隠れ処のような
丘を超えて町に入ると、ようやくルーナが追いついてきた。そこまで追い付けないほど距離が離れていたわけではないのだが、私がプリプリと怒っていたから一定の距離を保っていたらしい。町に入って私がフードを被ったタイミングで横に並んできた。
「だからそういう意味じゃなくてな?パンはリズが作ってるものと思ってたし、林檎はほら、言葉のあやだよ」
「パンはこの前買い物に行った時ルーナが買ったものだし、何処がどうなれば最終的に林檎になる言葉のあやが生まれるんですか」
「いや、だから……、別に他の料理が不味いとかいうわけじゃなくて、最近よくパンと林檎食ってたからつい……」
そんな言い訳で傷付いた乙女の心は癒されない。これは高級料理店フルコースでも食べさせてもらわねば。
どこか人気がなくてそこそこ味も良さそうないい塩梅の店はないものかと目立たないようにこそこそと店を探しているが、昼食時ということもあって、良さそうなところはどこもここもかなり人が多い。これではいつまで経っても昼食にありつけないだろう。それに、早くどこかに入らないと腐ったトマトが延々と投げつけられている。私の服がまだ汚れていないのは、ルーナが息をするようにそれをキャッチして投げ返しているからだ。私と会話を続けながらその一連の動作をするものだから、私には多分気付いていないトマトもあるだろう。
そのうちルーナは四方八方から来る攻撃に嫌気が差したのか、トマトを投げられる前にそちらに目線を流した。『ひっ』と引き攣った声が聞こえて攻撃は止んだが、トマトピッチャーマシーンは一体何を見たというのか。
暇人だな、と呆れた呟きと共に、私の腕は掴まれて引っ張られる。
「ルーナ?」
「とりあえず中に入るぞ。キリがない」
「えっ、入るってどこに…」
入ったってそこに誰か人がいれば一緒だ。そんなことはルーナも分かっているだろうに、彼はずんずん歩いて行って、店が建ち並ぶ道の脇に入って行く。薄暗く狭い道を縫って、猫と鼠と虫しか住んでいないような空間を進んで行った。半ば連れ攫われるようについていくので、どこに向かっているかは全く分からない。キョロキョロしていれば、ルーナから持っていかれるからキョロキョロすんなと言われた。何を持っていかれるのか。
やがて足を止めて一枚の小さな扉を潜ると、橙色の光が燈った室内に入った。大して広くはない空間にアンティーク調の机と椅子が数セット並べられ、壁に掛けられた絵画は風景画から子どもには少し刺激の強い裸の絵まで、統一性に欠けるものが飾られている。まばらに人が歩いていたり座っていたり寝ていたりしているが、雰囲気は飲食店のようにも思える。
「あ、あの…、ルーナ、ここは…?」
「飲食店」
「いや…、でもここ…」
ちらっと見上げた先には小さなカウンターがあって、その先にはお洒落なボトルが並べられている。恐らくそれはアルコール。昔私が間違えて飲んでしまった種類は右から二番目のあれだろうか。
「こんなとこで悪いけど、ここなら邪魔されないから」
「は、はい……?」
周りをもう一度見回してみると、散らばっている人達はこちらに目を向けてくるが、大して興味もなさそうにすぐに自分がしていたことに戻っていく。無関心の集まりがここには出来ている。その内の一人、カウンターの奥にいた男だけが、キラリと目を輝かせて話しかけてきた。
「こんなとこで悪かったな。これでも自慢の店だからな」
「ファビアン…。いたのか」
「ひでぇな。そりゃいるだろ、店主なんだから」
ルーナにファビアンと呼ばれたその男は、薄茶色の長髪を後ろでまとめ、少し垂れた目に新緑の瞳を穏やかに覗かせている。甘いマスクとルーナよりも長身のファビアンは、彼の言動とその格好からしてもここの店主だ。挨拶もそこそこにルーナはカウンター席に座り、私を目線でその横に促す。ファビアンは何も訊くことなく酒が並べられた戸棚から一本のボトルを取ると、小さなグラスに注いでルーナの前に差し出した。私の視力がおかしくなければそのボトルには七十五度と表記されていた気がするが。
