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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第19章 新時代の旗手
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19.12 国を越えて 後編

 アシャール公爵の館に現れたのはメリエンヌ王国の国王アルフォンス七世と、その父で先代国王エクトル六世、そしてエクトル六世の二人の夫人であった。

 この日誕生したベラントル、アシャール公爵アルベリクの第一子はエクトル六世の曾孫である。しかも男系男子としては初めてだから、彼や夫人達が会いたいと思うのも当然であった。

 国王を含む四人は暫くの間ベラントルのいるアルベリクの居室に留まった。新生児であるベラントルは四人が訪れたとき、ぐっすり眠っていたからだ。

 しかし国王と先王が来訪した理由はベラントルの誕生を祝うだけではなかった。そのため二人は先王妃達を残して居室を後にし、アルベリク達が待つ密議の間へと向かう。


「すまぬ! 待たせたな!」


 エクトル六世の顔は笑み崩れ、声も若者のように弾んでいた。そのため先に密議の間に入っていた五人も頬を緩ませる。

 五人とは館の主アルベリク、その父で現在はアマノ王国の宰相となったベランジェ、メリエンヌ王国の王太子テオドール、その妹セレスティーヌ、そしてアマノ王国の大神官補佐のマリィだ。


「ベラントルは元気な赤子だな。起きたら大泣きしおったぞ……ベランジェ、そなたに似たのではないか? アルベリク、嫡男も生まれアリエットも健康そのもの、良き日となったな」


 アルフォンス七世も高揚が滲む声音(こわね)であった。

 この世界には治癒魔術があり、王族や高位の貴族は優秀な治癒術士を抱えている。だが、それでも絶対ではない。

 しかし母子共に何の問題もない。そのためアルフォンス七世は、大いに安堵したようであった。


「嬉しいことです! せっかく私と父上に(ちな)んだ名にしてくれたのですから!」


 ベランジェの言葉通り、次代のアシャール公爵となる赤子の名は彼の祖父と曽祖父から取ったものだ。

 メリエンヌ王国の場合、王家の嫡男は建国王エクトル一世や第二代国王アルフォンス一世などの名を受け継ぐことが多い。ちなみに王太子テオドールも第三代国王テオドール一世からである。

 しかし公爵家として生まれた者、あるいは王家でも次男や三男だと代々の王の名は避ける。そのため他の王族や公爵の名にしたり、ベラントルのように少しずつ貰ったりという例が多いようだ。


「陛下、先王陛下。お陰さまで無事に跡継ぎを得ることが出来ました」


 アルベリクは型通りに伯父と祖父に礼を述べる。陽気なところがあるアルベリクだが、ベランジェほど奔放ではない。そのため内々の場であっても、彼は国王と先王に対する公爵として振る舞っていた。

 とはいえ挨拶は早々に終わる。彼らも忙しい身だから、あまり密談に時間を割くわけにもいかない。


「さて、それでは始めましょうか……どうも、アルフォンス一世陛下が倒した巨人や長腕というのは、東域から来た者らしいのです。向こうに潜入したアルバーノ達が、それらしき情報を(つか)みました」


 兄と父が席に着くと、ベランジェは先刻までとは違う真顔で語りだした。もちろん、聞く側も同じくらい真剣な表情となっている。


「異形の帝国兵……『王太子の二十五年の戦い』か?」


 ベランジェに、アルフォンス七世が重苦しい声で問い返した。国王が口にした『王太子の二十五年の戦い』とは、メリエンヌ王国が誕生した創世暦450年から四半世紀に渡っての戦である。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ガルック平原とは現在のメリエンヌ王国とアマノ王国の国境で、かつてはメリエンヌ王国軍とベーリンゲン帝国軍が幾度と無く戦った地だ。そして、この『王太子の二十五年の戦い』が、五百五十年に渡る戦いの幕開けであった。

 西からは後のアルフォンス一世、当時は王太子のアルフォンスが率いるメリエンヌ王国軍だ。アルフォンスは僅か十二歳だが、聖人ミステル・ラマールを母に持つだけあって神童というべき少年である。

