第二話 3
そんな話をしながら、カフェの中を隅々まで観察していたら、カウンターの右側と左側に一つずつ奥へ続くドアがあることに気付いた。右側のドアのすぐ横には中庭が見える窓があるので、ドアの奥には、おそらくトメ婆ちゃんがいる部屋や居間に続いているのだろう。
でも左側のドアはなんだろうと思っていたら、ドアのすぐ上にプレート掛かっていて「ハートクリニック」とある。もしや!と思って、僕はドアに近寄りドアノブを回したら、ドアの向こうに受付があって「こんにちは~」と女性の声がした。その声の主のほうを見たら看護師だった。僕は慌てて「さよなら~」とドアをそっと閉じようたしたが、受付のすぐ前の待合室の一角に四畳半ほどの畳スペースに目が釘付けになった。
そのスペースのど真ん中に、何やら不思議な物体が鎮座していた。高さ約五十センチ、縦五十センチ、横一メートル程の四角い物体が横たわっている。しかもこの物体には、花柄のピンクのタオルケットが被せられていた。何なのだろう?と目を凝らして眺めていたが、一向に動く気配がない。まさか人間じゃないだろうなと考えを巡らせていたら、奥の部屋からサラリーマン風の男性が出てきて、診察室と思われる部屋のドアを開け、「先生、休ませて下さってありがとうございました。すっきりしました」と挨拶していた。その男性は、クリニックから出ると、祐樹にも会釈し、祐樹も「木村さん、また時間がある時に寄って下さいね」と彼に声を掛け、男性も「はい、こちらこそお願いします」と明るく返事をして外へ出て行った。僕はその様子をただ黙って眺めていた。
「もう分かったと思うけど、そこね、姉貴の診療所なんだよ」
「や、やっぱり……」
「そいでもって、カフェは昼間は患者さんのサロンでもあるわけ」
「そ、そうか……」
「もうすぐ、山田さんが出てくると思うよ」
「山田さん?」
「うん。さっきの木村さんと同じく患者さん。山田さん、毎週月曜日に診察に来てるから」
「ふーん」
いつの間にか、優菜もコーヒーカップを持って、僕が座ったカウンターに移動してきていた。優菜は「患者さんはね、カフェのコーヒー一杯無料サービス券が貰えるのよ」と言った。
暫くして祐樹が言った通り、「ハートクリニック」のドアがきぃいいと音を上げ、中から患者と思われる人間が現れた。しかし、僕はその姿を見て度肝を抜かれた。その人間は、頭からすっぽりタオルケットを被っていたからである。しかもそのタオルケットは、さっき畳スペースに横たわっていた物体が被っていた花柄ピンクのタオルケットと全く同じ物だった。ということは、さっきの四角い物体は人間だったということか! しかし、タオルケットから出ている下半身は、ジーンズとスニーカーを履いていて、スニーカーのサイズは二十五センチくらい、身長も百六十三センチくらいなので、男なのか女なのか皆目見当が付かないのだった。
子供が遊びでやるのならともかく、身長からしてどう見ても大人だし、大の大人が頭からタオルケットを被ってうろついているなんて、普通だったら考えられない行動だった。それなのに、祐樹も優菜も山田さんに「こんにちは」とごく普通に声を掛けていた。しかし、山田さんはタオルケットを被っているにもかかわらず、透視できるのか僕の姿を発見し、カウンター席に座るのを躊躇していた。仕方がないので、僕はカウンターを離れ、元いたテーブル席に移動した。そうすると、山田さんはほっとしたのか、カウンター席に座った。
「山田さん、いつもと同じでミルクも砂糖も入れていい?」
そう祐樹が訊くと、山田さんはタオルケットを被ったまま一礼した。そして、目の前に出されたコーヒーを顔も出さずにタオルケットの中で飲み干すと、祐樹に一礼しカフェのドアから帰って行った。僕は、山田さんが外ではどうしているのか気になって追いかけて見てみたが、山田さんはタオルケットを被ったまま普通に商店街を歩いて帰って行った。僕は、その様子をただ口をぽかーんと開けて見ていた。外の看板をもう一度よく見直してみたら、「Café Hard Rock YUKI」の下に「Heart Clinic」と申し訳程度の小さな看板が掛かっているのに気付いた。