるようになる中――――。
宇佐木という少年だけが、食べることを拒否していた。
「宇佐木。人間なんてなあ。この世界が一度滅びた前から、互いを喰い合っているんだよ。お互いに呼び名を変えて、人と見なさないように工夫してな。人種・宗教的に殺し。経済的に殺し。軍事的に殺し。更には人権のために殺し、己の糧にする。それがより物理的になったとしても――――誰も責めることは出来ない」
「工場長は……はっきりと認めるんですね。原料は、同じ人間だって」
「ああ。だから、俺くらいしか務まらないだろうな。こんな仕事」
とうに世界も人類も、行き詰まっている。
そして理性と生存本能の狭間で、最後の喰い合いをしているのだと。
「俺は原料調達部隊の落ちこぼれだった。原料に同情しすぎるということで、強制的に除隊になったんだ。だから、どうせ同じ命を犠牲にするなら、最後まで割り切って欲しくない。――――勝手だろう? そうしなければ人は生きていけないくせにな」
工場長は繋ぎの胸ポケットから、もう一本口に銜えた。
「知っているか? 煙草の元はすね毛らしい」
「ソレを……いえ、あの子を僕に預けた理由は、」
「あの少女は全滅前の食料調達部隊が、最後に壊滅させた円環都市の生き残りだ。向こうにも食品工場はあって、気を抜くと、俺たち日本人も『材料』としてベルトコンベアーに乗せられてしまうらしい。食料調達部隊も結構な数が犠牲となっている」
金色のまばゆい髪。
なんとしてでも生き残ってやるという、緑の苛烈な光。
なのに、仲間を原料にした食料を、泣きながら食べる彼女――――。
「……工場長は、毎日ご飯を美味しそうに食べますよね」
「ああ、美味いな。誰かの命は」
――――だから大切に食えよ。
僕は帰りに、原料加工ラインの『口』の前に立った。
一つ一つが、立てかけた、大きな棺桶のような形をしている。
ちょうど縦に人体がはまる構造だ。
ひんやりとした金属で出来た『口』。
重い蓋を開ける。
空洞は少し黒ずんでいる。
原料たちが嘆き・叫び・絶望の中で分解された時の様子が、自然と思い返された。
【5.最高の食事について】
僕の部屋には、相変わらずテレビはない。
在るのはベッドと、机と、檻だけだ。
ぶかぶかのパーカーを着たまま、檻の前に座る。
はみ出た白い足。
すでに木切れのように、細くなっている。
――――だけど僕には、ソレはどこまでも美味しそうに見えた。
僕は「ソレ」だったものを、じっと鉄格子越しに覗き込む。
『なんだ。真面目に正座などして。そろそろ私を出す気になったか』
「……ねえ。シャロン」
『!』
びくり、と彼女の体が震える。
気付かないふりをする。
そして僕は、一人の美しい女の子に頭を下げた。
「……」
『……な、なんだ。ツキト。お前は何をしている』
「……お腹、空いていない?」
『はあ? 腹などとうに空きすぎて、腹と背中がくっついている! だが私は仲間なぞ、決して――――』
「【材料】はどんな味がした?」
『……』
静かになる部屋。
人形のように、冷たく固まる美貌。
僕はポケットからお菓子を取り出した。
四角いチョコバーの様な包装。
一本で一日が過ごせるほどの、栄養が詰まった携帯食らしい。
「これ、君の国の国民食だったらしいね。材料は周辺の国の住民。日本にもたまに侵入して材料にしていたと聞いているよ」
『……』
「君はもう、痩せ細りすぎて。これくらいしか受け付けないって。工場長が」
そっと、檻の隙間にお菓子を差し入れる。
彼女はしばらくは躊躇した。
だけどおずおずとお菓子を手に取り、包装紙を開くると、猛烈な勢いで食べ始める。
『……!』
「美味しい?」
『……!』
こくこくと頷くシャロン。
咀嚼する音。白い歯。
必死に動かす頬には、紅が戻る。
やがて、生気溢れる美しいまなじりから、綺麗な涙が溢れ出た。
頬を濡らす喜びの涙。
――――見えない手に、胸がきつく掴まれた。
ああ。
まだ食べていないのに。
彼女を一口も食べてないのに――――なんて美味しいのだろう。
自分が食べるわけではないのに。
なぜか美味しくて、幸せな気持ちになる。
やがて食事を終えた彼女は、初めて穏やかな表情を浮かべていた。
少し不思議そうに、鉄格子越しの僕を見る。
『……感謝する。ツキト。貴様はどうやってコレを手に入れた』
「ねえ、シャロン。お礼っちゃなんだけど」
『なんだ。私は侵略した怪物が相手とはいえ、恩義は果たす』
「君の汗を舐めてもいいかな?」
『……』
ようやく見ることが出来た優しい笑みが、みるみると険しくなっていく。
『ふざけるな、食人怪物! やはり貴様らなど滅んでしまえー!』
「はは。はははははは!」
『何を嗤っている! 馬鹿にするな! 私はお前に、感謝をだな』
「ははははははははははははははは!」
