15.27 亡国の王女
「王女を逃がしましたか……」
午後遅く、『金剛宮』の大宮殿にやってきたウェズリードは、僅かに眉を顰めつつ父のジェリール・マクドロンに語りかけた。
ここは国王の御座所、要するに執務室だ。しかし今は本来の主の姿は無く、軍務卿ジェリールと入室したウェズリードがいるのみであった。
「脱出を手伝った者がいたらしい。強力な魔術を使ったというから、あのシノブという男ではないか?」
窓の外を眺めていたジェリールは陰鬱な顔を息子に向け、重々しい声音で応じる。
ジェリールの姿からは、ほんの数時間前に閣議の間で演説した時のような力強さや、見事反逆を成功させた人物らしい喜びは感じられない。彼は冷静で、敢えて言えば泰然自若とでもいうべき落ち着きを伴っているが、その暗い表情のせいか何となく近寄り難さが感じられる。
「どうするのです?」
「お前を王とするのは難しくなったな……王太子夫妻を傀儡とする。国王達で数は足りているから、グレゴマンにはそれで勘弁してもらおう」
ウェズリードの問いに、ジェリールは静かに答えた。
ジェリールは息子を国王にするつもりだったらしい。ジェリールの母は先王の妹で、彼らには王家の血も流れている。だが、母や祖母が王族というだけでは不十分なようだ。
そこでウェズリードと王女アデレシアを結婚させようとしたのだろうが、王女は十四歳で未成年だ。したがって当面は婚約者だが、そこまで体裁を整えれば王を名乗っても良いと考えたらしい。
しかしアデレシアはシノブ達と共に『金剛宮』から脱出した。そのため彼らの計画は、少しばかり修正することになったようだ。
「当面は、私が政務を預かる。既に私以外の閣僚は投獄した」
「王位は?」
淡々と語る父親に、ウェズリードは更なる問いかけをする。王女の件以外は予定通りなのだろう、彼も表情は平静なままだ。父に似た青い瞳も冷たく光るのみで、動揺などない。
「暫くは空位だ……総統という地位を設け、私が就く」
「総てを統べる者……ですか」
父の言葉に何かを感じたのか、ウェズリードは口を閉ざした。そして彼は、自身と良く似たジェリールの顔を静かに窺う。
「そうだ。王など神が与えた加護を振りかざすだけの存在。神の代わりを務める……そう、代行者に過ぎん。そのような存在は、不要なのだ。自らの力で総てを変え、人々を統べる。それが……」
「新たな時代の指導者に相応しい、ですか」
ウェズリードは、黙りこんだジェリールに代わり言葉を紡ぐ。
彼の言葉が、ジェリールの意思に添ったものだったかどうか。それはわからない。何故ならジェリールの表情は動かず、無言のままだったからだ。
「……街の様子はどうだ?」
代わりに軍務卿……いや、総統ジェリール・マクドロンの口から出たのは、王都アルマックの状況を問う言葉であった。ジェリールが『金剛宮』を制圧する間、ウェズリードは王都の掌握に努めていたのだ。
「問題ありません。民は我らを歓呼の声で迎えてくれました。母上の件を始めとした噂が効いたようです。
それに、黙って他国にやられるのか、という者も多かったようです。手の者が、ドワーフの隷属など敵国の扇動だ、と誘導したのも大きいようですが。
早々に軍使を送ったのも、王家が弱腰だと主張するのに都合が良かったですよ。あれが決め手だったかもしれませんね」
ウェズリードは、父と似た細面に皮肉げな笑みを浮かべつつ王都の状況を話し出す。
王都アルマックでは、彼の母、つまりジェリールの妻ナディリアが高位王族を治癒した末に命を落としたという噂は有名であった。
閣議の間でのやり取りからすると、それは国王ジェドラーズ五世を助けるためのものだったらしいが、そこまで明確なことは公になってはいない。だが、そのような曖昧な状況が、民の疑惑を余計に強めたようだ。
王族のために命を差し出した悲劇の女性ナディリアと、事態を明らかにしない王家。それでも国のために尽くす軍務卿親子という構図は、民の心に王家への隔意を生み出したのだろう。
もっとも、ウェズリードの口振りからすると、彼や手の者が様々な情報操作を行ったらしい。
ドワーフ達の隷属や偽装商船の暗躍は、シノブ達の策により民衆にも伝わった。しかしウェズリード達は、それらを敵の工作による根拠の無いものとしたようだ。
