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初恋ラプソディー  作者: おにぎし
6/15

キューピッドの矢の先にわたし

火曜日の午後五時から瀧田音楽教室の個人レッスンルームで待機していたわたしは、10分遅れて入室してきた仁伎くんの姿を見て、呆然としていた。


「そ、その格好でここまで来たの?」

「......悪い?」


仁伎くんは、左胸にデカデカと『吾妻』と刺繍されている、臙脂えんじ色の学校指定ジャージで現れた。上着はジッパーを一番上まで上げて顎を隠し、ズボンの裾は捲って生白い足を少し出すという仁伎くん流の着こなしで。ーー美少年はジャージをもオシャレに見せる。しかもその右手の、銀行マンが持ってそうなアタッシュケースは何だ。


この格好で公共交通機関を使って来てないだろうな。


「いいだろ、別に。五限が体育だったんだよ」

「う〜ん、でも、あまりそういう格好をしてここに来るのはちょっと......」

「あ゛?「すいません何でもないです」


睨まれた。こわい!


ーーもう好きなもの着て来てください。




「じゃあ何着てくればいいの」

「え?」


ーーあれ?注意を聞き入れてくれるのかな?


少し驚いていると、仁伎くんは更に畳み掛けるように言った。


「どういうのが好みなの」

「こ、好み? とりあえず、常識のある格好で......。ジャージとかじゃなければ」

「......。」


黙り込んでしまった。




まあ、いいや。


「じゃあとりあえず、レッスンを始めま「あのさ、藤嶋侑紀のことだけど」


また遮られた。


ーーやはりピアノを弾くのはどうしても嫌らしい。


でも、わたしもその件で仁伎くんに話があるから丁度いいか。


「オレは、先生に二人の縁結びを手伝ってもらうことを強いたくはない。けど、侑紀の現状も知ってもらいたいと思って」


仁伎くんは真剣な顔になっていた。静かなレッスンルームに仁伎くんの声だけが響く。


「今の侑紀は悩んでる。結婚してる男を好きになって、そいつとまた繋がりを持ちたいがためにここに通っていることに対して、罪悪感を感じてる」


『また』繋がりを持ちたい?


唐西先生とは以前から面識があったのだろうか。


「でも、侑紀は自分の気持ちと向き合いたいと思ってここに通うことを決めたんだ。ずっと悶々としたまま行動しないよりも、何かを良い方向に変えたくて、ここに来た。今、侑紀は自分の気持ちの行きどころを探してるんだ」


仁伎くんは言葉に力を込めるように言った。


「オレはそんな侑紀を、いい形でサポートしてやりたいと思う」


ーー少し幼さの残る顔が、そんなことを言う。


「先生は、どう思う?」




ーーわたしは、今までは侑紀ちゃんにはキチガイストーカーが三人もいると思っていたけれど。




少し考え直した。




「侑紀ちゃんはわたしにとってこれからピアノの楽しさを共有していく、数少ない大切な生徒さんの一人です。わたしも侑紀ちゃんにとってためになることを考えたい」


侑紀ちゃんにとってのベストとは、何なのか。


唐西先生に気持ちを伝えることか。自分の気持ちにケリをつけられるようになることか。唐西先生を忘れることか。ーーそれとも、唐西先生と結ばれることか。


それについてはまだ分からないし、最後の案は実現してほしくないと願ってしまう。けれど、まずは、とりあえず。


「どうやら侑紀ちゃんには、『彼女の魂をもらいにきた』とか言うサイコなストーカーがいるみたいなので」


わたしが仁伎くんと永枝さんに話したかった話は、コレだ。


「とりあえず、彼を侑紀ちゃんのそばから遠ざけなくちゃいけませんよね? それについてはあなた方に協力します」


そう言うと、仁伎くんは何か答える代わりに、色素の薄い目を見開いてパチクリさせている。


「そ......」


そして口をぽかんと開ける。ーーこんな無防備な表情もするんだ。


「そ?」

「それは、オレたちの味方になってくれるってこと?」

「奏さんよりは、仁伎くんと永枝さんのほうを信用しています」

「......。」


すると、仁伎くんは俯いて沈黙した。


そして三秒後に、仁伎くんは口をすぼめて小さな声で。


「あ、ありがとな......」


自分のスニーカーのつま先に向かって、頬を赤く染めながらそう言った。








......うッ......!









「いえいえ! わたしに何ができるかは分かりませんが......」


ギャップにもだえていると、仁伎くんは唐突に話題を変えた。


「......なあ、オレがキューピッドだっていうあの話、マジで信じてる?」




それは、正直ーー。


「い、いや?」

「そりゃそーだよな。フツー信じられねぇよな。......じゃあ、これを見せてやるよ」


そう言って仁伎くんは床に置いてあった銀のアタッシュケースを手に取った。




それ、仁伎くんが部屋に入ってきたときから気になってたんです。中学生が持つものじゃないなって。


「何が入ってるの?」

「キューピッドの持つ七つ道具」


仁伎くんがアタッシュケースを慎重に開けた。その中には、整理整頓された数々のアイテムが並ぶ。瓶に入った薬やら、トランシーバーのように見えるもの、一見するとフツーのインスタントカメラなどなど。中でも一番目立つ大きいものを、仁伎くんが取り出した。


「これがかの有名なキューピッドの弓矢だ。これを心臓に射られた者は一時、そのとき見ていたものに恋愛感情を抱く」




ーーへぇ〜、としか言えない。


「その顔は信じてねぇな。......じゃあ先生、試してみる?」

「えっ」


仁伎くんはそう言うと、細い腕でいきなり軽く弓を引いた。矢の切っ先はあからさまにわたしの左胸を狙ってる!至近距離すぎるし、矢の先がフツーに鋭すぎる!


「こわ! それ明らかにオモチャじゃない!」

「大丈夫、心配すんな。愛の神の引く奇跡の矢だ。当たったって死なねーし、恋に落ちるだけ」


美しい姿勢で狙いを定める姿は絵になるけれど、見惚れてる場合じゃない!


「そのまま、オレのことちゃんと見ててね」


......ダメだ、ムリ、怖すぎる。わたしは思い切り目を瞑って身体を強張らせた。


ーーけれど、恐れていた衝撃は来ない。目を恐る恐る開ける。


「......ヒッ!」




整いすぎた仁伎くんの顔が、惜しげも無く目の前にあった。その距離数センチメートル。どうやらじろじろとわたしのお粗末な顔を観察されていたらしい。恥ずかしすぎる。


蒼く澄んだ目に、吸い込まれそう。


「......、なあ、」


ウッ、吐息がかかった。ち、近いーー。


「マジでオレのこと覚えてねぇの?」

「へ?」


それはどういう意味? つまり仁伎くんと以前に面識があるということ?


うーん、こんなサラサラブロンドの美少年、一目見たら忘れないだろうけど、そんな覚えは全く無い。


「どこかで会ったことありましたっけ?」

「......。」


至近距離で黙られると目のやり場に困る。あぁ、何か言って。


「ごめんなさい、わたし覚えヒェ、」


すると、突然口元に仁伎くんの右手が触れた。器用に両のほっぺたを挟まれ、ぐっと押される。


ーーわたしはマヌケなおちょぼ口にさせられていた。




「......ブサイク」


そんなわたしの顔を嘲笑うかのように、ひねた表情をして、天使はそう言い放った。

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