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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第15章 神の代行者
348/745

15.28 リソルピレンの雪

「おはよう、アミィ!」


「おはようございます」


 寝室から居室に移動したシノブとシャルロットが見たのは、いつも通りお茶の準備をしているアミィの姿だ。今日もアミィはシノブ達より早く起床したらしい。


「おはようございます、シノブ様、シャルロット様、それに皆も!」


 アミィは準備の手を()めて振り向いた。そして彼女は輝く笑顔と共に朝の挨拶をする。


 シノブとシャルロットは二人だけではない。

 岩竜の子ファーヴはシノブの腕の中だ。そして彼の肩には、猫ほどになった岩竜の子オルムルと炎竜の子シュメイが乗っている。

 光翔虎の子フェイニーは、やはり猫ほどに変じシャルロットに抱かれている。

 更に海竜の子リタンが宙を漂い二人の後ろから入室してくる。彼もシノブと共に就寝したのだ。


──シノブさん、自分で歩けますよ──


「良いじゃないか。確かに随分大きくなったけど……」


 腕の中で身を(よじ)るファーヴに、シノブは柔らかな笑みと共に答えた。生後二ヶ月を迎えたファーヴは体長1m程度で体重も大人の女性くらいはあり、そろそろ抱きかかえるには少し無理がある。

 しかしシノブは、ファーヴを離そうとしない。実は彼にとって、現在のファーヴは懐かしさを感じる姿であったからだ。


 シノブが初めてオルムルを見たとき、彼女は生後二ヶ月程度だった。そのため今のファーヴは、当時のオルムルに良く似ているのだ。

 オルムル達は腕輪の力で小さくなるが、それは大人に近くなった体型のまま縮小した姿だ。したがってシノブの肩の上の二頭は、生後間もない幼竜とは異なる精悍な姿だ。

 それに対し、ファーヴは胴体に比べ頭が大きく手足や尻尾は短い。つぶらな瞳で見上げる姿も、初めて会ったときのオルムルのようで実に愛らしい。そのためシノブはファーヴを構いたくなってしまうのだ。


──ファーヴくらいの頃でしたね~──


 オルムルもシノブの内心に気がついているようだ。彼女は感慨深げな思念と共に、シノブの肩の上から弟分を見下ろしている。


「そうだったね。あの時は、こんなに沢山の竜と出会うとは思っていなかったな。それに光翔虎とも……」


 シノブは、ソファーに座る前にファーヴを床に下ろした。名残惜しいが、流石に彼を抱えたままお茶を飲むのは困難だからだ。


──あ、母さま!──


──イジェさんですね!──


 シュメイは母の魔力を感じ取ったようで、シノブの肩から宙に飛び出す。反対側に乗っていたオルムルもだ。二頭はファーヴと同じくらいの大きさになり、窓へと向かっていく。


 オルムルは、成竜の前では子供っぽい振る舞いを避けているようだ。

 竜は一年程度で独り立ちする。その頃の子竜は全長4mほどで成竜の五分の一しかないが、飛翔などの面では他の生物を寄せ付けないだけの力を持つ。そのため彼らは、親から少し離れたところで自活するようになるらしい。

 そして生後八ヶ月少々のオルムルは、いわば独立の入り口に差し掛かっているわけで、大人の目を意識しだしているようだ。


──皆さん、おはようございます──


 炎竜イジェは、魔力で窓を開けると部屋に入ってきた。

 彼女は本来なら全長20mもある巨体だが、今は腕輪の力で人間の大人くらいに変じている。そのため、彼女は窓から入ることが出来るのだ。


──イジェさん、おはようございます~!──


──おはようございます──


 フェイニーとリタンも、シュメイ達に続いて窓際へと飛んでいた。こちらもオルムルと同様にファーヴくらいの大きさだ。一番後に生まれたファーヴは、まだ腕輪を授かっていないから大きさを変えることは出来ない。そのため最近の彼らは、ファーヴに合わせることが多いようだ。

