恋煩いは伝染する
終業後、瀧田音楽教室のロビーで井上先生と少しお喋りしていた。
「え、並木先生、あの日泥酔したの覚えてないんですか?」
「そうなんですよ、そのときの記憶がさっぱり無くて......。わたし何かやらかしちゃってましたか?」
「う〜ん、何というか......。言いにくいので内緒にしときます」
困ったように苦笑いを浮かべる井上先生。一体何があったというのかーー!
「え、そんなにオソロシイことを......?」
「昨夜は楽しかったし細かいことは気にしないことにしましょうよ。それよりそうだ、並木先生、今度一緒にレインボーパークに行きませんか?」
話をはぐらかされたけど、いいや。聞くのが怖くなってきたし。
「レインボーパークですか?」
「さいきんあそこ新しいアトラクションができたんですよ! 一回転するジェットコースターなんですけど、体験したくて! よかったらどうですか?」
遊園地かあ。井上先生となら楽しそうだし、いい気晴らしになりそうだ。
「いいですね! 二人で行きま「オレも行く」
「「え?」」
気付くと金髪碧眼の彼がわたしたちのテーブルのそばに仁王立ちしていた。そして躊躇なくわたしの隣の椅子に足を組んで腰かけた。
「会話聞こえちゃって。オレも一緒に遊びいきたいなあ」
頬杖をついて井上先生に上目遣いをする仁伎くん。その顔は卑怯だ。
井上先生の反応はーー。
「もちろん! 一緒にいきましょう!」
即オーケーだった。
「どうせなら、他の先生と生徒も呼ぼうぜ。例えば......、仲の良い唐西先生とか、十和子先生担当の藤嶋侑紀とか?」
「たしかに、遊園地なら人数多いほうが楽しいですもんね! そうしましょう!」
突如会話に入ってきた仁伎くんと自然に話を始める井上先生。わたしは置いてけぼりだ。
「なあ、十和子先生も賛成だろ?」
「え、わたしは......」
仁伎くんの腹の内は理解できる。唐西先生と侑紀ちゃんを接触させようという魂胆だ。
正直に言ってしまうと誘いたくないのが本心だけれど、ノリノリの井上先生の手前言いづらい状況だった。
「別に、かまいません......」
「決まりだな」
「じゃあ、わたし唐西先生を誘ってみますね! 藤嶋さんとはお話したことないので、並木先生にお願いしていいですか?」
「はい......」
あーあ。満足そうな表情でわたしに視線を投げてくる仁伎くんが少しだけ憎い。
◯
土曜日の遊園地は、人でごった返している。
「ジェットコースター、すごかったですね」
「やっぱり来てよかった〜! 期待通り!」
「わたし、気づいたら一回転してました」
わたしの前を歩く三人組(唐西先生、井上先生、侑紀ちゃん)は「音速疾走ライド」をとても楽しめたらしいのだが。
仁伎くんと永枝さんとわたしは半分死んでいる。
「重力とスピードにやられてしまいました......吐きそう」
永枝さんはかぶっていた中折れ帽子を取り口元に当てている。
「......。」
「......。」
しゃべれる気分ではない。わたしと仁伎くんは無言で戻りの通路を歩く。
そこに空気の読めない人が一人。
「さすがレインボーパークの最新アトラクションでしたね! 初乗車記念に、コースターを背景にして一緒にピクチャーを撮りましょう、並木先生!」
肩を抱かれて引き寄せられる。イケメンすぎる顔が真横に。
「それでは仁伎くん、これでお願いします」
仁伎くんに自分のスマホを差し出す奏さん。
「断る......」
仁伎くんはその手を弱々しく払いのけた。
「わたし、気持ち悪いので遠慮しときます......」
誘ってもいないのに、なぜかちゃっかり集合時間に集合場所にいたのが奏さんだ。不思議現象だ。どうして分かった。
侑紀ちゃんにはなるべく接触させたくなかったのに(奏さんは侑紀ちゃんの魂が欲しいとか言ってるストーカーだ)。
「てか、なんで奏がここにいんだよ......」
仁伎くんに腕を引かれて奏さんと距離が取れ、ホッとした。ギリ、と音がしそうなほど奏さんを睨めつける仁伎くん。
「あっ! 次はアレに乗りましょう!」
すると、井上先生が遊園地の定番・コーヒーカップを指差している。そこは家族連れやカップルで賑わっていた。
唐西先生と侑紀ちゃんは乗り気だが、わたしは遠慮しよう。きっと仁伎くんと永枝さんもダメだろう。今でさえ乗りもの酔いしているというのに、コーヒーカップでグルグル回ったら嘔吐だ。
「わたしたち、ちょっと休憩します......」
コーヒーカップ組は奏さんも加わって、四人で乗りに行った。
わたしたち待機組は、コーヒーカップの付近にあったベンチで一休み。
陽気な音楽と共にカップがゆっくりと動き始めた。四人を遠目から眺めるとーー、井上先生が主にカップを回している。すごい速度でグルグルと回っているのに奏さんは爽やかなイケメンスマイルを恐いほど崩さない。唐西先生と侑紀ちゃんは隣同士で肩が触れ合うほど距離が近い。二人だけ雰囲気が違うのではーー。
