第三十一話 幸せの呼び鈴
風を切りさき、音を置き去りにして駆ける一台のバイク。鉄でできた烏合の箱たちを巧みにすり抜け、青い光が輝くたびに狂暴なうなり声をあげ黒の一文字を道路に描く。
「妃さん!交通量の少ない道は他にないですか!?」
“それが最短ルートよ、落ち着いて。今からでもギリギリ間に合うわよ”
「わかりました…」
俺は焦る思いを必死に抑えながら、アクセルレバーを強く握った。
川島詩子のコンサートの場所は当初、尼宮市の音楽ホールで行われると発表していたが、それは誤りで当日になり別のコンサート会場で公演だったとコンサート運営側が訂正し発表しなおしたのだ。だが本当の川島詩子を知っている俺たちからすると、これは恐らく運営のミスではないと直感した。こういった事柄は軍事行動での欺瞞工作でよく見られる手法だからだ。
詩子の背後には何者かがいるのはわかってはいるが、それは想像以上にやっかいな存在なのかもしれない。出来れば慎重に事を運びたいが、南から一通の連絡を受け取った。
“詩子ちゃんから連絡あったよ!”
“今日のコンサートに私を招待してくれたの!”
その短いやり取りは俺を驚愕させると同時に、焦らせるには十分な内容だった。
詩子と対峙した時の言葉、“今度は私がみんなを戦わしてあげるの!それが私の願いなの!”そして、妃さんの“彼女はもっと大きなモノを見ている”その事を踏まえると詩子は日本での初コンサートであの悪夢を見せる演奏をする気だ。コンサート会場は2000人規模であり、もしその人数にあんな悪夢を見せたらパニックになるどころか殺し合いにまで発展してもおかしくない…
目の前に大型トラックの扉が迫る、ブレーキをかけ素早く車線変更し、躊躇なくアクセルを全開にする。浮き上がる前輪を抑え込みつつ前方にただ突き進む。この時俺は怒りも感じていた。詩子にではなく、それを利用している者がいるという存在にだ。詩子の開花した能力は素晴らしい才能に間違いない。
通常の演奏と幻覚を見せる演奏、二種類存在するという事はその両者には、演奏する上で違いがあるという事であり、詩子はそれの弾きわけをしている。恐らく、筋肉や関節の動かし方、さらに呼吸までも訓練している通常のバイオリニスト、それ以上の精密さや集中力を使っているはずだ。それだけのモノを手に入れるのに詩子は、一体どれだけの過酷な訓練をしてきたのだろうか…
しかしその努力を誤った扱い方に導いている者がいる。音楽で人を殺そうと企んでいる者がいる、しかも自分で手は下さず、少女の手を血に染めさせようとしている…
――――――――そんな事は絶対にさせない。
俺ははやる気持ちを押さえながら、バイクを停車させコンサートホールに到着した。さすが2000人規模の音楽ホールだ、大きな建物がそびえ立つ。
「妃さん、内部の間取り地図送ってもらえますか?」
“ええ、言われた通り準備したけど、チケットもないのにどうやって入るの?”
「いえ、チケットは必要ありません。考えがあります」
俺はヘルメットとコートを脱ぎ、ポケットから首から紐で掛けるタイプの名札を取り出し、松澤の社員証を中に入れ首からさげた。
こんな大きな施設出入り口は沢山あるはずだ。俺はすこし周りを見回し従業員が出入りしている姿と入り口を観察する。
「あそこなら…」
入り口がわかれば後は度胸だ。あたかもコンサート関係者、スーツ姿に何らかの社員証を下げ出入りする関係者を装い、自信満々に通れば誰もが騙される。もし話しかけられそうな雰囲気があれば携帯電話で会話しているふりをしながら歩けば誰も止めようとはしない。
俺はそうして施設内部の裏側へと潜入した。そして妃さんに送ってもらった地図を確認して演奏者控室を目指す。詩子はソロ奏者なのでどの控室かは、大体見当がつく。
“どう?中にはいれた?”