 そのファーヴも、床の上を跳ねるようにしてイジェに向かっていく。最年少の彼は、なるべくオルムル達と同じようにしようと頑張っているらしい。まだ飛ぶことは出来ないが、背中の羽を動かしながら懸命に進む姿は、とても可愛らしい。


「おはよう、イジェ。急に戻ってもらって悪かったね」


 ソファーに座ったシノブは、イジェに声を掛けた。彼女は昨日の夜、西のルシオン海からシェロノワに戻ってきたのだ。

 炎竜イジェは、エリーズ号を旗艦とするメリエンヌ王国西方海軍の艦隊を守護していた。しかし、それを(つがい)のゴルンへと引継ぎシェロノワへと引き返した。これは、ミリィをアルマン王国に派遣したからだ。


「イジェさん、おはようございます!」


「おはようございます」


 お茶を淹れているアミィとシノブの隣に座ったシャルロットも、イジェに笑顔を向ける。

 人間ほどの大きさに変じたとはいえ、部屋の中に魁偉な竜がいれば普通の者は腰を抜かすかもしれない。しかし、彼女達にとってはいつものことである。そのため、シノブを含め三人の顔には温かな笑みが溢れたままだ。


──私も子供達が気にかかっていましたから。それに、私には姿を消しての偵察は出来ませんし──


 イジェは、柔らかな思念をシノブに返した。

 アルマン王国の政変を受け、シノブ達は偵察要員を増やすことにした。そのため、オルムル達の世話をしていたミリィも再びアルマン王国に戻り、ガルゴン王国の海軍を支援していたメイニーやシャンジーもミリィと同様にアルマン王国の偵察に加わった。


 ちなみに、ガルゴン王国海軍には岩竜の長老ヴルムと彼の(つがい)リントが合流した。

 ゴルンを含めた三頭は、先日攻略した旧帝国領の最後の三領で事後処理に協力していたのだが、アルマン王国の急変を受けて呼び寄せたのだ。なお、旧帝国領にはまだ六頭の炎竜が残っており、三頭が抜けても問題ない。


「まあ、適材適所ってことだね」


 シノブはイジェに微笑みかける。

 ホリィ達三羽はアミィが作った魔道具で、光翔虎は生来の能力で姿を消せる。したがって、偵察任務には最適であった。

 そんなわけで、アルマン王国は三羽の金鵄(きんし)族と六頭の光翔虎が探っている。彼らの仕事は、西に行った筈のグレゴマンの捜索や王都アルマックを押さえたマクドロン親子の見張りである。


「そうです。戦を助けていただくのは非常にありがたいですが、オルムル達の方がもっと大切ですから」


 そしてシャルロットも夫に続く。彼女のオルムル達を見る目には、温かな光が宿っている。


 オルムル達も大きくなった。特にオルムル、フェイニー、リタンの三頭は並の魔獣など何頭いても楽々倒す。オルムルとリタンは強力なブレスが使えるし、フェイニーは姿隠しが出来るから、不意を突かれたなどでなければ、相手を瞬殺するだろう。

 それに、シュメイも随分と飛翔やブレスが上手くなった。彼女は親達に見守られながらだが、魔獣を狩ることすら出来る。

 現状で全く戦闘能力を持たないのはファーヴだけだが、この四頭がいれば彼を守りつつ戦うことなど余裕である。


 とはいえ、相手にはベーリンゲン帝国を支えた神が力を貸している。今のところ、どこに潜んでいるかも判然としない神霊あるいはその分霊だが、グレゴマン達を支援しているのは間違いないだろう。

 であれば、オルムル達への守りも重要だ。現在グレゴマンが従えている竜人は、炎竜の血で作り出されたものだから、決して杞憂(きゆう)ではない。もし、彼らがオルムル達に魔手を伸ばしたら。そう考えたシノブは、ミリィを偵察に出す代わりにイジェを呼び戻したのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



──ところで皆さんはどうされるのですか? 私はヨルム殿のところに行こうと思っているのですが──


 暫し歓談した後、イジェがシノブに問いかけた。

 現在、オルムルの母ヨルムとファーヴの母ニーズは、それぞれ自身の棲家(すみか)にいる。狩場を維持しないと魔獣が外に溢れてしまうからだ。特にヨルムの方、フライユ伯爵領の北の高地は竜が結界を造ってくれたから入植できた地である。