 また、当時のメリエンヌ王国は帝国以外とも国境が完全に確定しておらず、小規模だが四方で各国と衝突していた。そのため国王エクトル一世は中央から動けず、アルフォンスが対帝国の軍を率いたのだ。

 そして東からはベーリンゲン帝国軍。建国百年を迎えた帝国は現在のアマノ王国に当たる地を統一し、ガルック平原を越えて西に軍を進めてきたところだ。


「山のような岩を投げる巨人。異常なほどの遠矢を使う長腕。彼らを統べる千の兵を一瞬で蹴散らす将軍。それらが、東域から来たと?」


「当時の皇帝が造り出したのではないのですか?」


 テオドールとセレスティーヌの兄妹が、ベランジェに問う。

 五月に入って間もないころ、ベランジェは『王太子の二十五年の戦い』についてシノブ達に語った。シノブが光の神具の最後の一つ、光の額冠を得る直前のことである。そのときベランジェは、当時の皇帝はバアル神の加護が強かったようだと口にしたのだ。

 また、最後の皇帝は家臣の大将軍と将軍を羽の生えた異形に変じさせた。そのためセレスティーヌは過去の異形も同じような出自だと受け取った。それに当時はベランジェ自身も、同じような考えだったようだ。


「確かに帝国の歴史にも、建国から『王太子の二十五年の戦い』まで、そのような異形が出たという話はありません。でも、長い眠りに就いていたのかもしれませんわ」


「東域から今のアマノシュタットまで来る手助けをした空飛ぶ超人とは違うみたいだけどね。あっちは旧帝都を造ったときに、邪神を隠す結界の人柱になったらしい。それと当時の皇帝に出来たのは、異形の封印を解くことだったのかもね」


 二人に答えたのは、マリィとベランジェだ。マリィは東域にも赴き調査したし、ベランジェは旧帝都に残されていた秘録や古文書を徹底的に調べた。そのため二人は、他の者より遥かに多くの知識を持っている。


 マリィとベランジェの推測は、こうである。

 六百五十年前に帝国を建てた初代皇帝は、六人の超人と数人の異形を従えていた。そして彼らは東域、おそらくは現在のキルーシ王国から渡ってきた。

 それを示すと思われる伝説を、キルーシ王国に潜入したアマノ王国の情報局員は耳にした。キルーシ王国に伝わる『南から来た男』という話で、信じ難い力を持った人族の男と彼が率いる一団が七百年近く前に現れたというものだ。


 代々の皇帝家も人族だ。したがって『南から来た男』が初代皇帝自身か先祖ではないか。

 また『南から来た男』には様々な特殊能力を持つ家臣がいたらしい。エウレア地方と東域の間には何百kmも続く大砂漠や人の越えられない大山脈があるが、空を飛べる超人がいれば関係ない。したがって彼らが西に先行すれば、転移装置で一族がやってくることは可能だ。


 六人の超人は異神が潜む結界の(いしずえ)となったようだ。そこからは皇帝に仕えるのは常人のみと考えられていた。しかし『南から来た男』の伝説では『王太子の二十五年の戦い』に登場する異形の帝国兵と似た者達が語られていた。

 そこで異形の帝国兵は、密かに眠っていた東域時代からの生き残りでは、となったわけだ。


「子孫だとすると百年間も出てこないのは変だ。だから眠っていたのでは、と思うのだよ。とはいえ確証は無いのだが」


 ベランジェは『南から来た男』で語られる者達について細かに描写した後、そう締めくくる。

 エルフのように平均寿命が二百年を超える長命種もいるのだから、異形が百年以上を生き抜いた可能性もある。だが、その場合は何らかの記録が残るに違いない。

 何しろ、新たな地に国を造り周囲を切り従えていった時期である。当然ながら異形達の力は必要とされただろう。しかし、そのような存在が当時いたという記録は旧帝国に存在しない。

 もちろん『南から来た男』と百年後の皇帝が同じような能力を持っていたという可能性もある。どちらも巨人や長腕の異形を造り出せたという場合だ。そのためベランジェも確信まで至っていないようだ。