「ええ、大丈夫です。今控室を探しています」
“たまにあなたの行動力が恐ろしくなるわ、犯罪者にならなくて良かったわね”
「もし次転職する時は、そうします」
“ばか”
それにしても大きな施設だ。いろいろな人とすれ違うが誰も俺を疑う気配は感じられない。途中道を間違いステージの袖の方に来たが、観客席は人でいっぱいだ。この中には南もいる…
唯一気がかりなのは、なぜ南一人を招待したのかだ。南と楽しそうに話していた詩子の表情はとても嘘だとは思えない。普通は巻き込むまいと友達を遠ざけるはずだ。そうこう考えながら詩子の控室を見つける。辺りを振り返り近くに人がいない事を確認する。もうすぐコンサートは始まる。
俺は深呼吸をしてから、ドアをノックする。
「はい」
詩子の声だ、ドアノブを回し部屋に入った。
部屋に入り、戸を閉めると詩子と向き合った。肌が露になった肩から伸びる細く白い腕、彼女は演奏用の白いドレス姿で、まるで天使のような神々しさだった。しかし俺の顔を見るや、その天使は暗く悲しい顔になってしまった。
「病葉さん…」
「すまない…どうしても詩子と話をしたくて…」
しばらくお互い黙っていると詩子は口を開いた。
「これから、私が何をしようとしているのか分かってるんですね。私が今日演奏する曲は悪魔と言われた男の曲。病葉さんが学校で褒めてくれた曲です…」
「ああ、だが。パガニーニは悪魔じゃない!偉大なバイオリニストだ、そして詩子も、それは同じだろ…!?」
「これでも同じと言えるの!?」
振り返る詩子の頭には大きな白い角が二本生えていた。
「これが私の本当の姿、そしてこんな私の演奏は人を不幸にさせる。それが私の才能だった…」
「・・・」
「それは、お父さんの事か?」
「!?」
「なぜ病葉さんがそれを…」
「あれから、詩子の事を調べさせてもらった。ヨーロッパ各地で演奏していた時、お父さんは詩子の演奏を聴くため飛行機に乗ったが、その飛行機は事故に遭いお父さんは亡くなった…」
「・・・」
「そうよ!?お父さんは私のせいで死んだの!私がバイオリンなんてやっていたから、私が…そうさせた母が…」
「詩子のせいなんかじゃない!残酷かもしれないが事故なんだ、誰のせいでもない!自分を責めるのはやめるんだ…」
「それに、もしここであの能力を使えばどれだけの人が苦しむと…お父さんはそんな事のぞ、」
「うるさいぃ!!」
「父が死んでから、母は狂ったように私に指導した。人を寄せ付けず誰にも負けないように、何度殴られたかわからない…それでも、もう私の音楽を聴いてくれる父はいないのよ?」
詩子はこれまでにない絶望感いっぱいの表情で、視点は狂ったように前だけを見ていた。
「観客たちは知らない。そんな私の戦争を。ただ人と争う事だけを求め、作られた私という作品を!!」
「だから今日それを見せると?」
「ええ、そうよ!それが私の…地獄のような練習の日々もこの日のためだけに耐えてきたのよ!!」
「人を…傷つけるんだぞ…!死ぬかもしれないんだぞ!!」
「本当の私は人を苦しめたいの、傷つけたいのよ!父のいない世界なんてどうでもいいの!」
「そんな…!」
「そこをどいて病葉さん!そろそろ時間よ。それともここで私が叫び声をあげた方がいいかしら?」
外に出ようと詩子は目の前まで迫る。近くでみる詩子にあの日、放課後の音楽室で演奏し、恥じらいながら友達の事を語る、俺の知っている川島詩子の面影はどこにもなかった。それは憎しみや後悔という感情だけのとても狭い世界に入り込んだ人間の目つきをしている。なぜそんな風になってしまったんだ…
「事故なんだ詩子、悔しいが幾ら憎んでも仕方ないんだ」
「父が死んだのは仕方のない事だって言うの!?」
「違うそうじゃない!自分を憎んでも良い、絶望しても良い。だがどこかでその感情は止めなきゃならない!全てを憎んじゃダメだ!」
「それに本当の自分は人を苦しませたい、傷つけたいと言ったが、それは嘘だ!」
「そんな能力があるから…そんな能力があるから!簡単に人を傷つけようと思うんじゃないのか!?」
「!?」
「誰でも人を傷つけたいと思う事なんてあるさ!それでも我慢して耐えて、自分の心と折り合いつけて次に向かうんだ!」
「能力なんかに振り回されちゃダメだ!詩子の演奏は人を幸せにできるんだよ!俺は演奏が聴けて幸せだ、詩子と出会えて…俺は幸せだ!!」
「そ…そんな事言わないでっ!」
「私は、本当の私は・・・」
「傷つけたいのか?ならなぜ南を呼んだんだ?」
「!?…花岡さんが来てるの?」
「詩子が呼んだんじゃないのか?」
「そんな、どうして、どうして…」
詩子は膝から崩れ落ちて顔を手で隠した。
「南も来てる、なぁ。もうこんな事やめよう?」
「ダメよ、もう私には、あの人の指示に従うしか…」
涙を流しながら詩子は答える。
「大丈夫だ。誰に指示されているかは知らないが、俺の他にも信頼できる仲間がいる、きっと詩子も友達になれるさ。かならず俺たちが詩子を守る、約束する」
俺は詩子の頭に手を置き、優しくなでた。
「この角、よくみると可愛いじゃないか」
「こんな私が自由になれるのかしら?」
「ああ、問題ない大丈夫だ」
優しく詩子に語り掛けていたが、この時俺の心の中では怒りの感情に支配されていたのだ。ここまで詩子を追い詰めた人物が憎い、憎くてたまらない。何故その人物は優しい言葉や本当の言葉をかけてやらなかったのか?決まっている悪だからだ。
しばらく詩子はそのまま泣いていた。
そして詩子は顔を上げると、涙をぬぐい立ち上がった。
「本当に約束してくれますか?」
「ああ、約束する」
「・・・」
「もう一つ約束して欲しい事があります。花岡さんも必ず守ると約束してください」
「み、南もか?あ、ああ別に良いけどどうして?」
コンッ!コンッ!
