侯爵領が落ちた日から数日
久々の投稿になってしまいました。
またちょこちょこ書きますのでよろしくお願いします。
「ま、あ。」
私の半分開いた口からついこぼれ落ちた溜め息が、隣に座るブライクさまにも伝わってしまったのか、彼の唇からも弱々しいそれがこぼれ落ちた。
「ここがょ、昔の領主っ様がっ暮らっしてた屋敷だっべ。」
聞き慣れないひどい訛りを持つ御者が、馬車の荷台に座りこんでいた私達に向かって笑顔を向けた。魔人には珍しく友好的な彼は、放心状態の私達を見て、垢だらけの顔で心配そうに私達を見つめた。
「ここっでいいんかぃ。今は領主っ様はいねぇっよ。」
ブライクさまは荷台から飛び降りると御者に硬貨を握らせ礼を言い、私に手を差し伸べた。侯爵然とした優美な手の動きに、私も軽やかに手を重ねる。そして思わず顔を見合わせて笑ってしまった。なんて場違いで、仰々しい動作だろうか。
私達は粗末な木でできた荷馬車を乗り継ぎ、魔王陛下から与えられた大陸最南端の領地を目指して幾日も旅を続けてきた。最南端は暑く植物が育たないと学校で習った通り、枯れた大地に貧しい人々が細々と暮らしているのが見て取れた。
そして馬車が止まった瞬間に、私の口から先ほどの溜め息がこぼれたのだ。
屋敷、と呼ばれた建物は、私が今までに見てきた貴族の住処とは全く異なるものであった。確かに、領民の家のように石と布で作られた簡易的なものではなかった。塗り固められた土で作られた建物はとても小さいけれど風情があるとも言えた。けれど古くボロボロになった壁の土は剥がれ落ち中の木の柱が覗き、未だ壁にへばりついている土も色あせて重厚さを失っていた。
「屋敷ではなく、ただの小屋だな。」
ブライクさまの言葉に、私は笑うしかなかった。
大陸の最南端の土地は枯れている。更に南側には海があるけれど、陸と海の境目は崖であり、上から魚を釣ることはできないようだ。人が崖を命がけで下り、捕った魚を担ぎ崖を上る。そのため海にいる大量の魚を捕り売りさばくことはできず、家族が食べる分くらいの量を陸地に持って上がるのが限界なのだと聞いた。
そして枯れた土地に植物はなく一面が赤茶けた砂漠で、唯一、地下水が湧き出る泉の周辺だけに背の低い草木が育ち、集落のようなものをつくり人々は細々と暮らしていた。
暑い。何もしていないのに流れ落ちる汗が、服を濡らし生地が肌に吸い付く。私はその汗を拭いながら、周囲を見渡した。屋敷の周辺には大きめの泉があり、そこにも集落ができているようだ。
「最南端は、こんなにも厳しいか。北も南も、この大陸は気難しいな。」
私は、そう呟いて考え込むブライクさまをそっと盗み見た。気落ちしているだろうか。けれど呟いた言葉とは裏腹に、何故か目元が楽しげなことに気がついて、私は驚いた。この方は、この状況を楽しんでいるのだろうか。
「幾つか、暑さに強い種に心当たりがある。」
そう言って、しゃがみこみ乾いた土をなでた彼は、悪くない、と小さな声で囁いた。
私はその声を聞いて、少しの希望を持ってしまった。見た目とは裏腹の良い土壌なのかもしれない。
「良い土なのですか。」
私もしゃがみこみ土をなでると、水気のない砂がサラサラと指の間を通り抜けていった。隣のブライクさまがゆっくりと口角をあげた。
「いいや。土は乾いて栄養の欠片もない。水もない。枯れきった大地だ。」
そしてまるで子供のように、笑ったのだ。
「緑にするのは、さぞ気持ちがいいだろうな。」
ブライクさまは、魔の国に来てから感情を表に出すことが増えた。けれど、こんなにも清々しいほどの笑顔は珍しく、私は高鳴る胸を抑えた。
不毛な大地でも、この方と一緒ならどうにかなるかもしれない。そんな思いが沸き上がってきて、私ははにかんだ。まるで恋する乙女のような自分に、苦笑してしまう。
けれど、そうじゃない。ブライクさまと一緒に、どうにかしよう。そうだ。私は彼の妻なのだから。
「だがまずは、衣食住の確保が先か。」
ブライクさまは革でできたバッグの中からジャラジャラと金貨を取り出した。そしてそれらを叩いて大きな音をたてはじめた。