「初代のヴラディズフ一世は即位のころ何歳だったのでしょう? 『王太子の二十五年の戦い』のころは、四代目のヴラディズフ四世と息子の五世だそうですが」


 アルベリクは、初代皇帝となったヴラディズフが『南から来た男』なのかが気になったのだろう。

 『南から来た男』の伝説は帝国の建国より五十年近く昔だと思われる。したがって『南から来た男』は、初代皇帝の一代か二代前の先祖かもしれない。

 しかし五十年くらいなら初代皇帝自身という可能性もある。魔力や加護が多い者は長命で、しかも若い期間が長い。現にエクトル一世やアルフォンス一世も別して長寿で、往時の力を長く保っていたという。


「はっきりしないんだよ。彼はエウレア地方で生まれたわけではないからね。在位は二十六年間だけど」


「初代に関しては即位何年という式典はあっても、誕生に関するものはなかったそうですわ」


 ベランジェの言葉をマリィが補足する。

 ヴラディズフ一世は、退位してから四年で没したそうだ。享年八十歳なら即位は五十歳のときとなる。その場合『南から来た男』の活動時期にもよるが、同一人物という可能性は低い。

 しかし仮に死去したときが百歳か更に上なら、初代皇帝自体が東域で語られた者という可能性もある。相手は異神と共に渡ってくる力の持ち主だから、それ以上の長命であってもおかしくはない。


「それでベランジェ、我らは何をすれば良いのだ? 我々だけに話すのだから、何かあるのだろう?」


「アルフォンス一世陛下の秘文書との照合をお願いしようかと。ただ、兄上と父上の表情からすると、当たりのような気もしますが」


 アルフォンス七世の問いに、ベランジェは微笑みを浮かべつつ応じた。

 メリエンヌ王国では、代々の国王が残した秘文書の閲覧を出来るのは国王だけであった。そのため王太子のテオドールも、まだ見たことが無い筈である。


「確かに昔読んだものと似ているな。ベランジェよ、伝聞より自身の目で確かめるのが良かろう。テオドールとシャンタルの結婚式まで、こちらに滞在するのだろう? その間、好きに調べるが良い」


「父上の仰る通りだ。

あまり我らが出しゃばると、アマノ王国がメリエンヌ王国の属国などと言われかねない。だから、そちらへの訪問は控えめにしたし向こうでも大人しくしている。だが、そなた達が我が王国の秘文書を調べるのは問題ない。

シノブ陛下に直接閲覧していただいても良いが、お忙しいだろうからな」


 エクトル六世とアルフォンス七世は、良く似た笑みを浮かべていた。

 アマノ王家や王国の閣僚達は、メリエンヌ王国の出身者ばかりである。そのためメリエンヌ王家は少し距離を置いていた。

 メリエンヌ王家の者達が頻繁に訪れシノブ達と会話すれば、アマノ王国の民や旧帝国出身の貴族なども良く思わないかもしれない。話題を日常のことに留めても、周囲はそう受け取ってくれないだろう。

 アマノ同盟の他国も同じである。メリエンヌ王国だけを贔屓(ひいき)していると思われたら、同盟に亀裂が入りかねない。ならば、一歩退()いて見守るのが良い。アルフォンス七世達は、そう判断したに違いない。


「流石は父上に兄上! 感謝しますよ!」


「お爺様、お父様、ご配慮ありがとうございます」


 ベランジェは歓喜し、セレスティーヌは嬉しげな笑みを浮かべる。

 他国の者となっても昔と変わらぬ一族や家族としての絆があり、会話がある。以前と変わらぬ口調、そして細かな配慮は二人に強い喜びを与えてくれたようだ。


「何、当然のことだ。距離は離れても我らは血族、そして共に光の神具の継承者『光の盟主』シノブ様を支える仲間なのだ。

ああ……祖霊となられたアルフォンス一世陛下のお話を伺ったときのこと、思い出すぞ。神々に愛されしお方、シノブ様に我らの神具を託した日。王家と三公爵家が背負った役目は、あのとき一つ終わったのだ」


