19.11 国を越えて 前編
創世暦1001年8月20日、アマノ王国の宰相ベランジェに二人目の孫が誕生した。彼の長男であるアシャール公爵アルベリクの第一子、ベラントルだ。
「いやあ、めでたいねえ! これで君に何かあっても大丈夫だよ!」
ベランジェは、嫡男を得たアルベリクの肩を景気良く叩く。ちなみに二人は、それぞれ一人ずつ幼児を抱いているが、もちろん新生児のベラントルではない。こちらは半年前にベランジェの養子となったロジオンとカテリーナである。
ここは今年の二月までベランジェが統治した都市アシャール、その中央に存在するアシャール公爵家の館のサロンである。つい先ほど生まれて間もないベラントルと対面したベランジェ達は、一旦サロンへと戻ってきたのだ。
今、アルベリクの居室には彼の妻でベラントルの母であるアリエットや、一族の女性達が詰めている。
アシャール公爵家の治癒術士も優秀だから、出産したばかりのアリエットも元気ではある。しかしいつまでもベランジェ達がいては彼女も気疲れするだろう。そこでアルベリクは、はしゃぐ父と幼子達をサロンに誘ったわけである。
「父上……」
アルベリクは苦笑気味の顔をベランジェに向けた。とはいえ息子だけあって父の性格は熟知しているのだろう、彼は何も言い返さない。
それにベランジェの言葉は少々直截的だが事実ではある。アルベリクも嫡男を得て強く安堵したのは間違いないだろう。
何しろベランジェはアマノ王国の侯爵となりメリエンヌ王国の貴族籍を放棄した。もちろん彼の夫人達アンジェとレナエルも同様だ。
ベランジェには四人の実子がいるが、アルベリクに続くのは全て女性である。長女のリュディヴィと次女のユリアーヌは既に他家に嫁ぎ、二ヶ月前に生まれた三女のレフィーヌはアマノ王国の貴族だ。そのためアシャール公爵家はアルベリクとアリエットの二人だけであった。
したがって次代を担う子供の誕生を、彼らは待ち望んでいた。それが嫡男という結果になったのだから、さぞかしアルベリクも嬉しかろう。
「おとうさま、もっと赤ちゃん見たかった!」
「わたしも! おとうさま~!」
ベランジェとアルベリクの腕の中で、ロジオンとカテリーナが少しばかり不満げな声を上げた。
養父に抱かれているロジオンは、後二ヶ月ほどで四歳だ。アルベリクの方はロジオンの妹のカテリーナ、こちらは二歳半である。そのため二人は、だいぶ言葉も達者になったようだ。
二人はベーリンゲン帝国のヴラディズフ二十五世、第二十五代にして最後の皇帝の孫だ。しかしベランジェ達の下に来てから半年近く、どちらも既に彼を父として慕っている。
それは表情からも明らかだ。幼子達の顔には、血の繋がった親に対するものと等しい信頼があった。
「うむ! また後で見せてもらおう! ……しかしだね、アリエットは疲れているから休ませないとね。それに、うるさくするとアンジェお母さんが怒るよ~」
ベランジェは、自身のことを棚に上げつつロジオン達を諭す。
アマノシュタットからはベランジェの第一夫人のアンジェも来た。一方、もう一人の第二夫人レナエルは娘のレフィーヌと共に留守番だ。
まだレフィーヌは首も据わっていないし、アルベリクを産んだのはアンジェだからとレナエルは遠慮したのだ。それにアリエットも、義母が二人に増えたら嬉しいだろうが気も使うに違いない。
「一番怒られたのは、父上ですけどね」
アルベリクの指摘に、ロジオン達は声を上げて笑い出す。
しかしベランジェは、そのくらいで動揺しない。彼は上機嫌な笑みを浮かべたままソファーへと向かっていく。
◆ ◆ ◆ ◆
初めての地だからかロジオンとカテリーナは随分と興奮し、はしゃいでいた。しかし幼児だけあって、二人は幾らもしないうちに眠ってしまう。そのため二人は侍女達に抱かれ、奥の間へと下がっていった。
「叔父上、お久しぶりです。アルベリク、おめでとう」
