第五話 5
その頃、米田から逃げ切った山田さんは、その足で芳子のクリニックに向かっていた。山田さんは、米田がもう追って来ていないと分かっていても走り続け、芳子のクリニックに辿り着いた時は、酷く疲れ切って肩で息をしている状態だった。芳子は、そんな山田さんにペットボトルのミネラルウォーターを差し出し介抱していた。午後六時をとっくに過ぎていて、診療時間も終了していたが、突然の山田さんの訪問に芳子も快く応じたのだった。
「先生、私、どうしていつもこんなことになるんでしょう?」
診察室でも山田さんはタオルケットを被ったままだったが、いつも芳子の質問に、首を振ってイエスかノーでしか答えたことがなかったのに、今日は山田さんのほうから声を出して芳子に質問していた。
「こんなことに、とは?」
「誤解されるんです。色んな人に色んなことで責められるんです。外を歩いていても『全部お前のせいだ! お前は疫病神だ! 消えろ!』と言われるんです」
「ちょっと待って! 知らない人にも責められるの?」
「はい」
「この間、薬を出したでしょ? あの薬を飲んでからも知らない人に責められるの?」
「あ、いえ、お薬を飲んでからは責められてません」
「じゃあ、今、責められているのは、知っている人なのね?」
「はい……」
「もしかして、保険外交員の米田という人に責められているの?」
芳子がそう問うと、山田さんはタオルケットを被ったまま深く頷いた。
「米田さんは、山田さんにとってどういう人なのか教えてくれる?」
「……こ、恐い人です」
「あ、ごめんね、質問の仕方が悪かったわね。山田さんと米田さんの関係性を教えて欲しいの」
「会社の米田課長の奥さんなんです」
「会社の上司の奥さんなの?」
「はい」
「どうして上司の奥さんが、山田さんを責めるようになったの?」
「四月に会社に入社して、新入社員の歓迎会があったんですけど、その歓迎会の後、課長と帰る方向が同じだということで、一緒にタクシーに乗って送って貰ったことがあったんです。でも、課長のご自宅より私の下宿のほうが遠かったので、課長の家に先に寄ったんですけど、その時に玄関前で私がタクシーに同乗していることを奥さんに目撃されたんです。勿論、私は奥さんに普通に会釈して挨拶しました。それで終わるかと思っていたのに、奥さんは急に怒りだして、私をタクシーから引き摺り降ろしました。そして、『あなたが主人の浮気相手なのね!』と突然責められたんです」
「ただ、タクシーで送って貰っただけなのに?」
「はい……」
「それから、ずっと奥さんに付け回されてるの?」
「はい。でも、付けられるだけでなく、最近では、会社の中まで入って来て、罵倒されることもあります」
「会社の中まで!?」
「はい」
「もしかして、奥さんは旦那さんの会社の中の様子を知りたいから、保険の外交員をするようになったのかしら?」
「そうかもしれません。うちの会社は人材派遣の会社で人の出入りが激しいから、保険の外交員じゃなくても気軽に部外者が入れるほうではあるとは思うんですけど、奥さんは保険外交員だと都合がいいと思ったのかもしれません」
「でも、いい迷惑ね。山田さんは彼女に勘違いされただけじゃないの。課長の浮気相手は別にいるんでしょうに」
「でも、私にも問題があると思うんです」
「どうして?」
「だって、短大時代、いえもっと前から、みんなに責められてましたから」
「え? 『全部お前のせいだ! 消えろ!』って責められてたの?」
「ええ」
芳子は山田さんのその言葉を聞いて、ふぅとため息を吐き、「山田さん、良かったら、そのタオルケット、脱いでみない? 勿論、山田さんが嫌なら脱がなくてもいいのよ。でも、山田さんに見て欲しいものがあるの」と言った。芳子がそう言っても、山田さんはずっと沈黙したままだったが、やがて意を決したかのように、彼女はタオルケットを脱いだ。芳子は、そんな山田さんを見てにっこりし、彼女に手鏡を渡した。
「山田さん、タオルケットを脱いでくれてありがとう。もし良かったら、その鏡で自分の顔を見てみて欲しいの」
芳子がそう言うと、山田さんはおずおずと鏡に映った自分の顔を見た。そして、その横から芳子も一緒に鏡を覗き込んだ。
「なにが見える?」
「なんにも……」
「なんにも?」
「はい、特になにも……」
「私には山田さんのとびきり美しい顔が見えるけど?」
「……」
「山田さん、山田さんは自分の顔が嫌いなんでしょ? だから、タオルケットを被って歩いているんでしょ?」
芳子がそう言うと、山田さんは頷き、やがてポロポロと涙を流し始めた。そして、いつも自分は友達を大切にしたいと思っていたのに、気付けば仲間外れにされていたり、友達の彼氏から望んでもいない告白をされて友達から裏切り者扱いされたり、今回のことだって浮気相手と勘違いされてしまったり、こんな顔に生まれなければ、自分はもっと幸せだったはずだと語った。タオルケットを被っていたら顔を見られなくて済むし、人によっては恐がって近寄って来なくなるから、自分にとって格好の逃げ道になっていたとも語った。
「でも、ここに最初に来た時は、髪の毛も短かったのに、今は伸ばしてるんでしょ? それに女の子らしい可愛い洋服や雑貨も本当は好きなんでしょ?」
芳子がそう山田さんに問うと、彼女は黙って頷いた。
「山田さんは、殻を破って外に出たがってるのよ。私は、山田さんは自分の好きなようにすればいいと思うよ。山田さんのお父さんもお母さんも躾に厳しい人だったわよね? 山田さんは良い子過ぎて、今の会社だって自分が本当に入りたくて入った会社じゃないんじゃないの? 私は可愛いお洋服や雑貨を売るって仕事、とっても素敵な仕事だと思うよ」
芳子がそう言うと、山田さんは目にいっぱい涙を溜めて頷いた。