 アルフォンス七世の目が潤む。彼はシノブが光の額冠を得た日のことを想起しているようだ。

 代々の王と公爵が密かに背負った役目。それは光の神具の守護であった。しかし王家と公爵家が守った四つの神具は、全てシノブが受け継いだ。

 祖霊として神具を守ってきたアルフォンス一世も役目を終えた。彼は母である聖人ミステル・ラマール、最高神アムテリアを支える眷属の一人に導かれ聖地サン・ラシェーヌへと移った。その聖地には、同じく祖霊となった父エクトル一世も宿っている。

 父子は聖地から国を見守り、そこには母も時々は訪れることだろう。偉大なる先祖達の五百年の時を越えての再会は、同じアルフォンスの名を持つ男の心に深く刻まれていたのだ。


「今、新たな時代が始まった。その時代に生きる我らは、何という幸せ者なのか。新たな時代の新たな役目、それはシノブ様を支えることだよ。儂も出来るだけ長生きして、多くを見届けたいものだ」


 そして建国王の名を授かった老人が、大きな感動と少しばかりの寂しさを滲ませつつ続く。

 エクトル六世は、曾孫を得ただけあって随分な高齢であった。大きな魔力があるから、まだ矍鑠(かくしゃく)としているが、とはいえ何十年も生きることはないだろう。残り数年、あるいは十年か十数年、どこまで共に歩けるか。彼の胸中は、そんな思いで満たされているようだ。


「お爺様、私がお爺様に代わって見つめ、支えていきます。次代の王として、私がシノブ様と共に歩んでいきます」


「そうあるべきですわ。親から子が受け継ぎ、子が親となり更に次の世代へと繋ぐ。それが神々の定めた摂理であり、進んでほしい道なのですから」


 決意溢れるテオドールに、幼い外見に似合わぬ慈しみの笑みを浮かべたマリィが頷いてみせる。

 一同は厳粛な表情となり、マリィに向かって静かに頭を下げた。彼らはマリィが神の眷属であると知っているか、察している。そのため彼らは、今の言葉が神々の意思であると理解したのだ。


「さあ皆様、話し合いを続けましょう! そして終わったら、ベラントルちゃんに会いに行きましょう! 今、一番若い次世代の担い手に!」


 どうやらマリィは照れたらしい。頬を染めた彼女は、やたらと景気の良い声を上げた。


「そうだね! 実はアルバーノが……」


 大きく顔を綻ばせたベランジェは、潜入している者達の様子に触れていく。彼が語るのは、東域のキルーシ王国の中心、王都キルーイヴに潜入中のアルバーノやホリィ、そして情報局員のセデジオやミリテオについてであった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 都市アシャールから東に3500km近い場所に、キルーシ王国の王都キルーイヴは存在する。

 キルーイヴはアシャールより4度ほど緯度が低く、更に西の大砂漠から吹き込む風などにより随分と温暖であった。砂漠からは400kmほども離れているし、少し南には大きな湾が広がっているから空気も適度に湿り、住むには快適な場所である。そのため、遥か昔から人が集まっていたようだ。


「しかし、それだから戦いも多かった……そういうことかな、セデ(じい)?」


 声を掛けたのはアルバーノ、アマノ王国のメグレンブルク伯爵で情報局の(おさ)である。初代皇帝の出自や転移の真相を突き止めるべく、彼もキルーイヴに潜入したのだ。

 ちなみに今のアルバーノの外見は、元々と同じで猫の獣人のままであった。キルーシ王国には猫の獣人もいたからだ。


 ここは王都キルーイヴの王立図書館だ。暖かな地ではあるが、書物を守るため周囲は完全に壁で覆われ、室内を照らしているのは小さな窓から入る陽光と灯りの魔道具の輝きのみである。

