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国王陛下の道の先  作者: 一子
オリビア Ⅰ
9/15

侯爵領が落ちた日の夜 続

 


 深い静寂の中で取りとめもなく物思いに耽っていたわたくしは、突然慌ただしくなった階下の様子がブライクさまの来訪を告げていることに気づき、顔を上げた。けれど暫くの間、思考の渦から逃れることができなかった。私は頭を振り、暗く落ち込んだ気持ちをなんとか追いやり口角を無理やり上げた。



 階段を降りながら、ふと足元が心許ないことに気づいて私は自分の足を改めて見つめてみた。


 人の国で着ていた服は、ドレスも夜着も足首までを覆い分厚かった。けれどこちらで渡された部屋着は薄めな上丈も短く足が膝下までしか隠れない。


 私は生まれて初めて足を出した姿でブライクさまの前に行かなければならない。それは、気恥ずかしさだけでなくある種の覚悟を促すものであった。私はもう、人の国の伯爵家の三女ではない。魔の国の、ブライクさまの妻である。



 私の失敗は、ブライクさまの失敗。彼の実家は子爵家だけれど彼が子爵なのではない。人の国では通常貴族の爵位は当主のみに継がれる。功績を残し陛下から位を賜ることもあるけれど、その場合は一代のみ。魔の国での貴族のあり方はわからないけれど、密偵という薄暗い職についている者が優遇されるとはあまり思えなかった。


 彼が今後出世したいと望むなら失敗は許されない。彼の立身出世の妨げにはなりたくない。



 私の姿に気づいたブライクさまが、老侍女にもう休んでいいと声をかけ、こちらを向いた。彼から少し離れた場所で足を止めた私を見て、くくくと笑うと長い手を伸ばし私の体を引き寄せて言う。


「こういう時は胸に飛び込んでおいで。」


 その言葉に顔を真っ赤にした私の体をぎゅっと抱きしめて、彼は暫くそのまま私の肩に顔を埋めていた。それからすぅと息を吸い込むと、顔を上げ私の瞳を覗き込んだ。


「あいつに。いじめられなかったか。」


 その問いに先ほどの大男を思い出し、私は頭を左右に振った。


「いいえ。とても良くしていただきました。」


 そうか。ブライクさまは頷き、続ける。


「君に、謝らなくてはいけないことがある。何から謝ればいいのかわからない程、沢山。」


 私は彼を見上げて、首を横に振った。


「今までのことなら、謝っていただいてもどうにもなりません。」


 彼に攫われ結婚させられたことを今更謝られても仕方がない。


「これからのことなら、一緒に乗り越えていきましょう。ここに今私が居るのは私の意思です。それについて謝っていただく必要はありません。」


 魔の国に渡ったこと、これからのことならば、それは彼のせいではない。私の意思なのだから。


 彼は目を大きく見開いた。それから微苦笑すると、私の頭に手をおく。


「君は、弱そうで強いな。それなら今までのお詫びは、言葉ではなく行いでこれから返していくことにしよう。そしてこれからのことは、謝らない。二人で一緒に責任を持とう。」


 私達は頷き合った。自然と笑みがこぼれてきて、心が温かくなる。



 彼は少し待っていて、と言うと体を清めに奥の部屋へと消えていった。



 私はなんとなく手持ち無沙汰で、軽食が用意された席の向かい側の椅子に腰掛け室内を見渡した。上の部屋と同じように古く重苦しい家具に、私の気分はまたも沈んでいった。



 すると騎士団の制服から魔の国の薄手の部屋着に着替えたブライクさまが、奥の部屋から現れ席に着く。私は彼が食事をする姿をぼんやりと眺めていた。


 食事を終えた彼が、棚から大きなボトルを取り出したのを見て私は迷った。あれは強いお酒だ。父が好んで飲んでいたが、いつの日か、それが何か悪い知らせがあった時だけだということに気づいた。あれは、そういうお酒だ。