静かな空間に突如響きわたった金属音に、泉の周囲でざわめきが起こり、住民達がこちらを窺っているのがわかった。
「人手が必要だ。賃金は一年分前払いする。俺の元で働こうという者はいないか。」
ブライクさまの呼びかけに、警戒しながらも何人かの魔人が近づいてきた。
「誰っだ、おめ。」
「本物かね。その金貨っ。」
訛りで聞き取りづらいけれど、辛うじて意味は理解できる。私はそのことに安堵して、彼等の様子を眺めた。粗末な身なりと荒い仕草。けれど嫌な感じはしなかった。むしろ素朴さに、微笑ましさを感じる。そんな彼らにほっとして、私は成り行きを見守った。
「男達は屋敷の修理と、その後は農業と探索。女達は飯の支度と妻の面倒を頼む。」
ブライクさまが仕事の説明をすると、彼等は驚いて聞き返してきた。
「そっだらことで、金貨貰ってええっんか。」
「一人一年間で一枚だ。その代わり俺は人使いが荒い。」
ブライクさまは50枚の金貨を50人の新しい使用人達に渡し、すぐに屋敷の修理と夕餉の支度を指示した。散り散りに去っていく彼等の後ろ姿を見ながら、私は不安で口を開いた。
「良いのでしょうか。50枚。ほぼすべての財産をあの方たちに渡すなんて。このままあの方たちが帰ってこなかったらどうするのですか。」
ブライクさまは私に視線をよこすと無表情なまま答えた。
「戻るだろう。年金貨一枚の働き口などそうそうない。今一枚を持ち逃げるより、働いて毎年一枚を貰い続ける方が得だ。」
私は呆れて溜め息をついた。
「それはわかります。私達が来年も彼等に支払う金貨を50枚持っていれば、そうですわ。でももう私達にはそれが無いではありませんか。そうであれば、二年目がないのならば今一枚を持って逃げてしまう方が、得ですわ。」
私の反論に、ブライクさまは茶化すように笑った。
「確かに今はない。けれど一年後にあれば問題ないだろう。」
私ははしたなくも口を開いてしまった。なんて大胆な。何もないこの大地から、どのように金貨50枚を作るというのだろう。私は呆気に取られて、ブライクさまの顔をまじまじと見つめてしまった。
「何か、伝手はあるのですか。」
ない。あっさりと頭を左右に振ると、ブライクさまはニヤリと笑った。
「けれどここで大量の金貨を持っていても盗賊に狙われるだけだ。ならば派手に使って注目を集め、人材と情報を集めたほうがいいだろう。」
確かにその通りかもしれない。けれどいいのだろうか。
「彼等には、今後子爵家から援助が届く予定だからとでも話しておこう。」
彼等を騙しているようで心苦しいけれど、他に良い選択肢もない今私はブライクさまの案に頷くしかなかった。
それにしても私の騎士様は、なんと肝の据わった方だろう。一年後、嘘を誠にするか、それとも大ぼら吹きと呼ばれるか。私は細かいことをついつい気にしていた自分がなんだか小さく思えて、心の中で笑ってしまった。もっと自由な発想で生きていいのだ。私はもう人の国の規範を気にする必要もないのだ。
そもそもブライクさまは、本当に騎士だったのだろうか。頭が良く機転も利き、行動力も抜群で話もうまい。人の扱いにも長けている。ただ体を鍛えていただけとは到底思えない。それとも騎士とは戦う以外にこのような能力も要求される職業だったであろうか。私は実家の父や兄を思い浮かべた。同じ騎士でも随分と違う。ブライクさまは次期侯爵でもあったから、高位貴族だからこその能力なのだろうか。
私は首を傾げた。機会があれば、騎士団での仕事の話を聞いてみよう。そんなことを思いながら、私は心の中で頷くと、母から渡されたペンダントを首から外した。それを彼の手の中に納め、握り込ませた。
「何かあった際には、これを使ってください。」
ブライクさまは渡されたペンダントを眺めてから、開けてもいいのかと私に目で問うてきた。私が頷いたのを確認してから、彼は中身がこぼれないようゆっくりと、ペンダントトップの蓋を開けた。中から遺髪が出てくることを想像していたであろう彼が、小さな石を手に取り、息を飲んだ。