 そのように風雨を避ける頑丈な造りだが、湿気が篭もらないように配慮され風通しは良い。


 とはいえ八月だけに気温は高く、アルバーノも軽装だ。彼が身に着けているのは半袖と膝丈のチュニックで、まるで生まれ育ったカンビーニ王国のようである。

 今のアルバーノは、地方都市から来た裕福な商人としている。そのためチュニックの布地は随分と上等で、巻物を広げていく手にも精緻な造りの指輪が幾つか()まっているし、胸元には細い金鎖の首飾りも光っている。


「はい。一旦(まと)まってからも、二度ほど分裂したそうです。……それと私はセデジーミルです、アルディズフ様」


 巻物から顔を上げてアルバーノに答えたのは、情報局員の老人セデジオだ。

 こちらもアルバーノと似た格好だが、装飾品は少なめだ。セデジオはアルバーノの使用人頭という配役だからである。


 二人を含め、潜入した諜報員達は名前をキルーシ王国風にしていた。正確には、キルーシ王国を含む近隣の国に良くある名前である。キルーシ王国の北の西メーリャ王国や、西南のエレビア王国、南隣のアルバン王国では同様の名が多数存在したのだ。

 ベーリンゲン帝国の代々の皇帝の名はヴラディズフで、彼らを支えた侯爵家にも地球の東欧やロシアを思わせる名前が多かった。しかも、それらはキルーシ王国を含む地方の姓名と明らかに類似している。これも、この一帯が初代皇帝の出身地ではないかという根拠の一つになっていた。


「初代国王スヴャクルフ一世陛下が国を興す創世暦795年の前に、百年ほどの混乱期。そして更に二百年ほど前にも……その前が『南から来た男』の伝説の時代ですね。随分とバタバタしていますよね」


 ミリテオは、この地方が辿(たど)った歴史に触れた。

 現在の王家も創世暦300年ごろ、七百年近く昔の『南から来た男』の時代から名の知れた家系で、当時は大豪族だった。そして六百五十年くらい昔に誕生した、この一帯で最初の広域国家もスヴャクルフ一世の先祖が興した国である。

 これは百年ほど続いたそうだが三つに分裂した。最後の王が崩御した後、長男の王太子、次男の王子、王弟の三人で争ったのだ。

 そして五十年近い混乱期を経て、三家の子孫の一人が五百年ほど前、つまり創世暦500年ごろに再統一する。しかし二百年ほどで分裂し、ミリテオが口にした百年近くの混乱期を経て、スヴャクルフ一世がキルーシ王国を建てたわけだ。


「ミリテーリクさん……」


 アルバーノの隣に並ぶ若者ミリテオの袖を引いたのは、足環の力で猫の獣人に変装したホリィであった。ミリテオの言葉は、キルーシ王国や周辺で生まれ育った者にしては少しだけ不自然だったのだ。


 この辺りでエウレア地方のように五百年以上も続いている国は、アマズーン湾を挟んで南に位置するアゼルフ共和国くらいだ。そしてアゼルフ共和国は長命なエルフの国だから、例外とすべきであろう。

 北の西メーリャ王国と東隣の東メーリャ王国がドワーフの国、他は人族と獣人族の国だ。その中で一番長く続いているアルバン王国でも、歴史は三百年ほどである。

 キルーシ王国の歴史も短い方ではなく、ミリテオの言葉を聞いた者がいれば違和感を覚えたことだろう。しかも場合によっては、王家を侮辱したと捉えられかねない発言だ。


「す、済みません、ホーリヤ様」


 ミリテオはホリィの言いたいことに気が付いたようだ。彼は素直に頭を下げる。

 ちなみに今のホリィはアルバーノの妹ということにしている。そしてミリテオもセデジオと同じで使用人だ。したがって十歳くらいの少女に対しては丁寧な言葉も、立場を考えれば不自然ではない。