そのため街の者達は王家を弱腰で保身を図るだけと見放し、自国の独立を堅持するという軍務卿達を支持したのだろう。
「軍使か……マクリンズが戻ってきたようだが?」
ジェリールにも、軍本部から定期的に報告が寄せられている。そのため、彼は軍使であるマクリンズ次官が帰還したことを知っていたらしい。
「全員拘束しました。ですが、カティートン達の隷属は露見したようですね。彼らはメリエンヌ王国側に捕らえられたようです」
「ならば良い。所詮カティートン達は時間稼ぎだ。それに『隷属の首飾り』は、まだ充分にある」
マクドロン親子は、カティートン司令などが捕まることも計算に入れていたようだ。そのため、報告するウェズリードと答えたジェリールの双方に動揺は見られない。
「王族達には?」
「既に隷属させた。王太子夫妻は傀儡とする。それに、国王達も逃がすわけにはいかん」
ジェリールは、先々王太子を王位に就けるのであろうか。隷属の魔道具で支配しておけば、どのようにでも操れる。それなら、敢えて王を廃する必要はないのかもしれない。
その一方で現国王や先王、そして二人の王妃には別の目的があるらしい。彼は、この四人をグレゴマンの下に送るらしいが、何れも優秀な魔術師だ。そこで、魔術を封じるためにも『隷属の首飾り』を着けたようだ。
「後は相手がどう出るか、ですね」
「シノブという男は、随分甘いらしい。あの男は邪神や禁忌を行う者を打ち倒せても、罪のない民衆相手には手も鈍ろう。
おそらく、奴はグレゴマンを狙うだろう。あれさえ倒せば、我らが降ると考えてな。そこが狙い目だ。だから……」
ジェリールの陰々滅々とした声は、段々と低くなっていく。彼は息子に顔を寄せて何事かを伝えるが、それはウェズリードにも辛うじて聞こえるか、といった囁き声だ。
しかしウェズリードには、父の言葉が充分に届いているようだ。彼は時折頷き、次第に酷薄そうな笑みが顔に広がっていく。
午後も遅い時間であり、執務室の窓からは赤い光が差し込んでくる。そのため、マクドロン親子の顔は血塗られたかのような真紅に染まっていた。
鮮血に似た色は禍事を語る彼らに似合っていた。それを指摘する者はこの部屋にはいないが、仮に誰かが言ったとして二人は平然と受け入れただろう。おそらく父のジェリールは静かに黙したまま、息子のウェズリードは喜びと共に。そんな芯の強さが彼らからは感じられる。
彼らがどんな策を講ずるのか、それは定かではない。しかし、それは二人にとって充分な勝算があるものらしい。それを示すかのように、密談を終え部屋から出て行く二人の足取りは揺らぎのないものであった。
◆ ◆ ◆ ◆
一方、こちらはほぼ同時刻のシェロノワだ。場所は、シノブの執務室である。
今、ソファーにはシノブとアミィが並んで座り、その向かいには二人の貴人が腰掛けている。向かいの二人は、先代アシャール公爵にして東方守護副将軍であるベランジェと、彼の義弟でシノブの義父であるベルレアン伯爵コルネーユだ。
「ふ~む。アルマン王国の政変ねぇ……」
「民衆も同調しているのであれば、手を出しにくいですね」
ベランジェの緊張感の無い言葉に続いたのは、隣に座ったコルネーユである。現在、旧帝国領は安定している。そこでシノブは、二人をシェロノワに招き意見を聞くことにしたのだ。
「はい。ソニアやホリィによると、王都アルマックで軍務卿を非難する者は殆どいないそうです」
シノブは、ソニアやホリィの伝えてきたことを、向かい側のベランジェ達に語っていく。
アルマックの街に潜入していたソニアは、そのまま向こうに残っている。王都は暴動などが起きることもなく住民達も普段同様に生活しているという。そのためソニアは、引き続き一旅行者として偵察を続けることとなった。
そして今、ホリィはソニアと共にいる。ソニアのことを案じたシノブが、ホリィを合流させたのだ。
「軍務卿の妻が王族のために命を投じた話は、街では有名らしいです。それと、他国からの言い分を真に受けて軍使を送ったのも不満みたいです。軍人を中心に、ドワーフの隷属など嘘だという声も多いようで……」