「……で?そちらのお嬢ちゃんは?」
「俺の救世主」
ニコリと微笑みかけてきたファビアンに、私は小さくお辞儀を返す。この町で変に有名になっている私を知らない人がまだいたなんて。ここに来ている客も、ここに足を踏み入れた瞬間だけ見てきたきり絡んでこようとはしない。空気かのように扱われているようだった。
「救世主って…、え…、まさかこの子があの?」
グラスを少しずつ傾けるルーナと私を交互に見て、ファビアンは目を剥いた。彼の反応に私はビクリと肩を揺らすが、正体がバレたと思ったと同時に、”救世主”で私がどんな人間なのか通じるということは、ルーナのことも知っているということだと気が付く。それにファビアンの反応は、私のことを知った人たちにされてきた今までの反応とは違うものだった。腫れ物を見るような目でもなく、恐怖に慄く目でもなく、地雷が本当に爆発するかどうか試すようなこともせず、人を喰らう獣に出逢ったような態度でもなく。
「そーかそーか!んじゃあ、ルーナを宜しくな!えーと、誰ちゃんだっけ?」
「……リ、リズ=ローウェンミュラーと、いい、ます…」
「リズちゃん!」
何故か握手をされた。
「手を離せ、ファビアン。お前の汚れた手で触っていい年齢じゃねぇからそいつ」
「え?いくつなの?」
「十四」
「十四!?ロリコンだったっけ!?お前!」
「叩き潰すぞ」
髪の間から覗いたルーナの鋭い瞳は冗談のそれではない。本気で向けられる殺意に、ファビアンは、おお怖っ、とおどけてみせた。両者間のヒエラルキーの確認はできたが、今のところ私のファビアンについて分かることは名前とこの店の店主だということと、多分ルーナと知り合いだということと、汚れた手だということだ。トイレに行って手を洗っていないとかやめてほしい。
「あ、あの、ルーナ?この人は…」
躊躇いがちに問うと、ルーナは気が付いたようにすまんと一言謝り、気が進まないような紹介をしてくれた。
「こいつはファビアン=マッテス。俺が幼い頃からの」
「親友っ」
「──…顔見知りだ」
ルーナとファビアンの温度が違いすぎて、その境界線には歪みでもできそうだった。こうなると彼らが何故知り合うことになったことから不思議である。ルーナが続けた紹介でそれは判明するわけだが。
「同じ孤児院で育った。と言っても、こいつは途中から来て、その後俺がすぐに孤児院を出たから一緒にいたのは一年間くらいだけだがな」
「そそ。ルーナは俺の先輩なわけ」
「アラサーに先輩とは言われたくねぇよ」
「相変わらず冷たいな、ルーナは」
聞けばファビアンの年齢は二十五だという。彼単体で見れば年相応の成りをしているが、ルーナと絡んでいる姿を見ると二人は同級生のようにも感じる。ファビアンもルーナと同じ酒をグラスに注いで、勝手にルーナのグラスにぶつけて乾杯をする。気心が知れたような仲に、二人には時間だけが作り上げたものではない関係が出来ているのだと私は悟った。
私の年齢を知ったファビアンは私にリンゴジュースを注いでくれた。子ども扱いされたのが不愉快で、お茶でいいと断ろうと思ったが、せっかく出してくれたし素直に頂いておく。うん、果汁百パーセントは贅沢で旨い。
「ところでここは、お酒を提供するバーですよね?私が入ってもいいんですか?」
「まあ、普通のバーなら未成年は駄目だけど、生憎ここは普通ではないからね」
バチリとファビアンのウインクが飛んできて、私は思わず避けた。何で避けるのかとファビアンは不満そうだったが、隣の私の師匠は親指立ててグッジョブとしているので正解だったのだろう。
普通ではないとはっきりといったファビアンの目は、点々と席を埋めている客に注がれていた。それらは皆隠そうともしない陰湿なオーラを放っている。他人に害があるようなものではなく、それはただひたすら自分だけをくるしめているような。
「ここは、リズちゃんのような人が集まる場所だからね」




