第五話 6
米田とその男性は、カフェのテーブルに向かい合って座り、睨み合っているばかりでさっきから一言も喋っていない。外での剣幕は一体どこへ行ったのか?と思うように、米田は黙っていた。祐樹も米田の向かいの席、つまり男性の隣りの席に座り、二人の様子をただ見守っていた。しかし、痺れを切らした男性は、沈黙を破った。
「申し訳ないけど、何故、君と美由紀が言い合いをしていたのか教えてくれるかな?」
その男性は祐樹に向かってそう言うと、続けて「済まない、申し遅れたけど、僕は美由紀の亭主の米田正之と言うんだ」と懐から名刺を出して祐樹に渡した。祐樹は差し出された名刺にマジマジと見入ったが、済まなさそうに「あの僕、小さなカフェを経営してるんですけど、名刺は作ってないんです。桜木祐樹と申します」と言った。
「それでどうして、君とうちの家内が路上であんなことに?」
「最初から話せば長いので手短に言うと、うちの姉がクリニックをやってまして、精神科のクリニックなんですけど、山田さんは姉の患者さんなんです」
祐樹がそう言うと、米田美由紀はびっくりして祐樹を見た。
「じゃあ、彼女が病気だというのは、嘘じゃなかったのね?」
「そうです。だから、僕は心配になって山田さんの後を付けるようなことをしてたんですけど、そしたら、米田さんの奥さんに行き当たったわけです」
「山田さんを付けてたら、同じく彼女を付けてるうちの家内に遭遇したということか……」
祐樹は、『正確には、奥さんを付けてたら山田さんに遭遇したとも言えるんだけどな』と思いつつ、そのことは黙っていることにした。
「でもな、美由紀、何度も言うけどな、彼女はなんにも関係がないんだよ。いい加減にしないと彼女に迷惑じゃないか」
「そうですよ。病気だから、会社の外ではタオルケットを被って歩いているわけだし……」
「だったら、あの子の他に浮気相手がいるってことなの?」
「浮気相手なんかいない。すべて君の妄想だ」
「だったら、どうして日曜日の休日出勤の時に、携帯の電源を切ったままにしているの? 浮気相手と会っているからじゃないの?」
「あれは、たまたまクライアントと交渉をしてたからだよ。いつも電源を切ってるわけじゃない」
「メールだって見せてくれないじゃない」
「見たところで何もないからだよ。そんなに見たいのなら、今見ればいい」
そう言って、米田正之は妻の美由紀に携帯のメールを見せていた。米田美由紀は携帯のメールを確かめていたが、どれだけ探しても怪しいメールは見つからず、ふぅと大きなため息を吐いた。
「米田さんご夫婦は恋愛結婚ですか? プロポーズは旦那さんの方から?」
祐樹が唐突に訊ねた。すると、米田正之は「そうだけど?」と答えた。
「米田さんは奥さんに愛されて幸せですね」
「まぁ、そうだね。たまに逃げ出したくなる時もあるけど……」
米田正之はそう言うと、妻の美由紀をちらっと見やった。米田美由紀は、少しだけ怒ったように頬を膨らませていた。
「奥さん、奥さんは幸せじゃないですか、プロポーズされて結婚したんだから。旦那さんは奥さんのことが好きじゃなかったら、プロポーズなんかしてませんよ。恋愛結婚の場合、大抵の場合は男からプロポーズするのが殆どだと思うし、旦那さんのほうが奥さんにゾッコンだと思うんです。でも、米田さんの場合は、旦那さんも奥さんに浮気を疑われるくらい愛されてるってことでしょ? そんなの、ただの痴話喧嘩じゃないですか! 僕なんかこの歳になっても結婚できてないし、好きな人がいてもプロポーズも出来なかった! 僕は米田さんご夫婦が羨ましいですっ!」
気付けば、山田さん問題そっちのけで、話が大幅に逸れ、祐樹は大声で、しかも半分涙目で、米田夫婦に向かってそう叫んでいた。
「さ、桜木君、とにかく、迷惑かけて申し訳なかった」
「謝るのは僕じゃないですよっ! 山田さんに謝って下さいっ!」
「そ、そうだね、きちんと謝っておくよ。美由紀からも謝らせてもらうから。な、美由紀」
米田正之がそう言うと、米田美由紀も渋々頷いたのだった。




