お揃い
清々しい朝である。希望の朝である。喜びにあって間もない胸を広げ、穴の空いた天井から青空仰ぐ。ああ、次の雨が降る時までにはあそこは塞がないといけないななんて考えながら卵を焼いていると、手の側面からジュウ、と音がした。火傷した。
熱いのか痛いのか、声に表現しづらい感覚に百面相しながら水で冷やしていると今度は卵を焦がした。何故私はこうも要領が悪いのだろう。まあいい。二つの内一つは焦げが少ないから、こちらをルーナに食べてもらえば証拠隠滅できる。それでも少し目立つ焦げはサラダで隠した方がいいだろう。皿に盛り付けながら四苦八苦していると、後ろの床がギシリと軋む。
振り返れば寝癖のないルーナが起きていた。
いつもは本来の髪型なんて分からないくらいどこそこと髪を撥ねさせているのに。眠そうな目も今日は見当たらない。
「あ、おはようございます、ルーナ」
今日も綺麗な顔してんな、なんて思いながら挨拶をすると、ルーナはきょとんと目を瞬かせた。
「お、は、よう…」
「?どうしました?」
「あ、いや…」
ルーナは折角整っていた髪型をわしゃわしゃして崩しながら目線を逸らすと、コップを手に取って水を汲む。
「……お前が思いの外笑ってるから」
「私が笑ってると不吉の予兆とでも?」
「そうじゃねぇよ。その…、昨日あんな話聞いて軽蔑してただろ」
「軽蔑?誰が?」
「お前が、リズが」
私は首を捻って昨日のことを思い出すが、思い当たる節がない。昨日のルーナの話を忘れているわけではない。ちゃんとしっかり覚えている。ルーナは紫閻の魔法士という名前だけ有名な暗殺者で、国家機関で働いていて、危険因子となる魔力を持った一族を全滅させていく仕事をしている。
ただ、それだけ。
「した覚えはないんだけどなぁ…。そんな風に見えました?」
「呆れて、寝たのかと」
「ははっ、そんなわけないじゃないですか。眠たくなったから寝ただけですよ」
そう思わせてしまっていたのなら申し訳ないが、貧血と小難しい話も重なって、単にもう限界だったのだ。話の内容はちゃんと覚えているが、もうこれ以上は目を開けておけないと、話をしてくれたルーナには大して反応もしないまま眠ってしまった。まさか、ルーナは私が彼を疎むのではないかと気にしていたのだろうか。想像すると、申し訳ない気持ちの中に少し可愛らしいと思ってしまって、思わずプッと吹き出してしまった。
「な、んだよ…」
「気にしてたんですか?意外に小心者ですね」
「気にしてたわけじゃないが…。逆にお前はいいのか?こんな危険な人物に魔法を教わり、ましてや同居しているなんて」
「んー…、まあ今更ですし」
長い期間というわけではないが、ルーナと生活を共にするようになって数日が経過した。彼のことはまだよく知らないけれど、出逢った時よりはよく知っている。これからもっと知ることになるだろう。彼がやってきたこと、これからやることなんて、その中の一つに過ぎない。彼を構成する要素の一つなのだから仕方ない。
「危険人物って言いますけど、それ私に対する嫌味にしか聞こえませんけど」
「何でだよ。俺が何人殺してきたと思ってる?どのくらいの量の人の血を被ってきたと思っている?…ただの少女にとって、危険でしかないだろ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、私ただの少女じゃないし」
そう。私はただの少女じゃない。そうなれたら良かったけど、現実は違う。
私だって、危険な魔力を持った、危険人物だ。
「ルーナとお揃いです」
イケメンとお揃いなんてなんか得した気分だ。自然に零れた笑みが、見開いたルーナの瞳に映って滲んだ。
固まってしまって聞こえているのかどうか分からないが、彼に伝えたいことはまだあって、私は朝食の準備を再開させながら続けた。
「正直、びっくりはしましたよ。本にも載っちゃうような有名人が自分の魔法の師匠だなんて。でも、ただそれだけ。私は紫閻の魔法士と一緒にいるわけではなくて、ルーナと一緒にいるんです。すぐ怒るけど面倒見が良くて、偉そうだけど意外と詰めが甘くて、取り入る隙がたくさんありそうなのに本当は私に我儘を言わせてくれているだけで、厳しいのに優しい。そんな人が暗殺なんて想像はできませんけど、私の知っているルーナは、紫閻の魔法士でなくてルーナだからいいんです」
「……」
「私にはルーナが喜んでお仕事をしているとは到底思えません。無感動にお仕事をしているとも思いません。…あなたの瞳は、苦痛と後悔に染められた色です」
目を覚ました瞬間、眠りに落ちる直前、私が必死に魔法を覚えようと奮闘している間。
時々、私を見つめる時。
多分普通なら気付かないだろうけど、なんせ私はこの前までルーナを密着二十四時をしていたのだ。彼が意識しない瞬間に掠めた彼の感情を、目撃することくらい卵を焼くより容易いことなのだ。
「まあ私も、人に言えるほど綺麗な瞳をしているとは言えませ────…」
キャベツを皿に盛って、焦げを上手く隠して、真っ赤なトマトをつけて、焼き上がったパンを乗せる。
その手が、強く掴まれる。
「……ルー、ナ…?」
「……」
あれだけ観察してきたというのに、ルーナは見たことのない表情をその顔に浮かばせていた。苦しそうな、驚いたような、けれどどこかで張り詰めたような、声に出さない感情を押し込めている。
周りの時間だけが流れていき、どれくらいが経ったか分からなくなった頃、私の掴まれた手は、血管が圧迫されて血が通わなくなってきた。
「……ルーナ、手、腐りそうです」
「あ…、ああ、悪い」
ネジを回したかのように、ルーナは私の手を離して食卓のいつもの椅子に座った。その表情には動揺のような戸惑いのような、困惑したものが見て取れるのは気のせいだろうか。私は何か、彼をこんな顔にさせてしまうようなことを言ってしまったのだろうか。
「…どうかしましたか?」
「あー、いや…なんでも……。あ、そうだ。お前、体調は?もういいのか?」
「あ、はい。もう大分。薬を飲んでいれば全然平気です。魔法の練習もできます」
「そうか。無理すんなよ」
半ば無理矢理に話を逸らしたようにも思えたが、それ以上はルーナが黙ってしまったので、深く追及はできなかった。