僕は腹がよじれるほど笑った。
笑って笑って。
腹部から激痛が走ったが、心の奥底から浮かぶ笑いを、止めることは出来なかった。
僕は彼女の喜びに感化されたようだ。
美味しくて、幸せで。
何よりも充実感に溢れていた。
――――その夜。
僕は『食育キャンペーン』を守ることにした。
原料――――シャロンを前にして決めた食事の内容を、工場長に伝えたのだ。
みるみると真っ青になる工場長。
「お前……」
「絶対に引きませんよ。それにもう手遅れだ」
「……なんてやつだ。俺は、あくまでお前の躊躇を尊重していた。だけど、まさかそこまで針が吹っ切れるとは思いもしなかったぞ」
僕はパーカーの腹部を触った。
とうにない、それ。
「食品工場は面白いですね。原料が出来るだけ痛くないよう、搾り取る」
「そういう本能をもった存在だからな。人類を生かすよう、原料になる生き物を苦しませないように出来ている。これが完成した当時は聖母機構と呼ばれていたこともあった」
工場長が『口』に触れながら教えてくれる。
そして僕のぶかぶかの腹を見ると、痛々しげに、だけど少し眩しげ目を細め、スイッチを入れた。
ガタン、と動き出すベルトコンベアー。
機械のうなり声ではなく、小鳥の囀りのような声が工場中に響く。
工場長は、下を向いて呟いた。
「……お前に操作を、教えるんじゃ無かった」
「僕は感謝しています。好きな子が喜ぶ顔を見ることが出来た」
チチチチ、と工場が産声を上げる。
「日本は来年には崩壊するだろう。工場の壁も、大分外部から攻撃を受けて、脆くなっていてな。日本人の拉致も頻発している。お前の学校の先輩も――――すでに材料として、捕獲されたらしい」
「僕にはもう、関係ないことです」
もう、懊悩して苦しむことはない。
「親や友人には」
「手紙を書きました。親不孝ではありますが、後悔はありません」
勝手な生き方をして、本当に悪いとは思うけど。
僕は静かに「口」に入り、もたれかけた。
「工場長。僕をバイトに雇ってくれて、彼女に合わせてくれて感謝しています」
真剣な眼差しで僕を見つめる工場長。
よく見ると結構男前だなあと、いまさら気がつく。
ふっと、笑みを浮かべた。
「ついでに最後のお願いです。僕を『材料』にして出来た食品を、必ず彼女に渡してください。檻はすでに工場の『穴』の近くまで隠してあります。あの子はまだ栄養失調で歩けない」
だから――――僕の代わりに渡してください。
僕の命を。
ガチャリ。甲高い金属音。
蓋を閉めた音だ。
これで、もう二度と出ることは叶わない。
昨日、工場に「中身の一部だけ」喰わせた時には、すぐに出られるよう、蓋を緩めていたけれど、今度は僕の意思で完全に閉じる。
どこまでも真っ暗だ。
死を予感させる暗さに、目を瞑る。
―――僕は彼女の食事となる。
自動的に動き出した『口』。
明日の記録では原料を一つ消化したと、操作画面がライン長に教えるだろう。
あの時。
工場の壁際で。
大きな美しい緑の瞳は、不思議そうに僕を見返していた。
『何で、助けてくれるの』
「だって、君が食料になったら、他の奴に食べられてしまうじゃないか。嫌なんだ。食べるなら僕だけでいい。君ほど美味しそうな原料はいないから。だから……逃げると良いよ」
『……それって……』
「ねえ。あのお菓子は美味しかった?」
僕のブレザーを着て、檻の中に座る彼女。
荒神君の助けを借りて、『穴』の近くに無事設置をする。
「先輩。じゃあ頑張って、立派な食料になってきてください」
「荒神君も、頑張って好きに生きてね」
「ええ。生命の冒涜の道を突き進みますよ。先輩、良い旅を」
僕は踵を返し、闇夜に紛れて消えていった。
鼻腔に残る、彼女の残り香。
背中をぞくぞくさせるような、甘い匂いを思い出す。
ふと、下半身がうずく。
……自分も男だったのだなと、初めて実感した。
僕は今まで食に興味がなかった。
「美味しい」という観念も分からなかった。
でも、彼女の「生」には心が揺さぶられる。
喉が激しく渇くほど、彼女が食べたい。
そして今はむしろ、彼女の「生」になりたい。
チチチチチと、外からラインが順調に進んでいる音が聞こえてくる。
足下に、消化用の液体がにじみ出てきていた。
心臓は小さく躍り、やがて落ち着いていった。
生暖かい液体が、全身を這い上がる。
「そうか。僕は死ぬのか」
真っ暗な『口』の中。
やがて咀嚼されて消えていく、血肉と命。
「でもなんだろうな。すごい達成感だ」
僕は生まれて初めて、自分が生きていると実感する。
高まる胸。
液体は、肺の奥にまで侵入していく。
苦しい。
頭の中が白くなる。
だけど、浸食が進むにつれ、まるで母胎に居た頃の安心感に包まれていく。
最高の食事になることで、自分の境界線が全て溶け。
愛する彼女に近づいていく――――――――。