 したがって、彼女達は戦に加わることは無く、棲家(すみか)に留まっていることが多かった。別に一日中狩場に張り付いている必要は無いのだか、日に二度ほどは狩場の周囲に魔力を込めた魔獣の骨を撒かなくてはならない。

 そのためヨルムはフライユ伯爵領の北方、ニーズはセランネ村の南西に設けた狩場から離れることは殆どなかった。


「ホリィ達から連絡が来るまでは待ちかな……」


 シノブの下には、定期的に各所からの情報が入ってくる。

 現在、アルマン王国の王都アルマックにはソニアが潜入中で、それをホリィが助けている。そして六頭の光翔虎が主に西を中心にアルマン王国を偵察し、グレゴマンを探している。

 なお、マリィとミリィは状況に応じて双方を支援している。ホリィ、マリィ、ミリィは人の姿に変ずる魔道具を得たから、街での聞き込みも可能となった。したがってマリィとミリィもソニアを助けて王都を探ったり、グレゴマンの仕業らしき西の変事を村人などから聞き取ったりしているのだ。


「そうですね。各国の艦隊からも連絡は来ますし……」


 アミィは、シノブの言葉に頷いた。

 アルマン王国を囲むように展開した各国の艦隊には、攻撃の手を緩めるように伝えている。現状では下手にアルマン王国を追い詰めても、軍務卿ジェリール・マクドロン、現在は総統を名乗る彼を利する可能性が高いからだ。

 こちらは待機に近い状況だから、さほど頻繁に連絡が来るわけでもない。しかし、突然何かが起きるかもしれない。したがって、いつでも対応できるようにしておくべきだろう。


「シノブ、アデレシア殿下を学校に案内しては如何(いかが)でしょう? 彼女もここに閉じこもっているだけでは気詰まりでしょう。それに、貴方も学校を視察すべきかと」


 シャルロットは、アルマン王国の王女アデレシアを伴って学校を視察するようにとシノブに勧める。

 彼女は、真面目なシノブには単に休めと言うより、やるべき何かを提示した方が良いと思ったのだろう。学校の視察を名目としているが、彼女の温かな笑顔からはシノブを案ずる気持ちが伝わってくる。


「そうだね……シャルロットは?」


「もちろん私も行きます。それにミュリエルやセレスティーヌも誘いましょう。これ以上、誤解が広まってはいけませんから」


 シノブの問いに、シャルロットは悪戯っぽい笑顔で応じた。彼女は、シノブがアデレシアだけを伴うと周囲が良からぬ推測をすると思ったようだ。

 シャルロット達も、シノブ達がアルマン王国からアデレシアを連れて脱出したことについて問題視しているわけではない。それに、シノブがアデレシアに同情しているだけだと理解してもいるようだ。

 とはいえ、敵対中のアルマン王国の王女とシノブが親しくなりすぎるのは、様々な意味で不都合であった。状況次第では、現在足並みを揃えて戦っている各国の間に亀裂が入るかもしれないからだ。


 ガルゴン王国は王女エディオラを、カンビーニ王国は公女マリエッタをシノブ達の下に預けている。現在のところ、両国には自国の娘をシノブと婚姻させようという動きはない。

 しかし、それはシノブが望まぬからだ。交戦中のアルマン王国の娘が先を行くなど、彼らにとって許せることではないだろう。


 どうやら、昨日以来シャルロットが気にしているのは、そういうことのようだ。また、セレスティーヌなども同じらしい。


「ああ、そうしてくれると助かるよ」


 シノブは、妻に微笑み返した。そして彼は、シャルロットの手をそっと握る。

 アルマン王国の潜入は、二泊三日の短いものであった。4月12日の午後にアルマックに渡り、脱出したのが14日の昼前だから、滞在は満二日を下回る。しかし僅か二日シャルロットと離れただけでも、シノブの心には大きな空白、寂寥が生じていたのだ。

