第二話 10
そんなことを考えていた時、太蔵爺ちゃんの駄菓子屋で、突然聞こえて来た言葉を思い出していた。
『こんな成績では死なせるわけにはいかぬ。もう一度やり直して来い!』
僕を罵倒する老婆の厳しい声だった。僕はその言葉を聞いた時、恐れおののき、それと同時に酷く落胆したのを覚えていた。あれは、夢だったんだろうか? おそらく、昏睡状態から目覚める直前に見ていた夢だったんだろう。
でも、成績が悪いから死なせないって、一体どういう意味なんだろう? そりゃあ、自慢じゃないけど、ガキの頃から最悪の成績ばっかり僕は取っていた。でも、成績が良かったら死んでいたということで、成績が悪いから死ねなくて生き返ったのだとしたら、寧ろ成績が悪くて良かったじゃないかとか色々考えていて、そうか、死ぬと天国に行けるから、生きているほうが地獄ってことなのかもなと勝手に結論付けて、自分で自分を納得させようとしていた。
そんなことを考えながら歩いていて、もうすぐアパートだと思って前方を見たのだが、そこにあるべきはずの物がなかった。僕はびっくり仰天して、その場で立ち止まった。
「優菜、大変だ! アパートがない! 駐車場になってる!」
僕が驚いてそう叫んだのに、優菜は随分のんびりと「うん、なくなったのよ」と言った。
「アパートがなくなったら、俺はどこで寝泊まりすればいいんだっ!?」
「え? 大丈夫よ、こっちこっち」
そう言って、優菜は自分の家に僕を引っ張って行った。
「マジかっ!? 俺は優菜の家に居候しているのかっ!?」と僕が言ったら、優菜はまたもや「何言ってるのよ」と暢気に返して来た。
「居候といえば、居候かもしれないけど、厳密に言えば、同居人かなー? でも、一緒に住んで当たり前だと思うけど」
「……」
「さ、疲れたでしょ。今日はもう早めに寝ようね」
そう言って、優菜は家の中にスタスタと入って行った。しかし、僕は、優菜の家の表札を見て、再び腰を抜かしそうになっていた。優菜の家の表札は、「生島」ではなく「野崎 亮・優菜」とあった。僕は家の中に転がるように入り込み、優菜を問い正した。
「もしかして、俺は優菜と結婚したのかっ?」
「え、そうだけど?」
「うそーーーっっっ!!! マジでーーーっっっ!!!」
気付けば、僕は優菜に向かって、そう叫んでいた。
そして、また表札を確かめるために、玄関先に飛び出た。やっぱり、「野崎 亮・優菜」とある。なんてことだ!と思いながら、口をあけて表札を眺めていたら、後ろから、「野崎さん!」と誰かに声を掛けられた。振り返ると、そこに見知らぬ男が立っていた。年回りは、僕より四、五歳年下のように見えた。その男は、周囲をキョロキョロと見回し、何かを警戒していた。誰かに見られていないか気にしているようだった。
「退院したんですね! 俺も随分心配したけど、お元気そうで安心しました!」
「あ、そうですか……、ありがとうございます……」
「はぁ? ありがとうございますって、何、水臭いことをおっしゃってるんですか! 俺がそんなに簡単にくたばるかよ!、ぐらい言ってくださいよ!」
「はぁ……?」
「はぁ?って、また、やめてくださいよ」
「……」
その男の顔を凝視したが、優菜や祐樹の時と違って、その男の若い頃の顔が思い浮かばず、全く見覚えのない顔だった。僕は困惑していた。
「例の件ですが、どうすればいいですか? アイツの昔の仲間を片っ端から洗ってみたけど、全然アイツに辿り着かないんです。昔の仲間とは縁を切ってるみたいです。もうお手上げですよ。しかし、アイツのバックはとてつもなく大きいことは間違いないと思います。こんなところで立ち話もなんなんで、今日はこれで帰りますが、また詳しい話をさせてください。それじゃあ、このへんで」
その男は、にっこり笑いながら軽く会釈して帰って行った。
僕は、優菜の家の玄関先で、茫然とその男を見送っていた。




