第三十二話 虚空のカーテンコール
「嬉しそうな顔ね」
「え、ああ、そんな顔してましたか」
「これからもう一人仲間が増えるんだ、それに病葉君きみのおかげで大惨事を回避できたんだ」
「いえ。お二人がいなかったら俺なんて…」
詩子のコンサートは何事もなく無事終わり、俺は研究室で今日の出来事を二人に話した。二人ともその話を聞いて安心してくれたようで、詩子の今後についても協力してくれると言ってくれたのだ。
そして、俺は南に頼み詩子と連絡を取ってもらった。明日は学校に登校してくれるらしいので、電子黒板の様子でも見に来たと理由をつけて学校にゆき、もっと話合いをして今後の事を決めようと思っている。
「それにしても、あなたがクラシック好きだったなんて意外だわ」
「あー、好きというか…言うと似合わないって言われるから黙ってたんですが…」
「中学までバイオリン習ってたんですよね」
「ふふっ…あなたが…」
「あ、ほら笑った」
「いえ、あまりにも意外だったから」
「意外だね~それは凄い、ぜひ今度聞かせてよ」
植木さんも笑ってるが、どこまで本気なのか突っ込みにこまる。
「だから言いたくなかったんですよ」
研究室がこんなに和やかな雰囲気に包まれたのは久しぶりだ。明日からはまた新たな能力者が加わる、きっともっと明るくなるはずだ。
翌日、――――――
時間は正午過ぎ、今日本当は放課後になる夕方に学校に来るはずだったが急遽、灯星高校に俺は駆け付けた。学校の教員に予定より早く来た事を伝える。
「すみません、ちょっと予定より早く来たんですが川島詩子さんは今どこに居ますか?」
俺は怪しまれないように、焦る気持ちを押さえて質問した。
「ああ、川島さんなら職員室で話した後、自分の荷物を片づけるよう言いましたので…多分、音楽室じゃないですかね?」
「川島さんに何か用でも?」
「あ、ええ。以前いろいろお話を聞かせてもらったので、でそれで彼女が転校するというのは本当ですか?」
「ええ、今日私も聞いたんですが、なんでも演奏のため海外に行くとか、」
「ありがとうございます!」
俺は急いで音楽室に向かう。
つい先ほど、南から連絡があり詩子が転校をするという事を教えられた。やはり音楽に集中するためというのが理由らしく、別れは悲しいが南と友達になれて良かったなどやり取りをしたとの事…
あのコンサート以降で気持ちの変化があったのだろうか、詩子の急な変化が気になった。俺は会社を飛び出しバイクを走らせ今に至る。
音楽室の扉を開け中に入ると、教室の窓を開け外から吹き込む、風に髪を揺らせて外を見ている詩子を見つけた。どうやら間に合ったらしい。
「転校するんだって?」
詩子は振り返ると、笑顔で答えた。
「ええ、急になってしまい申し訳ございません」
「一人で大丈夫なのか?行先は?」
「いえ、一人じゃありません、アメリカで仕事をしている母の元で暮らす事にしました」
意外な言葉に戸惑った。詩子は少なからず母親に憎しみの感情を抱いていると思っていたからだ。
「あー、大丈夫か?母親と上手くやれそうか?」
「ええ、母も喜んでいます」
「そうか、なら良かった」
「もう、詩子の生演奏が聴けないというのは寂しいよ」
「はい。お世話になりました。先生」
詩子はお辞儀して答えたが、俺はその言っている意味が理解できなかった。
「それでは、そろそろ時間ですので失礼します」
詩子は教室を出ようと、扉の方へ歩み出した。
――――――その刹那、すれ違う詩子の横顔に違和感を感じた。
「あー、詩子。パガニーニ…」
忘れていた事を思い出すように、詩子の方を振り返り話しかける。
「この前の話、パガニーニは演奏中にバイオリンの絃が次々と切れ、残った絃1本だけで見事なコンチェルトを演奏したって…その絃はどの絃だっけ?」
その問いかけに対して詩子は立ち止まり、そして振り返る。
「バイオリンの一番太い絃、『G』ジー線よ」
詩子は笑顔で答える。
「ああ、そうか…ありがと」
答えた詩子は軽く会釈をして、再び出口に向かい歩みを進め、扉を開けようと手を伸ばした。だが、その細い右腕は俺の手に握られ阻止される。
俺は彼女の開けようとした右手を背後から左手で掴み、引っ張りこちらの方に向かせた。そして俺は再び問いかける。
――――――――「お前は一体誰だ?」
目と目が合いお互い何も話さず見つめ合う。
「何を言ってるの?私は川島詩子よ。その手、離してください」
「詩子、日本人で『G』線をジーと呼ぶ人はいない、ドイツ語でゲー、なんだ…」
「詩子がそんな事知らないはずがない!お前は一体なんなんだ!」
その瞬間、目の前の川島詩子はまるで色のついた煙のように変化し、その煙の中からは詩子より背の高い男の顔が徐々に露になり、まるで雪のように白い白髪の髪をして、青い瞳の外国人のような顔立ちの若い男が現れた。
俺はあまりの出来事に言葉を失い、掴んでいる腕を見ると太くたくましい男の腕に間違いはなかった。
「ちっ、やぶられたか」
その言葉で我に返り、今俺が話さなければならない事を考えた。
「詩子は、川島詩子はどこにいる!」
男はその問いかけに対して言葉ではなく、行動で答えた。
素早く右足に重心をかけ体をひねると、強烈な左の蹴りが俺の脇腹へと叩き込まれる。一瞬にして呼吸が苦しくなる、掴んでいた手は放してしまい、そしてすぐさま二撃目の右足の前蹴りを胸へと受ける。
ガラッ!ガラン!ガラッ!
