倉の奥を暴いて、家畜の死が止まった
祭りの熱気が冷めた数日後、村に新しい騒ぎが起きた。
複数の家で、飼っていた鶏や山羊が、原因不明のまま次々と死んでいったのだ。
「病気じゃないのか」「餌が悪かったんじゃ」――村人たちは口々に憶測を語ったが、誰も確かなことは言えなかった。井戸端では毎朝、その日死んだ家畜の数が数え上げられ、不安げな声で報告される日々が続いた。
僕は死んだ家畜を見せてもらいに、被害を受けた家を回った。どの家畜も、外傷はなく、ただ痩せて弱っていったような様子だった。
「最近、餌の量を減らしてないですか」
僕がそう聞くと、家畜を飼う女は困った顔をした。
「そんなことないよ。いつもと同じ量をあげてる」
「本当にいつもと同じ量ですか」
胸の奥で、棘がぴりっと疼いた。片目が勝手に細くなる。
女の言葉に、微かな迷いが混じっていた気がした。同じような言葉を、別の家でも二軒、三軒と聞いた。誰もが「変わらない」と言うのに、家畜だけが確かに弱っていく。その不一致が、僕の中でひとつの手がかりになった。
三軒目の家では、飼い主の老人が、僕の質問に少し腹を立てたように答えた。
「配給が減ってるなんてこと、誰が言った? そんなこと考えるのは、お前くらいのものだよ」
その口調には、村の"当たり前"を守ろうとする、頑なな響きがあった。それでも、老人の視線が一瞬、倉庫の方角にちらりと動いたのを、僕は見逃さなかった。
四軒目の家では、飼っていた最後の一匹の山羊を失った少女が、僕の前で静かに泣いていた。
「みんな、大丈夫だって言うけど、うちの子だけ、痩せ方がおかしかったの」
少女の言葉に、他の証言と重なる部分があった。餌は「変わらない」はずなのに、体格の弱い家畜から先に、確実に弱っていく。まるで、配給量そのものが少しずつ削られているかのような、一貫した偏りだった。
そこで僕は、村の共同倉庫を調べることにした。飼料や穀物を保管しているその場所には、いつも決まった量が村人に配給されているはずだった。
倉庫の管理を任されているのは、村でも古株の男だった。
「配給の量は、いつもと変わってないよ。おかしなことは何もない」
男は僕の質問に、少し早口でそう答えた。
その言い方に、以前村長フェインが見せたのと同じ、隠し事をする人特有の硬さを感じた。目が合わないように、僅かに視線をずらす癖まで似ていた。
倉庫の奥、普段は誰も立ち入らない棚の隅を見つめていると、視界の端に、うっすらとした輪郭が浮かんで見えた。
積まれた木箱の中身が、一瞬だけ、薄く縁取られて透けて見えるような感覚。まだこの力に慣れていない僕でも、その違和感だけは確かに感じ取れた。
僕は迷わず、その木箱に手を伸ばした。
「おい、待て、それは……!」
男が止める間もなく、僕は箱の蓋を開けた。
中には、村に配給されるはずだった穀物が、大量に隠されていた。麻袋の口からこぼれた粒が、乾いた木の床に散らばっている。
「これは……」
「い、いや、これは……その、非常時のために取っておいてるだけで」
男の言い訳は、明らかに苦しかった。
「毎日の配給を少しずつ減らして、余った分をここに溜めてたんですね。それで、家畜の餌まで削ったから、鶏や山羊が弱っていった」
男は、しばらく黙り込んだあと、がっくりと肩を落とした。
「……すまない。少しでも、自分の家族の分を増やしたくて。冬が来る前に、少しでも余裕が欲しかったんだ」
その事情自体は、罪深いというより、切実なものだった。それでも、村中の家畜を弱らせた責任は変わらない。
僕はその場のことを、正直に村長フェインに報告した。男は倉庫の管理を外され、配給は元の量に戻された。数日のうちに、家畜の被害はそれ以上広がらずに済んだ。
報告を受けたフェインは、いつもより静かな声で「よく調べたな」とだけ言った。その表情には、以前のような動揺はなく、ただ淡々と事務的な処理を進めるだけだった。まるで、こうした小さな不正が起きることも、村長という立場ではありふれたことだと知っているような口ぶりだった。
「――お前、また何かやったのか」
その日の午後、ダレンが僕のところにやってきた。いつものような高圧的な態度ではなく、どこか渋々とした表情だった。
「倉庫の不正のことを見つけただけだよ」
「あれ、ただの勘で気づいたのか」
「証拠を確かめてから、言っただけ」
ダレンは何か言おうとして、結局それを飲み込んだ。しばらく黒目を彷徨わせたあと、ぼそりと呟いた。
「……儀式前だろうがなんだろうが、今回は認めてやる。お前がいなきゃ、俺の家の鶏も死んでたかもしれないからな」
それだけ言って、ダレンはそっぽを向いて去っていった。素直に感謝を口にできない不器用さが、少しだけおかしかった。それでも、彼の目に浮かんでいた戸惑いは、これまでの見下すような色とは、少し違っていた気がした。
その日の午後、水を汲みに向かう道で四軒目の家の少女が僕を見つけて駆けてきた。
「ノア……ありがとう。もううちの動物は死なないんだよね」
少女の目にはまだ涙の跡が残っていたけれど、声は初めて会ったときよりずっと軽かった。後ろからついてきた母親も、小さく頭を下げてくる。
「あなたのおかげです。本当に」
村中に広まるような称賛じゃない。届いたのは、この一軒の家族の分だけだった。それでもその小さな感謝は、これまで感じたことのないくらい胸の奥を静かに温めた。
夕方、村の広場を歩いていると、倉庫を管理していた男が、別の村人と小声で話しているのが目に入った。
「――こんなことになるなら、本当に境の外に出た方が良かったのかもしれない」
その一言が、僕の耳に確かに届いた。
男はすぐに口をつぐみ、それ以上は何も言わなかった。隣にいた村人も、気まずそうに視線を逸らして、その場を離れていく。
胸の奥で、棘がぴりっと疼いた。
境の外。
これまで、誰もその言葉を口にすることさえ避けてきたのに。
あの男は、いったい何を知っているんだろう。
翌朝、井戸端に集まった村人たちは、いつもと変わらない朝の風景を続けていた。東の空から昇る朝日の角度は、去年のこの時期とまったく同じに見えた。そんな、比べる必要もないはずのことが、ふと頭に浮かんで消えた。誰もが、家畜の一件はもう解決したことだと信じて、そのまま日常に戻っている。だが、僕の耳の奥では、あの一言だけが、まだくすぶり続けていた。
「境の外に出た方が良かった」――それは、単なる憶測や愚痴じゃない。あの男の声には、確かな実感が滲んでいた。まるで、本当にそちら側の道を選んだ誰かのことを、知っているかのような口ぶりだった。
その夜、僕は自分の部屋で、これまでの出来事をひとつずつ紙に書き出してみた。井戸の金属質の光、村長の二つの帳簿、聖具の精巧すぎる作り、そして今日の「境の外」という一言。並べてみると、どれも単独では説明できるはずのものなのに、重ねて見ると、妙な引力でひとつの方向を指しているように感じられた。
その方向の先に、何があるのか。
まだ答えは出ない。それでも、確かめずに眠ることは、もう僕にはできそうになかった。
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