 それはシャルロットも同じだったのだろう。昨晩以来、彼女も夫の側を離れようとはしない。


「ええ。貴方が戦いに行くのは仕方のないことです……でも、領地にいる間は一緒にいてください」


 シャルロットは、シノブの手を強く握り返す。そんな妻の姿に、シノブは深く反省していた。

 アムテリアから授かった腹帯により、シャルロットの体調は普段通りである。まだ身篭ってから二ヶ月程度ということもあり、彼女を見て懐妊していると思う者は、まずいないだろう。しかし外見や体調はともかく、彼女も初めての経験に色々戸惑うこともあるのではないだろうか。

 シャルロットからは、母となる大きな喜びだけが感じられる。しかし、それは彼女が強い心の持ち主であり、己を厳しく律しているからだろう。そんな彼女に、自分は甘えていなかっただろうか。シノブは、そう思ったのだ。


「シノブ様、今日はシャルロット様と一緒に過ごしましょう!」


──それが良いでしょう──


 アミィの言葉に、炎竜イジェも優しい思念で同意した。

 竜は、よほどのことがなければ産卵から卵が孵るまで(つがい)となった雌雄が離れることはない。したがって、イジェがシノブ達に共に過ごすように勧めるのは当然であった。


──では、北の高地でお待ちしています──


 イジェは再び魔力で窓を開け、庭に飛び出していく。そして、彼女と同じくらいに大きくなったオルムルがファーヴを乗せて続いていく。もちろん、残りの三頭も同じだ。

 イジェ達を見守ったシノブ達も、ソファーから立ち上がる。これから早朝訓練をするのだ。シノブは、いつも通りの朝に顔を綻ばせながら、寄り添う妻をしっかりと抱き寄せた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 フライユ伯爵領軍の最高司令官はシノブで、次席司令官はシャルロットだ。しかし、シノブは東方守護将軍としてベーリンゲン帝国との戦いに関わることが多く、実際に領軍を指揮したことは無い。せいぜい、時折訓練を視察した程度だ。

 そのため今までシャルロットが領軍を率いていたが、彼女も懐妊が明らかになってから軍務から距離を置き始めた。では、領軍を率いているのは第三席司令官のマティアスかというと、彼も帝国との戦いに参加し、現在もシメオンと共にアルマン王国の件に関わるなど留守勝ちだ。

 そこで先日シャルロットは、領都守護隊司令のジュスタン・ジオノを第四席司令官に推薦した。シノブが彼女の意見に反対するわけもなく即日ジオノは第四席司令官に着任し、以後はシャルロットが軍務に関わることはない。


 このようなわけで、現在のシャルロットは穏やかな日々を送っている。彼女は日々の鍛錬を続けてはいるが、料理に加え編み物なども習い始めたらしい。

 だが、元々活動的な彼女である。どうやら、館の中に閉じこもっているだけでは退屈らしい。そこで彼女は、シノブから教わったテニスなどをすることも多いようだ。そのためだろう、テニスはフライユ伯爵領で急速に流行していた。


「学校にもテニスコートを造ったのですね」


 学校の校庭には、シノブとアミィが造ったアムテリアと従属神達の神像がある。そこに転移したシノブが見たのは、テニスに興じる若者達の姿であった。どうやら、授業の一環らしい。

 シノブやアミィ、それにシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌなどは、ラケットを持ちボールを追う男女を暫し眺める。

 今日のシノブとアミィ、それにシャルロットは略装の軍服だ。ミュリエルとセレスティーヌはドレスだが、学校見学ということもあって比較的簡素なものである。そのためか、シノブ達に注意を向ける者は少ない。

 もっとも、この学校では出身階級に関係なく平等に扱うことにしている。それに、シノブも訪問した際には特別扱いしないようにと頼んでいた。そのため、校庭にいる者も意図して自然な態度を心がけているのかもしれない。


