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棘を抜くまで~寝取られ令息と底辺令嬢が、愛を深めていく~  作者: 高取和生@コミック1巻発売中


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5/7

瞼は閉じない

 アナベラの声は、ひび割れていた。

 それは真実の愛を掲げて駆け落ちした末に、現実に打ちのめされた者の音。


「アナベラ様は、ジュネシス様の弟君とご成婚されたはずです」


 震えを抑え、ユリカは言葉を選ぶ。


「もうすぐ離婚するの。だから元に戻るのよ」


 理屈ではなく、願望。

 ああ、そうなのか。 

 ユリカは理解した。この女性は、過去に縋っているのだと。


「申し訳ありません。ジュネシス様は、わたしと結婚されます」


 その一言で、アナベラの表情が歪んだ。


「あなたみたいな地味な女が?」


 胸に刺さる棘。

 それでも、ユリカはアナベラを見据える。

 逃げたくない。


「わたしは、ドーマン家嫡男の妻になる者です」


 虚勢ではない。

 自分で選び、ここに立っているという事実。


 アナベラが腕を伸ばした瞬間、布の裂ける音がした。


 恐怖に、視界が白くなる。

 でも。

 だからこそ。 

 ユリカは、目を閉じなかった。


 

 アナベラは唇を噛む。


 どうして、こんなはずじゃなかったのに。


 客間に立つ女を見た瞬間、胸の奥で何かが割れた。

 あの頃、自分が立つはずだった場所。自分の未来だったはずの位置に、別の女がいる。


 愛を選んだのは、間違いじゃなかった。そう思わなければ、ここまで来た意味がなくなる。弟を選び、家を捨て、すべてを賭けた決断だったはずだ。


 けれど現実は、愛だけでは守ってくれなかった。生活は荒れ、優しさは疲弊し、かつて誓った未来は、日に日に色を失っていく。


 ――それでも。


 戻れる場所があるなら、取り戻していいはずだ。

 そう信じたかった。信じなければ、自分の選択そのものが、過ちになってしまうから。


 だから、この女が憎いと思う。

 静かで、怯えているのに逃げない。その態度が、かつての自分にはなかった強さを映しているようで、耐えられなかった。


 伸ばした手は、奪うためではない。確かめるためだったのだ。

 だが、布が裂ける音がした瞬間、アナベラは悟った。


 自分はもう、選ぶ側にはいないことを。

 選ばれなかったのは、あの時のジュネシスではなく――今の自分なのだと。


「そこまでだ」


 聞き慣れた声が、空気を断ち切った。


 ジュネシスが立っていた。

 息を切らし、アナベラの腕を押さえ、そのまま護衛に引き渡す。


 彼は、ユリカの肩を抱く。


「すまない」


 短い言葉。

 だが、その背中は、過去ではなく、今を選んでいた。

 ユリカは、初めて涙をこぼした。

 怖かった。

 それでも、逃げなかった自分を、少し誇らしく思えた。


 選ぶという行為は、恐怖を消さない。

 前に立つ覚悟を与えるのだと、ユリカは初めて実感していた。



 ――アナベラ


 屋敷を出されたあと、馬車の中でアナベラは爪が白くなるほど拳を握りしめていた。


 屈辱だった。

 拒絶されたことではない。

 哀れまれることなく、ただ「過去」として扱われたことが。


 あの女は、泣き叫びもしなかった。

 勝ち誇りもしなかった。

 ただ、そこに立っていた。


 それが、何より耐え難かった。


 かつて自分が誇りにしていたのは、選ばれる美しさだった。誰かに強く求められ、手を引かれて未来へ進む――その役割を、疑いなく自分のものだと思っていた。


 だが現実は、違った。


 愛を選んだはずなのに、生活はすり減り、情熱は義務に変わり、いつしか「選ばれた」という実感だけを、過去から掘り起こすようになっていた。


 ――戻れば、また選ばれる。


 そう信じたかった。


 けれど今日、はっきりと思い知らされた。

 選ばれることは、待つものではない。

 立ち続ける者にだけ、与えられるのだと。


 アナベラは、窓に視線を逸らした。

 そこには頬がこけた女が、涙を流している。

 涙を拭った彼女の指は、ささくれだらけで荒れていた。

 

 後悔が胸を満たす。

 それを誰のせいにも出来ないことを、アナベラは分かっていた。


 夫の、ライルの元に帰ろうか……。


 

 ――ライル


 酒場の隅で、ライル・ドーマンは杯を見つめていた。


 兄の婚礼が近いという噂は、否応なく耳に入る。

 アナベラが兄の屋敷に乗り込んだと知った時、止めることも出来ず、追うこともしなかった。


 それが、自分の立ち位置だと理解していたからだ。


 兄から奪ったのは、女だけではない。

 信頼と、家名と、自分自身の居場所だった。


 愛していたはずだ。

 だが、守り切れなかった。


 選んだはずの人生で、責任を果たせなかった事実だけが、重く残っている。


 杯を煽っても、何も変わらない。


 兄は前を向き、選ばれ続けている。

 自分は、過去にしがみついたまま立ち止まっている。

 その差を、ようやく理解した。


 ざまあみろ、と思う相手は、もういない。


 残ったのは、やり直せない選択と、生きるしかない現実だけだ。


 アナベラは、帰ってくるだろうか……。

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― 新着の感想 ―
爵位と領地をもらったはずなのに、生活に困窮してるふうなのが不思議です。お母様はそれほど甘い人ではなかったということでしょうかね。 さらなる恥の上塗りをさせないために、自由に領地から出られないよう見張り…
哀れな( ˘ω˘ )
 凄い‼️  奥行きのある回ですね❗  世間知らずが招いた身勝手の結果が哀しいです。  表現が秀逸で説得力が凄い‼️  羨ましいですう。ヾ(o゜ω゜o)ノ゛
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