通信筒をソニアやホリィとやり取りしていたのはアミィだ。そのため、彼女がシノブの言葉を補足する。
一方、それを聞く者達の表情は芳しくない。シノブの執務室に集っているのは、主のシノブに第一の従者であるアミィ、そして先ほど発言した二人と他数名である。
シノブは王女アデレシアをシャルロット達女性陣に預けた。したがってアミィ以外、ここにいるのは男だけであった。ちなみに、他にいるのは家令のジェルヴェ、それにシノブと共に『金剛宮』から脱出したアルバーノとファルージュくらいである。
「軍務卿達が都合の良い情報を流しているんだろうねぇ……」
「ええ。軍人を中心に同調者が多いというのは自然ですが、この状況では作為を疑うべきでしょう」
ソファーに腰掛けたベランジェが天井を仰ぐと、コルネーユがそれに応じた。
コルネーユの意見に明確な根拠は無い。しかし軍務卿が反乱した今となっては、彼に都合の良い状況が黙って転がり込んだと思う者はいないのだろう。
「閣下、民の誤解を解くべきでは!?」
「カティートン司令達と『隷属の首飾り』の件は、伝えるつもりだよ。やらないよりはマシ、という程度だろうけど……」
シノブは勢い込むファルージュに顔を向け、穏やかに答える。
シメオン達が調べた結果、軍使を乗せてきた艦隊には、もう一人『隷属の首飾り』を着けた者がいた。それは、艦隊の副司令である。
この二人は隷属を解いた後、治療のためメリエンヌ王国の軍艦に残っている。それに『隷属の首飾り』自体も確保した。
カティートン達が意識を取り戻したのは今日の昼になってからで、現在のところ多くを聞き取れていない。しかし『隷属の首飾り』を与えたのは軍務卿だと判明しており、シノブも前回と同じく杭に記してアルマン王国に伝えるつもりではあった。
「お館様のお言葉通り、誤解を解くのは難しいでしょう。誰しも、同国人の言葉を信じたいですから。仮に彼らを納得させるなら、そのカティートンという者達を送り込み説明させるくらいでしょうが……」
ジェルヴェは、途中まで語りかけたが、そこで口を濁す。
証人達を得たものの、アルマン王国で真実を語らせるのは困難だ。普通に艦隊で運ぶならアルマン王国の艦船を撃破してからとなるし、転移などで連れていっても突然現れた彼らが信用されるだろうか。
他国の者が主導してカティートン達に証言させても、アルマン王国からすれば強制と映るだろう。これだけ軍務卿達が民の心を掴んでいるのなら、そうなる可能性は充分にある。
「ここは、例の王女様にお願いするのが良いのではないかね?」
「アデレシア殿下でしたか……シノブ、彼女は協力してくれるのだろうか?」
ベランジェとコルネーユは、自国の王女の言葉なら民衆も耳を傾けるのでは、と考えたようだ。確かに、それなら聞き入れる可能性は、まだあるだろう。
「今のところは何とも。まだ、状況も充分に把握していないと思いますし……シャルロット達から多少は伝えているとは思いますが……」
二人の視線を受けたシノブは、歯切れの悪い口調で答えた。
シノブはアデレシアに対し、自分達の正体と、ここがメリエンヌ王国のフライユ伯爵領であることしか伝えていない。
シノブやアミィは各地にアルマックの政変を伝えなくてはならなかったし、折り返しての問い合わせも多数あった。そのため、王女の世話はシャルロット達に任せ切りである。
「王女様は、そのウェズリードという男を嫌いなんだろう? だったら大丈夫さ!」
ベランジェは、王女の説得に不安を感じていないようだ。
アデレシアをウェズリードの妻にという話があったが、その縁談を彼女は嫌がっていた。それを聞いたベランジェは、王女を味方に付けるのは容易だと考えたらしい。
「しかし、国を見捨てて外国に逃亡した王女などと、向こうも噂を流すだろう。そうなれば……」
コルネーユは、綺麗に刈りそろえた髭に手を当てながら呟いた。
彼もアデレシアの力を借りること自体には賛成のようだ。しかし、他国に逃げ出した王女が舞い戻ってきても、どれだけの支持を得られるか不安に思ったらしい。
「そうだねぇ……シノブ君、軍務卿がアルマン王国の民に対し酷いことをしているとか、こっちに都合の良い情報は無いかね?