「ホーリヤ様、こいつは勉強が足りないようですな。ミリテーリク、初代国王スヴャクルフ一世陛下が国を(まと)め直すまでの苦難の数々、お前も学んだだろうに……」


 セデジオは、使用人頭セデジーミルとしての口調で若者を叱る。図書館の中には多少の人もいるから、その方が自然だと彼は考えたらしい。


「折角だから、しっかり学べば良いさ。そうすれば『セデ(じい)ミル』のように博学になれるぞ」


「お褒めの言葉、ありがとうございます。何やら発音がおかしいような気もしますが……」


 セデジオは、アルバーノの口調と悪戯っぽい笑みから、彼が言いたいことを察したようだ。そしてホリィとミリテオも吹き出しそうなのを(こら)えているような顔となる。

 しかし、いつまでも雑談を続けているわけにもいかない。図書館で調べるべきことは多いし、他にもすべきことは幾らでもあるからだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 現在のところアルバーノやホリィ達は、この地方がベーリンゲン帝国の初代皇帝の出身地だと考えていた。『南から来た男』が初代皇帝か先祖で、ここを通過して彼の率いる一団がエウレア地方に渡ったのでは、という推測だ。この『南から来た男』も、巨人や長腕の異形を率いていたというから可能性は高い。

 また、空を飛べる配下がいたことを示唆(しさ)する記述も存在した。通常なら越えられない崖や大河の向こうから出現して戦いを制した、などという逸話があったのだ。

 ただし、空飛ぶ超人について『南から来た男』の伝説に明確な証拠はなかった。空を飛べるからか、それとも隠蔽の術でも使えたのか。ともかく巨人や長腕のように直接見た者はいないか極めて稀だったのだろう。


 また、名前の類似と同様の傍証もある。旧帝国の『ベーリングラード様式』という建築様式で多く見られる、花を(かたど)ったような紋様は、こちらの建物や敷物などにも似た模様があった。したがって、この地方と初代皇帝の一族が無関係ということはない筈だ。


 ただし『南から来た男』が初代皇帝か先祖だったとしても、ここが彼らの父祖の地ではないようだ。『南から来た男』は、その名の通りキルーシ王国の更に南、現在のアルバン王国に当たる地域から来たらしい。


「何だか、戦闘と略奪を繰り返しながら移動していったみたいですね」


 夕日を背に受けながら、ミリテオは隣を歩くアルバーノに語り掛ける。彼らは、図書館を出て拠点としている宿屋に向かう途中だ。もちろんセデジオとホリィも、アルバーノとミリテオの後ろに続いている。


 『南から来た男』の一団は、人族が獣人族などを従えていたそうだ。正確な記録は残っていないから不明だが、旧帝国の隷属の魔道具と同じものを使っていた可能性はある。

 そして南から現れた者達は、収奪をしつつ北西へと向かっていった。彼らは海が苦手なのか、アマズーン湾から離れた内陸を通過していったようである。

 もちろん、通り道にいる豪族達も結束して抵抗した。一説には、その結束が直後に誕生した初めての広域国家に繋がったという。したがって豪族達も普段の(いさか)いは忘れて『南から来た男』に抗したのは間違いない。

 だが、それらの抵抗も『南から来た男』の一団を留めることは出来なかった。彼らは多くの戦いを制して西へと突き進んだ。


「ああ。ここに国を造れば良さそうなものだが……」


 アルバーノは、怪訝な顔をしつつ頷いた。

 『南から来た男』は破竹の進撃をしたのだから、この地に留まって国を興せば良かろう。それは当然の考えである。


「おそらく、例の存在の意向では?」


 セデジオは、異神が『南から来た男』に移住を命じたと言いたいようだ。

 結果的に初代皇帝と彼が率いた一団は、転移装置まで造ってエウレア地方に渡った。それに温暖で住み易そうな場所ではなく、山がちな旧帝国を選んだ理由も謎である。旧帝国では百年の戦いで元からいた者達を従えたのだから、簡単に制圧できる地を選んだわけでもなさそうだ。


「そうかもしれませんね。そもそも南から来た理由も、はっきりしませんし……それに従えられていた者がどうなったのかも……」


 ホリィの顔は曇っていた。彼女は隷属していたらしい獣人達を思っているようだ。

 キルーシ王国の南半分やアルバン王国に多いのは、猫、虎、獅子、豹の獣人であった。したがって『南から来た男』は猫科の獣人を支配していた筈だ。しかし、旧帝国に猫科の獣人は存在しなかった。

