第六十四話 海の青さを瞳に映して
地平線まで濃い青が広がっている。
青い波の周期に合わせ、甲板が揺れる。
比較的、穏やかな航海と言って良いだろう。
穏やかな空気が和也達の周りに漂っている。
そんな穏やかな空気が、突然引き裂かれた。
「ウッ、ウエエエエエッ」
ライサンが盛大に吐瀉物を海に巻き散らした。
「ちょっ、大丈夫!?」
優斗がそう言って、ライサンの背中を優しく擦る。
和也も慌ててライサンに駆け寄り、神意をライサンに行使した。
ライサンは「ありがとう」と言って、船の縁に背中を預け、ぐったりと座り込む。
神意での回復は一時しのぎだ。
時がたてば、船酔いがまたライサンを襲うだろう。
さっきから、この作業を繰り返している。
和也はライサンを心配しつつも、空を見上げ一人呟く。
「どうしてこうなったかねえ……」
本日は快晴。澄みきった青が空に広がっている。
そこへ、イグサが木造の甲板を踏みしめながら、和也達に近付いてきた。
「カズヤさん達、ご苦労様です」
「どうもお疲れ様です。イグサさん、あとどれぐらいで目的地に着きますか?」
この船が出航してから丸一日が経過している。
聞けば、海棲族が居住するアスター島、その近海に、大海の怪物が現れたと言う。
海棲族は海に出て狩りをすることを生業とする者達。
クラーケンの出現は、海棲族にとっては死活問題。
その為、海棲族は鬼人族に怪物退治を要請。
そこまでは分かるのだが、何故、俺達が怪物退治の役目を負っているのだろう。
別に文句がある訳ではない。今の自分には力がある。
自分の力で救える命があるのなら、そうするべきだ。
単純に疑問だったのだ。
謁見の間で大王との戦闘開始直前、突如として聞こえた急報。
その急報を聞いた後、大王は和也達に命じた。
小僧、生意気だが、儂に喧嘩を売ってきた度胸は買っちゃる。
だがな、軍の派遣を止めることは出来ん。それだけはな。
その代わりと言っては何だが、この国に滞在することを許す。
好きなだけこの国で、色々と試したらええ。
それが最大の譲歩じゃ。
そして大王は一つだけ条件を付けた。
大海の怪物退治に同行し、成果を上げること。
それが、和也達が今ここに居る理由だ。
疑問には思ったが、和也は大王に感謝した。
結局のところ、軍の派遣を止めることは出来なかったが、国のトップから、この国で好き勝手に活動できるお墨付きを貰った、と和也は理解している。
勿論、この任務が上手く行けばだが。
謁見の間での出来事。
生きるか死ぬか、命を賭けた大博打をした。
自分の命だけではない。仲間の命すらも賭けた。
自分でも無茶をしたと思う。優斗、ライサン、イグサには、心の底から謝った。
三人共、呆れていたが、なんだかんだで許してくれた。器の大きい者達だ。
そして、それは大王にも言える。
国家の元首に牙を剥いたのだ、許される筈はないと思っていた。
許されなくても良いから、争いが止まれば良いと思ったのだ。
結果はこの通りで、まだ争いを止められる可能性は僅かに残ってるし、何よりこうして生きている。
賭けには勝ってはいないが、負けてもいない。
これから勝ちを手繰り寄せるのだ。
イグサが手元の資料を見ながら、和也の質問に答えた。
「そうですね、クラーケンが現れた海域までは、あと半日と言ったところでしょうか」
あと半日、か。
その海域まで辿り着いたとしても、当然ながらクラーケンと接触できるかは別問題。
場合によっては何日も捜索する必要があるだろう。
焦っても仕方がないと頭では分かってはいても、心が言う事を聞いてくれない。
こうしている間にも、軍の編成が進んでいる。一日でも早く戻らなければ。
心を落ち着かせる為、甲板から海を眺めた。
海の色は深く濃い青。その色の濃さから、海の底の深さが読み取れる。
生緩い風が頬を撫でた。
その風を推進力に、船が進む。
この船は、ジェノ海洋国家連合軍が所有する巨大な帆船。
五つの帆船が隊を組み、海を行く。
和也達はその船の一つ、信念と名前が付けられた船に乗船している。
他の四つの船は、希望、幸福、自由、慈悲と、それぞれ名が付いているようだ。
甲板上では、鬼人族の兵士と海棲族が慌ただしく動いている。
風を読む者、進路を確認する者、マストを調整する者、様々だ。
和也達には何も出来ることがないので、少し居心地が悪い。
何か手伝えるならそうしたいが、素人がしゃしゃり出ては、却って邪魔をしてしまうだろう。
和也は、忙しなく働く海棲族の一人に目を留めた。
海棲族の特徴は、薄水色の肌と耳の先が魚のヒレのようになっていることだ。
泳ぎが得意な者達で、水中でも呼吸をすることが出来るらしい。
それらは特徴的ではあるが、それらを除けば、外見的には人とあまり変わらない。
それが和也の感想である。
並走する希望から、何事か騒いでいる声が聞こえた。
和也は、その方向に目を向けたが、この距離では何が起きているのかは分からない。
声もハッキリとは聞き取れないが、船の異常や怪我人が出たというような、深刻な雰囲気ではなさそうだ。
何だろう?
少し気になったが、ここからではどうすることも出来ないので、今後の自分の行動について考えを巡らすことにした。
優斗は船の手摺に手を乗せて、海を眺めた。
瞳に深い青を映し、そのまま視線を固定する。
しばらく海を見ることに集中していたが、やがて、その集中が途切れた。
エイナ、大丈夫かな。
こんな事態になっても、心の片隅から離れることはない。
瞳に海を映したまま、心は思考の海を漂う。
ソルランド王国での彼女の働きぶりには、目を見張るものがある。
頑張り屋なエイナのことだ、今日も今日とて、朝から晩まで身を粉にして働いているに違いない。
自分を酷使して、身体を壊さなければ良いが。
例のストーカーのことも心配だ。
改心したと言っていたが、どうも信用できない。
これは自分の気にしすぎだろうか。どうなんだろう。
だけど、あのストーカーのことは置いておくとしても、第二第三のストーカーが現れないとも限らない。
エイナは誰にでも親切で、誰にでも優しい。
だから、勘違いさせてしまうのだ。
おまけに美人とくれば、寄ってくる者は大勢だろう。
そこで、ふと我に返り自虐的に笑う。
今そんなことを考えても仕方がないじゃないか。
それに、セリスが付いているんだ。滅多なことは起こらない筈だ。
気持ちを切り替えよう。こんなことでは駄目だ。
マカリステラを危機から救い、ネフェリオから情報を聞き出し、最終的には、夢幻の魔晶石を奪わなければならない。
和也がどう考えているのかは分からないが、なんとか敵を出し抜かなければならない。
夢幻の魔晶石はすでに敵の手にあるが、敵は何故かソレを使用していない。
理由は分からないが、そこに付け入る隙があると思う。
頑張らなければならない。道はまだ遠い。
長い道の先に待っているのは、元の世界への帰還だ。
そこまで考えて、優斗の額から嫌な汗が流れる。
心臓の鼓動が速くなり、目眩がする。
道の険しさを前に動揺した訳ではない。
気付いてしまったのだ。
いや、少し前からソレは強くなっていた。そのことから目を伏せていた。
前に進むと決めた時から気を付けるようにはしていたが、自分の心を偽ることが癖になっているようだ。
優斗は反省し、それと同時にもう一度、噛みしめた。自分の気持ちを。