「これは。見事な遊色効果だな。青緑黄色と、赤まで。これほど色鮮やかな石はなかなか発見されない。」
感嘆の溜め息をこぼしたブライクさまに、私は感心した。この石が高価だと私に教えてくれた侍女は、詳しいことは何も言わなかった。私はこの石の名前も、高価な理由も知らないけれど、ブライクさまは一目でその価値を見極めたのだ。その見識の広さに感心してしまう。
「これを、どこで。」
石に見入ったまま、彼は視線を私に一瞬よこした。
「母から渡されました。成人した日の夜のことです。」
ブライクさまにとって、私の答えは予想外のものだったようで、彼は目を見開いて確認してきた。
「母君から、君へ、直接渡されたものなんだな。」
はい、私が頷くと、なるほど、と彼も頷いた。
「やはり君のご両親は君の能力に気づいている。商家へ嫁がせ、高価な宝石を持たせ、身を守る術を教えようとした。ということか。」
そう言いながら、彼は石をペンダントにしまい私に返してきた。
「そうです。そうだと思います。けれど今はその話ではなく、もしお金が必要になったらこれを使ってくださいと、私は言いたかったのです。」
ペンダントを持つ彼の手を、もう一度彼の方に押し返して私は彼を見上げた。その先には、私の予想とは違う表情をしたブライクさまがいた。
「君は案外、男をだめにする女だな。」
無表情でそんなことを呟いて、彼はあっさりと私をかわしてペンダントを私の首にかけてしまった。
「俺はそんなに頼りないか。」
私はまた間違えてしまったのだろうかと心の中で溜め息をついた。そんなことまで全く気が回らなかった。確かに、今この石を渡すということは、彼が一年のうちにお金を作れないと私が思っているから、という意味にとれる。彼の自尊心を、傷つけてしまった。私は俯いた。
そんな私の顎に手をやり上を向かせ、ブライクさまは余裕の笑みを見せた。
「まあ見ていろ。」
屋敷の修理は意外にも着々と進んでいった。ブライクさまはすっかり領主として馴染み、ほんのわずかな間に使用人達の得手不得手を把握して皆を適した担当に割り当てていった。
けれど私は、不甲斐ない自分にすっかり落ち込んでいた。料理の支度を手伝おうと思えば指を切り、配膳だけでもと皿を運べばひっくり返し、皆に笑われる始末。
私は自分の真っ白で細い手を眺めた。今にも折れそうだ。何もできそうにない手。
ブライクさまが、派手にお金を使う領主がいると聞いてこの地を訪れた商人達と話し込んでいるのを横目に、私は泉の近くに生えている植物を眺めては溜め息をついていた。
すると突然ブライクさまが私を呼ぶ声が辺りに響いて、私は驚いて立ち上がった。
「オリビア。」
強い力で引っ張られ、私はなす術もなく分厚い胸に抱きとめられた。あまりにも強い力で絡め取られ、私の体は息もできなくなるほどに拘束された。
「どうしたのですか。」
なんとか絞り出した言葉に、返事はなかった。しばらくそのままの体勢で、私はブライクさまの反応を待つしかなかった。一体何があったのだろう。不安が募る。
ようやく力を抜いて私の体から離れたブライクさまが、かがんで私の瞳を覗き込んできた。
「まだ誰が味方かわからない。頼むから、俺から離れないでくれ。」
その言葉にはっとした私は、すっかり不用心となっていた自分を恥じて、俯いた。
「申し訳ありません。」
知らない土地で、自分を守る術も持っていないのに、私は小さなことばかりを気にして警戒心を全く持っていなかった。ここは安全な場所ではないのに。
「もう離れません。」
その言葉を聞いて、ブライクさまは頷くと大きな手で私の小さな手をぎゅっと握りしめた。
その手が、かすかに震えていることに気づいて、私は息を飲んだ。
見上げた表情はいつも通り。けれどこの震えは。私がいなくなるかもしれないと思って、震えたのだろうか。
私は自分が何も見えていなかったことに気がついた。ブライクさまが見せる、余裕の笑みだけしか見えていなかったのだ。知らない土地で、身一つで妻を抱え領主になるのはどんなに大変なことだろう。持っていたお金ももうない。伝手もない。そんな状態が、楽しいだけなはずがない。