男に思いっきり蹴飛ばされた俺は、背後の教室の机や椅子を押しのけ倒し、床に倒れた。プロテクターが無い状態でのダメージはすさまじく、息をするのがやっとの状態で上半身を起こすのが精いっぱいだった…
そこに男は素早く近づき、片手で俺の胸ぐらを掴むと腰の辺りから折りたたみ式のナイフを取り出し、刃を俺の頬にあてた。
「あの役立たずは、処分された」
その言葉を聞いて耳を疑った。
「どう…い…う事だ」
「あいつも命令に背けばどうなるかぐらい解っていたはずなのに。まぁただの捨て駒にすぎなかったという事だ」
「う…たこを返せ…」
俺は男の太もも辺りのズボン、ポケット辺りの位置を掴んだ。
「もう無駄だ。川島詩子の事は忘れろ。でないとあんたは死ぬ事になる」
すると男はナイフを顔から離すと同時に、俺の顔面に強烈な拳を一撃加えると手を離し立ち上がった。とてつもない痛みで、骨が折れているんじゃないかと疑った。うつ伏せに殴られたヶ所を手で押さえる。
「うっ、はぁ…!」
すると男が離れていくブーツの足音が聞こえた。俺はうつ伏せのまま男の方に向きを変え、起き上がろうとするが中々、力が入らない。
詩子を処分したという男の言葉からの喪失感、突き付けられた刃物の恐怖、理不尽に受けた暴力の傷跡、そして口の中に広がる鉄の味。それら全ての情報と感情が、自分の体を動かす妨げになっているのを感じた。
恐い、怖い、こわい!あの男は絶対にかかわってはいけない人間だ!例え今あいつに立ち向かってもこのダメージで勝てるわけがない…もう、このまま…
目の前の男は扉を開け、教室を出て行ってしまう。その様を見て、俺は床に拳を叩きつけ目を瞑る。
『痛い、痛い、仕方ないじゃないか…もう、詩子は…』
そう心で考えた時、あの時の詩子との記憶が蘇った。
――――――――――“この角、よくみると可愛いじゃないか”
“きっと詩子も友達になれるさ”――――――――――――――
『そうだ、俺は詩子と約束したんだ。また途中で投げ出すのか?いやもう二度としない!そう俺は心に誓ったんだ。そして俺に力をくれたんだ…』
俺は再び目を開けると、全ての力を振り絞り立ち上がった。
『恐怖に耐えるために感情を捨てて、この先自分の身に何が起ころうとも興味を示さず、周りの人間の事は気にしない、昔の強い自分に戻るんだ』
そのまま教室を飛び出し、学校に止めてあるバイクへと向かう。ポケットからイヤホンを取り出し装着する。
「妃さん!聞こえますか!」
“ええ、聞こえるわどうしたの?”
「緊急事態です!新たな能力者を見つけました!それでその男にこの前作ってもらったチップ型の発信機を付けたんですが追えますか?」
“わかったわ!起動してみる”
学校の中を全力で走り抜け、バイクにまたがりヘルメットを被りスマホをバイクにセットする。
“まだ学校の近くよ!スピードからして恐らく車に乗ってるわ”
「分かりました、ルートの表示お願いします!」
あいつと別れてからそんなに時間は経過していない。必ず追い付ける。もし止められなくても車の車種やナンバーを確認するだけでも詩子への手がかりになるはずだ。俺はアクセルを全開にして市街地を疾走する。
―――――“かならず俺たちが詩子を守る、約束する”―――――
俺は過去のその言葉だけを考えればいい、恐怖心など何も感じない。
次回 【第三十三話 ペインチェイス】
関連情報紹介
バイオリンの絃について:日本ではGゲー、Dデー、Aアー、Eエーと4本の絃の名前はドイツ語読みするのが一般的で、G線が最も低い音を奏で、そこから順にE線が最も高音で細い絃です。
パガニーニの伝説:彼については数々の逸話が残されているが、バイオリンの絃が次々と切れてゆき、最後に残ったG線だけで曲を演奏したという有名なエピソードがあります。しかしこれは彼の演出だったと言われています。4本ある絃が順に3本が切れるなんて事はほぼありえませんし、都合良くG線が残るも不思議です。なのでテクニックをアピールするため、会場を盛り上げるための演出と考えられています。
YouTubeリンク Paganini Plays In A Tavern
https://www.youtube.com/watch?v=O1_Ffdlk0Uc