胸がチクリと痛んだ。
「二人が両想いか、知りてぇか?」
さっきまでグロッキーだった仁伎くんは少し復活したようだ。まだやや青白い顔をして、美少年はわたしの心を読んだような質問をしてくる。
「じゃあ先生にコレ、やるよ」
すると龍のスカジャンのポケットから何か取り出して、わたしの手に握らせた。見てみるとーー。
「目薬......?」
透明なピンクの液体が入った目薬のようなものだった。
「フツーの目薬じゃねぇぞ。これをさすと、人間の『ハート』が見えるんだ」
「ハート?」
「人間は、それぞれみな色や形の異なる『ハート』を持っているんです。『ハート』は人間の精神の根幹。普段は見えないそれを可視化するのがこの道具というわけです」
左隣にいる永枝さんの説明を聞いても、ちんぷんかんぷん。
「説明するより、やったほうが早いな。今さしてみろよ」
この得体の知れない目薬をさせとーー?
返そうかと思い振り向くと、仁伎くんはわたしを射るような目でじっと見ていた。
うう。。
ええい、ままよ!さしてしまえ!
意を決して眼鏡を外し、上を向いて両目にさして、数回瞬きする。特にしみることはない。
そのまま視線を真正面に戻す。再び眼鏡をかけるとーー。
わたしは現実世界から少し離れたところにいた。
キラキラと光り輝くもの。目の前を横切っていく女の子の心臓のあたりに、赤い光が浮かび上がっている。
「仁伎くん、あれって......」
仁伎くんに視線を移すと、やはり心臓のあたりに青い光を放つハート形が付いている!
なんだか綺麗だ。
「オレのも見えるだろ?」
仁伎くんは自らの左胸に触れた。仁伎くんの手が青い光に染まる。
「みなそれぞれ『ハート』の色形は異なりますが、お互いがお互いを想いあっていると同じ色の光に輝くのです」
そう説明する永枝さんのハートは菱形で、葡萄のような紫だった。
「で、あいつらはどう見える?」
コーヒーカップ組はカップから順々に降りているところだった。井上先生のハートはイエローだ。周りの人々もみな左胸に光り輝くものがあるのに、奏さんにはなぜか何も無かった。なぜだろう?その二人が降りて出口に向かっているところで、侑紀ちゃんがカップから降りるのを唐西先生がエスコートしているのを見てしまった。彼らのハートは、二人とも同じく太陽のようなオレンジの光に包まれているのが遠目から見ても分かった。
唐西先生が侑紀ちゃんの手を離したとき、名残惜しそうにしているように見えてしまう。
◯
目薬の効力は約一時間であるらしい。わたしはまだ不思議な世界を体験していた。
「みなさんあれを見よ! レインボーパークの愛すべきマスコットキャラ・たぬぽんが風船配ってます!」
「うわ、ほんとだ! 一緒に写真撮りたい!」
奏さんと井上先生がたぬぽんのもとへ一目散に駆けていった。ちなみに、たぬぽんの中の人のハートの色はピンクだ。
「みなさんご存知ですか? ここではたぬぽんの顔形アイスキャンデーが美味しいと評判だそうなんです」
「アイス食べてみたいですね!」
「あそこのワゴンで売られてるそうですよ」
残されたわたしたちは、近くにあったワゴンでアイスを買うことにした。
わたしは三百円でレモン味を購入し、一口舐めてみようとしたところでーー。
「おい、離れるぞ」
仁伎くんに腕を引かれた。
仁伎くんは右にわたし、左に大きな永枝さんを抱えワゴンから逃走する。
「え、いきなり何ですか」
「キューピッドとして、あいつらを二人きりにしてやりたくて」
後ろを振り返ると、唐西先生と侑紀ちゃんは逃走するわたしたちに気がつかずアイスを選んでいた。
ーー何だかモヤモヤする。
二人の姿が見えなくなったところで、仁伎くんは立ち止まった。
「二人の初デートを演出するのは、いい案ですね。よしよし」
永枝さんが仁伎くんの頭を撫でる。
「ヤメロ。子ども扱いすんな」
「ふふ。......じゃあ、みなさんより年寄りの私は疲れたので少し休憩してきます。二人で楽しんでらっしゃい」
「あ、じゃあわたしも休「センセー、行くぞ」
ーー仁伎くんはまったく人の話を聞かない。
ベンチに座って休みたいのに。それにいつのまにか手を繋いでいる。まだ元気いっぱいだし、何だかそういうとこ、まだ子どもっぽいなぁーー。
「センセー、これ乗ろ。中でアイスも食べられるだろ」
着いたのは、観覧車の前だった。
高いところが好きだから、観覧車は子どもの頃から遊園地で一番好きな乗りものだ。
「いいですね。乗りましょうか」
この観覧車は人気があまり無いのか数人しか並んでいなかった。
すぐ順番が来て、仁伎くんに続いて乗りこもうとすると振り返った彼に右手を差し出された。
「ほら、」
戸惑っていると仁伎くんはわたしの手を掴み、乗りやすいようにエスコートする。
ーーこの子、ヤンキーじゃなかったの??