「これでアシャール公爵家も安泰ですわね!」
代わりにサロンに現れたのはベランジェの兄の息子と娘、つまりメリエンヌ王国の王太子テオドールとアマノ王家の姫となったセレスティーヌだ。
テオドールからすれば同年代として共に国を支えるアルベリクの祝い事である。セレスティーヌもシノブの婚約者として華姫の称号を授かりアマノ王家の一員となったが、祝いたいという気持ちは兄と同じだ。
そして各国の主要都市と同じく、ここ都市アシャールも大神殿で神像による転移が可能だ。そのためテオドールとセレスティーヌは通信筒で連絡が入るや否や、それぞれの住む地から親族の慶事を祝いに駆けつけたのだ。
「ありがとうございます。さあ、こちらにどうぞ」
立ち上がったアルベリクは、二人を出迎える。アルベリクはテオドールと歳が近いし従兄弟でもある。そのため彼は、言葉こそ崩さないが家族を迎えるような朗らかな笑みを浮かべつつ二人をソファーへと誘っていく。
「マリィ君は?」
「一旦戻られましたわ。お父様をお連れするときに、またいらっしゃるそうです」
続けてセレスティーヌは、マリィが王都アマノシュタットの大神殿に戻ったとベランジェに教える。
神官達は転移をする際に長時間の祈りを捧げるし、大きく疲労するらしい。しかしアミィ達眷属やシノブの場合、そのようなことはない。したがってマリィは、出番が来るまでアマノシュタットで自身の仕事を片付けることにしたようだ。
「それと叔父様、ヤマト王国の健琉様が都に戻られました。シャンジーさんが、アマノシュタットにお土産を持ってきてくださいましたの。叔父様のお好きな向こうのお酒やお菓子もありますわよ」
兄と並んで座ったセレスティーヌは、ベランジェに紫色の小さな包みを掲げてみせた。どうやら、彼女が手にしているものがヤマト王国からの土産のようだ。
一同が注目する中、セレスティーヌは手にしたものをテーブルに置く。メリエンヌ王国では見慣れない布、要するに風呂敷で包まれた品である。
「ほう! それは嬉しいね!」
「これは……お酒? それと……」
ベランジェは顔を輝かせ、アルベリクが早速包みを開けていく。
包みの中には、封をした陶器の瓶と四角い箱が入っていた。セレスティーヌが提げてくるくらいだから、どちらも大きくはない。
「お饅頭というものですわ。お饅頭は一箱だけですが、お酒は家臣の方に樽をお預けしました。皆様で召し上がってくださいな」
「では、ありがたくいただきます」
アルベリクは、脇に控えていた侍従に土産の品を預けた。どうやら彼は、妻に見せる前に味わうわけにはいかないと思ったらしい。
「セレスティーヌ、タケル殿は九月に入ったら東に旅をするのだとか?」
テオドールもアマノ王国の建国式典でタケル達と会っている。
そしてテオドールや父王のところには、シノブから定期的に文が届く。そのため彼はタケルの近況をある程度知っているのだが、妹から最新情報を聞きたくなったようだ。
「はい、お兄様。タケル様は二週間ほど休まれるそうです。でも、その後すぐにドワーフの住む陸奥という地に旅立つと聞いています」
セレスティーヌは、シャンジーから聞いたことを兄に語っていく。
タケルは筑紫の島から行きと同様に海路で帰還した。彼は行きの面々に加え、伊予の島の姫巫女である桃花と筑紫の島のクマソ王家の姫刃矢女を連れて帰ってきた。しかも、この二人も陸奥への旅に加わるという。
「随分と急だね」
「その……こちらの王が向こうでは大王家、公爵に相当する格が王家と伺っていますが……その王家の姫君達まで旅をするのですか?」
テオドールに続いたのは、アルベリクだ。彼は驚きが滲む顔を従姉妹に向けている。
神殿の転移があるから、メリエンヌ王国の王家や公爵家の女性達も気軽に出かけるようになった。しかし彼女達は転移で移動するだけで、都市から出ることもない。