「ええ。私も時々やりますよ」


 シノブに応じたのは、先代シュラール公爵リュクペールである。彼がこの北の高地の学校、通称メリエンヌ学園の校長なのだ。

 シノブは自身が造った学校に国名を冠して良いのかと思ったが、どうもこれが一番無難な名前らしい。先代シュラール公爵は先王の弟であり、彼以外にもメリエンヌ王国の文官や軍人などが学校の運営にも関わっている。それに、多額の運営資金も提供してもらった。したがって、事実上の国立学校でもあるからだ。


 ちなみにメリエンヌ王国を始めとする各国に、このような大規模な学校は存在しなかった。

 平民やそれに近い者であれば十歳まで神殿で基礎教育を受け、その後見習いとして現場に入る。一方、一定以上の貴族であれば教育担当の者を家に招き、一定の年齢に達したら親などの下で仕事を学ぶ。そのため大規模な教育機関は存在しなかったのだ。

 なお、学者などは成人後も神殿に残って学んだ者が多い。したがって、敢えて言えば神殿が高等学校なのだが、そういった道に進むのは極めて少数らしい。


「大叔父様が……」


 セレスティーヌが、青い目を見開いて自身の大叔父であるリュクペールを見つめる。彼は当年とって七十歳という高齢だ。セレスティーヌが驚くのも無理はないだろう。


「私もまだまだ運動くらいはしますよ。とはいえ、彼らのようには出来ませんが」


「中々の腕のようじゃの……」


 リュクペールに同意したのは、シャルロットのお付きとして来たマリエッタだ。それに、彼女と並ぶ三人の伯爵令嬢フランチェーラ、ロセレッタ、シエラニアも頷いている。この四人はシャルロットの相手を務めることが多いから、テニスの技量もかなりのものだ。

 なお、彼女達もシノブ達と同じく軍服だ。それも、フライユ伯爵領軍の軍服である。カンビーニ王国の衣装のままでは目立つということもあり、最近では彼女達もメリエンヌ王国の軍装に身を包むことが多い。


「中々、なのですか? あのような動き、私には出来ません」


 アデレシアは、(あき)れたような顔で呟いている。だが、それも無理はないだろう。テニスコートでの応酬は、常人では到底実現できないものであったからだ。


 特に一番手前のコートで打ち合いをしている男女は、高度な身体強化を使っているらしく際立っていた。

 シノブ達に近い方にいる女性が打った球は、素晴らしい速度でネットを越えると大きく斜め下に曲がっていく。しかし一瞬にして追いついた男は、空気を揺るがす剛速球を返す。

 おそらく、その球の速さは地球の超一流プレーヤーの倍以上ではないだろうか。それに、縦横無尽にコートを駆ける二人も、まるで瞬間的に移動しているかのようである。


「おお、『戦乙女の魔球』ですな!」


「こちらは『銀獅子の槍』ですか!」


 興奮を滲ませたリュクペールに続いたのは、セレスティーヌの警護役として同行している女騎士シヴリーヌだ。武術に邁進(まいしん)している彼女だが、スポーツは武術の一種と捉えたのかテニスを楽しんでいるらしい。


「シャルロット……あれって君達が作った技だよね?」


 シノブは、隣に立つ妻に尋ねかけた。

 『戦乙女の魔球』というのは女性が打った変化球で、『銀獅子の槍』というのは打ち返した男の技なのだろう。急激な変化球はシャルロット、ドライブのかかった剛速球はマリエッタが得意とするものなのだ。

 そのためシノブも技自体は見たことがあるし、彼自身もやってみたことがある。しかしシノブは、名前が付いていたとは知らなかったのだ。


「え、ええ。名前はマリエッタ達が付けたのですが……」


 シノブの問いに、シャルロットは苦笑と共に答える。派手な技の名が恥ずかしいのか、彼女の頬は少しばかり赤い。


「アデレシア殿下、あんなことが出来るのは、ごく僅かですよ」


「そうですわ。あの二人はカンビーニ王国の武術大会で好成績を挙げた方々ですわ」


 ミュリエルとセレスティーヌは、アデレシアへと笑いかけた。確かに、コートにいるのは北方では珍しい獅子の獣人と虎の獣人であった。


「そ、そうですか……」


「殿下、おそらく私達なら習得できるかと思いますが、普通の方には無理かと……」


 アデレシアの警護責任者であるアルマン王国の女騎士エメラインが、主に優しく語りかける。

 彼女は、自国が反逆者ジェリール・マクドロンの手に落ちたことは憂えていたが、今の自分に出来るのは王女を守り通すことだけだとも考えたらしい。そのためシノブ達に抗うこともなく、王女の側に静かに控えるのみであった。