悪逆非道な彼らだが、民を守る強い指導者であるのも確かなようだ。街の者も、会ったこともないドワーフより日々の暮らしが大切だろう。偽装商船だって貿易の保護だから、民からすれば一概に悪だとは言えないしね。それに高官達の隷属など、民には関係ない雲の上のことだろうね。
だが、民衆に手出しをしていれば軍務卿の人気も地に落ちる……でっち上げても良いけど、それだと弱いしねぇ……」
ベランジェは、身も蓋も無いことを言い出す。しかし、彼の言葉にはそれなりの説得力があるのも事実であった。
確かに、軍務卿の行動は他国からすれば許し難い。それに、神々が禁忌としたことに反しているのも間違いない。
とはいえアルマン王国の民にとってはどうだろうか。軍務卿達はドワーフ達を連れて来て技術向上を実現し、手段はともかく貿易振興に努めた。たぶん、それらによって潤った者も多いだろう。
何より、ベランジェが言うようにアルマン王国の民には不都合が生じていない。ベーリンゲン帝国のように自国民を圧政で苦しめたり竜人に変えたりということはないため、民から反発を受ける要因も殆ど存在しないのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブは、ぶつぶつと呟くベランジェを苦笑と共に眺めていた。しかし彼は、とあることを思い出しアルバーノに目を向ける。
「アルバーノ、グレゴマンが西で……」
「はい! 副将軍閣下、ジェリールと息子のウェズリードは、西で大勢の死者が出たと噂していました! どうもグレゴマンの仕業らしいです! 少なくとも彼らはそう考えているようでした!」
シノブに促されたアルバーノは、彼には珍しく勢い込んだ様子で説明を始める。
アルバーノが軍務卿の執務室に侵入したときに、ジェリール達は西の寒村で吸血鬼が出たと語っていた。実際には何があったか不明らしいが、どうも大勢が死に行方不明者も多いのだという。
この噂話をウェズリードが持ち出したとき、グレゴマンの仕業かもしれないが見逃しておけ、とジェリールは答えた。したがって、彼らが自国民の命をグレゴマンに差し出したとも言える。少なくとも、怪しいと思いつつ見逃したのは事実であり、それは国の軍権を預かる者のすることではないだろう。
「そうかね! グレゴマンは軍務卿の下の魔術局長だったね! ならば軍務卿の指示でグレゴマンが動いたとか言い立てることは出来るね! シノブ君、これは良いぞ!」
嬉しげな笑顔になったベランジェは、ソファーから腰を浮かしてアルバーノに体を向ける。彼は事実かどうかはともかく、この件を利用してアルマン王国の民の心を動かそうと決めたらしい。
「義伯父上……でも、確かにそうですね。それに、西の村人達のことは気になっていたのです」
一旦は苦笑したシノブだが、真顔になってベランジェに頷いた。
シノブはホリィやマリィ、それに四頭の光翔虎に西の調査を頼んでいた。彼らによれば、西の村で多くの死者や行方不明者が出たのは事実らしい。残念ながら、今のところグレゴマン達や何らかの変事と遭遇したわけではなかったが、アルマン王国の西方に不審な動きがあるのは確かなようである。
「シノブ、まずはその線で行こう。我々もアルマン王国を叩き潰したいわけではない。そのようなことをすれば、長く恨まれるだろうからね。
ベーリンゲン帝国の場合は奴隷解放という大義があったし、彼らの圧政が明らかだった。しかし、アルマン王国からは救い出すべき者を救い出した。彼らが愚行の末に国を滅ぼすのは自業自得だが、現状では兵士に命を懸けて戦わせる理由は、それほど無い」
コルネーユが言うのは事実であった。実はメリエンヌ王国の貴族、特に文官からは戦は程々に、という声があったのだ。
アルマン王国との戦いには、メリエンヌ王国、ヴォーリ連合国、ガルゴン王国、カンビーニ王国の四カ国が参加している。正確には、ヴォーリ連合国の艦隊にはデルフィナ共和国のエルフ達が同乗しているが、国家として宣戦布告をしたのはこの四カ国だ。
そして、シノブがいることもありメリエンヌ王国が中心となってはいるが、メリエンヌ王国全体の戦意はさほど高くはなかった。何故なら、メリエンヌ王国には実害が発生していなかったからだ。
「確かに、ドワーフさん達やガルゴン王国の方達は、怒っていますが……」
アミィも、コルネーユの指摘に頷いた。
ヴォーリ連合国は百数十名のドワーフ、つまり自国民が誘拐され奴隷となっていたのだから、当然ながら怒りは激しい。幸いにも全員無事に救い出せたが、それで済ますというものでもないだろう。