職員が扉を開け、部屋に入ってきた。
「川島さん、そろそろお時間ですのでお願いします。あら、こちらの方は?」
「この方は私の友人です。特別にお呼びしました」
「あ、そうでしたか。ではご準備お願いします」
そう言うと部屋から職員は出ていった。
詩子は鏡で身なりを確認して、バイオリンケースを手に持ち扉を開けた。その姿は今までの悲痛な表情の少女ではなく、偉大なバイオリニストの顔だった。
「詩子の最高の演奏を観客たちに聴かせてやってくれ」
詩子は満面の笑みで答えてくれた。しかし、ドアノブを離す前に一旦立ち止まると詩子は話した。
「パガニーニは大事なコンサートの前にギャンブルをしました。その時賭けたものは何かご存知?」
「ああ、当然知ってるさ。パガニーニは賭ける金が尽きると自分のバイオリンを賭けた。コンサートが控えているというのに。そしてギャンブルに負けて大事なバイオリンを失った。随分、破天荒な人だったらしいな」
そう詩子の質問に答えると、詩子はまた満面の笑みをして会場へと向かった。
俺もしばらくしてから来た道を戻るが、途中ステージの袖に立ち寄った。
“次は、川島詩子さんによるソロ演奏。曲はパガニーニのラ・カンパネラです”
そのアナウンスを聞いて驚いた。近くのスタッフに確認する。
「あの、すみません。川島詩子さんの曲はカプリース24番では?」
「ああ、なんでも川島さん本人が急に演奏曲を変えたいと言い出したみたいで、困るんだよねー、勝手な事されちゃあ」
「はぁ、そうですか…」
盛大な拍手に迎えられ、スポットライトに照らされながら歩く詩子の美しさに俺は魅了された。
そして、演奏が始まる。
勢いよく奏でられ、ホール中に響き渡る音色はまさに天使の歌声だった。これこそシューベルトやリストが魅了された、まさに幸せの鐘の音だ。ずっと演奏を見ていたいと思ったが、これ以上ここに居ては詩子に迷惑がかかってしまうな。
俺は天使の歌声を背に、妃さんに連絡を取りながらステージ袖の階段を下った。
『花岡さん聴いてくれていますか?これが今私にできる最高の演奏です。花岡さんはあの日、名前で呼んでと言ってくれたのに私恥ずかしくて…呼べなくて…ごめんね』
『お父さん私初めて友達ができたの名前は南ちゃん。とっても明るくて優しいの』
『病葉さん、パガニーニはバイオリンを賭けた、なら私は・・・・・・。』
次回 【第三十二話 虚空のカーテンコール】
関連情報紹介
*1 ラ・カンパネラ:イタリア語で「鐘」という意味。
YouTubeリンク Joanna Ruseva - violin: Paganini Kreisler - La Campanella
https://www.youtube.com/watch?v=Xk9drhd_5U4
*2 シューベルト:フランツ・シューベルトはオーストリアの作曲家。日本では「魔王」の歌曲の作曲家で広く知られている。当時人気で高額なパガニーニのコンサートに行くため家財道具を売り払いお金を作ってまで聴きに行った事がある。
*3 リスト:フランツ・リストはハンガリー出身のピアニスト、作曲家。ドイツやオーストリア、ヨーロッパ各地で活動し、パガニーニに影響され「俺はピアノのパガニーニになる」と言って何時間も部屋にこもり練習していた事があり、ピアノ用に編曲されたラ・カンパネラも素晴らしい曲になっています。