私はブライクさまのことを抱きしめて、ありがとうございます、と囁いた。
「君がいなければ、生きる意味がないんだ。」
かすれた彼の声音に、心がふるえた。そうだった。この人は、誰かのためにしか生きられない面倒くさい人だった。
「います。ずっと隣にいますので、ご安心ください。」
私達は隣り合って座り込み、ポツポツと自分達のことを話していた。
ふと私は修理中の屋敷を見て、何とはなしに呟いた。
「とても侯爵家のお屋敷のようにはいきませんが、あれはあれで風情がありますわね。ああ、でもあのように小さいと隠し通路も作れませんわね。」
私達はお互いに顔を見合わせて、笑った。
「俺達は隠し通路で愛を育んだから。できればここにも作りたいな。」
楽しそうに笑う彼に、そうですわね、と私もくすくすと笑いながら頷いた。
人の国の侯爵領が落ちようとしていた時、私達は侯爵の私室で攻防を繰り広げたのだ。隠し通路から私だけを逃がそうとしたブライクさまを、私は無理やり説得して一緒に外に出た。それも数日前の出来事なのに、随分と昔のことのように感じる。
「あの隠し通路、少し特殊だったことに気づいたか。」
私はふるふると頭を左右に振ると、ブライクさまに続きを話すよう促した。
「あそこは扉が二重になっているんだ。」
全く意味が理解できなかった私は無言で首を傾げた。扉が二重。いったい何の話だろう。
「君が開くのを見た扉は、外側の扉。それは侯爵の私室のカーテンのタッセルを引くことで開く。」
私はブライクさまの説明を聞きながら、あの時の様子を思い返していた。そうだ。ブライクさまがタッセルを引くと、音もなくあの分厚い壁が左側に開いていった。
「そしてその扉と私室の間には、通常はもう一枚、内側の扉がある。普段はその内側の扉が壁としての役割を果たしている。二枚は全く同じ柄で、内側の扉が開いていても、外側の扉が壁になる。あの部屋は等間隔に壁の色を変えて、無地の壁より柄の壁が10cm凹んで作られていただろ。」
そういえばそうだった。私は無地の壁と柄の壁が凸凹としていたことを思い出した。それは不自然なことではなく、流行の意匠でよく見かけるものだ。
「内側の扉が壁の時は、通常の10cmの凹み。内側の扉が開いた状態だと凹みは15cmくらいになるんだが、意外と気づかないものだ。」
なるほど。部屋全体に凹凸があるので一見気づかないのだろう。
「通常隠し扉が二重なんてことはない。二重にする意味がない。けれど侯爵家の私室からは、あの通路を経て、魔の国の侯爵領に出ることができる。魔の国側としては、侯爵が自由に両国を出入り出来る状態は危険だと考えたのだろう。隙を見て、人質を連れて逃げる可能性もある。だから、侯爵の私室からは開けられないもう一つの扉を設置した。それが内側の扉だ。」
なるほど。私は頷いた。
「侯爵は事前に鳥を飛ばし、内側の扉を開けて欲しい日時を魔の国側に連絡する。それに合わせて魔の国の誰かが内側の扉を開けに行く。侯爵は内側の扉が開いたら外側の扉も開け、魔の国へ行く。また誰かが内側の扉を閉めに行く、という仕組みだ。俺達が通ったあの日は緊急時だったから、朝からずっと内側の扉は開けられたままだった。」
「そうでしたの。侯爵にはあまり自由は無かったのですね。」
ああ。ブライクさまは溜め息混じりに頷いた。
「密偵はいつも、どこにいてもずっと監視されていたよ。特に魔の国では、人質との会話も聞かれていたはずだ。」
考えてみればそうだろう。子爵家の屋敷は無防備だったように思う。もちろんあえてそう作られていたのだろう。外から中の様子がわかるように。
長年あの屋敷に閉じ込められ、監視されていたアダルジーザ様。一体どのような方に育ったのだろうか。そう私は口を開きかけて、閉じた。アダルジーザ様の話にはまだ触れない方がいいかもしれない。
私はまだ見ぬアダルジーザ様と、穏やかな公爵を思い浮かべた。魔王陛下への謁見後、公爵様に救われたことを思い出す。いつか二人が困っているときには、必ず力になりたい。そう心の中で決意し私はブライクさまの手に手を重ねた。