 キルーシ王国の北部は山地で気温も下がるため、北方系の狐、狼、熊の獣人が多い。しかし新たに従えた者がいても、元からの手下を手放す必要はないだろう。

 猫科の獣人達は、エウレア地方に渡るまでに使い潰されたのか。転移装置での移動には限界があり、奴隷達は捨て置かれたのか。『南から来た男』の伝説も、獣人達の行方については何も語っていなかった。


「あ! アルディズフさん、お帰りなさい! それにホーリヤちゃんも!」


「今日は美味(おい)しいアジとサバが入っているよ! もちろんお酒もね!」


 四人は話している間に宿の近くまで戻っていた。四人に語りかけてきたのは、宿の従業員達である。

 一人は虎の獣人の若い女性だ。大商人らしく程度の良い宿を選んだから、食堂も上品で彼女も酒場女などではない。もっとも相手は人当たりの良いアルバーノだから、彼女も殊更に愛想良くしているようでもある。

 もう一人は熊の獣人の男性、こちらは調理担当だ。よほど良い品が手に入ったのか、自慢げにすら感じるほどの笑みである。


「エミーシャちゃん、ただいま! ボスラフさん、今日も楽しみにしているよ!」


 アルバーノは明るい笑顔を浮かべ手を振って答える。

 今は伯爵となったアルバーノだが、こういった姿は実に自然である。また、本人も貴族としての堅苦しい生活から離れることが出来て嬉しいようだ。おそらく、それが潜入調査に加わる大きな理由なのだろう。


「お帰りなさいませ! 今日も図書館ですか!?」


「勉強熱心ですねえ!」


 扉を開けると、今度は人族の少女達が出迎える。こちらも宿の店員達だ。

 キルーシ王国の王家には人族も獣人族もいる。エウレア地方で一番似ているのは、ガルゴン王国であろうか。ただし、ガルゴン王国とは違いどちらの種族からも王が出る。

 そのためだろう、街の店で働く者達にも種族での上下は存在しないようだ。


「ホーリヤ様、この風景を大切にしたいですな」


 セデジオは、彼らのためにも初代皇帝や異神の謎を解き明かそう、と言いたいのだろう。

 キルーシ王国に転移装置や関連する遺物が埋もれている可能性は高い。それらが単なる遺跡であれば良いのだが、何者かが眠っていたら。あるいは『南から来た男』が来た理由が、敵対する超常的存在からの逃避で、その恐るべき存在が東域に潜んでいたら。その場合、今の平和が脅かされるかもしれない。


「ええ。この自然な姿を守り育てるのです」


 (ささや)き返したホリィの声には、神々の眷属としての思いが滲んでいた。

 エウレア地方には異神に対抗するため多くの眷属を聖人として送り込み、核となる者達に強い加護を授けた。その結果、旧帝国を見事に押し留めたが、代わりに絶対的なまでの神への信仰が残った。

 それに対しキルーシ王国などでは、神への思いはエウレア地方より緩やかなようである。こちらでもアムテリアや従属神を信じているし(まつ)ってもいるが、神々の存在を強く意識している者は少ないようだ。

 だが、それで良いのだろう。人々が自立していけば、それを神々は見守り慈しむだけ。ホリィの静かな喜びが滲む表情は、そう語っているようである。


「セデ(じい)、ホーリヤ、何をしているんだい? 美味(おい)しい食事が待っているよ!」


 アルバーノが、宿の中から二人に微笑みかけた。おそらく彼は、ホリィ達が感じたことに気が付いているに違いない。それまでの人好きする笑顔とは違う、とても優しげな深みのある表情で、彼は誘いの言葉を口にしていた。

 そのためだろう、セデジオとホリィは弾む声音(こわね)(いら)え、真っ赤な夕日に背を押されたかのように元気良く宿へと駆け込んでいった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年10月28日17時の更新となります。


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