それに比べ、ヤマト王国の旅は陸路なら馬車、海路なら船で何百kmも移動する。アルベリクは、そのような旅を自分の妻や妹達がしたらと想像したようだ。
「モモハナ様は巫女、ハヤメ様は武人だそうですわ。お会いしたことはありませんが、私達とは体力が違うのではないでしょうか? それにアルベリク様、お二人と立花様はタケル様から離れたくないのですわ」
セレスティーヌは楽しげな笑みを浮かべていた。
タチハナとはタケルの叔母である斎姫の側仕えの巫女で、非公式だがタケルの婚約者となった少女だ。このタチハナは巫女として体を鍛えてもいる。
ハヤメはタケルの婚約者となった。それに彼女は武に優れているから旅も苦にならない。そこまでは良いのだが、セレスティーヌはモモハナも同じようにタケルを慕っていると言う。
ちなみにセレスティーヌは、タケルを囲む少女達のうちタチハナとしか会ったことはない。したがって彼女の言葉は多分に想像を含むものではある。
「なるほど、ヤマト王国の女性は積極的なのですね……タケル殿下も大変そうです」
「そろそろアルベリク様も第二夫人をお迎えになるのでは? マルゲリットさんも成人されましたし」
感嘆の表情となったアルベリクに、セレスティーヌは悪戯っぽい笑みを向けていた。マルゲリットとはジョスラン侯爵の娘で、セレスティーヌの友人の一人である。
マルゲリットは、この八月の頭に十五歳となった。
成人したら即座に結婚とは、随分と早く感じる。しかし五日後にテオドールの第二夫人となるシュラール公爵の娘シャンタルも、先月末に成人したばかりだ。そのようにエウレア地方の王族や上級貴族では、決して珍しいことではない。
「ま、まあ……」
アルベリクは僅かに頬を赤くしていた。どうやら彼は、自身に矛先が向けられるとは思っていなかったらしい。
セレスティーヌからすれば、マルゲリットは長年親しく接した学友である。しかもマルゲリットは、セレスティーヌの九ヶ月後に生まれた一番歳が近い友人だ。そのため訊ねるのは当然だろう。
もっとも今日はアルベリクの初めての子が生まれた日だ。したがって、そこまで彼が思い至らないのも無理はない。
「……ところで父上、リンハルト殿はリゼット殿を娶られるのですか? まさかリゼット殿も一緒だとは思いませんでした」
僅かな間を空けたアルベリクは、父の補佐官であるベルトーネル子爵リンハルトと、シャルロット付きの侍女リゼットの名を挙げた。どうも彼は、自身から話を逸らそうと考えたようだ。
「うん? さあ、どうだろうねぇ。似合いとは思うけど、あのアンネという町娘とも仲が良さそうだしねぇ……」
息子の問いに、ベランジェは気のない返事をする。彼は饅頭と酒が気になったらしく、それらを持っていった侍従、正確には侍従が退出していった扉を残念そうな顔で見つめていたのだ。
「リゼット殿も祝いに? シャルロット殿の名代ですか?」
テオドールは、身重の王妃に代わってリゼットが祝いの言葉を伝えに来たと思ったようだ。リゼットはシャルロットの側近でも古株だから、そのような役に就くことは度々ある。
「ああ、そうじゃなくてね。彼女と弟のレナン君は、リンハルトにアシャールの街を見せているのだよ。明日はベルレアンのセリュジエール、明後日は王都メリエさ。
君とシャンタルの結婚式まで、メリエンヌ王国を視察させようと思ってね。リゼット君とレナン君はボドワン商会の子だからセリュジエールに詳しいし、王都メリエも幾度となく訪れている。ここアシャールも彼らの通り道だったし、支店も置いているからね」
ベランジェはリンハルト達に視察で様々なことを感じてほしいと考えたようだ。
リンハルトを含む旧帝国出身者は、つい先日まで自国から出たことがなかった。もちろんアマノ王国が誕生してからは、彼らもシノブやベランジェの供として国外の式典に随伴することはある。しかし、ゆっくり街中を見て回るような機会は今まで無かったのだ。