そして、数多くの商船団を沈められたガルゴン王国の怒りも並々ならぬものだ。こちらは死者も出ているのだから、当然である。また、カンビーニ王国も一船団だけだが沈められており、彼らも黙って引き下がるつもりはないだろう。
「そうだねぇ……ヴォーリ連合国やガルゴン王国には復讐という名目があるけどねぇ……かといって、彼らもアルマン王国の全てを焼き尽くすつもりは無いだろうからね」
ベランジェが言うように、三国も相手の国を叩き潰すまで徹底的に戦うつもりは無いだろう。しかし、現状では、どこで決着すべきか不明瞭なままだ。
今までシノブ達は、隷属に関わった軍務卿などの引き渡しと一定の賠償を落とし所として考えていた。だが、これはアルマン王国の首脳陣が隷属に関与していない場合であり、軍務卿が国を握った今、彼を引き渡せという要求に応じるわけがない。そのため、徹底抗戦となる可能性は高かった。
「わかりました。彼らの尻尾を掴みましょう。アルマン王国全てを敵に回したくはありません」
「神々の御紋を翳せば片付くものでも無さそうだしねぇ。あまりの神々しさに平伏すかもしれないが、君は聖人として君臨するのは嫌なのだろう?」
真顔で宣言したシノブに、ベランジェは悪戯っぽい口調で応じた。彼は、それも最後の手段と思っているのか、表情や声音には冗談らしさを漂わせているが緑の瞳だけは笑ってはいなかった。
「はい……」
シノブは、神やそれに連なる者の言葉で人々を動かすことには疑問を感じていた。
もちろん、最後の最後はそれしかないだろう。しかし安易に頼ってばかりでは、永遠に神から自立できないとシノブは思っていた。
アムテリアは地上のことは地上の者達に任せる方針らしい。神々は知性のある存在を育て上げ、彼らに自立させるのを最終的な目的としているようだ。そのため神々は、可能な限り介入を避けているらしい。
おそらくアムテリアや従属神達も、アルマン王国に隷属の魔道具があると知ったときに、彼の国を調査しただろう。であれば、カティートン司令などのことはシノブ達より先に察知したのではないか。
だが神々はシノブ達に何も教えず、アルマン王国の人々にも神託を与えない。これは地上の者での解決を望んでいるからではないか。
ならば自分も神具の威光で人々を従えるのではなく、地上の者として物事に当たり彼らを納得させるべきだ。シノブは、そう考えたのだ。
「それなら、ただの人として頑張ることだね。まあ、我々も協力するから、安心したまえ!」
「そうだよ。息子を助けるのは父の役目だからね」
ベランジェが朗らかな笑みと共に語ると、コルネーユも温かな言葉で続く。
おそらく、ベランジェはシノブの内心をかなりのところまで察しているのだろう。その上で彼は、人として生きることを勧めているのではないか。
コルネーユはシノブの真の来歴すら知っているが、それでも単なる息子として接していた。彼らが最高神として崇めるアムテリアからシノブは我が子と呼ばれており、普通なら遠慮や戸惑いを覚えても不思議ではない。しかし彼はシノブに対し、以前と変わらず実の息子のように自然な態度で接している。
「はい! ありがとうございます、義伯父上、義父上!」
シノブは、晴れやかな顔で二人に礼を伝えた。
人は人らしく生きるべきだ。そう願っているから、シノブは隷属というものに反発した。そして、シノブは自身も人らしく生きたかった。神の眷属よりも大きな力を持つシノブだが、その力を振るうことには未だ躊躇があった。自身が絶対者として君臨し、新たな圧政者になるのが怖かったのだ。
だが、彼らと共に歩めば、その心配は無い。そんな思い故であろう、夕日に照らされたシノブの顔には、憂いの欠片も存在しなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
ベランジェ達との相談を終えたシノブは、シャルロット達の待つサロンに移動した。アミィはベランジェとコルネーユを旧帝国領に送るため、二人と共に神殿に向かっているから、彼一人だけだ。
しかしシノブは、アミィと別行動したことを激しく後悔することになる。
「シノブ様、ご結婚されていたのですね……それに、婚約者がお二人も……」
サロンに入ったシノブが見たのは、悲しげなアデレシアと、それを囲む女性達、シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌの姿であった。しかも、シャルロット達も一様に表情が暗い。
なお、アデレシアの警護役の女騎士エメラインや共に来た侍女の一部もサロンにはいるし、シャルロット達の侍女や側付きもいるが、そちらからもシノブを責めるような気配が漂っている。