 なお、アデレシアの側に控えていた女騎士や侍女も、エメラインと同じであった。彼女達は、マクドロン親子に制圧された王宮から脱出させてくれたシノブ達に深い感謝を(いだ)いているようだ。そのため、自国に残した家族を案ずることはあっても、不満を漏らすことはなかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……さて、一旦中に入りますかな?」


 いつまでもテニスの光景を眺めていても仕方ない。そう思ったのか、リュクペールは魔法の学校の中に入ろうと提案する。

 四月に入り、北の高地もだいぶ暖かくなってきた。とはいえ、じっと立ち尽くしていては少しばかり寒いのも事実である。しかし学校はアムテリアが授けた魔道具で、魔法の家と同様にエアコン完備である。そのため、中には入れば適温なのだ。


「いえ、イジェ達が来ます。

……マリエッタ、イジェ達は君にプレゼントを持ってきたよ」


(わらわ)に? 何じゃろうかの……」


 シノブは少しばかり悪戯っぽい微笑みと共にマリエッタへと語りかけた。

 対するマリエッタは首を傾げつつ応じる。虎の獣人特有の金の地に黒い縞の入った髪を(なび)かせる彼女に、思い当たることは無かったらしい。


「イジェ殿にヨルム殿?」


「磐船の上に何か……」


 シャルロットに続き、ミュリエルが呟いた。

 北の方から飛来する二頭の成竜は、それぞれが磐船を抱えていた。そして磐船の甲板の上には、陽光を反射する何かが乗っている。

 地上からでは判断し難いが、輝く何かは山のように盛り上がっている。しかも(きら)めく何かは随分と多いようで、竜達が後ろ足で(つか)む太い鉄の棒の近くまで達している。


「あれは雪だよ」


「イジェさんとヨルムさんが山の上から持ってきてくれたんですよ」


 シノブとアミィには、竜達の思念が届いていた。したがって、二人だけは何が積まれているか知っていたのだ。


 磐船の甲板に積まれているのは、北の高地より更に高いリソルピレン山脈から取ってきた雪であった。

 リソルピレン山脈はメリエンヌ王国と北のヴォーリ連合国の境界となる大山脈である。人間が越えることが出来るのはベルレアン伯爵領の峠だけで、そこですら標高2000m近い難所である。

 なお、山脈の稜線は殆どの場所で4000mを越える。そのため山頂近くに行けば、四月でも新雪があるのだ。


「ゆ、雪!?」


「ああ。フェイニーが頼んでくれたんだ」


 驚くマリエッタに、シノブは経緯を説明する。

 光翔虎のフェイニーは、マリエッタの祖国カンビーニ王国の大森林に棲む。そして、カンビーニ王家にとって光翔虎は建国王を助けてくれた特別な存在だ。そのため、マリエッタもフェイニーと接することが多かったらしい。

 そして南国で低地ばかりのカンビーニ王国に積雪は稀で、現にマリエッタは雪を見たことがないという。そこでフェイニーは、彼女のために雪を運んでほしいとイジェ達に頼んだのだ。

 一方、元々が遥か北の島や高い山中で暮らす竜達にとって、山頂近くに行くなど何でもない。イジェとヨルムは快諾し、磐船一杯に新雪を積んできたわけだ。


「ほら、行ってごらん」


「アデレシア殿下もどうぞ」


 シノブがマリエッタを押し出すと、シャルロットはアデレシアに微笑みかける。


 既に、磐船は校庭に着陸している。

 校庭には、陸上競技などのために大きく空けた場所がある。二隻の磐船はその中央に降り、甲板から校庭に雪が舞っている。どうやら、イジェ達が魔力で雪を撒いているようだ。イジェとヨルムは降雪も再現しているらしく、一旦磐船の周囲に雪を敷き詰めると上から雪を少しずつ降らせているのだ。