一方、ボドワン商会の主ファブリの子として生まれたレナンやリゼットは、街での暮らしも良く知っている。そしてベランジェが口にしたように、セリュジエールから王都メリエまでを二人は熟知していた。セリュジエールには商会の本店があるし、ファブリはメリエまでを頻繁に往復していたからである。
「我が国で生まれた者達と旧帝国で生まれた者達が、共に街を歩く……時代は変わりましたね」
「そうさ……もっとも仲良く歩いているかどうかは判らないけどね!」
感慨深げなテオドールに、ベランジェは同じような声音で応じかけた。しかし次の瞬間、ベランジェは悪戯っ子のような表情となっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「あいつ、二人も女を連れやがって……大商人のお坊ちゃんか?」
「貴族様じゃあるまいし……」
何やら羨ましげな男達の声が、都市アシャールの大通りに響いている。彼らが見つめる先には、ほっそりした栗色の髪の青年が二人の若い女性と語らいつつ歩んでいた。
女性はどちらも成人の十五歳を二つか三つは超えたくらい、こちらも双方が栗色の髪だ。そして後ろには従者らしき少年が二人続いている。こちらは黒髪と栗色の髪で、歳は十代前半だと思われる。なお、五人全員が人族だ。
服装からすると貴族ではなさそうだが、質や仕立ては良い。そのため嫉妬の視線を向ける男達は、一行を裕福な商人の子供達だと思っているらしい。
この五人は青年がリンハルト、女性はリゼットと大工の娘アンネ、少年がレナンとアンネの弟カールである。折角の視察だから、なるべく実情を知ろうと街の者に扮しているのだ。
もちろん一行は彼らだけではない。同じように町人の姿で各所を周っている者が数組おり、更に警護の武官が同じく私服で遠巻きに付き添っている。
「リンハルトさん、アンネさん。昔、この街は急激に人が増えました。それに今でも増加していると聞いています。ですから、このように増築した建物が多いんですよ」
リゼットは、にこやかな笑顔で都市アシャールの建物について説明していく。
メリエンヌ王国の都市建築は、大半が『メリエンヌ古典様式』に則っている。それらは左右対称でアーチを多用した美しい形式の建物だ。しかしアシャールの場合、増築して非対称になっているものも多い。それどころか、継ぎ足したのか途中の階から様式が異なるものまである。
この辺りは中央区に近いから大商会など立派な建築物が多い。しかし、それらは中央区の公的施設ほど形式に拘っていないから、比較的自由に増改築をしているのだ。
「最近、三万二千人を超えたそうです。王都に比べると小さいですが、これだけの都市は中々ありません」
リゼットは、時折リンハルトやアンネを注意深く見つめている。
先日以来リゼットは、リンハルトと時々会話したり舞踏会で踊ったりする程度には親しくなっていた。しかしリンハルトは長く世話になったホルツケン一家の娘アンネとも親密らしい。
リンハルトはメリエンヌ王国長期滞在の侍女にアンネ、従者に弟のカールを指名した。アンネは通いだが彼の侍女として働いているし、カールは大工もしくは技術者となるべく学んでいるが他国を知るのも良いと連れ出したのだ。
もちろんリンハルトはホルツケン一家に恩返しをしたいのだろう。しかし、それだけかどうかリゼットは疑問に感じているらしい。
リゼットも、どうしてもリンハルトでなくては、というほど思い詰めてもいないようだ。だが、真実を確かめようと思う程度に気になるのも事実らしい。
「む、向こうだと王都だけですね」
アンネは僅かにだが、どもっていた。どうやら彼女は緊張気味らしい。