「……はい」
事情を察したシノブは、静かに頷いた。
正確には、シノブはセレスティーヌを婚約者としたわけではない。しかし、それを言う状況でもなかろう。そのためシノブは、アデレシアの間違いを訂正しなかった。彼は口を閉ざしたまま、ソファーに座るアデレシアの前に歩んでいく。
「シノブ様は、アルマン王国を探りに来ただけなのですね?」
アデレシアは、青い瞳に涙を浮かべながら、前に立ったシノブを見上げていた。
彼女は、シノブ達の演奏を非常に楽しんでいた。もちろん、王女と単なる楽士達である。そこには恋愛感情などなかっただろう。ただ、好みの音楽を奏で歌うシノブ達に常よりも興味を示し親しみを感じただけに違いない。
しかしマクドロン親子の反逆により、アデレシアの境遇は大きく変じ、心も激しく揺れることとなる。
ジェリールとウェズリードの反乱はアデレシアにとって強い衝撃だっただろうが、それは元々嫌っていた彼らからの解放でもあった。ウェズリードとの結婚を望まぬアデレシアにとって、彼らの魔手から逃してくれたシノブは救世主のようにすら見えたかもしれない。
そして、シノブは異国の伯爵であった。エウレア地方では王女が外国に嫁ぐことは、まずありえない。しかし、楽士に嫁ぐよりは可能性があるのではないだろうか。まだ十四歳の乙女であるアデレシアが、そんな希望を抱いても無理はないだろう。
「はい。私は、アルマン王家の方々が隷属に手を出しているかどうか、それを知りたかったのです。軍務卿達だけの暴走であれば、和解の道はあると考えたのです」
「私達は、禁忌に手を染めていません!」
シノブの言葉に、アデレシアは強く反駁した。よほど心外だったのだろう、彼女は立ち上がり、その勢いで涙が零れ落ちる。
「ええ、それはわかっています。皆さんとお話して、王家の方々が禁忌に手を出していないと私は確信しました。殿下……私はアルマン王家の方々となら友人になれると思っていたのです」
シノブは、僅かな差で軍務卿のクーデターを許したことを残念に思っていた。
仮に、自分達がアルマン王国の王族達に正体を打ち明け、彼らと腹蔵なく話していれば事態が変わったかもしれない。彼は、そう思っていたのだ。
もちろん、そんな簡単な話ではないだろう。アルマン王国の王族達がメリエンヌ王国と和解すると言い出せば、それを理由に軍務卿は反逆したかもしれない。しかしシノブは、何とかする方法があったのでは、と思わざるを得なかった。
「お友達に……?」
「ええ。友人として同じ道を歩む。できれば、そうしたかった……」
自身を見つめる少女に、シノブは静かに頷いてみせた。そして、そのまま二人は暫し見つめ合う。
「シノブ様! でしたら、私をお友達にしてください! まずは、そこからです!」
「喜んで……」
シノブは、意気込む王女の言葉に少しばかりの不安を感じていた。彼女が言う友とは、シノブが考えているものとは異なるような気がしたのだ。
しかし、まさかこの流れで断ることは出来ないだろう。そう思ったシノブは、彼女に右手を差し出した。
「シノブ……」
「……アデレシア殿下、私ともお友達になってくださいね?」
「ええ、私とも……殿下とは良いお友達になりたいですわ」
どこかシノブを責めるような表情のシャルロットに、ミュリエルとセレスティーヌが意味ありげな口調で続く。三人とも、反逆により国を出ることとなったアデレシアには強く同情しているらしい。とはいえ、シノブの側に突如出現した妙齢の女性に対し、無心に接することは出来ないのだろう。
「はい! お願いします!」
アデレシアは、そんな三人の内心には気がつかなかったらしい。彼女は、シノブの手をしっかりと握ったまま笑顔で応える。
シノブは明るさを取り戻したアデレシアの姿に微笑みかけたが、それを抑える。ここで妙な反応をしたら、どう転ぶかと不安に思ったのだ。
どうやら自分にとっては、長く辛い夕方となるようだ。アミィが早く帰ってくるようにと願ったシノブは、女性達に気付かれないようにそっと視線を窓へと向ける。しかし返ってきたのは、差し込む夕日だけである。
赤く染まった光は、庭の噴水にでも反射しているのか揺れるように煌めいている。それは、困って立ち尽くすシノブの姿を笑っているかのようであった。シノブは自身を囲む女性達のやり取りを聞きながら、踊るように揺らめく光を見るともなく見つめていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年2月11日17時の更新となります。