「あ、ありがとう仁伎くん」
「......先生は何か危なっかしいから」
ーーもしかしたら外見や口調のせいで、わたしはこの子のことを誤解しているのかもしれない。
◯
高いところは好きだが、沈黙が重い。アイスに集中するふりをしていたが、食べ終わってしまった。
目の前の仁伎くんは足を組んでポケットに手を突っ込み窓の外に目をやっている。横顔はルネサンス彫刻のように美しい。
何か話題を探さねばーー。
「あ、あそこ見てみ」
仁伎くんが突如口を開いた。観覧車の外を指差している。
その先を見てみるとーー。
「唐西先生......」
と侑紀ちゃん。まだ低い位置にいるので、百円を入れると動くパンダの乗りものに乗っている侑紀ちゃんと、そのそばで彼女を見守る唐西先生が見えた。やはり二人の胸元にはオレンジ色の光がーー。
きっと極上に優しい顔で彼女を見つめているのだろう。
ーーそうだ、あんなに魅力的な人がこんなわたしのことを相手にするわけないって、出会ったときから知ってた。
「わたし、唐西先生のことが好きだったんです」
ひとりでに口が動いていた。二人を見ていたくなくて、遠くの街並みと青い空に視線を移していた。
「ふうん」
「でも、あんなに素敵で魅力的な人がわたしのことなんて好きになってくれるはずないんですよね。分かってはいたんですけど......」
もう恋は終わった。わたしは失恋した。ラブイズオーバーだ。打ち明けてみたらこのひどい暴風雨みたいな心中をどうにかできる気がしたけどーー。
唐西先生が夢に出てきたこともあった。後ろ姿を見ているだけで胸がときめいた。話すことができればその日一日幸せだった。連弾中たまたま指が触れたとき、ドキドキして仕方なかった。
でも、叶わない恋なんだろうなって、どこかで知ってた。傷つかないように、予防線を張ってたのに。
こんなに心が落ちこむんだ。
「いい恋だった?」
「さあ、分かりません......。わたしが勝手に好きだっただけで、何か行動に移したわけでもないので......」
「じゃあ、今度は先生が気持ちを伝えたくなるほどにもっともっと愛する人ができるように、祈るよ」
仁伎くんはそう言うとわたしの手を取った。その言葉が意外で驚いているうちに、軽く指先に口づけをされた。
ーーこ、ここ、これがいわゆる海外のノリ??
わたしの指への何やら艶かしいとも言える目線に圧倒されて言葉も出ない。
固まっていると彼は顔を上げた。
「何、そのマヌケな顔」
からかうように笑ったと思ったら、触れていた手を離された。
ホッとしていると、なんと今度は手がのびてきて頬を撫でられる。頬に感じる人肌の熱。何だか手つきが優しくてどこかうっとりしてしまう自分がいた。
「......センセー、可愛いね」
にやりと唇の端をつりあげセクシュアルに微笑んだ。彼は本当に十四歳なのか?
ハーフ、恐るべし!
「あれ、先生、唇荒れてんの?」
そうそうだんだん寒くなって乾燥してきたから......って!今度は唇に触れられそうな勢いを感じ取ったので我に帰ったわたしは両手で早急に口元を隠した。
「......先生、もしかしてドキドキした?」
その瞳と同じブルーのハートを持つ天使は、ご満悦な笑みを浮かべている。
認めたくないけど、ドキドキしたし恥ずかしい。耳が赤いかもしれない。いくらお年頃だからって、こんなので遊ばなくてもいいのに。
「......I follow my heart.」
仁伎くんが何か言ったが、呟くような声で聞き取ることはできなかった。