相手は商人の娘だったとはいえ、今は弟が男爵で彼女も男爵令嬢として扱われている。それに対しアンネは代々棟梁という一種の名家だが、貴族どころか騎士や従士の家族でもない。そのためリゼットの探るような視線に、アンネは少し押されているようだ。
「でも、これから栄えますよ。まだまだ他所から来る人も多いですから」
リンハルトはアンネを可哀想に思ったのか、肩を持つような発言をした。そのためかアンネの表情が和らぎ、逆にリゼットの眉根が少しだけ寄る。
アマノ王国がこれから発展するだろう、とリンハルトは言いたかっただけかもしれない。彼は宰相の補佐官で、街に出たのも視察である。そのため意識的であれ無意識的であれ、リンハルトはアシャールと自国の街を比べるだろうし、自国に肩入れしたくもなるだろう。
「そうですね。陛下も宰相様も新たな取り組みをどんどんされていますし……」
一瞬は表情が険しくなったリゼットだが、すぐに雰囲気が変わる。といっても彼女はリンハルトに媚びたわけではないようだ。
リゼットは、シノブやベランジェを始めとするアマノ王国の要人を間近で見ている。自国を良い国にしようと彼らが日夜努力しているのを、リゼットは肌身に感じているのだ。彼女は普段から宮殿に詰めシャルロットに仕えているのだから、宰相の側近であるリンハルトよりも詳しくすらあるだろう。
「そ、そうなのですか……」
心からの言葉だけに、アンネには強く響いたようである。
それに結果的にだが、アンネはリゼットが王家の側仕えだと再認識してしまったようだ。そのためだろう、アンネは笑顔を浮かべているが、どこか硬さを感じるものであった。
そんな二人に、内政官としては優秀だというリンハルトも少々困惑しているらしい。つい三ヶ月前までは病気で外出も出来なかった彼である。これでは幾ら能力が高くても女あしらいが上達する筈もない。
王宮でのことを考えているらしいリゼット、身分違いと落ち込んだのか表情の暗いアンネ、そして何と言葉を掛けるべきか逡巡している風なリンハルト。それまでとは違う沈黙が三人に訪れる。
◆ ◆ ◆ ◆
しかし、後ろの様子は全く違う。少年達、特にカールは初めて見る建築物に興奮し、レナンも彼に釣られたのか随分と楽しげであった。
「すっごいなあ! これが本物の『メリエンヌ古典様式』かあ……やっぱり旧様式より見栄えがするなあ! それに、ちょっと弄っているのも工夫が判るし!」
大工の跡取り息子だけあって、カールは大通りに並ぶ建築物に夢中であった。
元々、旧帝国には『ベーリングラード様式』という建築様式が存在した。その名の通り以前の帝都、現在の王都アマノシュタットに当たる場所から広まった様式である。しかし現在は帝国時代の圧政を思わせる、ということで大工達も単に旧様式とだけ呼ぶようだ。
ちなみに『ベーリングラード様式』も、旧帝国の陰に潜んでいたバアル神が授けた知識らしい。発生は初代皇帝の登場から間もなく、そして領土の拡大に合わせて各都市に広まったそうだ。
なお、旧様式があれば新様式もある。それはメリエンヌ王国の出身者達が持ち込んだ『メリエンヌ古典様式』に影響された、一種の折衷型である。基本は寒冷地に合わせた従来の壁が厚い建物だが、窓を少しでも大きく取ったり、冬場は分厚い雨戸で半ばを覆うことにして大窓を作ったり、などの工夫をしている。
もっとも今は模索中で新様式にはメリエンヌ王国風という方向性はあるものの、厳密に定義できる段階には至っていない。
「カール君! あれは完全に『メリエンヌ古典様式』みたいだよ!」
レナンは十四歳で、カールは二つ年下だ。そのためレナンは後輩の従者に接するときと同様に、カールの世話を焼いている。
今は男爵位を持つレナンだが、元々は交易商の跡取り息子だ。それに十ヶ月ほど前には、彼も隊商の一員としてアシャールを通り王都メリエに向かった。以前のような街の者の装いで、以前見た風景を同年代の少年と歩く。それはレナンにとって懐かしく楽しい時間に違いない。