 そして、オルムルやシュメイも親を真似て空を飛びながら雪を撒いていた。

 ちなみに、子竜達で一番上手いのは海竜のリタンである。まだ飛翔できないファーヴを乗せた彼は、大量の雪を回りに浮かべながら、本物の降雪さながらに粉雪を撒き散らしていく。このあたりは、やはり水属性の海竜ならではの技であろう。


「フェイニー殿、イジェ殿、ヨルム殿~! ありがとうなのじゃ~!」


──マリエッタさ~ん! 一緒に雪だるまを作りましょう~!──


 突然出現した雪原にマリエッタが駆け出していくと、人間ほどの大きさに変じたフェイニーが彼女の隣に舞い降りた。そして虎の獣人の少女と光り輝く虎は、新雪同様の柔らかな雪の中に並んで駆けていった。


「殿下、私達も行きましょう!」


「ええ! 殿下は雪を見るのは初めてですの?」


 ミュリエルとセレスティーヌはアデレシアへと手を伸ばす。

 二人は突然の政変に見舞われたアデレシアを気遣っているのだろう。どちらも昨日会ったばかりの相手に向けるとは思えない優しい笑顔で、アルマン王国の王女を誘っている。


「あ、アルマックにも雪が降ることはあります……あ、あの! 私のことは、アデレシアと呼んで下さい! お願いします!」


 アデレシアは、そう言うと勢い良く頭を下げた。彼女の青い瞳には、涙が滲んでいたようだ。王女の動きに合わせて長い赤毛が揺れるのと同時に、微かな(きら)めきが周囲に散る。


「ええ、アデレシアさん。さあ、行きましょう!」


「あ、手袋を! フランチェーラさん、マリエッタさんにも渡してください!」


 駆け出そうとした三人を、アミィが呼びとめる。そして彼女は、魔法のカバンから沢山の手袋を取り出した。これは魔法の装備などではなく、メリエンヌ王国の冬季装備の一つである。


「そうだね……皆も遠慮しないで! さあ、雪遊びだ!」


 アミィに頷いたシノブは、周囲の学生達にも声を掛けた。周囲の者も舞い降りた竜達に、そして彼らが撒く雪に注目していたのだ。

 学生達も、殆どが三月末か四月に入ってから来た者ばかりだ。したがって、雪を初めて見る者もいるのだろう。シノブの言葉を聞いた彼らは、歓声を上げて走り出す。


「さあ、シャルロット」


「ええ」


 シノブはシャルロットに手を差し出した。もちろん、二人も手袋を()めている。

 今は西の騒動を忘れよう。落ち着いて待つのも大切なことだ。それに、妻や家族を安心させることも。そんな思いが通じたのか、シャルロットも温かな笑顔をシノブに向けている。


 そして二人はゆっくりと歩み出した。もちろん、その隣にはアミィがいる。

 竜達と光翔虎、それを囲む様々な種族の人々。彼らはメリエンヌ王国だけではなく、多くの国から集まった者達だ。カンビーニ王国、ガルゴン王国など南方の同盟国。そしてヴォーリ連合国から来たドワーフ達。それに、数は少ないがデルフィナ共和国から来たエルフもいるようだ。

 今、そこにアデレシア達アルマン王国の人々が加わった。雪遊びに言葉など要らない。もちろん国籍も種族も関係ない。そのため彼女達は、多種多様な者達の輪に自然と入っていた。

 シノブは、眼前の光景を恒久的なものにしたいと感じていた。アルマン王国の人々に真実を示し、そして他国と共存させる。そんな未来を夢見つつ、シノブは最愛の妻と最も信頼する従者を連れて、白く(まぶ)しい輝きの中に入っていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年2月13日17時の更新となります。


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