 弔い酒、というのだろうか。彼は父親と母親のために飲むのだろう。私は席を立った方がいいだろうか。それとも一緒に飲むべきだろうか。私が心の中で葛藤していると、同じく彼もグラスの前で何事かを考えているようだった。


「私、先に部屋に戻っていますね。」


 彼の性格からして、きっと一人で飲みたいだろうと結論づけた私は慌てて席を立った。


 そんな私に目を向け彼はゆっくりと口を開いた。


「もう、眠いかな。」


 私が頭を振り否定すると、それなら、と私の前にグラスを置き、棚から違うボトルを取り出し、これなら弱いから、とグラスについだ。私達はお互いのグラスを軽く当ててからそれらを口に運ぶ。彼は一気に一杯目を飲み干すと、溜め息をついた。


「一人で飲もうと思っていたが、そんなことをしたら、酷い夜になりそうだ。」


 確かに、こんな飲み方をしたら明日は起きれなくなるだろう。


「それに一人より、二人の方が賑やかでいいだろう。」


 私はこくりと頷いた。きっと何か聞いて欲しいことがあるのだろう。



「教えてくださいますか。お義父様と、お義母様のことを。」


 彼は新たな酒をグラスに注ぎながら、そうだな、と呟いた。


「君には、話さなければいけないことが沢山ある。」


 彼はもう一杯、グラスを空にするとふうと息を吐いた。


「父の、いや祖父の話からでもいいだろうか。」


 頷いた私を見て、彼はゆっくりと話し始めた。



「祖父は、国境沿いの我が領土を争いから守る方法をずっと考えていた。そしてある日、領土を食料庫にすることを思いついた。豊かな土地と豊かな土地を作れる人々を蹂躙する者はいないはず。祖父は私財をなげうって種を集め、品種改良、土壌改善などを行った。けれど祖父の代では、成果はほとんど出なかった。」


 なるほど。政治家の土地の守り方とは、こういうことなのだろう。戦って守る騎士とは全く違う。


「それを引き継いだのが父だ。父は、祖父が重ねた研究から最も領地の土壌に合いそうな品種を二つに絞り、その二品種だけを徹底的に研究、改良した。その結果、黒麦という品種を寒冷地、貧弱な土地でも育つように変えていき、従来の小麦粉栽培を黒麦栽培に切り替えたんだ。その儲けで、更に他の野菜や果物も研究し今の領地がある。」


 黒麦。パンの材料だ。小麦粉のパンより安いけれどあまり美味しくなかった記憶がある。けれど市井では人気で、味も色々と工夫がされていると聞いた。



「さて、そろそろ今日、なぜ我が侯爵領が魔族の手に落ちたのか。話そう。」


 その言葉に、私は姿勢を正した。


「『奇跡の時代』、は聞いたことがあるだろう。」


 私は首を縦に振ってから、手の中のグラスを傾けた。味など全くわからない。けれど飲まなければ。これから語られる話を素面で聞けるとはとても思えなかった。


「人の国は、この大陸の最北東に王都を置き、領土は北の不毛な土地ばかり。だから肥沃な大地を目指して南に進軍している。そして奇跡の時代に、南の肥沃な大地までたどり着いた。」


 この話は、人の国の者ならば誰もが知っている。少し言葉が理解できるようになった子供に、一番に教える英雄の話だ。子供達はまるで遠い昔の物語のように受け入れるけれど、その英雄は現王であり、時代は陛下の若かりし頃。そう遠い昔のことではない。


「魔族は基本的に戦争に興味がない。自分が強いことが大切で、国のことなど二の次だ。けれど食物の生る肥沃な大地をとられるわけにはいかない。だから戦争は激化した。」


 そのために、『奇跡の時代』は市井では『恐怖の時代』とも呼ばれている。


「魔の国も人の国も疲弊し一進一退の攻防が続いた。いや、続いている、と言うべきか。時は経ち、現魔王が、戦争にあまり関心のなかった前魔王を追い落とし玉座に着いた。魔王は、今の最前線で戦いを続けるよりももっと根本的な解決をしようと言い出した。」