「あ、ありがとうございます! わ~、本当だ! あんな大窓、向こうじゃ冬は寒いだろうなあ! でも、やっぱり綺麗だ!」
実は最初レナンやリゼットと会ったとき、アンネよりもカールの方が硬くなっていた。アンネはリンハルトの館で侍女として働いているから訪れた貴族を見ているし、問われて答える程度の会話を経験してもいる。
しかしカールは違う。父のハンスは貴族向けの高級建築を専門としている棟梁だが、カール自身が貴族達と話すわけではない。
歳の近いレナンであっても、カールからすれば普段は近寄ることもない貴族の若様だ。したがって言葉を交わすなんて畏れ多いとなったが、それをレナンが解きほぐした。
今のカールは、レナンを世話好きで親しみやすい先輩と感じているようである。
「あ、カール君!」
レナンは横を向いて歩いていたカールの肩を掴む。
カールは、前にいたアンネにぶつかりそうになったのだ。リンハルト、リゼット、それにアンネは、立ち止まってカールを見つめていたからである。
「え……な、何だよ姉ちゃん?」
カールは自身の姉に怪訝そうな顔を向ける。アンネ達三人は、とても優しい笑みを大工の少年に向けていたのだ。
「カールを見たら、悩んでいたのが馬鹿らしくなったわ」
「そうですね。私達には、先にすべきことがあります」
何故だかアンネとリゼットの距離は縮まったようだ。アンネは普段の調子を取り戻し、リゼットも先刻までとは違う侍女仲間といるときのような屈託のない笑みを浮かべている。
「姉さん?」
「貴方達みたいに、まずは友達になって理解しあうこと。そこからでしょ?」
小首を傾げたレナンに、リゼットは爽やかな笑みを浮かべつつ答えた。
リゼットが言った友達とは、アンネだけのことなのだろうか。それともリンハルトも含めてだろうか。おそらくは、後者なのだろう。
リゼットはリゼットで、男爵令嬢らしくと気負っていたのではないだろうか。リンハルトと接するときも、自身の婚姻で男爵となった弟の支援をしたい、あるいは主であるアマノ王家や弟に恥を掻かせない相手を選ばなくては、という思いがあったに違いない。
しかし、飾らず接する少年達を見て、リゼットの考えは変わったようだ。期待される自分を演じ、それに合った相手を選ぶだけで、本当に幸せになれるのか。周りは本当に望んでいるのか。それを彼女は少年達の姿から学んだようである。
「うん。仲良くなるのは大切なことだと思うよ。ねえ、カール君?」
姉の気持ちを察したのかレナンは普段よりも子供っぽい口調で応じ、更にカールへと呼びかけた。おそらくは、これがレナンの素顔なのだろう。
「う、うん。……ところで姉ちゃん、そろそろどこかお店に入ろうよ! お腹が空いたのもあるけど、建物の中も見てみたいんだよね!」
「ああ、悪かったね……どうやら、あの店は食堂らしい。入ってみようか?」
リンハルトはカールに歩み寄り、彼の肩に手を添え一方を示す。そこには中央区に近い場所に相応しい洒落た飲食店が存在した。
もちろんカールが断るわけもないし、他も笑顔で頷いた。そして五人は仲良さげに肩を並べて瀟洒な店に入っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
一方のベランジェは、カールと同じく『ベーリングラード様式』について語っていた。聞き手は先刻同様に息子のアルベリクや、テオドールとセレスティーヌの兄妹だ。
「古文書によると例の旧様式は、こっちに来てから生まれたものらしい。正確には、与えられたのだがね」
ベランジェは、控えている侍従などを気にしたのか少しばかり暈した物言いをした。しかしアルベリク達には、それで充分通じたようだ。彼らの顔には疑念など浮かんでいない。
『ベーリングラード様式』を授けたのは異神であるバアル神。それらは旧帝都を調査したときに既に幾つかの秘録の記述から判明し、メリエンヌ王国の要人にも知らされているからだ。
