弁護士の交渉と出発
まりは自分の両手を見つめた。
指をゆっくりと開いたり閉じたりする。
少し腕を回し、肩を動かしてみる。
「ところで。」
「はい。」
「どうして、この姿なのですか。」
ノクティスは少し首をかしげる。
「体が軽くて驚きました。」
「八十七歳にもなると、立ち上がるだけでも少し気合いが必要でしたから。」
ノクティスは、ほっとしたように微笑んだ。
「まりさんと初めて出会った頃の姿です。」
「そうでしたか。」
「僕も同じですよ。」
「二十五歳の頃です。」
まりは改めてノクティスを見つめる。
「だから変わっていなかったのですね。」
「はい。」
まりは小さく頷いた。
「こちらの方が動きやすいですね。」
「気に入っていただけましたか?」
「はい。」
「久しぶりに全力で走れそうです。」
その一言に、ノクティスは嬉しそうに笑う。
「よかったです。」
「では、本題に戻ります。」
姿勢を正し、真剣な表情になる。
「お願い事は五つまでです。」
まりは静かに頷いた。
「では、一つ目をお願いします。」
「収納です。」
ノクティスはにこりと笑う。
「承知しました。」
まりはそのまま続けた。
「容量無制限。」
「はい。」
「時間経過なし。」
「はい。」
「内容確認ができること。」
「はい。」
「検索機能付き。」
「はい。」
「自動整理。」
「はい。」
ノクティスは、そこで小さく首をかしげた。
「まりさん。」
「はい。」
「それは……一つのお願い事ですか?」
まりは真顔で頷く。
「もちろんです。」
「そうなのですか?」
「ホットケーキに蜂蜜とバターは付きますよね。」
「はい。」
「だからといって、ホットケーキと蜂蜜とバターで三品とは数えません。」
「……。」
「収納も同じです。」
「それらは収納の基本仕様です。」
ノクティスは腕を組み、しばらく考え込んだ。
やがて、小さく笑う。
「……一理ありますね。」
まりは静かに微笑んだ。
「ありがとうございます。」
ノクティスは肩をすくめる。
「神様ですから。」
まりは少しだけ目を細めた。
「便利な言葉ですね。」
ノクティスは苦笑しながら頷く。
「とても便利です。」
「二つ目です。」
まりは迷わず答えた。
「全属性魔法です。」
「承知しました。」
「魔力は無限でお願いします。」
「もちろんです。」
「神様ですから。」
まりは小さく頷く。
「便利な言葉ですね。」
「三つ目です。」
「鑑定能力。」
「詳細表示。」
「状態表示。」
「言語理解。」
「偽装の看破。」
「お願いします。」
ノクティスは苦笑した。
「まりさん。」
「はい。」
「もう確認しません。」
「ありがとうございます。」
「まりさんなら、そのくらいは最初から含めると思っていました。」
「話が早くて助かります。」
「五十七年のお付き合いですから。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
「四つ目です。」
「HKMです。」
ノクティスは小さく首をかしげた。
「略しましたね。」
「正式名称は、ホットケーキメインです。」
「ホットケーキに関するものを、必要な時に必要なだけ取り出せる能力をお願いします。」
ノクティスは興味深そうに頷いた。
「具体的には、何に使うのですか?」
まりは少し驚いたように目を瞬かせた。
「……ホットケーキを作るためですが。」
「ホットケーキは、ホットケーキミックスだけではありません。」
「おいしく作る方法はいくつもあります。」
まりは一本ずつ指を折りながら数え始めた。
「ホットケーキミックス。」
「米粉。」
「小麦粉。」
「そば粉。」
「それぞれ食感も風味も変わります。」
「それから。」
「ティスの好きな果物。」
「ベーコン。」
「生クリーム。」
「アイスクリーム。」
「蜂蜜。」
「メープルシロップ。」
「砂糖。」
「ベーキングパウダー。」
「牛乳。」
「卵。」
「バター。」
「調理器具も必要ですね。」
そこまで聞いていたノクティスは、小さく笑った。
「……なんでもありですね。」
「神様ですから。」
まりは真顔で答えた。
ノクティスは一瞬きょとんとしたあと、思わず吹き出す。
「その言葉を使われるとは思いませんでした。」
まりは少しだけ口元を緩めた。
「それは私のセリフです。」
ノクティスは肩を震わせながら笑う。
「一本取られましたね。」
「五十七年一緒にいましたから。」
「使い方は覚えました。」
「なるほど。」
ノクティスは笑顔のまま頷いた。
「承知しました。」
「神様ですから。」
まりは静かに微笑んだ。
「最後のお願いです。」
ノクティスは穏やかに頷く。
「はい。」
まりは少しだけ考え、小さく息をついた。
「最後は、お願いではなく約束にしてください。」
その一言を聞いた瞬間。
ノクティスの表情が、はっと変わった。
驚いたように目を見開き、まりを見つめる。
しばらく言葉はなかった。
やがて、優しく微笑む。
「……わかりました。」
その返事だけで十分だった。
ノクティスは立ち上がると、まりをそっと抱きしめる。
壊れ物を包み込むような、優しい抱擁だった。
まりも静かに抱き返す。
どれくらい、そうしていただろう。
やがてノクティスはゆっくりと身体を離した。
「二年だけ。」
「ゆっくり眠っていてください。」
まりは小さく頷く。
「はい。」
その瞬間。
まりの身体が淡い光に包まれた。
光は輪郭を失い、小さな光の粒となって舞い上がる。
無数の光は、ゆっくりと一つへ集まり。
澄みきった青い宝石へと姿を変えた。
ノクティスは両手でそっと受け止める。
まるで、世界で一番大切な宝物を抱くように。
青い宝石は静かな温もりを宿し、淡く輝いていた。
ノクティスは宝石を胸元へ抱く。
そして、少し離れた場所へ視線を向けた。
そこには、寄り添うように揺れる二つの小さな光。
ノクティスは穏やかに微笑む。
「さあ。」
「先に行っておいで。」
「彼女を、待っていてあげて。」
二つの光は嬉しそうに瞬くと、寄り添ったまま白い世界の彼方へ飛び立っていった。
その姿を見届けたノクティスは、もう一度、青い宝石へ視線を落とす。
優しく微笑み、小さく語りかけた。
「さあ。」
「いってらっしゃい。」
「愛しい人。」