 そこで言葉を切ったブライクさまは、またグラスに酒を注ぐとぐいっとそれを飲み干した。そして私の目をじっと見つめてから口を開いた。


「王都陥落。」



 私はグラスのお酒をなめた。手が震えて思うように飲めなかったけれど、冷え切った体が温かくなり少し安心する。


「焦ったのは父だ。我が人の国の侯爵家は、代々魔族の密偵で、その任につくのは当主のみ。家族すら当主が密偵であることを知らされていない。例外は成人した次期当主と、その仕事を強制するために魔の国に捕らわれている当主の一親等以内の家族一人。父は人質である妹のため、魔の国に人の国の情報を流していたけれど、心は人の国に傾いていた。年で魔力の低下した国王、優秀な魔法師があまり育っていない現状、魔族が攻めてくれば人の国は負ける。父は確信していた。」


 お義父様が愛するお義母様は、人の国の王族であったためその心情は察せられる。それに魔の国の親族は、ブライクさま達に密偵を強要するために人質をとっているのだ。到底好きにはなれないだろう。


「魔王が欲しがった物は二つ。一つ目は、人の国の要である国王の首。もう一つは食料。今まで魔族領だった肥沃な大地の一部が、最前線となったことでそこからの食料調達ができなくなったからだ。」


 坦々とした彼の話し方が、余計に恐怖を煽る。けれど16歳の平凡な少女である私は、この話に現実味をみつけることができず、事実なのか物語なのかだんだんわからなくなってきた。


「父は、陛下の首を諦めさせる代わりに、豊かな侯爵領を魔族に渡す決心をし、そのための計画を練り始めた。方法は簡単だ。魔族に偽の情報を渡し、魔族が恐れる光騎士団の数を割増し、実際とは違う配置場所を教えた。」


 簡単だろうか。こういうことを簡単と呼べるのだろうか。乾いた喉を潤すために、またもお酒に口をつけるしかなく私は心の中で溜め息をついた。


「一方の領土は、できる限り被害を出さないよう無血開城する計画だった。けれど当然、領内で反発があるだろう。父は前もって重役達に相談するか、当日言うか、ずっと迷い、そのままその日がきてしまった。」


 侯爵領が魔族の手に落ちたのは、全てお義父様の計画通りだったということなのだろうか。


「今日、会議室で重役達が無血開場に賛成すれば、父はとりあえず死ぬことはなかった。けれど反対されたら、皆と逝きたいと、父が希望していたんだ。まあ、父が生き延びる可能性はほぼなかった。」



 私は首を傾げた。もっと簡単な方法があるように思える。もっと幸せな結末はなかったのだろうか。


「他に助かる方法が、あったように思えるのですが。」


 遠慮がちな声で尋ねると、予想に反して彼が大きく頷いた。


「あったさ。王族である母が何を言おうとも、戦争が起きてから侯爵領を携えて皆で魔の国へ逃げれば良かっただけだ。そのための策を何か練ればよかった。」


 そうだ。とても単純なことだ。生きることを最優先に考えるならば皆で魔の国へ行けばいい。お義母様の苦言くらい、流すことができただろうに。


「けれど父にはそれができなかった。父は、国王を裏切ることができなかったんだ。父の忠誠は、国王陛下にあった。」


 私は驚いて口を開いてしまった。はしたない。はしたないけれどそんなことはどうでもいい。お義父様がまさか国王陛下に忠誠を捧げていたとは。どんなに苦しかっただろう。忠誠を捧げた相手をずっと裏切り続けるなんて。愛する妻も、忠誠を誓った国王も、ずっと騙していたのだ。あの穏やかな笑顔の下でずっと。