「先日、傍証を得た。東に行っている者達が見た向こうの建物は、旧様式と構造が違う。標高が低いし、向こうの中心は王都メリエより南……カンビーニとの国境に近い辺りだからね。ただ、装飾は僅かに共通点を感じるそうだ」
ベランジェはメリエンヌ王国の王都とエウレア地方で最も南に位置する国の名を挙げた。
メリエンヌ王国とカンビーニ王国の境は、アマノ王国の最南端とほぼ同じである。そしてベランジェの言う向こうとは、アマノ王国の情報局員が潜入している東域のキルーシ王国だ。
キルーシ王国の中心は当然ながら王都で、その名をキルーイヴと言う。王都キルーイヴの少し南にはアマズーン湾という東西500km、南北200kmほどの大きな湾があり、標高も50m程度だから気候も厳しくはない。
緯度は北緯42度程度だから暑くて困るということもないが、アマズーン湾の更に南は南北の大陸を隔てる狭いところでも1000km以上ある大海だ。その海流と、西に存在する大砂漠が暖かな土地にしてくれているのだろう。
なお、この大砂漠は北端が北緯55度近いという謎の場所だ。そのため東域では、西と隔てるために神々が創った場所ではないか、という説すらあった。
「まあ、色々あってアシャールなどより随分と温暖なんだ。だから、旧様式なんかじゃ暑くて堪らないのさ。どちらかというとカンビーニ王国の建物に近いようだね」
情報局から入った情報の大半を伏せたまま、ベランジェは語り終えた。そして彼は喉が渇いたのかテーブルに置かれたティーカップを手に取り、中身を一気に飲み干した。
更にベランジェは立ち上がる。どうやら彼は、ずっと座っているのに飽きたらしい。
「かなりの数を常駐させているのですか?」
アルベリクは東域に強い興味を感じているらしい。しかし彼は、この場では曖昧な質問だけに留めた。
もう暫くしたら、国王アルフォンス七世が来る。彼は次代のアシャール公爵となるベラントルの誕生を祝いに来るのだが、ベランジェとの密談もする。そこにはアルベリクも加わる予定だから、突っ込んだことは後で聞けば良いのだ。
「ああ。ヤマト王国にも行った情報局員が何名か、それにホリィ君。そうそう、最近はアルバーノも時々行っているよ」
ベランジェは窓際に歩みつつ息子に答えていく。そして窓辺に立った彼は、兄王アルフォンス七世の一行を探しているのか敷地の正門へと顔を向けた。
「アルバーノ殿が? もうすぐ結婚式ですよ?」
驚きの表情となったのは、テオドールだ。彼はベランジェの言葉が信じられなかったようである。
およそ十日で、アルバーノはモカリーナと結婚式を挙げる。そしてテオドールも出席するから、当然彼も承知しているのだ。
「結婚式の花婿なんて飾りだよ。居なくても良い、とまでは言わんがね。
君だって結婚式の五日前だというのに外出しているじゃないか。花嫁のシャンタル君は忙しくて動けないのだろう?」
ベランジェの言葉に、セレスティーヌとアルベリクは声を立てて笑い出す。当のテオドールも気恥ずかしげに頬を染めて微笑んでいる。
「おっ、兄上かな!? 後は兄上が来てからだ! 西と東、きっと国を越えて仲良く出来るさ! レナン君とカール君のようにね!」
弾む声を上げたベランジェは、その声音に相応しい笑顔で振り向いた。そして彼は二人の少年の名を口にする。
西のメリエンヌ王国で生まれた者と、かつて東に存在したベーリンゲン帝国で生まれた者は、アマノ王国という新たな場で手を取り合った。ならば更に東にある国々とも、きっと同じように出来る。ベランジェの一点の曇りもない朗らかな笑顔は、そう語っているかのようだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年10月26日17時の更新となります。