 魔の国へ渡れば、それが実は人の国を守るための行動だったとしても、裏切り者と呼ばれるだろう。国王陛下を完全に裏切った形になってしまう。私は俯いた。グラスを持つ腕に落ちていった水滴が、更に下へと落ちていく。



「では、領土と民を魔族に渡しておきながら、自分達家族は人の国へ逃げれるか。父には、これもできなかった。」


 お義父様の姿が瞼に浮かぶ。愛情深い方だった。それが、命取りとなってしまったのだ。


「だから行方をくらますか死か、そんな選択肢しか残らなかった。」



 訪れた静寂は、ひどく淀み歪んでいて私は苦しくなった。なぜブライクさまはそこで話を切り上げるのだろう。もうその先に話すことは何もないのだろうか。お義父様の最期は幸せだったとか、勇敢だったとか、そういう話はないのだろうか。ここで終わりなの。こんなにも悲しい最期なの。


 あんなにも皆を愛していたのに、国のために命を懸けたのに、誰からもお礼を言われず、裏切り者だったとだけ言われるのだろうか。


 視界がぼやけて口から嗚咽が漏れ出すと、ブライクさまが何も言わず私の頭を撫で始めた。



「陛下、は、陛下、はなんと。」


 私の口から絞り出すようにでてきた問いに、彼は微笑んだ。


「陛下は当然気づいたはずだ。父が密偵だったことも、国を救ったことも。」


 ああ、良かった。


 良かった。良かった。きっと陛下ならば、許してくださるはず。



「だから多分、君の家族にも制裁はないはずだ。」


 涙を流しながら、私は驚いた。この人は、家族を亡くしたときでさえ冷静さを失わない。私が彼と魔の国へ渡れば、なんらかの影響が家族にもあるはず。けれどそのことよりも、私は彼と一緒にいることを選んだ。家族を軽んじたとも言える。けれど彼は、状況を把握した上で最悪の事態は起こらないだろうと結論づけてから、私を連れてここに来たのだ。


「あの、ありがとうございます。私の家族のことまで、考えてくださって。」


 私の頭をぽんぽんと叩くと、彼は少し寂しげに笑った。



「母も、お咎め無しになるはずだった。」


 彼はそう呟いたけれど、言葉は続かなかった。


 お義母様は、夫と共に死にたいと自ら死地へ向かった。そのことを思い出しているのだろうか。


 暫く宙を眺めてから、ふと私に目をやり、彼は不思議な表情を浮かべた。驚き、苦痛、寂しさ、戸惑い、絶望。色々な感情が詰め込まれたその表情は、彼を迷子の子供のようにみせた。


「母は。」


「母の名は、アンジェリカ。」


 冷静な彼からは想像もできない、たどたどしい話し方だった。そして彼は頭を抱え込み、泣いているように笑い出した。


「君に、母の話を、しようとした。けれど、話すことが何もない。何も、ないんだ。」



 私は子供のような彼の様子に戸惑い、けれど手を伸ばそうとした。髪に触れそうになった時、彼の体がビクリと揺れた。私は驚いて、手を引っ込める。


 そんな私を見て、ブライクさまははっと申し訳なさそうな表情を浮かべた。その表情に勇気づけられ、私は彼の手に、自分の手をおいた。

 

 一瞬の沈黙の後、彼は俯いて口を動かした。


「すまない。一人にしてもらえるか。」


 震える手に手を重ねたまま、私は言葉を失った。この人はこんな状態の時にすら、誰かにすがるのではなく一人で泣くつもりなのだろうか。私が、目の前にいても。

 


「明日の午後、魔王に会いに行く。馬で二時間ぐらいの場所に陣を張っている。朝は、ゆっくりでいいから。」


 かけられた声に頷いたけれど、彼の視線は私には向いていなかった。心の中で溜め息をつき、私は静かに部屋を出た。



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